今年262本目(合計1,354本目/今月(2024年7月度)25本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
(前の作品 「墓泥棒と失われた女神」→この作品「エス」→次の作品「」)
大阪市では6か月遅れで本日公開日でした(ミニシアターは土曜日はじまり金曜日終わりのスケジュールのところが多いです)。
映画の趣旨としては、監督の過去に触れつつ、監督自身は映画に一切出てこず(「エス」とだけ呼ばれる)、それを案じている人が嘆願書を出すだの出さないだの、あるいは許せるか許せないかといったことを論じるタイプで、意外に見たことがないタイプ(本人が映画にほぼ出てこないというのは珍しい)でよかったかなといったところです。また、「過去について」極端に美化したりあるいは正当化することもなく、事実のみを淡々と描いている点についても良かったものです。
人は誰でも誤ちを起こし得ます。もちろん誰が見ても許されないレベルの凶悪犯罪、たとえば地下鉄のガス事件もあれば、日常起きるレベルの万引きや盗撮など色々ありますが、それらが「当然に」同じ裁きを受けるわけではないし、「当然に」同じ社会的制裁を受けるべきものでもありません(ここでいう「社会的制裁」というのは、復帰後の人付き合いの制限などのことをいう)。
そして日本の犯罪類型には「被害者なき犯罪」というものがあります。覚せい剤などの単純所持や単純賭博などのように「被害者の存在が想定・観念できない」類型と、明確に想定できるケース(万引きやこの映画の例など)です。ここによってもひとつ、ニュースを見た人によって印象は変わります。また、刑法に定められている刑罰法規以外でも、法定刑自体は低めに設定されていても「動物愛護法違反」(動物虐待等)はやはり印象が悪くなります。ここは道徳感といったものが出てくるので、言葉でズバリかけるものではありません。
そうしたことまで考えたとき、本件は「被害者との和解・示談が大方終わっている、終わった」という前提において、それほどの刑罰をもって臨むべきものではありませんし、また社会的制裁もそれ相当になるべきものです。ここの「相場」が極端に崩れると、人は誰も立ち直れなくなります。
決して犯罪を推奨するわけではありませんが、一人の行政書士の資格持ちとして、「何でもかんでも犯罪者は全部刑務所に突っ込んで社会でさらし者にすればいい」みたいな極端な意見には到底賛同できず、一方でこの映画は実話をもとにしており、「当然、被害者の方の心情も理解できる」ものであり、またその一方で、「大筋において和解・示談がすんでいる」前提において、「こういうことがありました。真相はこうです。今後はこういう道を歩みます」というような映画を作ることそれ自体は、更生への第一歩であり、またそのような製作活動は、前科者等(この映画の例では起訴見送り?)であっても同じであり、彼ら彼女らががそれのみを理由として制限されるいわれはない一方、実際におきた事件について、被害者のプライバシーを一切考慮せず公表することもまた「表現の自由」の限界を超えます。すなわち、「前科者等にも表現の自由は等しく及ぶが、表現の自由は絶対無制限ではない」というものであり、それは何も「前科者等」でなくても「誰であっても同じ」結論です。
そうであればこのような作品が公開されること、それ自体について議論はわかれましょうが、個人的には「憲法でうたわれる権利は保障されるべき」という立場に立つので、公開には意義があったと思います。
採点に関しては以下まで考慮しています。
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(減点0.3/サークル仲間だけで嘆願書を提出できるか)
提出すること自体は自由(日本国憲法の「請願権」の一つ)ですが、実際には、被害者の方がどう思われているかがもっとも重視されます。もちろん上記に述べた通り、道路交通法違反等に対する嘆願書は伝統的に行政書士が多く受け持つほか(点数がつくことで運転禁止となると、本人が病院に行けなくなる等で生活につまるケースがある)、外国人に絡む「よくある犯罪」(金額の低い万引き、ゴミ出しトラブルに端を発した全治3日程度のごく小さい喧嘩程度)でも、外国人関係の受け持ちが行政書士なので、その限りで嘆願書を受け持つところはあります(特に弁護士過疎地のようなところではありえます。もちろん、その場合でも、被害者と大筋の和解が取れている場合にできるのであり、和解を持ちかけたりすると弁護士法に触れます)。
ただ、この映画は明確に「被害者が想定できる」ケースであり、映画内で「被害者」と呼べる人は一切出てこないのに、延々とサークル仲間やら仕事仲間やらで嘆願書を出す出さないの話をしても、絶対に重要なのは「被害者がどう考えているか」であり、それが全てを左右します(何万の嘆願書が集まっても、被害者が許さないといえば起訴はされます)。
この点については、この事件が実際のものであったという事情から、この点に関する描写が一切ないのですが、字幕でも何らか補足は欲しかったところです(何でもかんでも嘆願書運動となり、「思わぬところで、結果的に」被害者軽視となることはよくないことです)。
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