型破りな教室のレビュー・感想・評価
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あ~あ、眠ってしまった。
今日は地元神社で「初えびす」だったから、朝早く(午前3時)起き、準備していた。1本目の映画鑑賞「私にふさわしいホテル」時には、眠気はおきなかった。昼食を取り、本作を観たがどうやら冒頭から眠ってしまった。今まで、寝入ったことはあったが、これほどの長い時間はなかった。後半の部分からしか観ていない。評価などできるはずもない。
実話が元になっているらしいが、どこまで本当なのだろうか?
面白くするため(観客を喜ばすため) 、どこまで脚色したか。いつも考えてしまう。小学生が複数の殺
人を犯すなど、日本では考えられない。他の事件を盛ったのでは思う。
実践的”産婆術”
個人的に初めて観たメキシコ映画でした。メキシコと言えばその治安の悪さが知られるところですが、本作の舞台であるメキシコ北東部のアメリカ・テキサス州との国境近くにあるマタモロスは、メキシコの中でも恐らくは折り紙付きの治安の悪さで有名とのこと。現に同地が位置するタマウリパス州は、Wikipediaによると「麻薬組織であるガルフ・カルテルとロス・セタスによる抗争事件も頻発、多数の死者が出ているほか行方不明者数も5,000人に達し、国内のどの州より多い状況となっている」そうです。
内容は、そんな治安最悪の街にある小学校に赴任してきたセルヒア先生が、カリキュラムに従わないながらも子供たちの自主性と積極性を引き出す独特の授業を行い、大きな成果を上げるというものでした。その教育方法は、ソクラテスの”産婆術”の実践編とでも言うべきもので、極めて古典的なものと思われました。産婆術は、単純に教科書に書いてあることを教えるというものではなく、相手が真理に達するのを助ける教育方法として知られていますが、現代教育、特に日本の教育を受けた私などには目から鱗でした。学校側は「秩序」や「規律」を重んじ、それに従わない者には懲罰を与えるというあり方は、自分が経験した日本の教育現場そのものでしたが、セルヒア先生は子供たち自身が向学心を湧きあがらせる働きかけをし、子供たちもそれに応えて自ら考え、調べるなどの動きをすることに。こんな先生と教え子が一体となった授業なら、もう一度小学校からやり直したいと思ったくらいでした。
最終的には、治安の悪さの問題で悲劇が起こってしまいましたが、それでも前を向いて歩き続けることになる姿は、神々しくさえあり、非常に感動的でした。
そう言えば、劇中マタモロスから、国境を越えたアメリカ側にあるスペースX社の宇宙ロケット発射台を臨むシーンがありましたが、調べてみると両者は直線距離で40キロ程度の模様。地続きで隣国と接していない日本では中々想像できませんが、国境の片側では最先端の宇宙開発を行い、もう一方の片側では最悪の治安状況で教育もままならない状況下にあるというコントラストには、現実の恐ろしさを感じざるを得ませんでした。
そんな訳で、初のメキシコ映画は非常に面白かったので、本作の評価は★4.8とします。
子どもたちの前向きさが感動を呼ぶ生きた教室
年始から今年のトップ3入り確定の感動でした。
子供たちの可能性を引き出す教師
映画からもらう生きるチカラ。
興味をわかせる、って大変。
学ぶ楽しさを知った子どもたち
鳥肌もんの面白さだった。
子どもの好奇心、学ぶ楽しさを知って自発的に勉強する意思は、何ものにも変えられない貴重な宝物だと思った。
教育委員だか議員だか知らないが、偉そうに足を机に乗せたクズ野郎がなかなかのヴィランぶりで、対比としての先生や子どもの素晴らしさが際立っていた。
それにしても、子どもたちが死と隣り合わせな世界って、やっぱりつらいなぁ。
自分がメキシコに生きていなくてよかった。
最初は金八先生キターと楽しく観ながら 形だけの教育カリキュラムとか...
H車が出てきた
2011年、メキシコの米国との国境に近いマタモロスでの実話を元に紡いだ物語。
貧困と暴力・犯罪で疲弊した地域の小学校に新学期から赴任し、短期間で見違えるような成績を導いた一人の教師ファレス(セルヒオと呼ばせていた)。彼が担当したのは、成績が振るわなかった6年生の23人のクラス。彼は何を成し遂げたのだろう。
それは、彼が受験勉強のような記憶学習を課すのではなく、思考する習慣を生徒に教えたことに尽きるのだろう。その結果として、ゴミ拾いで生計を立てている父親と二人で暮らす、とてつもない能力を持った少女パロマが見出される。もう一人は、家庭の貧しさから年少の弟と妹の面倒を見ながら学校に通うルペ、この子は教師に最初に課された哲学の命題に興味を持ち、学校の図書館では飽き足らず、大学の図書館にも通って、哲学者ジョン・スチュアート・ミルの著作に辿り着く。そうだ、彼女は記憶するのではなく、探究する楽しみを知ったのだ。ニコと言う、セルヒオの課した浮力の課題で一番伸びた生徒は、本当にかわいそうだったが、生徒たちから思考力が導き出されたことにより、パロマだけではなく、皆の力で思いがけない好成績を得ることができたのだ。
映画を観ていてうれしかったこと、セルヒオ以外の多くの教師たちは、生徒たちに受験勉強を科そうとしないセルヒオを教育委員会に告発する。それに対し、校長のチュチョは、日和見に見えはするが、実際にはセルヒオの応援をする(ジャッキー・チェンのポリス・ストーリーの署長みたいに)。これで随分、溜飲が下がった。
そう言えば、チュチョ校長は古いH車に乗っていた(お隣の国のH車ではないように見えたが)。H車と言えば、1970年代、米国西海岸で、とてつもなく厳しい排ガス規制が課されようとした時、いち早くその基準をクリアしたことで知られている。必ずしも、創業者であるH宗一郎の考えには沿わない方法で。その当時、H車は日本の誇りだった。翻って、現在欧州では、温暖化への対策が大きく叫ばれている。街を走るバス一台にもそれは見てとれる。では日本の企業の取り組みはどうだろう。世界をリードできるような提案はなされているのだろうか、確かに企業の採算も大事だろうけれど。礼儀や融和のみでなく、あの当時のような創意工夫に富んだ、思考の重視される時代に戻れないものか。今は思考ではなく、効率的なデータ収集に最大の力点が置かれているように思われるが。チュチョ校長の運転する古ぼけたH車を見ながら、そのことを思い出していた。
それは宝物
メキシコにて、犯罪と隣りあわせの環境の小学校に変わった先生が赴任して来たことにより学力最底辺だった子どもたちの意欲と成績が…といった物語。
型にはまった教育方法を嫌い、自ら問いかけ子供達に考えさせ…といったやり方のセルヒオ。
風変わりで校長や同僚からも白い目で見られる彼だが、燻る子供達には確かな変化が訪れ…。
観ながら、自身の小学生時代を思い出してしまいました。当時、先生たちの話で「学校に行きたくても行けない子供が世界にはたくさんいるの!」とよく言われていましたが…いやいや、学校なんて面倒だし毎日日曜日が良い…と当時は思ってしまったものですが…。
実際には、小学生であるにも関わらずヤングケアラーのような生活を強いられたり、興味があっても向き合えさせてもらえない…なんてことが本当にあるんですね。そんな彼らの気持ちを掴むセルヒオは素晴らしい先生だと思った。
でも、パパの意見もわかる。
厳しい現実を生きてきたからこそ、戻されるくらいなら叶わぬ夢など…う〜ん、我々が軽々しく意見できない現実ですよね。
それでも、天才も良い指導者と出会えなければ…とも思わされたし、セルヒオの葛藤、結局どうするのが正しいのかは誰にもわかりませんね。
その他、まさかの衝撃の展開で驚いたし、綺麗なだけのドラマじゃないのも、メキシコの厳しい現実を教えてくれました。
総じて、年の瀬に出会った名作といえる作品だった。
Viva Mexican Cinema
2011年頃のメキシコ、貧困と暴力が子供たちの間近にある片田舎の小学校が舞台。いわゆる貧困と教育という、子供達の可能性に対し、大人が課題だと分かっていながら、具体的な解決から目を逸らしがちなテーマ。しかしご安心を、実話ベースであるが、ちゃんと映画として「かわいく面白い」「あーやっぱりとそうなったか、と身につまされ」「最後はちゃんと、ほっとする」は成立しており、観客を選ばない作りとなっているので、鑑賞後も細かいところを思い出すゆとりのある映画。
後でちょっと自分なりに考えたエピソード、
「遭難船の救助ボートのエピソード」は、一見物理を通じ考える力の育成だけに目が行きがちだが、この物語の本質を冒頭で暗示している気がする。現在はどうだか知らないが、当時の教育政策という名の浮力を計算できる大人が少なく、救助ボートに乗れない子供たちがいる事を言いたかったのかもしれない。
「ゴミ山の上で天体望遠鏡をのぞき込むエピソード」カットは終始少年少女のやり取りにクローズされていた。望遠鏡のその先に金星か月かが見える映像でも出るのかなと思ったが、この映画はそんな些細な事は描かなかった。このカットは、少女は見えている星が少年には見えなかった。それはこの後の展開を暗示していていたのだろう。
映画として単純に見る事も出来るし、勝手深読みして妄想にふける事も出来た。なんといってもエピローグで明かすハッピーエンド実話系のノリ大好きです。メキシコ映画はほとんど見たことないけど、この作品は中々の傑作です。
学ぶことに必要なこと
2024年、最後に観る映画です。
事実を元に作られた映画。
学ぶことに大切なのは、自ら考えること。
それを、試験の結果などは度外視して教えた教師と子どもたちの話。
結果は従来の教育以上のものだったけれど、それをできる教師はほとんどいないなぁ。
長い目で見た時どちらが子どもたちのためになるのかは、歴然だけれどそれをできる腹の座った教師はほぼない。
学校の先生とか、子どもの学びに関わる人にこそ見てほしい映画です。
子どもたちを、ダメにする前に。
教育は誰のため?
好奇心は誰にでも
フアレス先生の授業を受けた生徒たちは、どんどん目がキラキラしてきて好奇心に溢れてきましたよね。そしてフアレス先生も彼らの未知なる才能を発見しやる気がみなぎってきます。数学の天才パロマ、ものづくりが得意なニコ、哲学者になりたい女子などなど。
本来教育者とはフアレス先生みたいに生徒の好奇心を引き出しアシストする人だと思います。でも昨今では、先生は生徒のテストの点数などで数字管理されているから、テストで良い点数を取らすことを優先する刹那的な教育になってしまうんでしょうね。学校の現場を知らない教育委員会が教育要項を勝手に決めてしまうのだろうし、日本では受験勉強に勝ち抜いた文科省の役人が決めてますもんね。そりゃあ不登校にもなるわけだ。だってつまらないから!
あと、パロマの父親も子供の時は好奇心に溢れていたと思います。だから、ラストでパロマの気持ちに気がついたんです。そう、本来好奇心は誰にでもあるのです。そして人だけではなく、映画や本からも自然からも学ぶことができるのです。そんな老若男女の好奇心を社会がアシストすることで人類は幸せになれると思いました。
可能性は無限
型破りな先生
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