型破りな教室のレビュー・感想・評価
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それは小さな社会…
小学校、それは小さな社会という映画に感銘をうけたが、
まさに、ちいさな社会。
それを裏付けるような作品だった。
国の社会の縮図がそこにあり、小さな子供たちがその影響、洗礼を受けてしまう。
こどもはどこの国でも大差ない。ちがうのは社会なのである。
メキシコの歴史に詳しいわけではないけど、スペインの侵略を受けて、
民族の形が変わってしまい、伝統の言葉を失い、文化の根底を大きく歪めることになる。
その悲劇が、社会に大きく影を落としているのは間違いないように思う。
大人もこどももスペイン語を普通に話していることに、背筋が凍るような思いがした。
他民族の侵略をうけないで、長い文化伝統を守れたことの幸運のうえに、
今の日本というものがあるのかもしれないなどと考えてしまった。
まあそうですね
radicalとは。子ども扱いせずに大事な問いを考えること
少しタイミングがずれて地元のミニシアターで見ることができた。
やる気のない子どもたちのところへ異色の教師がやってきて開花させる、という物語はたくさんあるだろう。この映画の場合は教師が特に個性派でなく、ネットの動画を参考にしていることを打ち明けるなど、わりと普通の人が試行錯誤するところが面白い。
最初の授業で、先生はフルーツバスケットみたいに「均等な人数のグループを作って着席しよう。そうしないと海に沈んでしまう」という課題を出す。小学校6年生の子どもは「幼稚園みたい」といってとりあわないが、ふと「船はどうして沈まないか」という疑問が共有され、担任の先生と太った校長の「密度」を比較する活動などへ発展していく。
こうした探究が周到な準備のもとで行われているわけではなく、子どもが考えている間に先生が校内で教材となる風船を探すなど、ジタバタする姿に共感した。
机の上の勉強になじめない子どもに対し、身近な現象を素材に教えるということは日本の教育でもよく行われているはずだ。この映画の場合はそれだけでなく、radical(=根本的)という原題のように、子どもだからといって見くびらず、大事な問いを考えることがテーマになっているように思えた。
実際、「海に沈みそうなときに誰を助けるべきか」という問いから一人の女の子は哲学に進んでいき、教室でも中絶をテーマに討論が行われる。
それに対し教育委員会から来た役人が「小6で学ぶべきことが身についていない」と水を差すのは象徴的。学習指導要領では年齢相応のことしか教えられないが、子どもの心に火をつけるには、時に、大人にとっても難しい問題を考える必要があるのだ。
最初に触れたように先生の授業はそれほど画期的なわけでもない。最後に統一学力テストのようなもので学力を証明することになるのはちょっと皮肉だけれど、要は子どもに合わせた思考のきっかけが必要ということではないか。学び方の目新しさに本質があるわけではないと思う。
その意味で最後にアインシュタインの「私の学習を妨げたのは、教育だった」という言葉を掲げたのはやや疑問。「型破りな教室」という邦題もそうなのだが、教育の型を崩すことが大事だと誤解されてしまわないだろうか。
過酷な環境でも
教育とは
メキシコの実話が元になってる。
子供の教育には、興味を持たせるきっかけを作ってあげれば、知的好奇心が芽生えて周りから知識を与えなくても自ら調べて向上していくよ、っていう話し。
こういう教育をやっている学校のドキュメンタリーを何度か観たことがあるけど、ほんとに子供が秘めている可能性は無限だと思うし、かつての自分もそうだったわけだし、って思う。
そんな子供達の可能性が、だいぶ歳をとった私にとってすごく眩しくて輝いて見える。
そんな可能性を貧困や周りの大人たちの所業によって奪われる事の酷さがつらい。
本来勉強って楽しいものだなって、改めて思った。そこは歳をとっても関係ないって思う。
教えるということは
映画「型破りな教室」と「アイ・ライク・ムービーズ」の2本を柏駅の隣にある「キネマ旬報シアター」で観てきました。
ここの映画館は、大きなシネコンでは上映されない小品だけども質いい作品を上映しています。
ロビーも映画ファンには、たまらない空間になっています。早めに行ってもロビーで楽しめます。
『実話の映画化です。治安の悪化が深刻なメキシコの町。学力が国内最底辺の小学校にやって来た新任教師が、型破りな授業で生徒たちの考える力を引き出していく。』
NHKドラマ「宙(そら)わたる教室」と相通じる内容でした。
記念すべき2025年の1本目となる映画です。
今年教師になる新人教師、教師歴10年の中堅教師にぜひ、観てほしい映画です。
悲しい現実の中に見出す希望
メキシコでの実話に基づいた話。2011年、アメリカ国境に程近く、向こう側にはNASAの宇宙センターを臨むことのできるマタモロスの街では犯罪が蔓延り、パソコンは設置すれば盗まれ、百科事典の全巻すら揃っていないほど小学校の設備は劣悪、教員も意欲のない者ばかりで、半数の生徒がドロップアウトしていた。そこに6年生クラス産休の代用教員として赴任して来たのがフアレスだった。彼の奇抜な(あるいは型破りな)教え方は周りの教員や教育委員会からは決して認められるものではなかったが、教室の生徒たちは明らかに変容を遂げていた。しかし、ある事件が起こり……。
なんでスペイン語ではなく英語のタイトルなんだろうと思っていたのだが、英語の "radical" はスペイン語でも "radical" だった… というのは置いておいて、フアレスの教え方は、実は、私自身の目には決してラディカルには映らず、「主体性」「対話」「探究」「課題解決」「学習者中心」といった近年のバズワードで表現される手法。ただ、現在の各地の教室でもそれが主流になっているとは言い難い状況で、統一試験(ENLACE)で点数を取ることしか考えていない当時の教師たちにとっては明らかに過激(ラディカル)に映ったであろうことは想像に難くない。そして、フアレスのファシリテーションの上手さは感動的ですらある。
類似のテーマを扱った、まだ記憶に新しいテレビドラマの『宙わたる教室』とも重なる部分も少なくないのだが、メキシコの小学校の現実は新宿の定時制高校ほど甘いものではない。悲劇は悲劇のまま終わってしまうことも悲しい現実だ。
ニグレクト、ヤングケアラー、貧困、児童労働、暴力、殺人、麻薬、汚職、等々、何でもありの環境の中で「現実を見ろ、夢を見るな」という大人と「自分の可能性を生かすも殺すも自分次第だ」という大人。本当の希望を与えられるのはどちらなのか、と大人たちが自問することを迫られる。
キツそうに思えるかもしれないが、全体的にはコメディタッチで描かれ、希望も感じられる良作だ。
型破りな天使のような子役たち
涙がタラタラ出て来てしょうがない。
メキシコの実話を元にした映画らしい。そもそも日本語タイトルからしてドラマやドキュメンタリーにでも出てきそうな設定で最初のほうか「ほう、なるほど」という風に観ていたけれど、1時間過ぎた辺りからの子どもたちの演技というか表情に完全にやられる。1時間過ぎる頃とはすなわち、型破りな先生に夢や希望を与えられ、その夢がメキシコの貧困層家庭という現実に押しつぶされそうになっていくところである。
その前に彼らが知識欲に目覚める表情がまず素晴らしい。哲学者になれるかもよ、と言われた女の子が学校図書館で追い払われて、大学図書館に向かうところでまず涙。そしてゴミの山に住む宇宙飛行士になりたい女の子の隠し扉の科学雑誌と自作望遠鏡からみるスペースXの発射台に涙。そして好きな子と勉強に目覚めた不良のニコの表情が本当によく、彼に降りかかるシティオブゴッドのような一瞬が切な過ぎる。校長先生のキャラクターも素晴らしい。
危うく見逃すところだったけど観れてよかった。
哲学書を読み漁りながら赤ちゃんの世話で学校に行けない子なんて、おじいちゃんから聞く戦後の学校あるあるエピソードみたいだったけど、今や貧困国になった日本でもぜんぜんこのような状況になっていたりするのかもしれない、と思った
考える力を与えてくれる映画
メキシコの社会や経済がどうなってるのか教育水準はどうなのかなど全くわからないが、残念ながら貧富の差も激しく犯罪に手を染める子ども多いことだろうと映画を観て思う。日本も近年は闇バイトに引きずり込まれる若者が後をたたないので偉そうなことはとても言えないが、。
どのような国でもだいたいは義務教育はある。そして小学生の高学年となると物事を思考する力(考える力)を養う極めて重要な時期と言える。
フアレス先生に出会えた生徒は本当に良かったと思う。元々は落ちこぼれ教師だったようだし、型破りな授業は最初は確信はなかったのかもしれないが、生徒が自ら考える力に目覚めた瞬間から先生も覚醒し生徒との素晴らしい関係性を育むことが出来た。パロマは本物の天才だったが先生が見出せなければ父親も気づかなかった(父親の涙のシーンは泣かせる)。ほんとに宇宙飛行士になってもらいたい。ルペは無計画に子供を産む親の犠牲者のようだが、哲学に目覚めたので遅れても学校に通い必ず何かを掴むだろ。ニコは折角学ぶ機会を得たのにとても不幸でやるせないし、何度か登場した緑Tシャツの子どもは学校にすら行けない。メキシコの下層の人々の現実もあえて見せつける。
観ている側にも考える力をつけさせているようである。
メキシコが舞台の熱血先生物語
教育は環境が大切
いい話。
心震える映画、出会えてよかった
『いまを生きる』他の作品との共通性
一番イメージが近いのは、『いまを生きる』であろう。教師が机の上に立ち上がったり、様々な働きかけをして、子どもたちに既成概念から脱却するような発想ができるように仕向け、管理職や同僚、保護者から睨まれ、子どものなかから死者を生みだした挙げ句に職場を追放されるところまで行く。同じ中央アメリカの貧困な環境で生活する『マリア怒りの娘』のような状態があり、『泥の河』に出てくる子のように、学校の外から羨ましそうに覗き込む子がいたり、『人間の壁』に出てくる子のように、家庭で子守をしなければならないために学校に通えない子がいたり、『宙わたる教室』のように、科学に興味をもち、自分たちで工夫して実験装置をつくり上げる子がいたり、悪い環境から抜け出そうと藻掻く子もいたり、『みんなの学校』のように、助け合いの日常生活の積み重ねでテストの点数も上がったりする成果を挙げたり、『風をつかまえた少年』のように、学校で学ぶことができなくても、図書館で自分で調べて知識を高めようとする子がいたりするように、つながりが広がっていく。
浮力の原理の発見では、アルキメデスを出してほしかったところだった。
エンディングで、実話に関わる写真で、パロマしか出さなかったので、少し疑問に感じた。命を失ったニコや学校に通えなくなったルペのことを忘れさせないことこそ、仲間の絆が確認されるところではないかと感じたところであった。しかし、その二人は架空の人物であったようだ。それならばせめて、パロマが自分の学力でどんな社会貢献を果たそうとしているかを語る場面があったら良かった気がする。
日本の教育現場でも失われつつある
メキシコの辛くともからっとした感じ
先生と子供たちのやりとりがとてもいい。子供らが過酷な現実もありながら前向きに、課題や日常に取り組んでいくのを見て、頑張ってほしいと思う。メキシコの情勢を知る機会にもなった(アメリカへの移民で話題になっており)。担任の先生と、数学の特異な子、哲学の好きな子、校長先生とのやり取りが心に残った。
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