型破りな教室のレビュー・感想・評価
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日本じゃ無理そうだなぁ
好奇心こそが!
モチベーションの持たせかた
「学び」の豊かさの映画
<1月12日 修正しました>
(注)このレビューは、「個性の芽を摘む日本の小学校」等の文脈で、この映画を他人に勧める方々に対して、否定的な立場であることをお断りしておきます。
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冒頭でお断りした通り、「個性の芽を摘む」とか、「画一的」とか、この映画を引き合いに出して日本の学校現場を語ろうとされる方々は、どんなリアルを見てそうおっしゃっているのかと残念に思った。
また、この作品を「一人の型破りな教師が、型破りな方法を用いて実績を上げたことを描いた映画」ととらえ、「翻って日本では…」と思われたのだとしたら、少しお聞きいただきたいことがある。
本作は、「型破りな教室」というタイトルだが、決して日本においては、フアレスのような教室運営は型破りではない。もっというと、子どもの探究を中心に据えた授業は、明治後期や大正期から存在し、脈々と受け継がれてきていた。そして今、VUCAの時代と言われ、文科省の学習指導要領自体が、「教えから学びへ」と学校教育のシフトチェンジを進めている中で、ご自身が受けた経験(中にはそれで大変傷つかれた方もいらっしゃるかもしれないが)をもとに、批判されているのだとしたら、ぜひ、今現在の身近な学校現場のリアルを知っていただければと思う。
確かに、未だにチョーク&トークの教室も無いとは言わないし、高圧的な価値観が中々改められない者もいる。だが、多くの日本の教師たちは、いかに子どもたちの意欲を引き出すか、いかに現実と学問的内容とを結びつけて実感させるか、真摯に毎日毎時間その問題に向き合いながら、実物や実感を大切にし、子どもの問いを引き出す工夫を考え、目の前の多様な子どもたちと向き合っている。
私が目にした、この映画を使って日本の教育を否定的に語りたい様子の方は、現場の教師は上から(教育委員会や無理解な親など)の圧力で苦しんでるといったニュアンスを漂わせて、教師批判を避けようとされている節も感じられた。しかし、申し訳ないが、それでは逆に無能呼ばわりされている思いがしてしまう。教師は、もっと自律的な立場にあり、授業の進め方も扱う教材も個々に委ねられている専門職であることを知っていただきたい。だから、授業の進め方は一人一人の教師によって全く違うし、子どもたちが違えば、同じ教師でも全く違う進め方をするものだ。決して、誰かに言われたことを言われた通りにこなす訳ではない。
それを踏まえて強調したいのは、この映画の素晴らしさは、特別な教師や特別な才能を発揮した子どもにあるのではないということだ。
パロマが、全国トップにならなかったとしても、全体の10%の子がトップクラスの成績を取らなかったとしても、この映画の描いているものの素晴らしさが色褪せるとは思えない。
テストの点は、ある種の観点から測ろうと試みる知識や理解などの限られた能力の評価に過ぎないからだ。それに対して、いわゆる「非認知能力(やる気、忍耐力、協調性、自制心など、人の心や社会性に関係する力)」は、点数では簡単には測れない。
この映画の素晴らしさは、そうした非認知能力の高まりも含めて、「学び」そのものを描いていることにある。
金八先生やGTOなど、教師に視点を当てたドラマはこれまでもいくつかあったが、それらは、どちらかというと「勉強よりも大切なものがある」というのが、一つのメッセージになっていた。それに対して、この映画は、NHKドラマでしばらく前に放送されていた「宙わたる教室」と同様に、「学ぶ」ということがいかに素晴らしく、いかに豊かで、そこには人の尊厳に関わった、優劣を超えた意味があるのだということを、全編に渡って描き切っているところが素晴らしいのだと私は思う。
そして、その「学びの素晴らしさ」の事実は、皆さんが住まれている町の、公立小学校の日々の授業の中でも、絶えず生まれ続けていることを知って欲しい。
もちろんフアレスは素晴らしい教師だし、共感する点や学ぶべき点もたくさんある。
・教えることよりも、子どもたちが自分で学びとることに絶対的な価値を置いているところ。
・子どもの意欲に火をつけたと思ったら、勇気を持って子どもたちの学びを信じるところ。
・けれど迷って、教室に戻りかけるが、やっぱり信じることを決断したところ。
・子どもたちが質量という概念にたどり着き、思わずうれしくなって公式を教えてしまうというところ。
・そうした自分の取り組みに自信満々というのではなく、悩みながら実践を重ねているところ。
…等々
フアレスは、子どもたちに「君たちから多くのことを学んだ」と素直に言える立ち位置に自分を置いているからこそ、子どもたちはフアレスに励まされ、自らの手で学びの世界を広げていったのだろう。同時に、そうした彼の関わり方が、彼ら彼女らの生活環境という側面において、正しかったと言えるのかと自問するところにとても共感した。
(実際の日本の小学校教師たちも、このフアレスのように、子どもたちが見せる自ら獲得した学びの喜びの姿に元気をもらいながら、様々な理由で課題を抱える子どもたちや家庭と、悩みながら向き合い続けている)
学び続けた結果の子どもたちの描き方も、素晴らしかった。
あの教育長に傷つけられたニコを救う、クラスメイトの連帯感は、真の意味で共に学び合っている仲間だからこそ生まれてくるものだ。
あのシーンだけで、あの教室は、個々の違いを大切にした対話的な学びの授業を、日々積み重ねてきたことが読み取れる。
それにフアレスは、遅刻に厳しい点も含めて、一人一人を伸ばすだけでなく、学級集団としての社会的な指導も疎かにしていた訳ではないことが、忘れずに描かれているところもよかった。
という訳で、私にとってのこの映画は、観た人と「学ぶことの素晴らしさ」や、「人が持つ可能性」について語り合いたい映画だ。そして、残念ながら、そうした「学び」の場に身を置けない子どもたちが少なからずいる現実に対して、どういうアクションをとっていけばいいのか、とって行かれることは何か考え合いたい映画でもある。
その文脈の上に立って「すべての教育関係者や親」に観て欲しいと私は思っている。
型破りな先生、この時代にもいたんですね…
自分を信じられる様になる事が教育
学校で学んだことを一切忘れてしまった時に、なお残っているもの、それこそ教育だ/アインシュタイン
貧しくても、劣悪な環境でも、人は自分の可能性を信じる事が出来たなら、それは希望に繋がる。
その希望が力となり、社会になっていく。
優等生だったが自分の頭で考えたことはなかった
いつもの映画館
気づかぬうちにポイントが貯まっていて
年末年始3連続ロハ 駐車場代半額400円だけ 嬉しい
会員更新時期に来ていたので当然更新したど
本作ストーリーの骨組み
起
・荒廃した学校
・やる気がない児童
・管理を強めようとする学校や教師
承
・型破りな教師がやってくる
・児童一人ひとりと向き合う
・さまざまな境遇や個性を把握して勇気づける
転
・いいところで壁が立ちはだかる
・悲しい出来事が起きてしまう
・型破りな教師がくじける
結
・型破りな教師が励まされて再起
・児童たちはそれぞれの生きがいを見つけて成長する
スパイス
※管理型だった教師が共感して味方になる(本作では校長)
※考えが変えられない同僚教師は一杯くらわされる
1970~80年代の日本の学園ドラマそのものではないか
・熱中時代
・ゆうひが丘の総理大臣
・ただいま放課後
・金八先生
大好きだ
自分は優等生だったが自分の頭で考えたことはなかった
議論することの大事さとか知識をシェアすることとか
その大事さを知ったのはつい最近のような気がする
などと振り返った
穴をふさいだ船を海に流すシーンが一番良かった
悲しいけど
最初の方の校長がドーナツを心配するところ
ばぁちゃんの車いすを押す少年のくだり
パソコンにこだわる理由
よく意味がわからなかった
それでもオラとしては満点の一作
今年のオラのベストテン入り 間違いなし
厳しい現実のなかでも理想を持とう
犯罪と貧困が日常化する環境で暮らす子ども達の中には、自分で考え選ぶことが出来ない子もたくさんいる。そんな現実を突き付ける本作。
試験のための勉強ではなく、興味や関心から学ぶことを尊重する先生の教育方針は素晴らしい。が、ちょっと極端で、もう少し折衷案もなかったのかなと、現実的には思ってしまったりもしました。笑
でも、試験の結果やギフテッドの少女を見出した点などを見ると、正解だったのですね。凄いです。
実話ベースの物語なので、単純なハッピーエンドにはならないし、歯痒さも残り何とも言えない後味。みんながみんな、やりたいことが出来るわけじゃないし、今ある環境で生きるしかない。それでも、先生から学んだことが、子どもたちにとって貴重な気付きになったんだということが伝わりました。
今もなお現役の先生とのことで、ただただ尊敬するばかり。夢や理想を掲げることを諦めさせない姿勢で、これからも子ども達を導いてほしいです!
子育て中の人、教育に携わる人全ての人に向けた良作
本作で触れていた「子どもを国の歯車にする教育」という言葉は、まるまる日本の学校教育にも当てはまる。
学校教育は労働者を生産するために始まった公教育。いわゆる工場要員養成所だ。
このような日本の悪しき教育によって、ギフテッド、子どもの才能や将来の革命家の芽を摘んでしまっている。このような学校教育のままだと国力は衰退していく一方。
まさに本作はそのような状況を映し出していた。とはいえ、日本は本作の舞台に比べるとまだましだ。
セルヒア先生のような救世主が現れ、子ども達がやる気になっても、家が貧しくそんな環境じゃなかったり、親が理解してくれなかったりと、ヤングケアラーや国力の低さ、治安の悪さなど根本的な問題が邪魔をする。
それでも、懸命に子ども達に向き合うセルヒア先生や彼を支える校長の姿には心温まるし、セルヒア先生を通して変わっていく子ども達の姿には希望が感じられる。
哲学書を読み漁るヤングケアーや、パロマの姿は二宮金次郎を彷彿とさせる。
2011年のメキシコの現場やこれからの学校教育のあり方について考えさせられる良作。
教鞭をとる人は是非見てほしい。
教育の可能性を説きつつも、現実のやるせなさも描いた一作
国内最底辺の学力だった小学校を立て直した熱血教師の物語、というと、日本であれば某ドラマをどうしても連想してしまうんだけど、本作の主人公、フアレス(エウヘニヨ・デルベス)の教育熱と発想力もなかなかのもの。教育に対する情熱に国境は関係ないんだ、ということを実感します。
とはいえ本作の舞台であるマタモロス小学校は、子供であっても生活のために犯罪やゴミ拾いの仕事をせざるを得ないかったり、親に代わって幼い兄弟の世話含めた家事全体を取り仕切らなければならない、といった生徒を多数抱えています。
将来の展望が全く見えない状況を見てしまうと、はたして教育を受けることに何の意味があるのか、そして教育で将来が拓けるというバラ色の夢を語っていいのか…、という思いもよぎります。だからこそ、ある生徒の親が、フアレスに「子供に進学の夢を見させるな。どうせ卒業した後のことには責任を持たず、次の生徒にまた夢をみさせるだけだろ」という台詞にむしろ現実の重みと説得力があるようにも思えてきます。
そうした「現実」に直面しても学び続けることができるのか、フアレスと生徒たちの応じ方に着目!なのですが、その一方でどれだけ意欲や才能があっても現状を引き受けざるを得ない人もいる、という部分にもしっかり光を当てているところに、本作の良心を感じました!
期待度○鑑賞後の満足度⭐ 何も言うことがない。予定調和的な処もあるが、それさえも美点に思える。人類の未来にとって一番大切なことを教えてくれる。ずっと泣いてました。
①今日は朝ドラ『お結び』の今週分を一気観して散々泣かされたので、情緒的に「泣き虫」の日だったにのかも知れないけれども…
②とっても当たり前でシンプル過ぎて見落としがちなこと、それは、子供たちに接する大人たちが忘れてはならないのは、一番大切なのは国でも組織でも自分たちでもなく、子供たちであること、子供たち一人一人が自分たちには可能性があると信じてもらうこと、それに尽きることを教えてくれる映画。
③何より生徒たちが学び知る喜びを知っていく過程が観ていて楽しく嬉しい。
④私も60数年生きて来ましたから現実は甘くないことは十二分に分かっております。
それでも夢を見させてくれるのは映画の大きな力ではないだろうか。
⑤(拳銃が入っている)リュックを渡すように言われたとき涙をが流すニコが痛ましい。涙受けを狙ったありドラマならばニコは何とか足を洗う事ができた方向に話を持っていっただろうが、本作では安易なヒューマニズムを
選ばない。
結局ニコはセルシオ先生と出逢う前にはためらいなく進んだ道をやむを得ず選ばざるを得なくなるが、その入り口で好きな女の子を守るために命を散らしてしまった悲劇に心が痛む。
ニコの兄さんもニコを守るために相討ちになって命を落としたと信じたい。
しかし、そこまでニコを変えたこと、ニコがボートを治し塗り治りパロマ号と名付けたことに、セルシオ先生の教えが決して無駄ではなかったことがせめての救いとなる。
出来ればニコとパロマを乗せて海に浮かぶはずだった筈のボートが波を越えて沖に消えていくところを俯瞰で描くショットは、花啓く前に散って行ったニコへの鎮魂歌か。
⑥実話を基にしていると云ってもあくまで劇映画であってドキュメンタリー映画ではないので、ニコのエピソードは作劇的に脚色されたものだと察するが、現実の人間の歴史・社会ではニコやルぺのような子供たちの存在の方が当たり前であってパロマの様なケースは極めて稀であるに違いない(だから映画化されたのだろうし)。
だが、パロマがセルシオという教師に出逢えた事が彼女にとっての僥倖というよりも、受け持った生徒の中にパロマという生徒がいた事がセルシオ先生にとって僥倖と云うべきなのかも知れない。
そう、あくまで焦点を当てられるべきは子供たちであり、大人たちにとっての教師は子供たちであるという不思議だけれども正鵠な事実のメタファーだと捉えるのは穿ちすぎであろうか。
果たせなかったニコの夢の分もパロマが引き継いだ事も静かな感動を呼ぶ。
⑦マルチェロ・マストロヤンニを地味にしたような(失礼かな?)セルシオ先生役の俳優さんが実に良い味を出している。
セルシオ先生が「小さなお願い」を言い出す前の表情が印象的な、いつの間にかセルシオ先生のペースに引き込まれていく校長先生も
ステレオタイプと云えばステレオタイプであるけれども、これまた本作の中で良きアクセントとなっている。
⑧舞台である街がロケット打ち上げセンターが望遠鏡で見えるほどアメリカ合衆国との国境に近いというところで、トランプの“メキシコとの国境の壁”の事が頭を過ったけれども、アメリカ合衆国側にも事情のあることで、此れは此れで現実なんだよなぁ…
学ぶって楽しい
「いまを生きる」とは似て非なる物語
型破りな授業を行う教師の映画となると、おじさん世代なので「いまを生きる」を思い浮かべてしまう。個人的にとても好きな映画で、そんなに頻繁ではないが観るたびに大泣きしてしまう。
さて、本作も実は「いまを生きる」と似たような構図の物語。赴任してきた教師が型破りな授業を行う。戸惑う生徒たちだが徐々に心を開き関係を築き授業にも積極的になっていく。でも、その教師を快く思わない人たちもいる。そしてある子どもに事件が起こるって流れ。違うのは本作の舞台が小学校だということ、メキシコであること、協力してくれる校長先生がいること、そして実話を元にしていること。
メキシコの貧困層が多く住む地域だからこそ犯罪が多発するし、貧困だからこそ将来の夢が閉ざされている子どもが数多く存在するという事実がとても重い。親が子どもの未来を信じられない気持ちもわからないではない。それくらいに重すぎる現実が横たわっている。それでもその子どもたちが未来を切り拓くには教育しかないということを改めて実感する物語だ。パロマという天才少女がクラスに在籍していたことは、フィクションとしてできすぎだよなと思っていたら、ここも実話だったことに驚いた。文字通り未来を切り拓いたんだな。本当によかった。
「いまを生きる」では最後の生徒たちの行動に泣かされたが、本作では先生の熱い声掛けにまんまと泣かされてしまった。ありゃ泣く。
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