「朝鮮王朝の闇に舞う一羽の梟」梟 フクロウ レントさんの映画レビュー(感想・評価)
朝鮮王朝の闇に舞う一羽の梟
実際に起きた史実の中で架空の主人公が一人窮地に立たされ奔走する。17世紀、明清交替の時代、朝鮮王朝は清の軍による侵攻を受け(丙子の乱)降伏した後、人質となっていた世子が帰国するところから物語は始まる。
いまだその地位に固執する時の王仁祖は清の属国になり下がったことが受け入れられない。しかし朝鮮王朝が生き延びるには清に従うほかはない。息子であるソヒョン世子のそんな意見に耳を貸すどころか、自分の意に沿わぬ息子を毛嫌いした王は彼の暗殺を命じる。それは感染症を装って秘密裏に行われたはずだった。しかし、その暗殺を間近で目撃した一人の鍼医がいた。
ギョンスは優秀な鍼医ゆえに宮廷で仕えることができた。そして彼は盲人であった。だが、盲人といっても全盲ではなく、闇の中のかすかな光を頼りにものを見ることができる昼盲症であった。しかし周りはそれを知る由もなく、またそれはギョンスにとっても都合がよかった。
盲人であることから周囲は彼を蔑み、そして侮る。それはこの絶対君主制の時代において身分の低い者にはハンディでありつつも利点でもあった。盲人は権力者にとってはけして脅威にはならない、それ故に目を付けられることもない。卑しい身分の者がこの世界で生きていくそんな処世術をギョンスは肌で感じ取り身に着けていた。
実際、彼は女官の施術まで任された。盲人ゆえに女官も彼の前では躊躇なく肌をさらす。だからこそ彼は暗殺の片棒まで担がされることになる。
御医による暗殺を目の前で目撃したギョンスは世子嬪に真犯人を告発するが、王に刺した鍼の震えから黒幕が王であることを悟り、窮地に立たされることとなる。王がすべての黒幕であるならば、たとえ真実を訴えたところで黙殺され逆に抹殺されてしまう。絶対君主制の世ではそれは自明の理であった。
今までうまく立ち回ってきたギョンスは決断を迫られる。今まで通り見えないふりをしてやり過ごすのかあるいは。そして彼は生き残りをかけてそして王の陰謀を暴くために戦うことを決意する。
証拠となる王直筆の書面を手に入れたギョンスであったが、頼みの綱だった領相に裏切られてしまう。絶望の中、彼は王の面前で王の陰謀を暴露する。
結局、陰謀はもみ消され、世子嬪は自害を強いられ、子は島流しに。ギョンスもまた斬首の刑となる。しかし、なぜか彼は生き延びる。そしてその四年後、彼は王に復讐を果たす。
朝鮮王朝で起きた世子の謎の死。その史実に架空の人物である盲目の鍼医を創造し、見事な歴史サスペンスを創り上げた。
主人公ギョンスは架空の存在であるがゆえにその扱いはご都合主義的だ。だが、それでいいのだと思う。本来ならば彼が斬首されて終わるのが筋だ。しかし、そうとはせず彼を生かし、王に復讐を果たさせる。ここに作り手の強い思いが感じられた。
現実社会では今でも時の権力者に逆らい事実を告発することは難しい。人事権を握られた役人たち、忖度を強いられるマスコミ。みなが見て見ぬふりを強いられる社会。権力者は言う、有権者は眠っていろと、盲人であり続けろと。
それでも勇気をもって真実を伝えようとする人々がいる。昼盲症のギョンスは完全な暗闇の中では見ることはできない。暗闇の中のかすかな光を頼りにものを見る。現実社会社において勇気をもって真実を伝えようとする人々はこの世の闇を照らすかすかな光だ。そのかすかな光を頼りに盲人に成り下がってるこの世界の住人たちがものを見ることができるようになればいいと、そんな願いがこの作品から感じられた。
殺されるはずだった唯一の目撃者をあえて生かした作り手の意図はそんなところにあったんだと思う。
ちなみに本作の前日譚にあたる丙子の乱を描いた「天命の城」は韓国時代劇の中でも出色の出来で鑑賞を強くお勧めしたい。
コメントありがとうございます。
身に余ります、
かすかな光を頼りに盲人に成り下がってるこの世界の住人たち…
耳が痛い言葉でもありますが、おっしゃる通りです。作者の願いがそこにあるのでしょうね。