「正しい映画」梟 フクロウ sokenbiteaさんの映画レビュー(感想・評価)
正しい映画
韓国の映画、ホントに面白いね。
スケールの大きさ、実際の歴史上の人物を描くからには必須の史実とのバランス、エンタメ度、すべからく隙がなくて、ほんとに何の疑いもなく映画の面白さに身を委ねられる。
そういう昨今連発されている、良質のコリアン大作映画の一つ、その中でも特級のレベルの高さを感じる今作なのですが、あらためて思ったのが、映画の根底に流れる価値観というか感覚というか、それの正しさですね。
文字にするとどうしても嘘くさく薄っぺらに見えてしまうのだけど、要するにまあ、正義、というやつです。
人としての正しいのはこういうことなのだ、という感覚。
結局のところ、人間のドラマを描く映画というもの、それが本当に面白いと思えるように作ると、結局そこに帰結するということかとしれない。
これは映画に限らないかもしれないですが。
それが、近年公開される韓国の素晴らしい映画たちには、ちゃんと入っていると思う。
どれも外さず大事なところを押さえている。
だから胸を打つんですよね。
今作でいうとあの、主人公がなんとか危険を乗り越えててようやく門を出ようというときに、若様が殺されるかもしれない、と思い起こして門の中に戻っていく。
あの、視線の先にある安全な暗闇が映って、そこに主人公の逡巡が込められている場面。
それを振り切って自分のなすべきことをなすために危険の中に戻っていく。
本当に感動しますよね。
同じような場面として思い出すのは、エイリアン2でリプリーが、今まさに脱出しようというところで、少女の助けを呼ぶ声を聞いて引き返す場面です。
これはもう、なんというか人間の持つ普遍的なもので、人の心に響く作品の持つ資格みたいなもんだと思います。
それをこの作品もまた、持っている。
そこそこ年配の人なら覚えているかもしれないけど、淀川長治さんが日曜洋画劇場の解説でたびたび言っておられたことがそうだと思います。
ハリウッドの娯楽大作の中にも、どこかしら外してはいけない人間としての大切な価値観が描かれていて、だからこそ映画は信頼できるのだという。
近未来の学校の荒廃を舞台にしたSF映画(タイトル忘れた)にも、ヘレン・ケラーが言葉を獲得するまでを描いた古典的名作「奇跡の人」と同じような、教育に対する真摯な視線があるということ。
ETを初めて見た少年が、不気味な生物として毛嫌いするんではなく「おいで」とするのは、移民の国アメリカの大事な基礎で、それはメン・イン・ブラックの中にも確かに見えるということ。
そういう本当に感動できる映画には必然的に備わっている正しさが確かにこの映画にもあって、、まあその、この映画についての具体的な情報の何一つないレビューになってますが(笑)、要するにそうした芯のところに確かな価値観が感じられる、文句なしの傑作です。
また一ついい映画見れたなー!という幸せな気分で映画館を後にしました。