その鼓動に耳をあてよのレビュー・感想・評価
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色々、考えさせられたドキュメンタリー
CSで録画視聴。
名古屋の救急病院の密着ドキュメンタリー。
色々、考えさせられた。私も以前お世話になったし、最近は母も
お世話になっている。
救急病院の方の苦労は映像を通じて身にしみた。
改めて医療関係者の方に尊敬と敬意を示しながらまたどこかでお世話になる
可能性があり改めてこの作品を観て胸に刻みたい。特に、最近のコロナ、今
流行っているインフルエンザの状況を見ると。
「断らない救急」を掲げ、鼻にドングリを入れてしまった子供から、ビ...
記念すべきナゴヤキネマ・ノイの初上映作品
名古屋シネマテークが惜しまれながらも閉鎖し、新たに立ち上げたナゴヤキネマ・ノイの記念すべきスタートを飾る映画として足を運ばせていただきました。
しかし、新たな今池の映画文化に貢献する第一弾の作品としても、歴代の東海テレビドキュメンタリー作品の一つとしても、お世辞にもよかったとはいえない映画でした。
気になるテーマを扱ってるからわざわざ足を運び、観たくなければ観なけりゃいいだけなので、もちろんよかったところもあります。
身近な話として最近、身内に起きた救命救急医療。
その裏側を知ることができたことはよかったし、なるほど、あのときあの現場はそうなってたのかと頷ける内容でした。
そういう意味で、観れてよかった。
ただそれだけです。
どぎついシーンとか、ばたばたでイメージとは異なる人間臭いドラマがくり広げられるかと思いきや、映像の展開も全編クールで、かっこよいいイケメン医師を主人公に、問題だらけのこの業界をさらっと描き、映画なんだからそこをもっと追求し深掘りせぇよとつっこみどころ満載。
貧困層、一次産業、低所得、労働者、ホームレス、コロナ、病床問題などどれか一つでも斬り込んで欲しかったのに、ドキュメンタリーとして表現してほしいこだわりが一切ないなんて、スポンサーと視聴者の忖度が見え見えすぎてダサい。
なので、テレビ的なつくりの域を出ず、むりくり映画版にアレンジしただけの、大きなスクリーンでテレビを見ている違和感はハンパなかった。
テレビで流せなかった深いメッセージがあるからこそ、泣く泣くカットしたシーンを映画版に盛り込んで、まったく別の作品に仕上げないと、映画館で上映する意味がない。
それより、待ちに待った映画館でとにかく早く上映作品が観れたことだけはよかった。
救急医療医師達のリアル
東海テレビさんのドキュメント作品は良作です。
今回も忖度なく(のように見えます)、どこかの誰かに
切り傷を負わせながらも、事実を伝えようとされている
誠実な作品でした。そして、われわれ観るものに提起し、
考えるきっかけを与えているような作品です。
救命救急医が専門医より評価が低いとか、キャリアパスが
描けないとか・・・救命救急医は専門医に患者を振りわけている
だけと思われているとか・・・断らないが故に生まれる軋轢とか。
命を救う、人を助ける現場はそんなにシンプルなものじゃ
ないんですよね。
スーパードクターではないけど、救命救急にやりがいを
見い出している方々のおかげでなんとか回っているってのが
現実なんでしょうね。
でも、人を助ける(劇中の医師は奉仕活動って言ってましたが)
事が「貧乏くじを引いてしまった」って思われないような
医療の世界になってほしいと思います。
それを作るのはきっと時間がかかるのでしょうね。
「救命病棟24時 第2シリーズ」が大好きなんですが、
問題点ってこの番組制作時とあんまり変わってませんしね。
でもでも、ラストに知らされる情報にこの病院の覚悟と
多少なりとも明るい未来へ一歩が踏み出されたと
期待したいです。そして、病院の哲学というかポリシーを
どうか受け継いでいってほしいと願います。
蜂矢医師、良い先生なんだろうなぁ…。
ほとんど説明がないので医療関係者でも急性期医療に携わっていない人に...
背景で飛び交う専門用語を、解説なしで理解できる人向けのリアルドキュメンタリー
2024.2.22 京都シネマ
2024年の日本映画(95分、G)
名古屋にある掖済会病院のERの日常を描くドキュメンタリー映画
監督は足立拓朗
編集は高見順
物語の舞台は、名古屋にある掖済会病院の救急外来(ER)
そこでは病院設立以来掲げられている「断らない救急」をモットーに、現在では150名ほどのスタッフで年間10000台の救急車の対応に明け暮れていた
映画は、ERの救急医・蜂矢康二医師、ERセンター長の北川喜己医師、研修医の櫻木佑医師を中心に、そこで働いているスタッフたちの日常を追っていく
自殺者が助からないというエピソードの後に「肺癌の人が肺炎で亡くなるのと、精神疾患で自殺をする人とを区別しない」という言葉があり、「病気がなければこのようなことをしなかったかもしれない」と考え、死のうとする人ですらも助けようとしていく
社会貢献をしている実感、いろんな症例を目の当たりにできることなどをやりがいに感じ、笑顔を絶やさずに勤務に励んでいる姿が映し出されていく
ERから笑顔が消えるのは、病院がバックアップできない時で、いわゆる満床状態で受け入れが困難になっている時である
断る理由ができて喜ぶ現場ではなく、いかなる命をも助けたいと考えているから、助けられなかったことを悔やんだりもしてしまう
個人的には、ERまで行かない複数の二次救急で働いているので、病院のキャパシティにおける様々な体制を知っている
掖済会に近い「断らない救急」を目指している病院は多忙を極め、時には3台同時に搬入などという事態にも見舞われる
かつては赤電話と呼ばれた救急専用ホットラインがあって、掖済会のようにひとつだけ毛色の違う呼び出し音が鳴るのだが、コロナ禍を機に京都市消防局では、各救急隊がPHSを携帯し、救急隊本部を介さずに救急病院への搬送交渉を行なっている
その受け手として働いているのだが、要請の電話が被る時があり、これまでの赤電話だと話中になっていたものが、今ではキャッチホンのような感じで割り込んで来たりする
それでも何とか話を聞いて現場の判断を仰ぐのだが、答えはほぼ決まっているので、応需の際から「どのような治療を始めるか」という前提で情報を聞くという流れになっている
いかにして患者の状況を現場にイメージさせるかが仕事になっていて、単に右から左に言葉を伝えるだけでは成り立たなかったりする
このような職場にいるためか、この映画の戦場はとてもリアルに感じられていて、目の前で生死の境界線があっても、誰もが平然としているところに歴戦の経験値というものが感じられる
この撮影は相当邪魔だったろうなあと思いながらも、飾ることができない現場を伝えるという意味では有意地な撮影だったと思った
映画では、救急医と専門医のランクみたいな話が出てくるのだが、これもどの病院でも実際に起こってくる話で、面倒なところだと院長の大学の学派とそうでないところのパワーバランスがあったりする
また、外来と病棟の看護師間のパワーバランスというものがあって、仕事を増やしたくない病棟が小言を言うとか、病棟の仕事を外来に押し付けて、そのために外来から入院に上がるまでに時間がかかる病院もあったりする
この辺りは、体制とキャパが救急外来にも浸透しているので、無理なことはしない傾向があって、映画で描かれている以上に救急病院の闇は多い
正直なところ、上に立つ人に救急科出身がいないと言うのが一番の問題で、トップダウンで病院のカラーが決まるとは言え、現場にいなかった上役が「救急を断るな」と言っても説得力がなかったりする
このような現場を見てくると、センター長が院長になれたことで、さらなる救急病院へと進化していくようにも思えた
いずれにせよ、ドキュメンタリーとしてのテーマの投げかけとしてはそこまで深くないのだが、現場を知ってもらうと言うことは1番の薬なのかもしれない
救急病院にとってのコロナ禍を捉え切れているとは言えないものの、そこに主軸を置いても中身はあまり変わらない
社会的な問題が凝縮して人の病として表現されている場所でもあり、ニュースにはならないリアルがあの場所にはある
「患者が救急だと思ったら、それは救急だ」という院長の言葉があるように、実際に診てみないとわからない部分も多い
だが、その判断基準がかなり下がっていて、ほぼコンビニ化しているところも疲弊に繋がっているので、抜本的なことを考えるならば、報酬と負担が伴うことが最優先なのかなとも感じた
格差!?
ERの日常を描き、医師の哲学や病院が掲げるポリシーの素晴らしさは理解できた。しかし・・・
ホームレスらによる診療費の踏み倒しや他病院が救急患者を受け入れない現状問題の根源に迫ることなく、ドキュメンタリーとして中途半端であると感じる。
専門医とER医師とでは上下関係があるとか、勤務体制の問題の解決を促すような行動もなく、「誰でも受け入れる病院がありますよ」「がんばっていますよ」と紹介しているだけ。一人の医師が「症状と年齢によって対応すればよいと思っていたが、実は社会的問題も併せて診る必要がある」ととても良い発言をしていたにもかかわらず、医療従事者の大変さという側面と社会問題の扱いのバランスが悪い、踏み込みが浅い。問題提起はしたけれど、「だからどうした」「で、どうすれば?」という困惑のうちに終わってしまった。
タイトルなし
なぜこんなに評価高いのかな?(私が見たときは星4.5か5だった)初めの医者紹介シーンとして使われていた雑誌の取材、そのシーンが初めでいいのか?という疑問からはじまって、最前線で戦う緊張感ある映画という先入観をもって映画館にきたので、ユルい雰囲気が期待とちがっていて、緊急外来の実際の状況を見られる素材としては価値があると自分のなかでリフレイミングしながら見ないときつかった。
多分医者を格好よくみせようと監督はしてたのかなと思うけど、ダメな人として見せたほうが見やすかった気がした。電話を受けてから教科書をめくって処置を探すシーンではこの先生に任せて大丈夫?と思ったし、夢をもって入ったけどホトホト疲れて心がくじけそうなのが映像から伝わってくるのに、そういう方向に深掘りはしてなかった。
鼻のドングリをささっと取る耳鼻科の医者の手腕をみて、緊急医のふがいなさと比べたかった。生活保護の人への対応の悪さももっと見たかった。
「社会のすべてを見るのが緊急」っていうとても良い言葉を先生が言ってて、それに該当するシーンが次にくるのだけど、どんな患者さんなのかをもっと見たかった。
素材としては、緊急病院に医者が集まらない窮状、お金を払えない人への葛藤などがうつっていて、知らないことを知れたので見てよかったと思う。
救命救急医療の現在がわかる
その鼓動に耳をあてよ
神戸市の元町映画館にて鑑賞2024年2月7日(水)
パンフレット入手
東海テレビドキュメンタリー劇場第15弾
名古屋掖済会(えきさいかい)病院
診療科36科、病床数602床を有し、救急車の受け入れ台数は年間1万台と、愛知県内随一の規模となった。
救急医15人、看護師・救命士30人が在籍するERは「断らない救急」を掲げている。
他の救急外来で受け入れられなかった急患を受け入れる。地域医療の頼みの綱のような存在だ。
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蜂矢康二医師(36)が、病院のパンフレットに掲載される記事のため取材を受けていた。カメラを向けられて照れるが、医師としてのこだわりを聞かれると「何でも診ることができるっていうのは、救急のいいところなんじゃないか」と真剣に答える。
ある日やってきた、耳に虫が入ってしまったという少女。診療の間中、痛がって怖がって泣いていたが、耳から取り出されたのは、固まった大きな耳垢のようなものだった。「こういう対応も全部自分たちでやることができるのは、救急のドクター的には面白いところだったりする」と蜂谷医師は言う。
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蜂谷医師は大学の工学部で情報工学を専攻したが中退、岐阜大学の医学部へ入りなおした。遠回りした分狭く深く医学の分野を追求するよりは、どんな患者でも診られるようになりたいと救急医を志望した。
ERには飛び降り自殺を図った人や、精神科で処方された薬を大量服用した患者も運ばれてくる。蜂矢医師は、自ら死を選んだ人を土壇場で救うことに対する躊躇はないという。「肺癌の人が肺炎で亡くなる可能性があるのと、精神疾患を抱えた人が自殺をしてしまうのは、そんなに違うことじゃない」。肺癌の人は助けるのに、精神疾患の自殺を助けないというのはありえない」と。
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救命救急センター長の北川喜己医師(62)が朝のERに顔を出す。夜勤のスタッフからいろいろ情報を仕入れることができる。また救急車が立て込む時間帯でもある。
下町にあるこの病院の周辺には工場が多い。怪我を負った人が駆け込んでくる。高い足場からの転落、指の切断、脚に突き刺さった釘。怪我や病気の状態にかかわらず、どんな患者でも断らずしっかり診るという姿勢でやってきたと、北川センター長は話す。
この土地の救急医療では、生活困窮者と向き合う機会も多い。ある日運ばれてきたのは、生活保護を受けている身寄りのない独居老人。入院して手術を受ける必要があるが、帰宅を望んでいた。入院生活で服などを買うための現金が必要になるからであった。医師は「帰宅して倒れたらどうする」と引き留める。
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ERの事務所には大量の未払い請求書が溜まっている。保険、住居、家族、お金、公的支援。それらを誰もが手にしているのではない。
それでもドクターたちは患者を受け入れ続ける。
ある雪の夜、ホームレスの男性が「お腹が痛い」とやってきた。健康保険証もお金もないという。朝まで様子を見て、大丈夫そうなら帰る、ということにした。待合の椅子で寝ている男性を見ながら、看護師の女性たち「寒かったもんね今日」「温まりたいのよ」
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新型コロナウイルス感染症のパンデミックで世の中が変わった。
ERには新型コロナに罹患し一か月間意識がない女性が入院していた。急増する感染者は救急医療に押し寄せる。発熱を訴え、PCR検査を受けたいがために救急外来を直接訪ねる人も少なくない。発症前にキャバクラや出張に行っていたと、濃厚接触の可能性を訴えても、ERに追跡する機能はない。「来た時より悪くさせるわけにはいかない」と、やむをえず検査をして解熱剤を処方する。蜂矢医師は「掖済会の救急が、熱が出たと言ったら検査してくれた、と広まると、救急外来の本来の役割を果たせなくなる可能性が出る」と、患者にくぎを刺している。
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夜間も絶え間なく到着する救急車。「他の病院が断るので、ここで受けざるをえない」と、夜勤明けの蜂矢医師が言う「この地域から掖済会がなくなったら?どこかに第二の掖済会ができるんじゃないですか。そこが頑張る。さすがにヤバイと思います。年間一万台はどこへいくんですかっていう・・・」
そう言い残して蜂矢医師は帰宅する。明日も夜勤だ。
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2022年1月、新型コロナの第6波で感染者数は過去最多を更新し続けた。掖済会病院のERも病床がなくなっていくが、蜂矢医師は「うちで踏ん張りきれるのがプライド」と、ギリギリまで受け入れると断言。10件以上断られているケースばかり。鳴りやまない電話、発熱やコロナで動けなくなった患者であふれ、混乱をきたす。
そこへ消防から「車から海へ飛び込んだ男性の救助要請」の連絡が入る。動揺が広がっていく。河野弘院長が叱咤激励にやってきた。まだ受け入れる余地があると、スタッフたちを諭し、このERが何としてでも受け入れる最後の砦だと念を押す。
懸命に対応を続けるERだが、集中治療室、救命救急室、一般病棟と、次々と病床が埋まっていく。ついにすべての空床がゼロになった。
そこにまた一本の電話「他の病院にあたってもらい、だめならもう一度」と伝えるのが精いっぱいだった。
24時間365日、ひっきりなしの救急車を受け入れる名古屋掖済会病院ERの日常はつづく。
断らない救急医療
タイトルなし
救急の重要性とその価値を再認識すべき。そして、その仕事の過酷さも含め。それらを改めて知らされた。
そして、彼ら救急医療を携わる医師達が、誰よりも早く自然災害現場に向かい、医療においての指揮を執りつつ奮闘している。能登地震災害に至っては、1月1日から現場で医療作業を行っていたのは、救急医療の医師たちという事実。
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