陰陽師0のレビュー・感想・評価
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俳優陣に助けられてるけどなかなかヤバイ
終始少女漫画のような美術やスタイリングで、狙い通りなのか謎ですが違和感が炸裂する陰陽師ワールド。アニメや漫画だと効果的であろう演出が、実写映画だとチープに見えてしまい、全体的に俳優陣の演技でなんとか見ていられる…という感じ。「こうゆうシーンが撮りたい」的な画造から話作りました?ってゆうくらい、一つ一つの画は凝ってるのに効果的に作用していないし、なんなら浮いてる。女王の部屋が花弁まみれなのとか、冠に大きいお花がついてるのとか、これ元ネタあるのかな?不自然に感じてしまいノイズでした…。
アクションもワイヤー感ありまくり、CGバトルも微妙だしちょっとしかない、ストーリーものっぺり、一番の見せ場は予告で観たやつ。
俳優陣豪華なのに最後までつまらなかったです…。山崎さん演じる晴明の所作や指捌きはカッコ良かったし素敵でした。
人の心の闇が晴明を襲う。晴明と博雅の友情がいい。恋が裏(?)テーマ?。(追記)恋愛パートは要らないと言う意見に納得。
平安時代は人とモノノケと鬼が同じ場所空間に住んでいたというナレーションが入る。しかし、今回、安倍晴明(山﨑賢人さん)が戦う相手は実体があるモノノケや鬼ではなく、人の心に巣くう闇。 具体的には嫉妬心が鬼となり呪となって安倍晴明を襲う。
ヒェー(>_<)、鬼やモノノケも怖えーけど、人の心も怖ぇ~と思った。
後半に明らかになるが、結局 帝の何気ないひとこと 「 (天皇専属の陰陽師は) 安倍晴明ではどうか?」 が、陰陽師の総ボス藤原義輔(小林 薫さん)の嫉妬心に火をつける。それが今回の事件の発端。
年功序列か実力主義かという現代にも通じるテーマなのかもしれない。
心の闇は晴明にもあって、それは晴明のパパとママを殺したヤツに対する怒りと恨みだ。晴明が呪で意識の世界に落とされた際には、怒りの炎で晴明も危うくなる。それを間一髪、横笛で救ったのが最近友だちになった先々帝の孫・源博雅(染谷将太さん)。 博雅は最初こそ晴明に、 「お前なんか一生友だち出来ないぞ」なんてこき下ろしていたが、他人が晴明の悪口を言うと逆に「晴明はいいヤツなんだ」みたいなことを言って、一生懸命に晴明をかばう。なかなかイイ奴である。
身分と役職を越えた友情みたいな感じで、なんか青春物語っぽい感じがした。
安倍晴明だから戦いも基本は、結界張ったり、印を結んで呪術で怨霊退散なんて感じなんだけど、演じてるのが何せ山﨑賢人。山﨑賢人と言えば大立回りのアクショでしょう。というわけで、キングダムやゴールデンカムイとキャラが違うので1回だけなんだけど、監督がちゃんとやってくれました。平安調の着物を生かしたアクションが良かった。これこれ、これが見たかったんだよと心の中で大きくうなずく。
平安時代といえば恋を忘れちゃいけない(スッカリ忘れていた)。 描かれたのは、徽子女王(奈緒さん)と博雅の身分違いの禁断の恋。これがまたいいんだ。最初はお互い想いあってるのに口に出さない感じで、見ていて 「なーに中学生みたいなことやってんだ」と思っていた。それに安倍晴明の映画だから、この2人の恋バナはこれ以上広げないと思っていたら違った。ガッツリ描いてて、かなりグッときた。
村上天皇が徽子女王への文を博雅に託したところから、まじラブストーリーの様相を呈してきた。庶民なら自由恋愛がアリだったかもしれない。だけど身分制が厳しい貴族社会の恋となると簡単でないだろう、しかも相手は現職天皇だ。徽子女王への文を頼まれた博雅は断るわけにはいかない。ましてや、自分は徽子女王が好きだから遠慮してくれなんて口が裂けても言えない。一方、村上天皇からの文を博雅からのものだと思ってウキウキ気分で読んだ徽子女王は奈落の底につき落とされる。嘆き悲しみ激怒して博雅をなじる。 「どうしてあなたが持ってくるの、なぜ断らなかったの、どうしていつも皆んな私の気持ちを考えないで勝手に決めるの」。涙ながらに博雅が好きだという徽子女王にワシの心も張りさけそうじゃったヨ。このまま一緒に逃げようと言う徽子女王に、それは出来ないと言う博雅。そんなことは徽子女王も分かってる。2人の悲しみが怒涛のように打ち寄せる。うわー勘弁してくれ、油断した、安倍晴明の映画でこんな展開になるとは思ってもみなかった。それにしても2人が不憫でならん。 → (つづく)
(つづき)
中略 (/--)/ 。 そういうワケで深いところで博雅と繋がってることを知った徽子女王は笑顔になる。そしてその想いを胸に秘め、村上天皇のところへ行く決心をする。自分の身分、境遇をわきまえ、運命にしたがう。結局、想いを寄せる2人が一緒になれないのだから悲恋だとは思うが、奈緒ちゃんが笑顔なので良しとする。
「他の人を抱いていても、心はいつもあなたといるわ」というのも少しコワイ気もするが。
山崎賢人さん、古代中国、明治時代、平安時代といろんな時代に引っぱりダコだと思った。
【追記】2024(令6)/4/27(土)
「恋愛パートが気に入った」とレビューしといてこう言うのも変だが、他の何件かのレビューで 「恋愛パートは無くても良くね?」とか「それよりかもっと陰陽師の活躍や呪術の映像化を見たかった」というのが有って、言われていれば、ああ、そうだな、恋ばな部分は無くてもよかったなと思った。
確かに僕は、陰陽師・安倍晴明の呪術を使った活躍を見たいと思って見に行ったのであって、ラブストーリーを見たくて行ったのではないと改めて思った。
だが、恋愛パートも含めて楽しめたという感想はいまも同じである。
続編が見たいと思った。平安時代って記録が少ないから、フィクションではやりたい放題のなんでも有りだ。 映画監督、小説家、漫画家の腕の見せ所でもあると思う。
だけど、安倍晴明が空を飛んだり、竜の背にのって平安京の上空を飛び回るのだけは取りあえずやめてほしいとは思う。
あっという間にデレ期が来ちゃう博雅。 さしたる派手なシーンも無いま...
「呪」と「意識」。
幼い頃、目の前で両親を殺され狐の子と噂される安倍晴明の話。
徽子の住む屋敷で琴が独りでに鳴り出す怪音と泰家の謎の死から動き出す晴明と、どんな気分の時でも笛を奏でれば憂晴らし出来ちゃう博雅と、その博雅の奏でた音は信じる安倍晴明、平安時代のストーリー。
序盤は人物像の説明、あらすじ的な感じから始まりエンジンのかかりが遅く、ちょっとウトついてしまった。泰家を殺したとレッテルをはられた後の晴明が覚醒した様に身のこなしが素早く屋敷から逃げるシーン辺りから面白くなったかな個人的に。
KINGDOM、ゴールデンカムイとここ数年キャラ者多めな賢人君だけど、たまにはナチュラルな彼の恋愛作品とかも観たいな何て思ってしまってう自分もいて…、数年前に公開された「夏への扉」も個人的には好きなんですけどね!と脱線しちゃったけど、何か続編ありそうな終わり方だし楽しめたから2作目待ってます。
気楽に楽しめる平安ファンタジー
CGをここまで多用しなくてもよくない?
全体的にちょっと難解
新しい陰陽師
原作は読んでいませんので、陰陽師といえば野村萬斎さんの陰陽師をイメージしてしまうのですが、いい意味でイメージを壊された感があります!
現代の解釈というか、呪いの類や陰陽師の仕事も全てまやかしなのか?という前提がありながら、(そこが冷静というか今っぽい考え方だなと)そうきたかー!と思いましたが、ラストひっくり返されました(私的には)!
でも山崎賢人君の呪文をかける戦いシーンなどもちゃんとメインにあり、CGも駆使された期待以上のカッコいいシーンに鳥肌ものでした!!ほんとに彼は主役になる為に生まれてきたというか、存在感半端ないと思います!
あと染谷将太君の博雅の博雅のピュアさに癒されました。晴明とのコンビもすごく良かった!
よしことの切ないラブストーリーにも思いがけずぐっときてしまいました。
映像もとても惚れ惚れするほど綺麗なシーンが多々ありましま。
BUMP OF CHICKENの歌もとってもいい曲で、締めてくれています。
もう一度観に行きたいです!
俺についてこい‼️❓
好みな作品ではあったがやや尻つぼみは否めず
野村萬斎『陰陽師』シリーズが何か未だに好きで今作も気になったので鑑賞
個人的に好きな作品でしたのでシリーズ化希望
安倍晴明&源博雅のコンビが好きでキャラも良く二人の掛け合いをもっと見たい
序盤の説明多いところも分かりやすかった(見る人によっては不満なところか)
謎解き要素がミステリー好きとして楽しめたし映像美も
終盤の炎の龍に襲われた後に晴明(山﨑賢人)の髪の毛を解かれた姿に……同性ながら惚れた😄カッコいい
最初からこの姿ではないからこそ、この瞬間が映える
不満点
全体的に明るさが暗く感じた
せっかくのイメケンが勿体ない
晴明と両親の下りがあまりないのも残念(次作があれば期待)
謎解き要素も、もうちょいひねりが欲しかったし学生側にもう少し濃いキャラが欲しかったかなぁ
だからこそ犯人は妥当な線になってしまったのがやや残念
エンドロール中もあの笛の音を流して欲しかった
笛の音→エンドロール(少し)→おまけ映像→エンドロール(BUMP OF CHICKENの曲)の流れだったら
でも全体的にも主要キャラも役者も好みな作品でした
※最後、陰陽頭(小林薫)の最後のセリフが聞き取れなかったのが気になる😭
【ネタバレあり】良い点もイマイチの点も
公開初回を観てきました。
かつて野村萬斎さんが演じた映画「陰陽師」は正に安倍晴明イメージそのものであり、
「闇が闇として存在した」平安時代を見事に映像化した作品でした。
それが令和時代ではどう描かれるのか興味があり鑑賞してきました。
野村陰陽師と比較するのは酷だし野暮でしょうが、その前提でレビューを書きます。
【良かった点】
・まず予告編を観た時は「呪術=魔法」に見える派手な演出CGが目につき、
「陰陽師はフリーレンや転スラじゃないぞ?」と眉をしかめました。
が結論を言うとこれは杞憂でした。
魔法に見えたのはあくまで「精神世界」での出来事であり、
人の精神に影響を与える「呪」の延長という描かれ方であったのでホッとしました。
・ある意味、野村陰陽師よりも呪というものからかけ離れず、
超能力バトルではなくあくまで呪による対決であったのは好感を持てました。
・野村陰陽師でも描かれる蛙のエピソードが山崎陰陽師でもきちんと描かれ、
リスペクトを感じ、良かったです。
・博雅のキャスト、正直最初は違うなと思っていましたが、観ているうちに
博雅に見えてきました。悪くなかったです。
・下手なハッピーエンドではなく、悲哀もきちんと描いていたのは良かったです。
・最初が現代語ではなく古代日本語?だったのは良い演出でした。
・所々文字や図で情報を補うのも良かったです。
【イマイチな点】
・画面が明るすぎると思いました。
野村陰陽師は暗闇の中に何かいるのではないか?と想像を掻き立てられる、
絶妙なライティングなのです。
「闇が闇として存在した」平安にしては明るすぎるなと思いました。
・CG使いすぎではないでしょうか?超能力バトルではないのですが、
GCが派手なためかどうしても超能力バトルに見えてしまい、
そこが少々萎えてしまいました。
・何と言うか平安というより若干中華が混ざっていたような衣装やセットで
そこが違和感を感じました。薬屋のひとりごとを平安朝にしたというか。
・犯行動機や黒幕が微妙でした。
言ってみれば晴明への嫉妬が原因であの事件を起こしたわけですよね。
もっと平安京をゆるがすような巨大な陰謀を期待していたので肩透かし。
黒幕の男もそこまで大して存在感がなかったので、何だコイツかよって感じ。
・山崎君はシュッとした若い晴明で野村さんとは違う魅力がありましたが、
やはりキングダムの信のようなキャラの方が似合うと思いましたw
総論としてコンセプトや演技は悪くはないが、演出がイマイチかなと。
ただまあ、野村陰陽師ファンでもそれなりに楽しめました。
まんま漫画世界です。
これもこれでありと思うけど&陰陽師と天文学者のかかわりなど
今年152本目(合計1,244本目/今月(2024年4月度)26本目)。
(前の作品 「あまろっく」→この作品「陰陽師0」→次の作品「映画 きかんしゃトーマス 大冒険!ルックアウトマウンテンとひみつのトンネル」)
この映画はここでも触れられている通り、陰陽師になる「前」の彼のストーリーということで、ややスピンオフかなという気がします。ただそれもそれで一つの解釈という気はしますし、この時代(平安時代)についてもかなり配慮のある描写が多かったので良かったです。
ただ結果的に映画として題材を同氏に取る場合、陰陽師になった後、その後の活躍のほうが何かとミステリーになっていて、そちらも少しは触れていただければ、と思ったところです。
日本史・古典(古典文法というより古典知識。「内裏」とかいて「だいり」と読むなど)があるとかなり有利です。日本に適法に在住している外国人の方でもギリギリ解釈できるんじゃないかな、といったところです(どうしても江戸時代チャンバラものか、お決まりの武田信玄だの織田信長だのになりやすいが、本作品は国語に関しても配慮があるので)。
採点に関しては特に減点対象まで見出せなかったのでフルスコアです。ただし、本映画で描かれていること自体は多少は史実を参照にしているとはいえ、「オリジナルストーリーである」という点には注意が必要です。
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(減点なし/参考/陰陽師と天文学者、時の権力者とのかかわり)
この映画は陰陽師になる「前」の話ですが、陰陽師と天文学は関連のある分野で、どちらもこなすことが一般的でした。そして、この奈良後期から平安といった時代にはさして趣味がなかったこともあり、「空を見上げる」ことは一つの文化でもありました(最初に北斗七星のようなものが出ますよね)。
一方、日本ではこの時代、水星・金星・火星・木星・土星は見つかっていましたが(地球の「発見」という概念はこの時代には観念しづらい)この中でも夜に見えやすい火星、木星、特に火星は公転周期が2年という事情もあり、当時(平安時代)からも誤差範囲レベルで陰陽師が正しい予測観測を行っていました。これははるかさきの明治時代以降の国立天文台ほかにつながる事業です(当時の「陰陽師」(天文学者)は今でいう国家公務員のような扱い)。
その中でも、特に「星と星が接近する・食する」ことは不吉の対象とされていました。食はめったに起こることではありませんが、代表的な恒星(今でいうレグルス、てんびん座α星(3等))等と、火星・木星が近づくことは(特に火星では)頻繁にあり、この「ある程度近づく」ことを「犯」(はん)と読んでおり、(日本が海洋国なのに)外国から攻めてくるとか、内乱が起きるとかという不吉な前兆とされていたため、いわゆる高貴な人たちはそうした陰陽師(天文学者)をおかかえにして毎日のように軌道計算(のようなもの)や予想(のようなもの)に従事させられていました。
ただ、上述通り、火星と他の星(レグルス、アンタレスほか)との「犯」は「しょっちゅう起きる」ことのため、それをいちいち「犯」だと報告すると上層部(ここでは、当時の最高権力者の天皇も含む)も如何ともしがたい部分があり、「いちいち心を乱すのだから報告しなくてもよろしい」みたいな考え方になってしまい、天文学はこうした「上層部からの圧力」をうけて衰退した事情があります。これがまた復活するのは江戸時代以降の科学(このころには天文学として完全に独立)にまで待つことになります。
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