「伊藤野枝の嘆きが聞こえた。「ああ、100年経っても、たったコレっぽっちしか進歩してないの?」。 嘆いた後きっと激怒。 たぶんスッゲー怖えー。」風よ あらしよ 劇場版 マサヒロさんの映画レビュー(感想・評価)
伊藤野枝の嘆きが聞こえた。「ああ、100年経っても、たったコレっぽっちしか進歩してないの?」。 嘆いた後きっと激怒。 たぶんスッゲー怖えー。
伊藤野枝の人生が描かれる。けっこう波乱万丈なのに、かなり駆け足で話が進む。2時間映画で10本はできるエピソード満載だと思う。
女性も男性も自立するにはまず経済的自立だと思う。それは別に労働でお金を手に入れなくても、家賃収入、親の遺産、株の配当、宝くじ、犯罪じゃなきゃなんでも良い。とにかく住む所と毎日の食事だけを確保できる金がなければならない。食料自給自足でも医者にかかるには金が要る。
「青踏」も売れねば金が尽きて組織が続かない。志しは良いが時代が早すぎた。だけど決してムダではなかった。それどころか短くともその熱い思いと志しは間違いなく多くの人に影響を与え、現代に伝わっていると思う。
平塚らいてふと青踏は今で言うフェミニズムの人と雑誌という知識だけだ。伊藤野枝、大杉栄については名前は聞いたことがあるだけだ。震災後の社会主義者の殺害は、「福田村事件」(2023年)で初めて知った。
伊藤野枝が今の時代によみがえったら、まず嘆いてそのあと激怒すると思う。
ああ、100年後でもまだこんななんだ。いちおう私の時代よりかは女性が経済的自立をしやすくはなった。でもまだまだ全然だとダメ出しするだろう。
伊藤野枝が「民衆のこと考えないやつが権力握ってる」みたいなこと言う。それは今の日本の政治だと思った。
以下、映画には関係ない僕の意見(ほぼ他人の受け売りですが)
僕は、まず国会議員と閣僚をクォーター制度で女性半分以上にしなけければならないと思う。もちろん能力がないのに女性だからというだけではダメで、最終的には有能な者がやらなければならないのだが、それまでの過渡期として能力が高くない女性が含まれてもイイから女性が半分いることが重要だと思う。
女性が半分いることで何が変わるかというと、政治を行う時に、何を重要政策課題とするか、何を最優先政策とするかが必ず変わってくる。すると社会が変わる。
重点課題、優先課題を決定する場に女性が50%いるか30%いるか0%かで、それぞれ違ってくると思うがやってみないとわからない。30%じゃダメでヤッパシ50%以上だと思う。
現在は能力も高くないのに男だからという理由だけで、国会議員、閣僚になってるから日本が良くならないんじゃないか。だけど、能力が高くないのに男だけだからというだけで国会議員、閣僚になっているのに、取りあえず日本は何とかなっている(たぶん)
だから能力主義になるまでの過渡期として、女だからという理由だけで国会議員、閣僚を半分にしても、これ以上日本は悪くならないのですよ(たぶん)