「登場人物のバックボーンを想像するということ」霧の淵 濁河さかなさんの映画レビュー(感想・評価)
登場人物のバックボーンを想像するということ
映画の楽しみの一つに、登場人物の語られないバックボーンを想像するということがあります。映画自身の完成度にプラスして、表出された演技から過去あったことや心の傷など個人個人の想像力が加わることにより無限の創造物になる可能性があります。
本映画も、登場人物のバックボーンがあまり語られないタイプの映画です。
各役者がそれぞれの演技でそれを補うことで、説明的なシーンはほとんど省略しています。
演者の表現力が試される映画とも言えます。このタイプで、個人的に近年最も良かったのが「アフターサン」でした。
さて本作に立ち返り、どうよと問われると、私にはうまく伝わってきませんでした。それぞれの演者はそれぞれのシーンで熱演していますが。
おそらく今なお残る奈良のノスタルジックな町並みと清らかな大和川の源流と歴史ある林業を全面に出したかったのでしょうが、撮影の問題か光源の問題か、上手に取れていない印象があります。後半のクライマックスシーンも、色々ご苦労されて撮影したと思うのですが、セットや小物など細部を含め切り取った時代が不鮮明(昭和中盤~後半と思われますが)でリアリティが感じられず、めちゃめちゃキレイ!とは感じませんでした。
映画は監督が表現したいことがありますが、予算や納期など限られた条件の下で良いものを作るのは大変だと改めて思いました。
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