あんのことのレビュー・感想・評価
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質問なのでレビューではありません※ネタバレ含むため未視聴の方はブラウザバック推奨※
一つ疑問が残ってしまったので、皆様のご意見を伺わせていただきたく投稿しました。
紗良(ハヤトのママ)は、偶然的に あん へ子供を押し付けたのでしょうか?
それとも、あん へ目星をつけていたのでしょうか?
狭量な私の想像力と推察、知識から思考着地した事は、
・紗良は、あんが住む訳アリ駆け込み寺的マンションと同じ住人
→何故か:あんに預ける際に、紗良が持っている荷物の量などから、遠方ではないと考えられる。
・訳アリマンションを説明する女性が「個人情報絶対守って。親、友達にも住所教えるの禁止」というハードルの高い注意を促している時点で、セキュリティもそれに伴っていると常識的に考える。
→マンションと関係のない人間であれば、まず管理人ないし警備員が声掛けするはず。
⇛幼子を抱えて切迫している様子の女性に声掛けしないほうが不自然
・紗良がパートナーから以前より喧嘩やDV等で苛まれていて、いざというとき子供だけはなんとか助けたい。
→何かの機会であんを見かける→しばらく観察して生活リズムや動線を掴む→紗良にとってのXデーが来たため、あんの部屋に行き、ハヤトを押し付ける。
と結論付けたいのですが、パートナーとのトラブル?ってなりませんか。
このマンションはそれこそ、そういった類のトラブルから危機回避してきた女性たちのためにある依代といって過言ではないはずです。
また、同じ部屋に複数人住んでしまうと、身バレする可能性が何倍も膨れ上がります。
・別視点で考えてみる。
→紗良のパートナーは、紗良の保護役で元旦那から隠匿の手助けをした存在。
→その縁や信頼があって交際に発展。一緒に住むないし たまに宿泊などをする。
⇛実際、あんも多々羅と桐野立会いで訳アリマンションに入居していることを考えると、居住する本人以外(本人に無害前提)が住所を知り得ていておかしくない。
私的結論:紗良は同マンションの住人。
だとすると、紗良は思慮のない身勝手の極意免許皆伝という人間性になってしまいます...
何故ならば、このマンションが”どういう意味を含んでいるか”知らないはずがないからです。
様々な苦難から逃れるためにやってきた人たち。事情は違えど、このマンションに住んでいるということは”壮絶”であろうことが想像に難くないはずです。
その人に自分の困難を託すなんて、人の迷惑を顧みないどころの話ではありません。
物語のラストは沈痛の余韻を少しでも晴れやかにするため(かどうかは不明ですが)、自死を決意した あん が、最後に絶対これだけは。と残したハヤトとの記憶(記録)が空から舞います。
それは、あん がハヤトの苦手なものやアレルギーなどを書いた一枚のノートです。
あん は恐らく「少しでも私が育てた」という顕示と「このノートが役に立てば」という献身的な感情から、焼きかけたノートの火を消して、破り、残したと思います。
紗良の「これ、ハヤトのアレルギーがある食べ物です」と呟き、ハヤトをあやすその姿は、あんがハヤトと一緒に過ごした時間を彷彿とさせる名シーンです。そしてラストに廊下を二人で歩いていきます。後ろ姿のみを映していて、ここも あん とハヤトが並んで歩いている光景にクロスオーバーさせる妙技です。
だからこそ、紗良を身勝手な人だと位置づけさせたくない思いがあります。
自分の考えてる説の線でいけばエゴなのは承知ですが。
「映画なんだしメタくらい分かれよ」「みんな必死だという説得力を持たせる為」と言ってしまえば終わりなのですが、是非皆様がどう感じ取って考えてらっしゃるのか知りたいと思う次第にございます。想像でも考察でもご意見いただければ幸いです。
長文・駄文失礼しました。長々とお付き合いくださりありがとうございました。
しんどい
実話という事で何となく気になって見た映画ですが衝撃的でした。
彼女の気持ちが痛いほど分かってとにかくしんどくて見終わった後に涙が止まりませんでした。
環境を理由にするなという方がたまにいらっしゃいますが恵まれてる方だなと、
沢山の方に見ていただきたい映画です。
苦しいです
あんが救われる世界が来て欲しかった。
悲しいですね。
見てよかった作品でした。
佐藤二郎さん、いいやつかと思ったら悪いのかなんなのか、クズみたいな世界から抜け出せたらよかったのに、
母親役のクズ具合がすごくて感情移入しちゃいます。
赤ちゃん預けてどれくらいで戻ってきたんだあの女は。
けど赤ちゃんがいたからあんは支えられてましたね。
ありえないけど、それがあんが生きていける理由にもつながっていたんだなと思いました。
何もなくなってしまって自殺してしまう世界が来て悲しいです。
希望の光が来るのかと思ったら絶望の光だったのかな。
見てよかった作品でした。
あん役の方がとても素敵でした。
あーつらい、悲しい
めちゃくちゃ引きずる鬱映画と聞いて、観てみた。
確かに引きずるけど、個人的には、前半シーンでただひたすらあんちゃんが母親にいじめられるシーンが1番しんどかった。おいおいこんな感じで2時間弱続くのかよと思って心が痛んだ。だからこそ、中盤、彼女の人生に希望が見出せて、少しずつ社会復帰して周りの人と打ち解けていくのが、(月並みな言葉になるが)嬉しかった。
いろいろ思うことはあるけど、タタラの逮捕、サルベージ閉鎖、失職、学校閉鎖?、ハヤトの児相行きなど、どれか一つでも彼女に残ってくれていたなら、彼女は死ななかったと思う。
一から築き上げたものが、少しずつ彼女の手からこぼれ落ちていくシーンが見ていられなかった。
だから彼女が母親の家で包丁を持ち出したとき、もうこれは母親を殺すか自殺をするか二択しかないというのは一目瞭然だったと思うが、どこまでも優しい彼女は、人を傷つけることはしないだろうというのもわかってしまった。
あと補足で、最後、ハヤトのお母さんがまるで聖母のような佇まいで、あんちゃんには感謝していますとかわけのわからんことを言ってたけど、お前が息子を預けなければ多分彼女はまだ生きてたぞと言ってやりたかった。どんだけ図々しい…。最後、彼女とハヤトの後ろ姿を見て、2人の未来もまた、輝かしいものではないだろうと思ってしまった。
私は個人的に、バッドエンドの映画はあまり好きではない。この映画は限りなくバッドエンドに近いと思うのだが、それでも役者さんたちの魅せ方、映画の構成、ストーリーなど、単純に観ていて飽きなかった。バッドエンドの映画に⭐︎4はなかなかつけないのだが、うーん、おもしろかったのでつけてしまうことにしよう。
こんなにも辛く悲しい事があるのか。
某動画サイトで話題になっていた映画がアマプラにあるという事で何の事前情報も入れずに鑑賞。
子供の頃から虐待を受け、小学生でスーパーを回って万引き。それが噂になり不登校に。
12歳の時母親に紹介された男と初めての援助交際。
16の時にヤクザに勧められて打った覚せい剤。
物語は明け方の街を歩く杏の姿。
その目は虚ろで虚無という言葉が当てはまるかのような。。
ある日覚せい剤を打ち売りをしていたが、補導される。
その時に出会った刑事に次第に心を開いていく。
でもその刑事が、薬物依存症の人たちを更生させる団体で、その中の女性とお仕置と称して性的な行為を強要してしまう。
元々刑事の友人であった記者にそれを記事にされてしまい刑事は逮捕。
杏はこんな自分に良くしてくれて、職場も与えてくれ文字すら読めないから学校に行かせてくれてと恩人に思っている人が目の前から居なくなってしまう。
それでも薬を辞めて、刑事の言った積み重ねを信じ待っていたところにシェルターの同じ住人に子供の世話を押し付けられてしまう。
した事の無い子育てに翻弄とされながら、刑事の何か夢中になれることを見つけろという言葉通りに子育てに夢中になっていく。
その後偶然鉢合わせた、実母に嘘をつかれ子供と共に自宅に帰ると直ぐに売春をして来いと言われる。
子供を取り戻すために体を売って帰った自宅には子供がおらず、実母に問いただすと泣いてうるさいから役所に電話したら児相が来て連れていったと言われ、支えだったたった一つの光さえも失い自暴自棄になり辞めていた覚せい剤をしてしまい、自責の念から自殺をしてしまう。
実話を元を作られたお話で、調べてみると朝日新聞に載っていた小さな記事から着想を得たとの事。
主演の河合優実さんの演技も素晴らしく、難しい役柄なのにここまで引き込まれる演技を見たのは久々でした。
刑事役の佐藤二朗さんですが、福田雄一監督作品によく出演していらっしゃるのでアドリブやその人柄みたいな役どころが印象的でしたが今作では2面性のある役でこんな人いるわって思えるような役を素晴らしい演技で彩っていました。
記者にはあの元SMAPの稲垣吾郎さん。
最近はあんまりテレビでお見かけしなかったので、最初あれ?これ吾郎ちゃんだよね??と不可思議ながら見ていました。
冷淡で冷静な役柄も素晴らしく、記者として全うしなければならない立場と杏を気遣っているその姿と葛藤してのでは無いでしょうか。
全体的に重苦しく、次から次へと光が消えていくようで久びさに胸が締め付けられる映画を見ました。
鬱映画として紹介されていますが、コロナによって光が閉ざされていく様は経験がある方がいらっしゃるのでは無いでしょうか。
暫く時間を置かないと見れない映画のひとつになってしまいました。。
良い具合に胸糞悪くなれる!
とある事件に着想を得て作られた作品、という事だけを頭に入れて鑑賞。
とにかく色々と裏切られましたね!
良い感じに胸糞悪くなれました。
母親のあの毒親感がまたリアル。
同居していて杏の心の支えになりそうでならない、婆さんも良し。
個人的には、毒母が婆さんがコロナにかかったかも?と嘘をついて杏を引き戻したシーンが一番腹が立ちましたねW
あと、佐藤二朗さんのちょけがほとんど無い演技が新鮮で良かった。お前悪人なのかよ!ってなった。
ゴローさんはいつも通りw
ま、とにかく杏を見ていると自分がいかに恵まれているか分かります。
ん?と思うところが多い
まず1番に思ったのが、他の方も書かれていますがなんで最後に杏が自殺したタイミングになって記者がやってくるのか。連絡先もなにもわからなかったのかもしれませんが、刑事が捕まった事やコロナなどで杏が孤立してしまっているのではないかとか、もう少し気にかけて連絡手段を探してみたり、実際に訪ねたりするんじゃないかなと思いました。これをコロナがあったからできなかったってこと??この空白の期間があるのに最後自殺した際に急に現れて、記事を出してなかったら助かったのか、、と言われてん?となりました。刑事に問題あったんだから記事を出したことは悪くないと思いますが、その上で刑事が今まで杏を支えていた部分を誰かが変わって様子見に行ったりしなければならなかったと思うのに、それもせず記事を出してなかったら、、となるところに違和感を覚えました。
あまり普段レビューを書かないので、うまくまとめられませんが、とりあえず想像以上に評価の高いレビューが多い事に驚きました。
また、杏と全く同じ状況だったわけでもなく、杏と比べればまだましですが、自分自身も親が頻繁にヒステリックを起こしていて、昔毎日のように素手や物で殴られていた経験があったので、当時の自分を思い出して少し違和感を覚えるシーンが多かったのかなと思いました。
拙い文章ですみません。。。
救いたかった!
コロナ禍で職を追われ、学校が休みになり、あんの社会的居場所が無くなってしまう。タタラとも連絡が取れず、孤独になり追い詰められていく。部屋も散らかって生活の張りが薄れかけたように見えた。そんな折、唐突に隣人から幼な子を預けられる。彼女は懸命に面倒を見る。部屋も綺麗に片付けられ、子の命に寄り添う事で、再び生きる意味を見出したように見えた。人はひとりでは生きれない。
最後ブルーインパルスが飛んで行くのが見えた直後、ノートの破片がひらひらと舞い落ちていく、このコントラストが強烈だった。
役所では、自己責任論であんの生活保護申請が却下された。けれど万引きで食いつなぎ、小学校もまともに行けず、母親から12才で売春を強要され生きてきたあんに、どれ程の責任があったのだろうか。母から逃れ自分の力で生きようと懸命な若い命に、手を差しのべる余裕さえこの社会には無いのだろうか。
是枝監督の「誰も知らない」や「万引き家族」を思い出した。
誰も救えない…。
あんが最後にとった行動は仕方の無かった事だと思います。
思ってはいけないことですが、あんの最後の選択に正直私はホッとしました。やっとあの母親から解放されるんだと…。
それほど辛い内容の映画でした。先日に観た、ミッシングは最後にかすかな希望のようなものが見えましたが、この映画は本当に救いようのない結末でした。
幼い頃から母親に虐待を受け続けても、売りを強要されてもグレることもなく、助けてくれた祖母のために介護の仕事を学んだり、隣人から押し付けられた子供を大切に育てたり、あんは本当にいい子なんです。
あんの優しさがこの映画の唯一の救いです。
残されたあんの日記のメモ書きが優しすぎて私の心を締めつけます。薬物を打たれ常習者になってしまったあんが更生の途中に見せた笑顔が忘れられません。
観るか、かなり迷いましたが、観てよかったと思います、辛すぎて二度とは観れませんが。自らを戒めとするには良い映画だと思います。今もあんのことを思うと目頭が熱くなリます。
いまの社会が見えたコト
観終わった時、とても良い映画を観た、心から良い映画と出会えた。
という気持ちと同時に、この映画をどうオススメしていいか、わからなかった。
それでも、とにかく映画館で観てほしいという気持ちが先立った。
描かれていることは現実に起きたことであり、
現在進行形で発生している、個人や社会の課題。
重い物語、しんどい話・・・という感想が多い。
確かに、そうだけど、むしろ「重いけど、軽い」なんじゃないかと思っている。
なぜなら、本件の出来事を映画を通じて観られているからである。
ドラマの中には、起こった事件以外にも、
クスと笑えるドラマやほっこりするシーンがあった。
その時点で、だいぶ軽く(=観やすく、出会いやすく)してもらっている、
と思えてきたのである。
正直、映画を観ただけでは、自分には無力感しかないのかもしれない、
でも、この映画と出会ったことは、とても重要なことだっと思っている。
こういう映画を中高生のときに観てほしいとも思った。
感受性が豊かなときに、
「映画」という時代を映し出す鏡をみて、いろいろ考えてみてほしい。
万引き逡巡映画NO1
DVや売春、薬物乱用生活を送っていたあんが徐々に社会復帰する話、、、かと思ったらコロナをきっかけに数少ない希望の窓が一つ一つ閉じていって最終的に残った窓から飛び降りる話
ドキュメンタリーを見ているようだった
鑑賞中は何回も「あ、これ実話ベースか」「実話ベースなんだよなあ」って思うし、鑑賞後も「実話ベースかぁ、、、」が続いた
河合優美さんが絶品!不健康で目に光がない少女にしか見えなくて、河合さんのプライベートが心配になってくるくらいの怪演でした
無音の万引き逡巡買い物シーンだけでご飯三杯食える🍚
あと日本語学校?で給食っぽいものを食べるシーンも良かった。思えばタタラともよく食事シーンがあって、あんは今まで人と一緒にご飯を食べたことがあまりないのかなと思った
飯って大事
大筋のテーマから少し離れるけど薬物について思うことがあった
僕はHIPHOPが大好きになって昔に比べて薬物との距離感みたいなものが確実に近くなっている節がある
ダメだダメだと学校では口酸っぱく言われてきたけど、じゃあなんで薬物はダメなの?って言う答えとしてこの作品を見て社会的に正しいかは分からないが答えが出た
あんみたいに薬物を使いたくないのに使わざるを得ない人がいるこの世の中で、止めたくて止めたくて仕方がない人がいるこの世の中で、使わなくても生きていける僕が興味とか娯楽目的で使うのはあんような人たちに失礼な気がした
だから僕は薬物はやらない
河合優実さんはとても良かった
ただ、ひたすら毒親に人生を台無しにされる女の子のお話。典型的な毒親だったので見ていてつらかった。
毒親とは縁を完全に切れと言わなかった周りの人の敗北。
それでも河合優実さんの演技はとても良かったし、やっぱりうまい俳優さんだなと思いました。
すくいあげた手のひらからこぼれ落ちるしずくのように
この社会での女性の生きづらさをミステリータッチで描いた「市子」、そして本作は同じく女性の生きづらさをドキュメンタリータッチで描いたドラマ。
コロナ禍では若年層の女性の自死が目立ったという。虐待などで実家にも頼れず教育もまともに受けていないため不安定な非正規の飲食業などの職についていた人が多かった。
コロナの自粛で最も被害を受けた業種である。経営者は補助金をもらえるが彼らはそうはいかない。ただでさえぎりぎりの生活だった彼女たちはたちまち食べることもままならなくなり、そして人との接触も制限され孤独な環境下に置かれ精神的に追い詰められていった。
災害や戦争が起きれば真っ先に犠牲になるのが高齢者や障碍者などの社会的弱者だ。では彼女らは弱者だったのだろうか、彼女らを弱者にしたのは誰なのだろうか。
生まれたばかりの子供は一人では生きていけない弱者である。普通は親が愛情を持って育てる。そうすれば自分を愛せる弱者ではない人間になる。しかし、そのように育てられなかった人間は自分を愛せず弱者のまま育ってしまう。
あんのように恵まれない家庭環境に生まれる子供は一定数いる。この世に生まれた人間が初めて頼るのが自分の親であり、そして子供は親を選べない。子供は一人では育つことはできないからその親がどんな親であろうが頼らざるを得ない。
あんのように親から暴力を受けたり売春を強要されたりしてもたいていの子は逆らわないという。親に愛されたいからだ。こんな親でも言うことを聞いていればいつかは自分を愛してくれると信じているからだ。
虐待親から逃れられない子供は他の家庭がどんなだかを知らず、自分が特別虐待を受けているとの自覚も持てないらしい。まずは自分の生きてる環境が異常であることを知り、そこから抜け出させることが重要だ。すなわち第三者の力が必ず必要になる。
本作では刑事の多々羅がその役目を果たすはずだったし、現にそうしていた。あのまま行けばあんは立ち直ることができたはずだった。
もし多々羅が初心を忘れず道を踏み外さなければ更生施設は存続し、あんにとってよりどころとなっていたであろう。もしコロナが起きなければ学校も続けられただろう。あんが非正規職員でなければ介護の仕事も続けられただろう。
それらすべては失われたが彼女には最後のよりどころとするものがあった。それは突然舞い込んできた育児放棄された子供だった。
彼女は戸惑いながらも子供の世話をするうちに初めて愛情を注ぐことの喜びを覚える。この子が彼女にとって最後のよりどころとなるはずだった。しかし結局はそれさえも奪われてしまい、すべてを失った彼女は絶望のはてに命を絶ってしまう。
すべては不幸なめぐりあわせだったのだろうか。多々羅の裏切りもコロナも子供を奪われたことも。それさえなければ彼女の命は失われずに済んだのだろうか。彼女がこのような結果になったのはただ不運が重なったからだろうか。救われるはずだった命がなぜ失われねばならなかったのか。
彼女のような不幸な人間は大勢いる。彼女はたまたま不運だった。中には救われる人間もいる。それでいいのだろうか。もし社会システムによって彼女一人が救われるなら他の同じ境遇の人たちも同じ様に救われるのではないか。彼女一人も救えない今の社会が他の大勢を救えるといえるのだろうか。
毎日のように報道される親による虐待事件。最悪死に至るケースも。しかし報道されるのは氷山の一角。運よくあんのように育つことができても心は荒み切り、犯罪を犯し警察に逮捕されるまで虐待の実態はわからない。虐待が表面化するのは警察からの発表が多くを占めるという。つまり事件化するまでは虐待はなかなか公にならない。
社会との接点がない家庭ほど虐待は密室で行われエスカレートしてゆき、表面化した時はすでに手遅れということもある。
親による虐待事件は年々増加しており、もはやこれは毒親のせいとかいう個人の問題ではない。個人の努力では解決できない社会問題と化している。すなわち虐待による被害が減らないのは社会システムの不備が原因ということになる。
悲惨な事件が報道されるたびに児童相談所の職員の拡充だの警察と児相との連携強化だのとその時だけは言われるが事件は一向に減る気配がない。
明らかに社会システムに問題がある。まず、あんの育った環境、二世代にわたる母子家庭。公団に祖母と母との三人暮らし。祖母はすでに認知症の症状、母親は水商売で生計を立てているがアルコール依存症である。そして自身だけでなく、娘にも売春を強要していた。ここで疑問がわく。母子家庭でこのような状況で生活保護をなぜ受けていなかったのか、何らかの公的支援をなぜ受けていなかったのか。
多くの虐待家庭を見てきた専門家によると、彼らのような支援を必要とする人間ほど公的機関を嫌う場合が多いという。最初こそ支援を求めて役所などに相談に行くも、門前払いやたらい回しにされた挙句、上から目線で侮辱的な言葉を投げつけられて心を傷つけられ、二度と役所には出向かないのだという。水際作戦で役所が意図的にそのように応対してるケースも多くみられる。
劇中、自己責任などとほざく担当者に対して多々羅が怒鳴りつけるシーンがあるが、実際制度に精通した民間の支援団体などが付き添わないと個人では生活保護申請もままならない。
ちなみに生活保護は憲法25条で定められた国民の基本的な権利であり、水際作戦などで申請を妨害することは明らかな憲法違反である。
担当者は原資が税金ですからと理由にならない理由をほざいてるが税金が国民のために使われるのは至極当然のことである。
かつて政治家のネガキャンで生活保護は怠け者が楽をしようと税金から金をせびってるなどと言われたが、生保は身寄りもなくけがや病気で働けなくなったり、あんのような不遇な人間が最後に頼るセーフティネットであり、当然の権利なのだ。
生保を受けることで自立が可能になり、社会復帰を果たせばその人間は再び納税が可能となる。例えが悪いが怪我を治療すれば再び戦場に出れる兵士を怪我をしたのは自己責任だからと治療もせずに放置するだろうか。水際作戦はそれぐらい愚かなことだ。
生保は当然の権利として大いに利用すべきだがこの国では先のネガキャンのせいもあってか受給要件を満たしていても申請しない潜在的受給者が多い。
この様に先述の専門家によればまだまだ行政の支援が足りてないのだという。しかし、あんの家庭が経済的支援を受けられていればあそこまで酷いことにはなっていなかったのではないか。経済的支援だけではなくあの母親にも多々羅のように手を差し伸べてくれる人間がいればあのような人間にはならなかったのではないか。多々羅に限らずあんのような境遇にいる人のために活動しているNPO団体もある。
あんの不幸は彼女に限ったことではない。多くのあんがこの社会には存在する。NPO団体の支援を受けて自立できる者もいれば、悲しい結末を迎える者も。中にはこんなサポートの存在さえ知らずそのまま大人になり、あんの母親のようになってしまう不幸な人間もいる。そうした人間からあんのような不幸な人間が生まれる。負の連鎖が延々と続いてしまう。このような不幸の芽を摘んでいけたら。一人でも多くのあんのような不幸がこの社会からなくなればいいと切に願う。
NPO団体の方々は日々努力されている。しかしすべての人間を救うことはできない。いくら救おうと努力しても手のひらから零れ落ちるしずくのように失われてしまう命もある。
今の社会は非正規雇用の拡大、福祉予算の規模縮小、母子家庭の貧困問題等々、このような社会のゆがみが弱者を生み出しているのではないのだろうか。
このような弱者を生まない社会にしていくことが大切なんだと思う。周りが互いに支え合うことによって自立が促される社会になることこそがあんのような不幸な少女を生まないことにつながるのだと思う。
あんは数々の不幸が重なって結果的に命を落とした。でも彼女はけして特別な例ではなかった。今も彼女のようにこの世で一人誰からも救いの手が差し伸べられずかろうじて生きている女性たちが多く存在する。一人でも多くのあんが救われる世の中になってほしい。
追記
このサイトではないのですが、他の人の感想を聞いてはっとさせられました。本作の終盤、まさにあんが自ら命を絶つ際に窓から飛行機の編隊が見えます。あれは2020年防衛省の発案で行われたブルーインパルスによる航空ショーでした。医療従事者への感謝の意を表するというのを建前で行われました。当時は税金の無駄遣いだとか政治利用だとか物議をかもしました。
あそこであのシーンを入れてくること自体、やはり作り手はこの社会のゆがみというものを描こうとしていたんだなあと確信しました。
あんのような人間が救われないこの社会でなぜあんな航空ショーをやる必要があるのか。まさに今の社会を痛烈に批判するシーンでした。
タイトルなし(ネタバレ)
良い話になってないので面白くはないとこがこの作品の良いところ
人の温かさを知って当たり前にしていた万引きを思いとどまってしてこなかった勉強をして真剣に働いて自分の言葉で表現できるようになって、子供に愛を注いで。
もっと違う運命があったはずのあん。
ただ真っ直ぐに生きようとしたあんが、なぜこうも、普通に幸せな人生を許されないのか。
どこまでも絶望的で、でも現実の物語だった。
あんちゃんのこと
途中からずっと、あんちゃんを応援していた。
頑張りが報われて、幸せになって欲しいと思った。
刑事さんが逮捕された時も、勉強中にペンが書けなくなった時も、一生懸命ハヤトくんをお世話してた時も、がんばれがんばれ、幸せになってくれ、と手に汗握りながら、あんちゃんを応援するような気持ちで観ていた。
ブルーインパルスが映った時、自分はなにしてたかな、と思った。
たしか、仕事が自宅待機になって、働かなくてもお給料もらえてラッキーだとかそんなことを思っていた時期だったと思う。
自分がそうやって呑気に暮らしていた時に、あんちゃんのような人が実際にいたこと、今もそういう人たちがいること。
高校生の時、クラスにあんちゃんにちょっと似た雰囲気の子がいたことを、久しぶりに思い出した。
多分親との関係とかあんまり良くないんじゃないかな、と勝手に思っていた。
今あの子はどうしてるだろうか。
誰か頼むからあんちゃんを助けてくれよ、と映画を観ながら憤っていたのに、自分も現実で誰にも手を差し伸べていないことを自覚させられた。
誰かを助けられる人になりたいと思ったし、助けてと言ってもらえるだけの信頼を得られる人間になりたいと思った。
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