あんのことのレビュー・感想・評価
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あんちゃんのこと
途中からずっと、あんちゃんを応援していた。
頑張りが報われて、幸せになって欲しいと思った。
刑事さんが逮捕された時も、勉強中にペンが書けなくなった時も、一生懸命ハヤトくんをお世話してた時も、がんばれがんばれ、幸せになってくれ、と手に汗握りながら、あんちゃんを応援するような気持ちで観ていた。
ブルーインパルスが映った時、自分はなにしてたかな、と思った。
たしか、仕事が自宅待機になって、働かなくてもお給料もらえてラッキーだとかそんなことを思っていた時期だったと思う。
自分がそうやって呑気に暮らしていた時に、あんちゃんのような人が実際にいたこと、今もそういう人たちがいること。
高校生の時、クラスにあんちゃんにちょっと似た雰囲気の子がいたことを、久しぶりに思い出した。
多分親との関係とかあんまり良くないんじゃないかな、と勝手に思っていた。
今あの子はどうしてるだろうか。
誰か頼むからあんちゃんを助けてくれよ、と映画を観ながら憤っていたのに、自分も現実で誰にも手を差し伸べていないことを自覚させられた。
誰かを助けられる人になりたいと思ったし、助けてと言ってもらえるだけの信頼を得られる人間になりたいと思った。
救われない。
不幸の連鎖。
元々不幸な身の上だったが、光が差し込み、人生が開けていった…かに見えた。
ゾンビの様に群がってくる母親、関わってくれた大人の裏切り、(コロナによる)失業・学校停止等によるコミュニティの喪失。そして疲れ果て、また薬に手を出してしまった事に対する後悔…。
あそこまで不幸な状況に置かれていたのにも関わらず、彼女の心根はとても優しく、素直。だからこそ、傷つき、疲れ果てた。
コロナ開けて、また職に戻り、登り龍のお爺さんと再会する前に、彼女が先に天国へ登ってしまった。何処か一つでも違ったら、また違った結果があったでしょうに。
合掌。
けっきょくは環境
こんなにも観たあとに、切ないというか、悔しいというか、なんともいえない感情を抱いた映画はないのではないか。
家に帰る途中も何度もこみ上げてくるものがありました。
けっきょくは環境。いかに環境が大事か、まわりに信頼できる人間がいるか、だな。
とにかく河合優実の演技が素晴らしい。
とにかく河合優実の演技が素晴らしい。脚本、監督は社会派の入江悠。事実に基づく映画、とのことだが、刑事の犯罪、隣の母親から子供を預かる、なども事実だったのだろうか?そうであればば正に事実は小説よりも奇なり、だが。こういう結末になってしまうのはコロナのせいでもあろうが、誰よりも責められるべきは一緒に暮らしてきた母親と祖母ではないか?ハヤト君との束の間の親子ごっこは彼女にも心に残る体験だったろうが、我々映画を観ている者も救われた気がした。以前観た入江悠監督の作品"ビジランテ"には
全く共感できなかったが、これは良かった。
河合優実ー(佐藤二朗+稲垣吾郎)=結局は残念
河合優実(香川杏)
確かによかった。この人だけを中心に「円」を描いていれば、良い映画になったのだろう。冒頭と最後、早朝の何もない町を歩く姿こそ、心象風景。この映画はこれで十分。
佐藤二朗(多々羅保)
おそらくは必要なかった。いつもと同じ、それ以上の演技を見せられてはたまらない。最初から、そうだろうなという結果が見えている。グルーミング刑事というのはあまりにも安易な設定。
稲垣吾郎(桐野達樹)
だから、こちらも最初から見えていた。だから、ストーリーには必要なかった。味付けにもならない。
むしろ、毒親の
河井青葉(香川春海)をもう少し食い込ませてみたり、
自分が生きながらえるために、育児を一旦手放す
早見あかり(三隅紗良)を丁寧に描いていれば、
「あんの<こと>」「あんという<こと>」「あんが生きていた<こと>」ということが、
強く描いだされてのだと思うのだが、どうだろうか。
あんが自分の日記、メモ、ノート、
これが「あんの<こと>」なのだが、
それの一部を握りしめ、死へと歩み出し、それへと至った河合優実の演技は見事であっただけに、
この後の、
杏がなくなった後の多々羅と桐野の無駄な映像とセリフは、ストーリーのそれまでを全て台無しにしてしまっており、甚だ残念だった。
#最近、どうも、佐藤二朗の使い道に難渋しているように見える。
稲垣吾郎と佐藤二朗の役は反対じゃないのかな・・。とも思えた。
想定内の落胆
前評判が良く、佐藤二朗氏がどのような善人振りを演じるのか期待を以て観続けたが、想定内の悪役振りだった。
毒親が諸悪の根源で、子どもがそこから抜けられないことで人生を棒に振る物語は多々あるし、その範囲内に落ち着いたのではないか。
介護施設の事務的ミスはがっかりだし、シェルターの保護機能をもっと活用してもらいたかったところである。
稲垣吾郎氏は、少し下手に歌い、佐藤二朗氏は、精一杯歌っていたようだった。
タイトルなし(ネタバレ)
赤羽あたりのラブホテルの一室で男性が急死。
薬物の過剰摂取が原因だった。
部屋にいた20歳の香川杏(河合優実)は、刑事の多々羅(佐藤二朗)から事情聴取を受ける。
多々羅は、事件の原因以上に、杏の薬物依存歴、家庭環境に関心を示した。
多々羅は、赤羽の保護施設で薬物依存症者の復帰支援に取り組んでいたからなのだが・・・
といったところからはじまる物語で、冒頭、事実に基づいた映画である旨の一文が表示される。
杏の家庭環境は凄まじく、足の悪い祖母、酒癖が悪くDVの母親(河井青葉)と公団アパートで暮らしているが、杏には人権などないかのように母親を扱う。
酔っては殴り、酔わずとも殴り、小学4年生で不登校、12歳で母親の紹介相手と売春、16歳で薬物摂取・・・
欧米の映画では割と描かれることもあるが、日本映画でここまで描くことは珍しいほどの凄まじさ。
杏を演じる河合優実、母親の河井青葉とも、その存在感は圧倒的だ。
だが・・・
どうも男性陣の描き方がなぁ。
刑事の多々羅は、登場したとたんにうさん臭さ。
というか佐藤二朗くささ。
保護施設の取材を通して多々羅と親しくなったジャーナリスト桐野役の稲垣吾郎もいつものゴロちゃん。
ま、今回の役では、適切なんだけれど。
で、多々羅と桐野の話はツマラナイ。
テレビドラマのような話。
こういう話が入るのは、男性目線なのかしらん。
DV女性などのための保護住居で暮らすことになった杏だが、ひょんなことから同じ住宅に避難していた女性から幼児を預かることになり、それが杏にいい影響を与える。
それまで、自分自身を含めて護るものなどなかった彼女が、護るものができたことで。
だが、これも奪われて、最悪の結末を迎えてしまう。
多々羅はそれを杏の自責の念、薬をやめていたのを再び始めてしまった、という。
これには違和感を感じました。
護るものを得て初めて自己の存在意義を見つけ出した杏が、その意義を失ったから・・・
母などの護る必要のないひとのために生きなければいけない状況に再びなってしまったことの絶望・・・
そう感じたのですが。
意欲作だが、いくつかの違和感は拭い去れず、といったところでした。
虐待被害者の希望を踏みにじる、問題含みの映画
本作は、21歳の杏の壮絶な人生を描くという意図を掲げながら、結果的に虐待被害者の経験を不適切に扱う問題作となっている。
虐待という重いテーマを安易に取り上げ、それを単なる悲惨さの展示品のように描く姿勢には、虐待経験者への配慮の欠如を強く感じる。
物語は一時、刑事の多々羅(佐藤二郎)が運営する「サルベージ赤羽」を通じて、主人公・杏に希望の光を見せる。しかし、この希望すら最終的には虚しいものとなる。
多々羅の逮捕、コロナ禍による学校生活の中断、継続する母親からの暴行など、主人公を取り巻く状況が急激に悪化し、最終的には彼女を自殺に追い込む展開は、ショック効果を狙った安直な手法であり、実際の虐待被害者の心情を踏みにじりかねない危険性をはらんでいる。
監督が実話をベースにしたという点も、虐待という深刻な問題を安易に映像化することの倫理的問題を浮き彫りにしている。
社会問題を提起するという建前は理解できるが、その手法は拙速で、虐待経験者への配慮を欠いている。
「あんのこと」は、現代社会の闇を描くという名目で作られているが、結果的に虐待被害者の痛みを軽視し、観客、特に同様の経験をした人々の気分を害する可能性が高い作品となっていると感じた。
主人公が積み上げてきた希望を一つ一つ崩していく展開は、虐待被害者の回復の難しさを示そうとしているのかもしれないが、その描写は過度に残酷で、エンターテイメントとして失敗作だ。
評価: ★☆☆☆☆ (5段階中1)
このような虐待被害の映画化は果たして適切だったのだろうか。
虐待被害者の痛みと回復の過程をより慎重に、そして希望を持って描くべきではなかったか。この作品は、虐待という深刻な問題を扱う際の倫理的責任と、芸術表現の自由のバランスについて、重要な問いを投げかけているではないのだろうか?
河合優実の凄さを感じる映画
クソ毒母親のせいで、万引きに始まり売春からクスリにまで手を染めてしまっている少女。
クソ人間が次から次へと
①麻薬更生を装い
実は性欲の塊クソ警察。
②スキャンダルネタが
欲しくて麻薬更生赤羽施設に入り込む
マスゴミ。
③毒親の極みクソ母親
④育児放棄のクソ母親
⑤同僚をマスゴミにリーククソ警察
からのクソ
コロナ
世も末の現実を生きる少女を演じる
可愛優実。
かといって
重くなりすぎず軽くなりすぎず
観客に余白を与えてくれている。
クドカンのドラマで感じたが
やっぱ天才やね。
最後のシーンで
母親と子供が歩いていく
未来への希望。
スマホ中毒社会の中で、子供を大切に愛情を
持って育てんとあかん。
親だけでなく、いろんな人が地域で愛情をそそがないといけねぇ。
自分もご多分に漏れずクソ人間だが、
クソ人間がたくさん出てくる
悲しい映画でした。
やるせない悲しいガラスのダイアリー
一年後2025年夏に閉館予定の丸の内TOEIで鑑賞。初来館。ユウジandタカのカッティングシートを傍目に見ながら1Fチケット売場でシネコン劇場のように後方の席を選んで場内へ。ありゃ!のっぺらフラット。昔ながらの純日本人顔劇場だわ。後方だとスクリーンまで遠い遠い。視力の落ちたオジサンは没入できるか心配になる。同時に小さい頃屋外映画会で「ガラスのうさぎ」を遠くから鑑賞したことを思い出す。あの時は。。
さて、あんのこと。
周りの人達の力を借りながら独り立ちしようと懸命に生きている。学校にも通い直す。
給食食べながら級友にパンを分けてもらうとこ。一番嬉しそうだった。こういうことできて良かったねー。心でつぶやく。
日記が焼けるとこ。ガラスのうさぎが溶けていくシーンを思い出す。
やるせない悲しさ。
"部屋の大掃除をしないと いけない"と思いました。
本格的な社会派映画だと思い、この救いようのない 重い映画を観ました。
人間の幸せって、何でしょうか?
誰かが決めた基準という物があって、それより 上に居れば、幸せで
それ未満ならば、不幸せなのでしょうか?
自分の位置を、不幸せ・不幸だと判断し
自暴自棄になる事は、愚かな事だと思います。
人は、自分の与えられている立場や条件の中で、
自分の人生を"楽しむ"のではなく、"今という瞬間を 味わう"ものであり、
人生は、ひとりひとりの オーダーメイド作品だと、僕は考えています。
COVID-19禍によって、人生がくるってしまった人は、世界中に沢山いました。
主人公あんさん(ハナさん)も、その内の一人で、結果的には そう成ってしまったのですが
それをテーマにした映画に脚色する事は良いが、
ここで、"さもあったようなこと"として、嘘の警察批判をする事は、いかがなものかと感じ、
この映画の評価を非常に大きく落としました。
映画観賞者に、何かを考えさせる事は、社会派映画の担う責務だと思いますが
解決できない 救いようがない憤り(いきどおり)だけを あえて、鑑賞者に植え付ける"だけ"のインパクト残し映画は、卑怯な映画作りだと痛感します。
報道の在り方を考える為には「ミッシング」を観ておく必要があると思う。
また主人公の気持ちを、理解しようと思うなら、昨年こうかいされた「市子」と并べてみると良いと思います。
現実の理不尽さと救いのなさ
母親により義務教育の機会を奪われ、12歳で売春を強要され、16歳で売春絡みで薬にハマり、母親に振り回され続け悲劇的なラストをむかえる。
そんな難しい役どころを河合優実は見事に演じている。最初にスクリーンに映し出された姿が河合優実だとすぐには認識できなかった。
そんな彼女が警察に捕まり、佐藤二朗演じる警察官と稲垣吾郎演じる記者との出会いをきっかけに新たな人生を歩み始めると、やっと河合優実らしい笑顔が見られるようになるが、幸せも長くは続かない…。
恵まれない環境から抜け出そうと必死に頑張っても母親によりまた落とされる。この話しが多少の脚色はあるにせよ、現実にあった出来事だとするとホントに救いがない。
かなり重い話しではあるが、河合優実、佐藤二朗、稲垣吾郎や母親役の河井青葉の演技が素晴らしく、最後まで魅入ってしまう。
事実をもとにした物語。あんが生きた証、小さな幸せの一歩を映画として残す。
まさしく、あんのこと
生きた証
確かに存在した輝いた日々を
映画として多くの人が残そうとしたもの
ある刑事との出会いがきっかけに
少しずつ前に進み始める
初めてのひとりぐらし
明るい日差しが眩しいアパート
小さな一歩の積み重ねが美しい
それだけに何が起きるのか
常に緊張してドキドキしながら見守ってしまう
そんな小さな幸せも
母親は許してくれない
せっかく歩みだした人生もすぐに壊されてしまう
人の優しさにつけ込んで
許せない
コロナ禍も追い打ちをかける
人生を取り戻していく機微を見事にに演じた河合優実
そんな彼女が演じた小さな幸せを
もっと観たかった
刑事役の佐藤二朗の頼もしさ
役人に大声で噛みつくようなところがスカッとする
ただの良い人ではない
そんな彼を
もっと観たかった
どうすれば救えたのか、考え込んでしまう「あんのこと」
1. あんを救う手立てあるのか?
売りをさせ、ヤクのキッカケを作ったのも、義務教育の機会を奪ったのも、ラストの悲劇を招いたのも毒母。何処までが実話か不明だが、実の娘に売春させる母親のニュースは何年かに1度耳にする。時代を遡れば「碁盤斬り」の元ネタの落語のように、貧して娘を遊郭に売る親は少なくなかった。ここまでの毒親は稀であってほしいが、トー横に逃げこむティーンの中には、かなり複雑な家庭事情があるとも聞く。
毒親が娘の自死を悔やんでも自業自得と切り捨てられるが、放置して救われないのはあんの様な若者。摘発されてからでも、多々羅の様なボランティアやNPOに出会えればラッキーなのだろうが、多々羅1人の逮捕で崩壊する組織では心許ない。焼け石に水であっても、児相等により強い権限を与えるなどの改善はあるべきかもしれない。トー横しか逃げ場がなければ、群がるオヤジの性欲の捌け口にされかねない。
👶
2. 予想以上に観やすい映画
予告や番宣の段階では、観るのに忍耐が必要な気がして鑑賞を躊躇した。しかし観始めたら、序盤からコロナ禍で子供を押し付けられるまではテンポが良くて、驚く程観易く入江監督の演出力に唸った。ただ、あんが自死してからの時間は蛇足に感じた。桐野と多々羅の悔恨も、息子を押し付けた母親の後日談も要らなく感じた。あんの母性が子供を救ったとしても、あんが報われたなんて胸をなでおろせない。
👶
3. 虐待の被害者は、毒親ホイホイか?
毒母に虐待されたあんは、別の身勝手な母親に幼児を押し付けられる。見ず知らずの女性に、殆ど事情を説明せず幼児を押し付けて行方を暗ます母は間違いなく毒母。
同じ年に公開された「52ヘルツのクジラたち」でも、虐待されて育ったヒロインが、別の毒母にネグレクトされた少年を見るにみかねて引き取る。毒母に育てたられた子供は、成長後別の毒母に出会う運命でもあるのだろうか。本作が実話ベースであるなら、其のトンデモ仮説に現実味が出て怖い。
救いようのない重たいお話
少し期待外れだった。あんの幼少の頃や薬を始めた頃のプロローグが無くそういった部分が描かれてて欲しかった。もっと感情移入したかった。
そういった描写は無くタタラさんに出会い自立に向け頑張っていたが様々な苦境で上手く行かず…また新たな展開も…。
あんは優しいのか自分を食い物にする母親にまた付いていってしまうが自分の気持ちを強く持ち決別するべきだと思った。もっと周りに助けを求めることは出来たはずだと思う。
幸い預けらた子が無事で良かった。。
あんの最後は悲しすぎる。何も報われず自決するなんて。これが実話を元にというなら悲しすぎる実話です。最後まで救いようが無かった。
あとタタラさんの件も中途半端。ヨガシーンの長回しもあまり必要ないような。。
母親が自分の子をママと呼ぶのも謎でした。。
佐藤二朗は出てくるだけで笑ってしまう‼️
この作品は60年代の日活映画の香りがする‼️「非行少女」という映画がありましたけど、浦山桐郎監督あたりがうまく作りそうな気が・・・‼️ただ現在の犯罪事情は60年代に比べて遥かに多種多様になっております‼️麻薬、売春に手を染め、最悪な家庭環境がそれに拍車をかける主人公の香川杏‼️頼りにしてた刑事は逮捕され、追い打ちをかけるようなコロナウィルスの蔓延、せっかくうまくいってた仕事も休業‼️そして近所の女に赤子の世話を押し付けられ、その子の世話に生きがいを見出してた矢先、母親の再訪により全てが狂っていく・・・‼️救いがあるラストなのかと思っていたら、全くの正反対‼️まぁ安易なハッピーエンドより良かったかも・・・‼️主演の河合優実ちゃんも、目のまわりの表情とか、麻薬常習者っぽさをよく出して頑張ってた‼️
河合優実を観に行く
今までも売春や薬を題材にする映画はあったし、映画だから面白おかしくやちゃんと腑に落ちる結末などが有った。
今回も逮捕を期に足を洗って真っ当に生きる道を選んだ杏に誰もが共感したと思う
何か成功した時や褒められた時などに時折、控えめに笑顔になる時などほっと胸をなでおろす
後はストレスを溜めないように、再発しないようね、って見守る
親との対峙でも何とか乗り越えてきた時はやはり手に汗握ってた
あとはどんどん成功例を作っていき、自分に自身を持っていければ…
そう思っていた矢先…
脱力
ドキュメンタリー調で見ていたのでつい感情が持っていかれた
今回は河合優実の悲壮感漂う演技と河井青葉の鬼気迫る鬼の演技が見ものだったと思う
汚部屋も出てくるので(虫はなし)体調が良い時に鑑賞を勧めたいです
境界線
作品としては実話ベースできっとキツいんだろうなとは思いつつも、河合優実さんが出演しているとならば観に行かなきゃなと上半期滑り込みで鑑賞。
観る側の心を抉っていく地獄映画でした。
救いの糸が見えた瞬間にぶった斬られ、絶望へと落としていくループで観終わった後は肩をずっしり落としていました。
今作は終わっている家庭環境から始まり、子供の頃から売春に薬、そして娘を金づるにしか観ていない母親の下衆さがキツく、彼女が出てくるたびに拒絶反応が出るレベルでした。
これまた希望が照らし出したタイミングで登場して、幼児退行したり、暴力を振るってきたりするので、胸糞さは限界突破していきます。
そこから手を差し伸べてくれる刑事や記者に助けられ、介護施設での仕事で改心していく様子も見られ、中盤では再生の糸口が見えていたんですが、コロナ禍という未曾有の事態には抗うこともできず、仕事も生活もグチャグチャにされていく様子が生々しかったです。
その前後にも刑事の汚職が判明したり、知らない人から子供を預けられたり、どんどんと窮地に追い詰められていき、トドメの母親の行動や言動がこれまた腑煮えくりかえるもので、それがきっかけでプツッと切れてしまった糸を取り戻すことが出来ずに…。
ここまで生々しいものが事実なのかというところに驚き、声も言葉も出なかったです。
役者陣も撮影中の葛藤が凄まじいものだったと思いますし、その中でも座長を務めた河合優実さんの振れ幅がこれまた素晴らしく、絶望の表情も希望に満ちた表情も美しかったです。
若干ノイズだったのが杏の死後に、杏に娘を預けた母親が色々答えているところで、児童相談所から取り返すのが大変だったとか。なんか自分が悪くないということを強調させている感じや、上辺だけの杏への感謝だったりと、なんかこうここは事実ではないんだろうなという釈然としないものがありました。
どうしても杏の最後を桐野が見て腰を抜かしたところで終わった方がまだキチっと終わったのになという惜しさがありました。
コロナ禍や毒親の闇、自分はコロナ禍も安定して仕事がありましたし、両親には大切に育てられてきたので、どうしても強烈に喰らってしまうところがありましたが、それでもこの事実に向き合う強さを身につけていきたいと思いました。
それでも行動に移すのは難しいですし、そんな事実に気付けない自分がいるのは確かなのが歯痒いところです。
鑑賞日 6/27
鑑賞時間 9:55〜11:55
座席 D-13
子役の人権が気になった
作品の出来自体は悪くはないと思うけれど、先日観たミッシングは、同じように救いのない結末ながらまだ登場人物が前を向こうとするだけ鑑賞後の気持ちがスッキリする。
本作は(ノンフィクションだから仕方ないが)、絶望の中から立ちあがろうとする主人公が結局悲劇的な結末を迎えると言う、ダンサーインザダーク的ムナクソエンドなので、気分が鬱っぽいときは見ないほうが良い。
しかも「あんのこと」と言う「ある人物の一生についての物語」を匂わせるタイトルと「なんとなく悲劇っぽい予告」で、ある程度結末の予想がついてしまうため、配給会社は広告戦略をもう少し考えてほしい。
作品そのものについては諸感あれど、昨今よくある悲劇のうちのひとつに過ぎないのかなと思うに留まった。残念ながら現代日本社会は、映画の創作が追いつかないほど過酷な事件が毎日のように起こっていて、我々も感覚が麻痺してしまっており多少の悲劇では心が動かなくなってしまっている。
そんな中で非常に気になったのが子役(幼児)のこと。
まずこの子が泣いてるのは当然演技ではなく、この子に取って何かしら不快なことが起こっていたからで、それは撮影のために置かれた環境のせいではないのか、この子は不本意な状況に置かれて泣いているのではないかと言う危惧が拭えない。
ある程度の年齢なら役と言う認識もあるだろうが、この年齢ではどうなんだろう。
本作制作にあたり、幼児がゴミ屋敷汚部屋に連れて来られ、周りで大人達が怒鳴り合っている状況を作り出すのは必然だったかもしれないが、この子供に取ってはどうだったか。ママから引き離され、ただただ怖かったのではないか。(実際どんな状況で撮影が行われたかはわからないが)
加えて親が了承していれば問題ないのかも知れないが、オムツを変えるシーンで子供の身体の一部がハッキリ映るような映像は、幼児の人権を無視してはいないのか、ここらへんが他人事ながら非常に気になった。恐らくこれが女児ならこのシーンはなかったはず(と信じたい)だが、男児なら写しても良いのか。
世の中幼児に欲情する異常性を持った人物も実在し、被害もニュースになっている。
この子供に撮影の記憶はないだろうが、映像は半永久的に残る。撮影する際、そこを隠すように配慮もできたのではないかと思うのは、過剰反応なのだろうか。
ドラマ不適切で「インリマスィーコーリネーラ」が過剰に口出しするシーンがあったが、まだ何もわからない幼児に対しても少しコーリネーロする必要があるのではないかと愚考した次第。
→神木くん少年時代の妖怪ナンチャラと言う作品は酷かった。ご本人がどう思っているかはわからないけど、あれは児ポに引っかかるのではと思った。
※面倒くさい方に絡まれたのでコメント非表示にします。
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