あんのことのレビュー・感想・評価
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どんより
映画って、見たあとの感覚がいくつかある。メッセージのようなものがあったり、単純に面白かった、幸せな気持ちになった、感動した等。これはホント、なにがしたいんだろう。こういう子がいたのはわかる。コロナで全てを失った人もいるだろう。毒親に育てられた子ども。裏の顔を持つ警察官。交際相手と居たいシングルマザー。ゴミが捨てられない人。売春を強要する親。辛いこと祭りの映画だった。見終わって、ただただ不愉快な気持ち。最後のシングルマザーも、「あんちゃんのおかげ」と言ったが、日頃からあんとの接点なんてなかったはず。なんだかな〜と、見たことを後悔した。レビューがよいのが謎。
虐待サバイバー当事者として
私は虐待サバイバーです。
この作品を見て感じたのは希望です。
あんは凄い。
心が最後まで死ななかった。
希望を持っては無惨に踏みつけられて
それでも母親を払いのけてもがき続けた。
その気力がその強さが眩しかったです。
幼い頃から支配されてでもあんはおばあちゃん、私の場合は妹が人質として捕らえられているから逃げることもできない。
私は犯罪行為を強要されず、直接お金をむしり取られはしなかったけど、それでも殴られるたびに心は何度も死にかけていった。大人になった現在でも生き残ったことを喜べず生き残ってしまったと絶望にしている。
一度だって誰かに手を差し伸べてもらっていたのならその幸せな記憶ができるだけ温かいうちに私は空を飛んだだろう。
あんが羨ましい。
観た後放心状態になる映画でした
Amazonプライムで観ました。
この映画は実際の事件で
2020年6月に朝日新聞で報じられた1人の女性の新聞記事を元に作られた映画らしいです。
記事によれば、幼い頃から母親に暴力を振るわれた。小学3年生で不登校になり、11、12歳の頃には売春を強いられた。
14歳のとき、ホテルで暴力団関係者から勧められて覚醒剤を使い、抜け出せなくなった。そして逮捕。
夢であった介護福祉士になることができ、
夜間中学で学ぶはずだったが、コロナ禍で前途を阻まれ、母親に飼い猫を殺され2020年春に自死してしまったそうです。
監督は、コロナ渦の中、二人の友人を亡くした現実に、親しい人が精神的にも肉体的にも追い込まれるような状態に気づくことができなかったことにショックを受け、モデルになった25歳の女性が感じたことを知ることによって少しでも友人二人の気持ちに近づけるかもしれないと思ったそうです。
監督と脚本は、映画『SR サイタマノラッパー』や『ビジランテ』など、現代社会に蔓延る問題にスポットライトを当ててきた入江悠が担当
杏を救済しようとする刑事は、
『はるヲうるひと』や『さがす』に出演する佐藤二朗
ジャーナリストは、『窓辺にて』や『正欲』などで主演を務めた稲垣吾郎が演じる。
主演を務めるのは、『PLAN75』
2024年のTBSドラマ「不適切にもほどがある!」の出演の河合優実
感想↓
とても苦しい。心が痛い。
でも、見て欲しい。・・ひとりでも多くの人に知って欲しい。
旦那は途中でしんどくなって観るのを辞めてしまいました。
重苦しく気分が沈むので、
落ち込める時間のある時にじっくり観るのがおすすめです。
見ず知らずの子どもを愛情深く育てる杏の姿に心打たれました。
一時的ながらも「誰かのために生きる」ことができました。
杏にとって逃れられない現実から
少しでも目を逸らせることが出来た瞬間だったのかもしれません。
子どもを育てることで芽生えた責任感や愛情は、杏に自分の存在意義を再確認させました。
それは今まで、杏が母に認められず、否定され続けてきた杏自身の価値を少しでも感じ取る機会になったと思います。
杏はもともと責任感の強い努力家だった。産まれた環境が違えば生きていてくれたのに辛いです。
たられば、しかし結果は、、、
運命って変えれることもあるが、どんなに避けて来ても、結局同じことになることが多いように思う。
例えば厄年に、どんなに厄を避けようと確率論を考えて色々な対策を練っても、何故かピンポイントで厄が降り注いでくる。
杏についても、なぜか勤め先が間違えて手紙を実家に送ったり、シェルターに隠れたりしても母に見つかってしまう。協力者からも引き離されてしまう。色々なことが重なり逃れることができない設定になってしまう。
逆にどんなにピンチになっても紙一重で助かる人もいる。
この映画を観て、作者が無理矢理そうなるように設定していると思うという意見もあるが、杏はどんなにもがいても結局、同じ結果になったんだろうな。
ある映画で出てきた「人生で起きるイベントの全てを楽しまないと勿体ない」という言葉を大切にして行きたい。
現代の社会の闇を描いた物語
実話だけに胸が痛い。生きていて欲しかったし、あんはこんなに傷つくまでどうして社会は助けられなかったのか?
様々な問題点がそこにある。彼女が警察に連絡すればよいと思うシーンはいっぱいあったし、相談する先もあったはず。でも出来なかった。
虐待の問題だけでなく、社会にはあんと同じく幼くして行き場所を失い、悩み社会から無視されてしまう子達がいる。
今でも苦しみ、社会からは甘いと言われ、結果あんと同じ結末を迎える人たちがいる。
あんもあの刑事との最初に出会った時のシーンでは反抗的だったし、自ら立ち直ろうとするまでにはもっと時間がかかったはずである。
だから、それまで助けを求めていなかったし、それしかないと思っていた。
結末は、それしかないんだなって思ったのかもしれない。
でも、過去を清算したかった。そんな子が歌舞伎町をはじめとする全国の場所にはいっぱいいる。ニュースを検索すれば悲しい物語がいっぱいある。
あんのことは今も起きてる事実であり、この映画が社会の関心を社会の闇に向けるきっかけになってくれたらと思う。
演技は素晴らしい
ダンサーインザダーク以来の最悪な結末の映画でした。
稲垣吾郎と佐藤二郎のカラオケくらいまでが良い映画でした。
(稲垣吾郎さんは本気で歌ってないでしょうけども。)
実話を元にということですが、周りの人に恵まれない、人に頼るやり事を知らない
悲しい物語です。(子供押し付けられたら、すぐ誰かに相談すればよかったのに。)
主演の河合優実さんが実にいい演技をしていました。
今後の活躍に期待です。
今年一の胸糞作品
あんが自殺する前にノートを破り捨てた行動について、彼女が「自分の生き様を誰かに伝えたかった」という視点で考えたいと思います。
あんは幼い頃から、親に体を売ることを強制され、家にはおばあちゃんがいるため、彼女が家計を支える責任を一身に背負っていました。どんなに辛くても、家族のためにお金を稼がなければならなかったのです。母親の暴言や暴力に耐えながらも、あんは逃げることができませんでした。おばあちゃんを見捨てることができなかったからです。このような状況に押しつぶされるようにして、彼女は自分の未来や夢を犠牲にしながら生き続けなければならなかったのです。
時が経ち、彼女にとって頼りにしていた大人、つまり多々良が逮捕され、その原因となった記事を書いた桐野も頼ることができなくなりました。あんにとって、彼らは自分の苦しみや孤独に共感してくれる数少ない存在であり、彼らがいなくなったことで、あんの精神的な支えは完全に崩れてしまいました。さらに、コロナ禍という厳しい現実が彼女を追い詰め、仕事も勉学にも集中できなくなり、あんは全てを失ったように感じていたのでしょう。
そんな中、あんはサラから隼人を預かることになります。私はサラが同じ自立支援のためのマンションの住人だったと考えます。サラが持っていた荷物が少なかったことから、一時的な預け先としてあんを選んだ可能性が高いですが、私はサラがあんの自殺の一因であったと感じています。サラがどれだけ厳しい状況に置かれていたとしても、彼女にはその行動があんに与える影響をもっと考慮すべきだったのではないでしょうか。自覚の欠如があんをさらに追い詰めたように思います。
しかし、隼人を預かることであんは、一時的ながらも「誰かのために生きる」ことができました。隼人との時間は、彼女にとって逃れられない現実から少しでも解放される瞬間だったのかもしれません。彼と過ごすことで芽生えた責任感や愛情は、彼女に自分の存在意義を再確認させました。それは今まで、彼女が誰にも認められず、否定され続けてきた彼女自身の価値を少しでも感じ取る機会になったのかもしれません。
そして、あんがノートを破り捨てた行動。この行動は彼女の絶望の中にある強烈な願望を象徴しています。あんは自分の苦しみや葛藤、そして誰かに理解してほしいという強い思いを、最後に誰かに伝えたかったのでしょう。ノートを破るという行動は、単に記録を残すこと以上の意味を持っていたのだと思います。彼女は自分が育てた隼人に対しての愛情とともに、自分自身が生きてきた証、つまり「ここにいた」という存在の証を残そうとしたのです。
ノートには、ハヤトの苦手なことやアレルギーのことが書かれていたかもしれませんが、それ以上に、それは彼女の心の叫びだったのです。あんは「私は誰かのために、何かのために生きてきた」ということを証明したかった。そして、その証を誰かに伝えたいという切実な願いがあったのでしょう。ノートを破る行動は、あんが自らの内面と向き合い、誰にも見えない孤独や絶望の中で自分の存在価値を認めてもらいたいという最後の叫びだったのではないかと思います。
彼女の破られたノートは、ただの紙ではなく、彼女の人生そのものを表していたのかもしれません。これまで誰にも理解されなかった彼女の存在や、愛情、苦しみ、そして葛藤を、どうにかして誰かに伝えたいという深い思いがそこに込められていたのだと感じます。
質問なのでレビューではありません※ネタバレ含むため未視聴の方はブラウザバック推奨※
一つ疑問が残ってしまったので、皆様のご意見を伺わせていただきたく投稿しました。
紗良(ハヤトのママ)は、偶然的に あん へ子供を押し付けたのでしょうか?
それとも、あん へ目星をつけていたのでしょうか?
狭量な私の想像力と推察、知識から思考着地した事は、
・紗良は、あんが住む訳アリ駆け込み寺的マンションと同じ住人
→何故か:あんに預ける際に、紗良が持っている荷物の量などから、遠方ではないと考えられる。
・訳アリマンションを説明する女性が「個人情報絶対守って。親、友達にも住所教えるの禁止」というハードルの高い注意を促している時点で、セキュリティもそれに伴っていると常識的に考える。
→マンションと関係のない人間であれば、まず管理人ないし警備員が声掛けするはず。
⇛幼子を抱えて切迫している様子の女性に声掛けしないほうが不自然
・紗良がパートナーから以前より喧嘩やDV等で苛まれていて、いざというとき子供だけはなんとか助けたい。
→何かの機会であんを見かける→しばらく観察して生活リズムや動線を掴む→紗良にとってのXデーが来たため、あんの部屋に行き、ハヤトを押し付ける。
と結論付けたいのですが、パートナーとのトラブル?ってなりませんか。
このマンションはそれこそ、そういった類のトラブルから危機回避してきた女性たちのためにある依代といって過言ではないはずです。
また、同じ部屋に複数人住んでしまうと、身バレする可能性が何倍も膨れ上がります。
・別視点で考えてみる。
→紗良のパートナーは、紗良の保護役で元旦那から隠匿の手助けをした存在。
→その縁や信頼があって交際に発展。一緒に住むないし たまに宿泊などをする。
⇛実際、あんも多々羅と桐野立会いで訳アリマンションに入居していることを考えると、居住する本人以外(本人に無害前提)が住所を知り得ていておかしくない。
私的結論:紗良は同マンションの住人。
だとすると、紗良は思慮のない身勝手の極意免許皆伝という人間性になってしまいます...
何故ならば、このマンションが”どういう意味を含んでいるか”知らないはずがないからです。
様々な苦難から逃れるためにやってきた人たち。事情は違えど、このマンションに住んでいるということは”壮絶”であろうことが想像に難くないはずです。
その人に自分の困難を託すなんて、人の迷惑を顧みないどころの話ではありません。
物語のラストは沈痛の余韻を少しでも晴れやかにするため(かどうかは不明ですが)、自死を決意した あん が、最後に絶対これだけは。と残したハヤトとの記憶(記録)が空から舞います。
それは、あん がハヤトの苦手なものやアレルギーなどを書いた一枚のノートです。
あん は恐らく「少しでも私が育てた」という顕示と「このノートが役に立てば」という献身的な感情から、焼きかけたノートの火を消して、破り、残したと思います。
紗良の「これ、ハヤトのアレルギーがある食べ物です」と呟き、ハヤトをあやすその姿は、あんがハヤトと一緒に過ごした時間を彷彿とさせる名シーンです。そしてラストに廊下を二人で歩いていきます。後ろ姿のみを映していて、ここも あん とハヤトが並んで歩いている光景にクロスオーバーさせる妙技です。
だからこそ、紗良を身勝手な人だと位置づけさせたくない思いがあります。
自分の考えてる説の線でいけばエゴなのは承知ですが。
「映画なんだしメタくらい分かれよ」「みんな必死だという説得力を持たせる為」と言ってしまえば終わりなのですが、是非皆様がどう感じ取って考えてらっしゃるのか知りたいと思う次第にございます。想像でも考察でもご意見いただければ幸いです。
長文・駄文失礼しました。長々とお付き合いくださりありがとうございました。
しんどい
実話という事で何となく気になって見た映画ですが衝撃的でした。
彼女の気持ちが痛いほど分かってとにかくしんどくて見終わった後に涙が止まりませんでした。
環境を理由にするなという方がたまにいらっしゃいますが恵まれてる方だなと、
沢山の方に見ていただきたい映画です。
苦しいです
あんが救われる世界が来て欲しかった。
悲しいですね。
見てよかった作品でした。
佐藤二郎さん、いいやつかと思ったら悪いのかなんなのか、クズみたいな世界から抜け出せたらよかったのに、
母親役のクズ具合がすごくて感情移入しちゃいます。
赤ちゃん預けてどれくらいで戻ってきたんだあの女は。
けど赤ちゃんがいたからあんは支えられてましたね。
ありえないけど、それがあんが生きていける理由にもつながっていたんだなと思いました。
何もなくなってしまって自殺してしまう世界が来て悲しいです。
希望の光が来るのかと思ったら絶望の光だったのかな。
見てよかった作品でした。
あん役の方がとても素敵でした。
なかなかにエグい
めちゃくちゃ引きずる鬱映画と聞いて、観てみた。
確かに引きずるけど、個人的には、前半シーンでただひたすらあんちゃんが母親にいじめられるシーンが1番しんどかった。おいおいこんな感じで2時間弱続くのかよと思って心が痛んだ。だからこそ、中盤、彼女の人生に希望が見出せて、少しずつ社会復帰して周りの人と打ち解けていくのが、(月並みな言葉になるが)嬉しかった。
いろいろ思うことはあるけど、タタラの逮捕、サルベージ閉鎖、失職、学校閉鎖?、ハヤトの児相行きなど、どれか一つでも彼女に残ってくれていたなら、彼女は死ななかったと思う。
一から築き上げたものが、少しずつ彼女の手からこぼれ落ちていくシーンが見ていられなかった。
だから彼女が母親の家で包丁を持ち出したとき、もうこれは母親を殺すか自殺をするか二択しかないというのは一目瞭然だったと思うが、どこまでも優しい彼女は、人を傷つけることはしないだろうというのもわかってしまった。
あと補足で、最後、ハヤトのお母さんがまるで聖母のような佇まいで、あんちゃんには感謝していますとかわけのわからんことを言ってたけど、お前が息子を預けなければ多分彼女はまだ生きてたぞと言ってやりたかった。どんだけ図々しい…。最後、彼女とハヤトの後ろ姿を見て、2人の未来もまた、輝かしいものではないだろうと思ってしまった。
私は個人的に、バッドエンドの映画はあまり好きではない。この映画は限りなくバッドエンドに近いと思うのだが、それでも役者さんたちの魅せ方、映画の構成、ストーリーなど、単純に観ていて飽きなかった。バッドエンドの映画に⭐︎4はなかなかつけないのだが、うーん、おもしろかったのでつけてしまうことにしよう。
すごい、けど、観なければよかった こんなに心が苦しいのなら教えてお...
すごい、けど、観なければよかった
こんなに心が苦しいのなら教えておいてほしかった
現実にしか思えないリアルな苦しみに憎悪と虚無感でいっぱい
こんなにも辛く悲しい事があるのか。
某動画サイトで話題になっていた映画がアマプラにあるという事で何の事前情報も入れずに鑑賞。
子供の頃から虐待を受け、小学生でスーパーを回って万引き。それが噂になり不登校に。
12歳の時母親に紹介された男と初めての援助交際。
16の時にヤクザに勧められて打った覚せい剤。
物語は明け方の街を歩く杏の姿。
その目は虚ろで虚無という言葉が当てはまるかのような。。
ある日覚せい剤を打ち売りをしていたが、補導される。
その時に出会った刑事に次第に心を開いていく。
でもその刑事が、薬物依存症の人たちを更生させる団体で、その中の女性とお仕置と称して性的な行為を強要してしまう。
元々刑事の友人であった記者にそれを記事にされてしまい刑事は逮捕。
杏はこんな自分に良くしてくれて、職場も与えてくれ文字すら読めないから学校に行かせてくれてと恩人に思っている人が目の前から居なくなってしまう。
それでも薬を辞めて、刑事の言った積み重ねを信じ待っていたところにシェルターの同じ住人に子供の世話を押し付けられてしまう。
した事の無い子育てに翻弄とされながら、刑事の何か夢中になれることを見つけろという言葉通りに子育てに夢中になっていく。
その後偶然鉢合わせた、実母に嘘をつかれ子供と共に自宅に帰ると直ぐに売春をして来いと言われる。
子供を取り戻すために体を売って帰った自宅には子供がおらず、実母に問いただすと泣いてうるさいから役所に電話したら児相が来て連れていったと言われ、支えだったたった一つの光さえも失い自暴自棄になり辞めていた覚せい剤をしてしまい、自責の念から自殺をしてしまう。
実話を元を作られたお話で、調べてみると朝日新聞に載っていた小さな記事から着想を得たとの事。
主演の河合優実さんの演技も素晴らしく、難しい役柄なのにここまで引き込まれる演技を見たのは久々でした。
刑事役の佐藤二朗さんですが、福田雄一監督作品によく出演していらっしゃるのでアドリブやその人柄みたいな役どころが印象的でしたが今作では2面性のある役でこんな人いるわって思えるような役を素晴らしい演技で彩っていました。
記者にはあの元SMAPの稲垣吾郎さん。
最近はあんまりテレビでお見かけしなかったので、最初あれ?これ吾郎ちゃんだよね??と不可思議ながら見ていました。
冷淡で冷静な役柄も素晴らしく、記者として全うしなければならない立場と杏を気遣っているその姿と葛藤してのでは無いでしょうか。
全体的に重苦しく、次から次へと光が消えていくようで久びさに胸が締め付けられる映画を見ました。
鬱映画として紹介されていますが、コロナによって光が閉ざされていく様は経験がある方がいらっしゃるのでは無いでしょうか。
暫く時間を置かないと見れない映画のひとつになってしまいました。。
良い具合に胸糞悪くなれる!
とある事件に着想を得て作られた作品、という事だけを頭に入れて鑑賞。
とにかく色々と裏切られましたね!
良い感じに胸糞悪くなれました。
母親のあの毒親感がまたリアル。
同居していて杏の心の支えになりそうでならない、婆さんも良し。
個人的には、毒母が婆さんがコロナにかかったかも?と嘘をついて杏を引き戻したシーンが一番腹が立ちましたねW
あと、佐藤二朗さんのちょけがほとんど無い演技が新鮮で良かった。お前悪人なのかよ!ってなった。
ゴローさんはいつも通りw
ま、とにかく杏を見ていると自分がいかに恵まれているか分かります。
ん?と思うところが多い
まず1番に思ったのが、他の方も書かれていますがなんで最後に杏が自殺したタイミングになって記者がやってくるのか。連絡先もなにもわからなかったのかもしれませんが、刑事が捕まった事やコロナなどで杏が孤立してしまっているのではないかとか、もう少し気にかけて連絡手段を探してみたり、実際に訪ねたりするんじゃないかなと思いました。これをコロナがあったからできなかったってこと??この空白の期間があるのに最後自殺した際に急に現れて、記事を出してなかったら助かったのか、、と言われてん?となりました。刑事に問題あったんだから記事を出したことは悪くないと思いますが、その上で刑事が今まで杏を支えていた部分を誰かが変わって様子見に行ったりしなければならなかったと思うのに、それもせず記事を出してなかったら、、となるところに違和感を覚えました。
あまり普段レビューを書かないので、うまくまとめられませんが、とりあえず想像以上に評価の高いレビューが多い事に驚きました。
また、杏と全く同じ状況だったわけでもなく、杏と比べればまだましですが、自分自身も親が頻繁にヒステリックを起こしていて、昔毎日のように素手や物で殴られていた経験があったので、当時の自分を思い出して少し違和感を覚えるシーンが多かったのかなと思いました。
拙い文章ですみません。。。
救いたかった!
コロナ禍で職を追われ、学校が休みになり、あんの社会的居場所が無くなってしまう。タタラとも連絡が取れず、孤独になり追い詰められていく。部屋も散らかって生活の張りが薄れかけたように見えた。そんな折、唐突に隣人から幼な子を預けられる。彼女は懸命に面倒を見る。部屋も綺麗に片付けられ、子の命に寄り添う事で、再び生きる意味を見出したように見えた。人はひとりでは生きれない。
最後ブルーインパルスが飛んで行くのが見えた直後、ノートの破片がひらひらと舞い落ちていく、このコントラストが強烈だった。
役所では、自己責任論であんの生活保護申請が却下された。けれど万引きで食いつなぎ、小学校もまともに行けず、母親から12才で売春を強要され生きてきたあんに、どれ程の責任があったのだろうか。母から逃れ自分の力で生きようと懸命な若い命に、手を差しのべる余裕さえこの社会には無いのだろうか。
是枝監督の「誰も知らない」や「万引き家族」を思い出した。
誰も救えない…。
あんが最後にとった行動は仕方の無かった事だと思います。
思ってはいけないことですが、あんの最後の選択に正直私はホッとしました。やっとあの母親から解放されるんだと…。
それほど辛い内容の映画でした。先日に観た、ミッシングは最後にかすかな希望のようなものが見えましたが、この映画は本当に救いようのない結末でした。
幼い頃から母親に虐待を受け続けても、売りを強要されてもグレることもなく、助けてくれた祖母のために介護の仕事を学んだり、隣人から押し付けられた子供を大切に育てたり、あんは本当にいい子なんです。
あんの優しさがこの映画の唯一の救いです。
残されたあんの日記のメモ書きが優しすぎて私の心を締めつけます。薬物を打たれ常習者になってしまったあんが更生の途中に見せた笑顔が忘れられません。
観るか、かなり迷いましたが、観てよかったと思います、辛すぎて二度とは観れませんが。自らを戒めとするには良い映画だと思います。今もあんのことを思うと目頭が熱くなリます。
全145件中、21~40件目を表示