あんのことのレビュー・感想・評価
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けなげな杏
質問なのでレビューではありません※ネタバレ含むため未視聴の方はブラウザバック推奨※
一つ疑問が残ってしまったので、皆様のご意見を伺わせていただきたく投稿しました。
紗良(ハヤトのママ)は、偶然的に あん へ子供を押し付けたのでしょうか?
それとも、あん へ目星をつけていたのでしょうか?
狭量な私の想像力と推察、知識から思考着地した事は、
・紗良は、あんが住む訳アリ駆け込み寺的マンションと同じ住人
→何故か:あんに預ける際に、紗良が持っている荷物の量などから、遠方ではないと考えられる。
・訳アリマンションを説明する女性が「個人情報絶対守って。親、友達にも住所教えるの禁止」というハードルの高い注意を促している時点で、セキュリティもそれに伴っていると常識的に考える。
→マンションと関係のない人間であれば、まず管理人ないし警備員が声掛けするはず。
⇛幼子を抱えて切迫している様子の女性に声掛けしないほうが不自然
・紗良がパートナーから以前より喧嘩やDV等で苛まれていて、いざというとき子供だけはなんとか助けたい。
→何かの機会であんを見かける→しばらく観察して生活リズムや動線を掴む→紗良にとってのXデーが来たため、あんの部屋に行き、ハヤトを押し付ける。
と結論付けたいのですが、パートナーとのトラブル?ってなりませんか。
このマンションはそれこそ、そういった類のトラブルから危機回避してきた女性たちのためにある依代といって過言ではないはずです。
また、同じ部屋に複数人住んでしまうと、身バレする可能性が何倍も膨れ上がります。
・別視点で考えてみる。
→紗良のパートナーは、紗良の保護役で元旦那から隠匿の手助けをした存在。
→その縁や信頼があって交際に発展。一緒に住むないし たまに宿泊などをする。
⇛実際、あんも多々羅と桐野立会いで訳アリマンションに入居していることを考えると、居住する本人以外(本人に無害前提)が住所を知り得ていておかしくない。
私的結論:紗良は同マンションの住人。
だとすると、紗良は思慮のない身勝手の極意免許皆伝という人間性になってしまいます...
何故ならば、このマンションが”どういう意味を含んでいるか”知らないはずがないからです。
様々な苦難から逃れるためにやってきた人たち。事情は違えど、このマンションに住んでいるということは”壮絶”であろうことが想像に難くないはずです。
その人に自分の困難を託すなんて、人の迷惑を顧みないどころの話ではありません。
物語のラストは沈痛の余韻を少しでも晴れやかにするため(かどうかは不明ですが)、自死を決意した あん が、最後に絶対これだけは。と残したハヤトとの記憶(記録)が空から舞います。
それは、あん がハヤトの苦手なものやアレルギーなどを書いた一枚のノートです。
あん は恐らく「少しでも私が育てた」という顕示と「このノートが役に立てば」という献身的な感情から、焼きかけたノートの火を消して、破り、残したと思います。
紗良の「これ、ハヤトのアレルギーがある食べ物です」と呟き、ハヤトをあやすその姿は、あんがハヤトと一緒に過ごした時間を彷彿とさせる名シーンです。そしてラストに廊下を二人で歩いていきます。後ろ姿のみを映していて、ここも あん とハヤトが並んで歩いている光景にクロスオーバーさせる妙技です。
だからこそ、紗良を身勝手な人だと位置づけさせたくない思いがあります。
自分の考えてる説の線でいけばエゴなのは承知ですが。
「映画なんだしメタくらい分かれよ」「みんな必死だという説得力を持たせる為」と言ってしまえば終わりなのですが、是非皆様がどう感じ取って考えてらっしゃるのか知りたいと思う次第にございます。想像でも考察でもご意見いただければ幸いです。
長文・駄文失礼しました。長々とお付き合いくださりありがとうございました。
もしも杏が、“いい子”じゃなかったら、同情できた?
心の深くに響く映画を観ると、ついSNSやらレビューサイトで他人の感想を読み耽ってしまう。ふた昔前だったら映画ファンや、それこそ入江悠ファンの集まりに参加して熱く感想を語り合っていただろうけど、コロナを境にそういう集まりからも離れてしまった。だからSNSやらレビューサイトで感想を読み耽った。
河合優実や佐藤二朗の演技に対する評価やファン票を別にして大雑把に分類すると、
①主人公の杏が可哀想でしんどい
②毒親がクソ
③こういう人たちの存在に対する社会の無関心を反省する
みたいな感想が多かったような印象だった。
それらに対し自分はどうか、それ以前に自分がこの作品に対してどう感じたか。
この映画の感想を考えることは、実在した誰かの死をエンタメとして消費していることになるのかどうか?みたいな野暮な自問はまず除外。だから安直に杏の境遇に同情し政治や社会に義憤を募らせているような感想にいちいち偽善だ善人アピールだとイライラしたりもしない。
僕は主人公の杏を通してこの映画を思い出すと、実はけっこう幸せな話として楽しめたような気がする。不本意な生き方に決別する機会があり、自分を縛る家族から脱出し、自分がやりたい仕事に就いて、自分の住む場所を持ち、支えてくれたり理解してくれたり褒めてくれる人もいる。疑似ではあるけど自分の家族を持ち、愛というものも感じることができた。なによりこの杏という主人公は、最後まで“真人間”でいられた。
ただ、その最後だけが、確かに悲しい。『ミスト』という映画のラストのように、せめてもう少し、霧が晴れるまで思いとどまってくれていたならと切ない。でもその最後をもって、彼女の人生は悲惨で不幸だったか?というと、僕にはそう思えない。元ネタになった実在の人物がどんな人だったのかは知らないけれど、少なくともこの映画の主人公である杏は、“いい子”だった。だから刑事も記者も介護施設経営者もその入居老人も、たぶんあの子供も、そしてこの映画の観客も、杏の味方だった。だから霧が晴れるまで待つことができていたら、杏はどちらかといえば本当は“大丈夫な方の人”だったよなと、僕は思った。
じゃあこの映画の中、悲惨で不幸で、大丈夫じゃなかった方の人は誰だったかと考えると、その中心は、杏の母親の人だったんじゃないかなと思う。あの母親の“クズさ”も、作劇用にデフォルメされたものなのかもしれないけど、杏の“いい子さ”と比べてどちらがリアルかと聞かれれば、僕は“クズさ”の方にリアリティを感じる。じゃあ、もし、主人公の杏がこういうクズさを持った人物像だったら?もしこの映画の主人公が、このクズな母親だったら?僕は格差社会や貧困やコロナ禍を描いた作品として、痛みや悼みを感じることはできただろうか?
ただ杏が“いい子”だったから、可哀想だと感情が動いただけではないか?
意地悪く根性曲がっていた母親が、何らかの報いを受けることを望んでいなかったか?
僕らは近年の度重なる災禍の中、善き人であろうと気を遣い続けてきた。
自分が善き人であることを、悪しき人を憎むことで確認しようとしてきた。
この映画の中で、たぶん杏は善き人で、たぶん毒母は悪しき人である。
この映画を見て、杏に救済あれと、毒母に制裁あれと感じたのだとしたら、
結局は善き人という同胞を守り、悪しき人という異端者を排斥しているっていうだけの「人柄差別主義者」が格差社会や分断社会を憂えてるっていうことにならないか?
あの毒母をどうにか救いたいと思えるかどうか。
あの毒母を救えることができたなら、そもそも杏はあんなことにならなかったのではないか。
弱者救済に思いを馳せる時、その弱者が「善き人か悪しき人か」で選別することってアリなのかナシなのか。
そういう想像力が試された作品だったなと思う。
この作品の語り口に、入江悠の主張はあまり感じなかった。
「こういう話があるんだけど、あんたどう思う?」
そういう静かな問いかけが、問われた人の率直な思いを顕にさせる。
まぁ、いわゆる胸糞作品です
しんどい
実話という事で何となく気になって見た映画ですが衝撃的でした。
彼女の気持ちが痛いほど分かってとにかくしんどくて見終わった後に涙が止まりませんでした。
環境を理由にするなという方がたまにいらっしゃいますが恵まれてる方だなと、
沢山の方に見ていただきたい映画です。
不幸の連鎖
まず売春と薬物常習者である杏(河合優実)が描写される。底辺な生活環境と、母の春海(河井青葉)の毒親ぶりも併せて描かれる。
個人的に日本映画の壮絶人生描写には、はいはい悲惨ですね──という印象しかおぼえない。日本映画の、なんか衝撃を与えようとしてくるところが嫌だわ。
不幸な状況ほど淡々と描くべきだと思うが日本映画が100あると99は不幸盛り描写をしてくる。
この人物が不幸であることを否定するつもりはない。ただし不幸はたんたんと描かないと、凡百の日本映画に埋もれますよ。と言いたい。
が、本作はそれ以外のところは良かった。
刑事の多々羅(佐藤二朗)とジャーナリストの桐野(稲垣吾郎)と杏が、いっしょにラーメン屋やカラオケへ行って、束の間の楽しい時間を過ごすシーンがある。
そんな時の、杏の嬉しさの表しかたが、幼い頃から長期間に渡って、嬉しいことがあっても、それを毒親によって即座に粉砕されてきた人のそれだった。幸福な気分がすぐに粉砕されることが分かっている人は遠慮がちになって、はにかんでいるような嬉しがりかたをする。その儚さ(はかなさ)を表現した河合優実が巧くて切なくなった。
介護施設長の上間(盛隆二)が『あなたとお母さんは別々の人間だ、あなたが母親の問題を背負う必要はない、あなたはあなたが一番やりたいと思うことをやりなさい』と言ったのが、毒親の支配下で生きてきた杏の支えとなる。
人は「親がじぶんを大切に思ってくれているものだ」という錯覚をもっていると思う。もちろん、たいていの親が子を大切に思っているのは事実だが、じっさいのところ両者は他人どうしだ。血が繋がっていることで「絆」のようなものがあると思ってしまうことで子は苦しむ。
なぜなら親がわが子を好きになれない──なんてことはよくあることだから。それはわたしやあなたが誰かを好きだったり嫌いだったりするのと同じことだ。好きになれない親に従属した時、子は虐げられているのに逃げられない負の絆に囚われてしまう。それはとりわけ珍しい現象だとは思わない。
『この映画の原案は、2020年6月に朝日新聞で報じられた1人の女性の新聞記事である。記事によれば、その女性は幼少期からの虐待や薬物依存を乗り越え、夢であった介護福祉士になることができ、夜間中学で学ぶはずだったが、コロナ禍で前途を阻まれ、2020年春に自死したとあった。』
(ウィキペディア「あんのこと」より)
映画はまさに弱り目に祟り目という感じ、杏の人生に希望の光が見えたところで新型コロナウィルスがはじまる。
起と結にある基調イメージは杏が人気のない茫漠たる街を歩いているところで、それはちょうどパンデミックの初めの頃に「これは神がわたしに死ねと言っているのかもしれない」と悲嘆した気分を表していたと思う。だから映画のキャッチコピーの「彼女は、きっと、あなたのそばにいた」には共感した。
準主役の多々羅は悪い奴だが、話では両義性をもたせていた。
主宰する薬物更正施設の女たちを救済するふりをしながら食っていたわけだから二元論のヤフコメなら炎上まちがいなしの悪党だが佐藤二朗が演じているせいで多々羅のキャラクターにはなんとなくかわいげがあった。
ところで佐藤二朗はなんで演技賞とれないのかな。国内の映画賞なんて箔以外の価値はないが、コミカル路線だから賞対象にならないというのならそれが日本映画界の限界。佐藤二朗の監督業はひどいと思うが「さがす」もこれも演技には迫力と人間臭さがあった。(ただしつばを吐く癖は思いっきり不釣り合いだった。)
この映画はいやおうなしに新型コロナウィルス禍下のことを振り返らせた。
今、あれを振り返ると不思議な気分がこみあげてくる。
なくなった人もいるし、わたしも平穏な日常をうしなったから、決して大げさだったわけじゃない。だが振り返ってみるとあれはなんだったんだろうな、というアンチクライマックス(拍子抜けするような脱力)な気分しかない。
映画は救われない結末だが後味は悪くない。理知的な雰囲気の稲垣吾郎がそのバランスに貢献していたと思う。
つらかった
苦しいです
あんが救われる世界が来て欲しかった。
悲しいですね。
見てよかった作品でした。
佐藤二郎さん、いいやつかと思ったら悪いのかなんなのか、クズみたいな世界から抜け出せたらよかったのに、
母親役のクズ具合がすごくて感情移入しちゃいます。
赤ちゃん預けてどれくらいで戻ってきたんだあの女は。
けど赤ちゃんがいたからあんは支えられてましたね。
ありえないけど、それがあんが生きていける理由にもつながっていたんだなと思いました。
何もなくなってしまって自殺してしまう世界が来て悲しいです。
希望の光が来るのかと思ったら絶望の光だったのかな。
見てよかった作品でした。
あん役の方がとても素敵でした。
杏
正視できない
なにを目的に映画作品を観るべきか
今回Amazon Prime Videoで鑑賞しました。ビデオ・オン・デマンドかつ「見放題」の場合、映画館に足を運ぶのに比べ作品を視聴する敷居はぐっと低くなります。普段自分が映画館で鑑賞する作品の方向性や好みから少し外れて、冒険してみようという気持ちが芽生えるのです。
この作品はPrime Videoでの配信が始まったばかりということもあってトップにバナーが表示されていました。数行の概要欄によるとかなりダークなテーマで、かつ実話が下敷きになっているとのこと。私自身思い返せばごく平凡な人生を歩んできましたし、家庭も円満、これといった病気や不具合もありません。私のような人間が、このような現代のクライム・ストーリーを観る動機は、いわゆる怖いもの見たさにほかならない、自分とは全く異なる悲惨な人生や物語を覗き見てみたいという悪戯な欲求でしょう。そう思っていました。
東京の下町でしょうか、薄暗い早朝をゆっくりと歩く主人公(河合優実)のバックショット。ふと立ち止まり、眼球だけをギョロりと上に向けて視線の先を見つめます。映画が始まってものの1分ほどのシークエンスですが、この彼女のある意味病的な表情が彼女の闇を雄弁に物語っています。ここより作品本編となりますが時間は数年ほど巻き戻り、彼女のこれまでがスクリーンで語られていきます。お話として谷あり谷あり、また谷あり(笑)多少勇気づけられる場面もありはしますが、それはあくまで観客をなるべく深い谷底へ落とすための仕組みではないかと思うほど、総じて救われない悲惨な内容です。映画の後半には冒頭のシーンへと連れ戻され今の彼女の話が進んでいきます。主要な登場人物は多くありませんが、めいめいが明暗を抱えておりとても人間臭くかつ残酷です。そして誰一人救われず終幕します(子連れの親子は例外かも)
さて当方の冒頭の話に戻りますが、VODでは映画館での視聴と違い、いざとなれば視聴を停止することもできます。事実、私自身十数件の作品については食い散らかして放置しています。 この作品は暗くて救われないストーリーではありますが最後までガッツリ鑑賞致しました。それは観るものを引っ張り込む力がスクリーンにあり、監督の演出・俳優の演技が、最後まで見届けたら良いんじゃん?とでも言うかのようにひらりひらりと手招きをしていたから。正直、見終わっても何らの爽快感はありませんし、解決感もなくただただ「救われない人たちが、その通りに救われなかった」映画なのです。
自分にも答えはないのですが、悪戯心と申しましたのはあくまできっかけでありまして、その先にある目的とは違っているように思います。普段視聴しないようなタイプの映画を鑑賞することで自分の中に未萌芽の感受性を見つけて、自分の年輪を自身にしっかり刻めるようになる、そのための千本ノックの一本だったのかもしれません。
部下の名前が社長
河合優実の演技力、ヤバいねぇ
グロいとか怖いとかでもないのに、観ているのがつらくなる。
でも、目を背けちゃいけない映画。
とにかく香川杏役の河合優実の演技がすごい。
もう完全に杏になってる。
麻薬の常習犯だった頃の杏、徐々に更生し笑顔をみせる杏、コロナ禍で現実に打ちのめされて絶望する杏。
所作のひとつひとつや表情の作り方が自然すぎて、杏という人物が本当にいるんじゃないかとさえ思ってしまう。
河合優実の存在を初めて知ったけど、度肝を抜かれた。
本当にすごい女優さんだった。
「この映画は実際にあった事件に基づいている」。
映画の冒頭でこの言葉が出たけど、映画を観終わった後に改めて杏のことを考えてしまう。
杏のモデルとなった女性は、コロナ禍の当時何を思い、何を考えていたんだろう。
平和ボケした日本にもこんな悲惨な事件があって、自分の知らないところで過酷な現実と必死に向き合って生きている人がいる。
当然なんだけど、忘れちゃいけない。
改めて突き付けられた感じがした。
“彼女は、きっと、あなたのそばにいた”
今日、すれ違った人の中に杏がいたのかもしれない。
みんな、人に優しくなれたらいいな。
名もない人達の話も知ってこそ・・・
少し前まで、映画館でやってたのに、もうアマプラでみれるんやね
まあ、生き返ってから3週間入院してたんやから、世の中かわるわな
法整備が出来ていても、隙間で救えない人達はたくさんいる
どうしようもない環境の人達、生きるのが下手な人達
名もない人達の話を知って、生きていくことは大事です
特に若い人達にとって人生の指針となる事です
ドキュメントで見た事がある
制度で取りこぼされる人達
軽度の知的障害のある若者達が流されて風俗に落ちる事が多いんだそうですね
こういった事に光を当てて、改善のきっかけになればいい
まあ、どんなに制度が整備されても、起こることは起こります
今回の多々羅のように、人間は聖人君主じゃない
いい面もあれば悪い面もある
自分を振り返ればよくわかる
悪いこともしてきましたよ
あんは不運だっただけ
事実に基づく話だそうですが、実際、誰にも助けて貰えない事は多いだろう
だって、生きる事が下手なんだからね
人は孤独だ
映画の趣旨とは関係ないけど
生と死は紙一重だなって思う
彼女は死んでしまった
僕は4分間死んだけど、運良く生き返った
前と同じようにはいかないし、先は長くないかもしれない
でも、生きている
彼女が生きてたら、また何がしかの新しい人生が続いたろう
生き返った僕は、これからの人生、何かのために捧げるかっていうと、多分、あんまりかわらないだろうな
頭に血がいかなかったせいか、頭の真ん中に穴が空いたようで、深く考えられないんだけど、気が遠くなった時、あのまま死んでたら楽だったかなって、ちょっと考えたりもするんです
理想的なポックリさんですから
また映画観れるのは嬉しいけどね
あーつらい、悲しい
めちゃくちゃ引きずる鬱映画と聞いて、観てみた。
確かに引きずるけど、個人的には、前半シーンでただひたすらあんちゃんが母親にいじめられるシーンが1番しんどかった。おいおいこんな感じで2時間弱続くのかよと思って心が痛んだ。だからこそ、中盤、彼女の人生に希望が見出せて、少しずつ社会復帰して周りの人と打ち解けていくのが、(月並みな言葉になるが)嬉しかった。
いろいろ思うことはあるけど、タタラの逮捕、サルベージ閉鎖、失職、学校閉鎖?、ハヤトの児相行きなど、どれか一つでも彼女に残ってくれていたなら、彼女は死ななかったと思う。
一から築き上げたものが、少しずつ彼女の手からこぼれ落ちていくシーンが見ていられなかった。
だから彼女が母親の家で包丁を持ち出したとき、もうこれは母親を殺すか自殺をするか二択しかないというのは一目瞭然だったと思うが、どこまでも優しい彼女は、人を傷つけることはしないだろうというのもわかってしまった。
あと補足で、最後、ハヤトのお母さんがまるで聖母のような佇まいで、あんちゃんには感謝していますとかわけのわからんことを言ってたけど、お前が息子を預けなければ多分彼女はまだ生きてたぞと言ってやりたかった。どんだけ図々しい…。最後、彼女とハヤトの後ろ姿を見て、2人の未来もまた、輝かしいものではないだろうと思ってしまった。
私は個人的に、バッドエンドの映画はあまり好きではない。この映画は限りなくバッドエンドに近いと思うのだが、それでも役者さんたちの魅せ方、映画の構成、ストーリーなど、単純に観ていて飽きなかった。バッドエンドの映画に⭐︎4はなかなかつけないのだが、うーん、おもしろかったのでつけてしまうことにしよう。
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