あんのことのレビュー・感想・評価
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最近見たどのホラーより怖くて悲しい。
万人にはおすすめしません
想像していたとはいえこの結末には全く救いようがない。過去に虐待を受けたことのある人にこの映画はかなりきついと思うのでおすすめしない。映画としては主人公はもちろん刑事役の佐藤二朗をはじめとした脇をかためる役者さんの演技も素晴らしかった。また実際の事件に基づいてかなり忠実に描かれていることに驚かされた。自分はまた観たいと思った。
2020年のことを、もう忘れかけていたことに愕然とさせられた。と同...
マスクも要らなきゃワクチンも要らぬ私ゃも少し愛が欲しい
観覧注意バッドエンド
厳密にいうと愛じゃなくて希望だけど語呂が悪いし愛がなければ希望が湧かない
2024年映画館鑑55作品目
6月23日(日)フォーラム仙台
会員割引1500円
監督と脚本は『22年目の告白 私が殺人犯です』『ビジランテ』『AI崩壊』『聖地X』『映画ネメシス 黄金螺旋の謎』の入江悠
本編開始直前実話を元にしたというお知らせ
原案は2020年の6月1日の新聞記事らしい
子供はいずれ母に返さなければいけないがコロナ禍の影響で職場と学校を失ったのは大きかった
あとノーコメント多々羅の逮捕も痛かった
家族はあれだし
そんなわけで再生に向けて築き上げて来たものがガラガラと崩壊し飛び降り自殺してしまう杏
観客からも思わず「あっ」という声が
杏主演『かくしごと』に比べてあまりにもハードだし救いがない
ここまで来ると苦手な内容だが星5
だが鑑賞はおすすめできない
黒髪でショートになったせいか河合優実が実年齢または役の年齢より若く見えた
中学生に見えなくもなかった
『機動警察パトレイバー』の泉野明みたい
おそらく杏の母の春海もまた母の恵美子に幼少の頃から激しい体罰を受けてきたのだろう
だから娘を「ママ」と呼ぶのではないか
取調室でヨガりながらヨガを始める二朗さんが面白かった
背後の真面目な女性警察官のリアクションも含めて
たぶんあそこまでやるのはアドリブだろう
倉本聰が嫌うタイプの典型
でも自分は佐藤二朗という俳優が好きだ
配役
小学校もろくにいかず12歳から売春を始め16歳でシャブ中になった香川杏に河合優実
杏を気遣う刑事で薬物依存者の更生を目的としたセラピー「サルベージ赤羽」を運営する多々羅保に佐藤二朗
多々羅の友人でジャーナリストの桐野逹樹に稲垣吾郎
アパートの汚部屋で恵美子と杏と同居している杏の母で杏に暴力を繰り返しなぜか杏を「ママ」と呼ぶ水商売の香川春海に河井青葉
杏の祖母で体調不良の香川恵美子に広岡由里子
幼い息子を無理矢理杏に預けて逃亡したシェルターの女の三隅紗良に早見あかり
桐野の上司で多々羅刑事のスキャンダルの証拠を求める雑誌社の編集長に赤堀雅秋
多々羅の同僚で多々羅を心よく思っていない刑事の加藤に吉岡陸雄
セラピーの参加者で多々羅のスキャンダルを桐野に告発した真野雅に護あきな
セラピーのスタッフの坂元に中山求一郎
老健施設「若草園」の施設長で若い頃はヤンチャだったと自称する上間陽平に盛隆二
老健施設の「若草園」利用者で介護補助の杏を慕っている原幸太に小林勝也
日本語学校の先生の北山に竹内晶子
優れた作品、と言っていいと思うけど、少しだけ不満が残りました
どこが優れているかは他の人も色々書いているし、YouTube動画などにも上がっていて概ね賛成で私の言いたいことも言われているので、ここではどこに不満が残ったかを書きたいと思います。
まず、主人公の杏がいい子過ぎます。劣悪な環境で育てられて、あそこまで素直ないい子には育たないよな、と感じました。福祉施設で老人にわがままに振る舞われてもまるで反抗的な態度も見せないし、手を差し伸べてくれる大人の親切をすべて素直に受け入れているところに、やや非現実的なものを感じました。親切に接しても反発されてしまう、対応に苦慮してなかなか救いの手を差し伸べられないし差し伸べるのも嫌になってしまう、それが現実だと思います。そこを踏み込んで描いて欲しいなと感じました。
佐藤二郎演ずる多田羅が雅と関係したくだりで、多田羅に対する雅の態度を見ると、雅の方から誘ったのではないかと思えてしまいました。あるいは誘われたと思った多田羅がその気になって関係を持とうとしたら、雅の方が引いてしまったため、不満を感じて多田羅が強く迫ったのかと。もしそのような流れだったら、週刊誌が記事にしてしまったのが悪かったと、それがあれば最終盤の留置所での「もし記事にしなければ彼女はまだ生きていたのか」という台詞ももっと生きたと考えてしまいました。でもこれを描いたら、杏の話ではなく多々羅の話になってしまうので、やりづらかったのかも知れません。
以上書いた通り少々不満も残りましたが、全体的には非常にいい映画だったと思います。
予想はしてても
やはり厳しいテーマ そして途方に暮れる問題 勿論、実際に起こっている事件とはいえ、脚色はしてあるので、ドラマとしての要素は色濃く残る
観る前から、「絶対、こんな作品観てしまったら気分が落ち込むこと分かり切っているのに・・・」
なぜ、観てしまうのか。。。それは観なくてはいけない責任を自分は負っているからだ 苦行であり原罪
あの毒親を非難するのは簡単 でもその近くに自分が居たら?・・・
右だ左だ関係無く、学校教材に絶対すべき作品である
自分を救えるのは自分だけ
小学生の頃から売春させられて、薬を覚えて中毒になって、親には虐待されて…
正直自分が経験してきた生活と違いすぎてリアリティがなかった。
けれども、確かに存在した人物の話ということが、これが真実であることを感じさせてくれた。
コロナ禍じゃなければ、支援してくれた刑事が本当に真っ当な人間であったなら、あんは死なずに済んだのか嫌でも考えてしまう。
確かなのは人間は簡単に欲に屈してしまうということで、結局のところ自分を救えるのは自分しかない。
あんが子育てをしていたという部分はフィクションだが、心優しく必死に生きようとしていたなら最後まで死なないで欲しかったなと感じた。
空虚で、どちらにも転んでしまう存在感
「あんのこと」というタイトルのように、杏自身でなく、杏に関わる周りの人がとらえた「あん」がテーマの映画とも受け取れる。
後半、少し説明しすぎなほどに杏の転落の背景を語る刑事、大袈裟に杏に感謝する隣人。これらの人がどこかチグハグで体温高めに描かれる一方、通り一遍な対応しかしないのが公務員、薬局の店員。人の関わり次第で主人公の運命はどちらにも転んでしまうことを冷静に描いているように思った。
肝心な主人公の感情はどこにあるのかあまり読み取れず、不安に感じた。勧められるまま几帳面に日記を付けたり、表情豊かにラーメンを食べたり。どこか危うさを感じる成長ぶりが、後半に暗転する。(それにしても支援施設の管理人を認識しているのになぜ大事なとき連絡しないのか、とは思った。)
よくある薬物中毒の再発、実家の呪縛。どちらも原因だろうが、主人公の内面は解釈の余地が大きい。もしかすると、ちゃんと育ててもらえなかった杏にとって、不意に訪れた「子育て」が自分の存在意義を確認するチャンスだったのたろうか。その子との別離が悲劇につながったのかと思うと、胸が詰まる。空っぽの人にとって、充実した日々は喪失の前触れにもなりうる。
考えさせられた
あんと河合優実
河合優実さんの演技が並外れていた。あんの人生を生きていた。こんなに俳優さんの演技で感情移入したことはない。「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」の時にも彼女の演技力に呑み込まれてしまったけれど、今作でも河合さんの表現力にひたすら犯されていくしかなかった。
映画はいつも私に寄り添うものだと思う。ドラマはリアルタイム性があり、今放送しているドラマは常に“今”で、過去のものも懐かしさを帯びる。映画のように2、3時間では終わらず何週にも及ぶからその時の自分の時間の流れも交わる。ミュージカルや舞台は一度きりのもので、同じ公演は2度と見ることができない。しかし、映画は常にそのままで、物語を凍結したようなものだと思っている。演技をした俳優も、物語も、全てがそのまま在り続ける。だからこそ、私はこれからもあんと生きていく。
河合さんが見せてくれた、あんの見たものや大事にしたものと私も生きていく。
性悪説は多分正しい
救いのない「実話」。心が痛むと言うか、しんどいです。
ニンゲンは、性悪説が多分正しいんだろう、と思わされる
コロナ禍でおきた悲劇ではあるが、こんな話は日本中、いや世界中に数え切れないくらい転がっているのだろう
杏には戸籍はあったようだが、戸籍のない子供すらいる。
戸籍がなければ法的に存在しないニンゲンなので「日本人」として保証されている権利を最初から享受できない。当然、学校に行く機会がない。
まともに学校に行っておらず、親や家族のみの極端に狭い世界しか知らなくては、それを否定する発想がない。なので杏も母親に反撃できないし脱出しようとも考えていなかった。
杏が小学校に来なくなった段階で、児相や警察が介入できないものかと思うが、できない、もしくはしていないのは、現状からよく分かる。
杏の場合は、コロナ禍をはじめいくつも悪い条件が重なってしまったというのはあるが、
反社会的な人々が更生しようとして、一旦それがうまくいったとしても、長続きしないことが多いらしい。
本人が変える努力を怠らなくても周囲がそれを許さない場合が多いのだろうと思う。
多々羅が逮捕されなくても、いづれ杏は元の生活に戻ってしまったのではないか。
毒親は血眼でタカれる娘を探し出すだろうし、娘を脅して言いなりにさせるのはお手の物。そして杏はまた身動き取れなくなり、母の言いなりになるしかない。売春を強要され、またクスリに手を出す。
または、多々羅の毒牙にかかったかも。
シェルターは本人と無関係で本人を知る人が皆無で足がつかない遠いところに住ませてもらえるはず、と思うが、わざわざこんな近くにいさせるなんて下心のせいかもと後から思った。
結局のところ行き着く先は絶望的ではないか
彼女にもう少し知識があって、正しく助けを求められることがあれば若干は変わったかもしれないとも思う。
誰かがケーススタディーで想定できる危機とその対処法を教え込んでいたら、もしかしたら杏の悲劇は防げたかも。コロナ禍でなければ、多々羅と関係ない自助会に参加してアドバイスが受けられたかもしれない。
もしかしたら、コロナ禍でなければ、杏は救えたケースだったのだろうか
教育は大事だ、とつくづく思う。
身を守るための知識を得ようにも、最低限の教育がなければ何をどうして良いものかすらわからないと思う。
一方的に杏に託児していった早見あかりの母親が警察署で、息子は大事にされてたとか、あんちゃんありがとうとか微笑んじゃってフザけたことを抜かして責任感も罪悪感もないのに唖然としました。
リアルでこういう人いますけどね。
「誰も知らない」の母のような、杏の母と違うタイプの虐待親の臭いがします。
杏が「どう生きた」のか、鑑賞後もしっかりかみしめたい一作
過酷な家庭環境に育ち、自身も薬物依存などから抜け出せない杏(河合優実)が、周囲の人々の支えを受けて自らの人生を立て直そうとする姿を追う入江悠監督の視線は、優しくはあるけど現実に立ちはだかる問題から目を背けさせないという、ある種の厳しさを秘めています。
同時にまた、2020年以降に世界の多くの人々が経験した、新型コロナウィルスの感染拡大に伴う社会生活の大きな変化において、人の支えを切実に必要としている人々がどう生きたのか、本作は一つの素描ともなっています。
実際に起きた事件を丹念に取材した上で(時系列は異なるけど、中盤の大きな場面転換となる事件も事実に基づいているとのこと)作品化した入江監督の、安易なハッピーエンドには回収させない、という覚悟と責任がひしひしと伝わってきました。
一方で、入江監督が杏の内面を書き起こす描写は、非常に繊細で印象的です。たとえばある雑貨店を訪ねた杏がナップザックを最初どのように持ち、そしてはっと我に返ったかのように持ち替えた場面。台詞ではなく杏の微妙な挙動と表情だけで、これまで彼女は欲しいものがあったときにどうしてきたのか、そして彼女の内面で何が芽生えてきたのかを明瞭に示しています。この場面はぜひとも注目してほしいところ。
『市子』(2023)ともやや共通した要素を感じさせる本作。入江監督の代表作の一つとなることは間違いなさそうです。
言葉に出来ない絶望と悲しみ
前評判も良かったのでぜひ観たいと思っていたものの上映館が思いのほか少なくてタイミングが難しかったのだが、ここに来てようやく観れた。
予想はしていたが、あまりにも辛く悲しい物語だった。僕はオッサンなので杏と同じ世代ではないが、それでも同じ日本に産まれたわけだし、広い意味では同じ時代を生きてるとも言えるだろう。そんな僕には到底考えられないほど過酷で絶望的な人生がそこにあった。その事実はあまりに重過ぎて、僕の心に深く刺さった。
もちろん知識として社会にそのような世界があるのは当然知っているし、それをある程度リアルに想像する事も容易に出来る。でも、やはりそういう問題ではないのだ。「知ってる」というのは所詮「知ってるだけ」に過ぎないのだから。最近の世の中における風潮で強く思うのだが、「知ってる」というだけで「分かったつもり」になってはいけないのだ。自分が分かった気になっているだけで、本当は何も分かってないのだ。本当に何ひとつ分かってないのだ。杏がどんな気持ちで生きて、そしてどんな気持ちで飛び降りたのか。なぜあの若さで自ら命を絶たなければならなかったのか。僕らは本当に何も分かってないのだ。
「人の気持ちを分かったような気になるな」
そう言われてる気がした。
杏の、恥ずかしそうにはにかむ顔が脳裏に焼き付いて離れない。
杏の、お年寄りや子供に優しく接する笑顔が忘れられない。
本当は良い子だったんだよなあ。産まれた所が悪かっただけで。
クスリに溺れていたのを助けられ、少し人を信じ始める杏。
日記を購入し、慣れないペンで毎日「丸」を書き綴る杏。
人見知りなのに学校へ行き、学ぶことの楽しさを知る杏。
人の優しさに触れ、働く喜びや誰かの役に立つ幸せに気づく杏。
子どもを預かり、世話をする事で生きる価値を感じ始める杏。
些細な毎日、些細な幸せをコツコツ丁寧に積み重ねる杏。
そんな彼女が、なぜ死ななきゃいけなかったのか。
そんな彼女が、なぜ死ぬしかなかったのか。
もう本当に。本当に涙が溢れて止まらないのですよ。
まるで自分の子どもかと思うほど感情移入してしまった。
だからこのレビューを書くのもめっちゃ辛かった。
ところで多々羅という人間をどう捉えるか、非常に意見が分かれる所だと思う。彼は杏をどう見ていたのか?杏をどうするつもりだったのか?ここは最後まで明確にはならなかったわけだが、僕は彼なりの「善行だった」と思っている。とは言え彼がクソ野郎である事は間違いない。ここがポイントだ。
昔ハーヴェイ・カイテル主演の「バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト」という映画があったが、この作品は僕の人生の中でも3本の指に入るであろう傑作だ。(ただし分かる人にしか分からない世界観だと思う)
どんなクソ野郎でも、最初からそんな人生を望んでいたはずがない。誰も最初から悪い人間になりたいなどと思うわけがないからだ。誰だって幸せになりたいし、良い人間でありたいし、尊敬される人間でありたい。本来は誰だってそうなのだ。でも自分が決して良い人生を歩めるような種類の人間ではないという事を、意識するかしないかはともかくどこかのタイミングで悟るのだと思う。そうして人は転落していくのだ。でも転落しながらも少しだけ運命に抗ってみる。どんな形にせよ誰かを助ければ何とかなるのではないか。良い行いをすれば良い人間になれるのではないか、と夢を見るのだ。本当はもう手遅れでどうにもならないのに。そんな儚さを描いたのが「バッド・ルーテナント」という映画だ。その主人公(刑事)と多々羅という刑事は非常に被るものがある。いやそれどころか本当にハーヴェイ・カイテルがモチーフなのではないかと思うほどによく似ている。だからとても心揺さぶられるものがあるのだ。
自分の欲望に忠実なだけのクソ野郎でも、心のどこかには良い人間でありたいと願う気持ちがあり、それはそれで決して嘘ではないのだ。もちろん誰にも理解されない事ではあるのだけれども。そういう人間の愚かさも同時に描かれているのが個人的にはとても良かったと思う。
ちなみに杏が母親を刺そうとするシーン。
自分だったら間違いなく刺してるんじゃないかと思った。
でも杏は刺せなかった。最後まで優しい子だったのだ。
そして母親を殺す代わりに彼女は自分を殺した。
それがまた悲しくてたまらなかったなあ。
ずーっと「あんのこと」を考えてしまう。
そういう意味では入江監督の術中にまんまとハマったのかも知れない。
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