あんのことのレビュー・感想・評価
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河合優実ー(佐藤二朗+稲垣吾郎)=結局は残念
河合優実(香川杏)
確かによかった。この人だけを中心に「円」を描いていれば、良い映画になったのだろう。冒頭と最後、早朝の何もない町を歩く姿こそ、心象風景。この映画はこれで十分。
佐藤二朗(多々羅保)
おそらくは必要なかった。いつもと同じ、それ以上の演技を見せられてはたまらない。最初から、そうだろうなという結果が見えている。グルーミング刑事というのはあまりにも安易な設定。
稲垣吾郎(桐野達樹)
だから、こちらも最初から見えていた。だから、ストーリーには必要なかった。味付けにもならない。
むしろ、毒親の
河井青葉(香川春海)をもう少し食い込ませてみたり、
自分が生きながらえるために、育児を一旦手放す
早見あかり(三隅紗良)を丁寧に描いていれば、
「あんの<こと>」「あんという<こと>」「あんが生きていた<こと>」ということが、
強く描いだされてのだと思うのだが、どうだろうか。
あんが自分の日記、メモ、ノート、
これが「あんの<こと>」なのだが、
それの一部を握りしめ、死へと歩み出し、それへと至った河合優実の演技は見事であっただけに、
この後の、
杏がなくなった後の多々羅と桐野の無駄な映像とセリフは、ストーリーのそれまでを全て台無しにしてしまっており、甚だ残念だった。
#最近、どうも、佐藤二朗の使い道に難渋しているように見える。
稲垣吾郎と佐藤二朗の役は反対じゃないのかな・・。とも思えた。
想定内の落胆
前評判が良く、佐藤二朗氏がどのような善人振りを演じるのか期待を以て観続けたが、想定内の悪役振りだった。
毒親が諸悪の根源で、子どもがそこから抜けられないことで人生を棒に振る物語は多々あるし、その範囲内に落ち着いたのではないか。
介護施設の事務的ミスはがっかりだし、シェルターの保護機能をもっと活用してもらいたかったところである。
稲垣吾郎氏は、少し下手に歌い、佐藤二朗氏は、精一杯歌っていたようだった。
実話は重い
母親からDVを受け続け、売春まで強要され、薬物づけになり、小学校も途中で行かなくなり中学にはまったく行っていない、ほぼ漢字も書けない21歳の女性、それが杏だ。母親の管理下におかえれ身体を売って金を稼いで生きている。
そんな杏に手を差し伸べたのは刑事の多田羅と新聞記者の桐野である。、多田羅に勧められ薬物依存者の集まりに出て徐々に心が氷解していく。そしてリ・スタートをきる。二人の協力を得て住む場所も決まり、働き場を確保し、学校にも行きはじめ杏の人生はうまく回りだす。初めて自由を手にした杏の楽し気な歓びあふれた笑顔がなんとも素敵だ。今までの人生で味わったことのない充実感にあふれていた。
ところが杏の生活はあっけなく逆回転してしまう。多田羅が杏の前から消え、加えてコロナ禍の発生で職場から離れ、学校も閉鎖し社会との扉が閉じられていくのだ。そしてある事柄が起きてしまう。何事にも一生懸命、前向きに対処する杏が健気で本当に心の優しい子だと実感する。満ち足りていた生活にまたも母親の毒牙にかかる。
入江悠監督のオリジナル脚本・監督作品では、「不条理・理不尽に翻弄される」映画が非常にインパクトが強い。「シュシュシュの娘」「ビジランテ」二作品とも逃れられない不条理で理不尽な組織、家族がテーマになっている。「あんのこと」も確かに不条理で理不尽な家庭環境を扱った作品であり、今までの入江監督のテーマと同様である。しかしこの映画は実話である。フィクションとは比較にならない事実なのだ。
入江監督は、主演の河合優実には、翻弄されるままの姿と自分が生きていると実感する二面性、佐藤二朗には、善悪裏表の生き方、河井青葉には、超えてはならない境界を超える壮絶さを与え、入江悠監督が目指した実話の映画の強度、重みを表現しきった。これは事実だと映画として見る者に杏の生きてきた過程を見せつけるのである。見る者はただ圧倒されるしかない、この悲劇に。そして杏の嬉しそうな笑顔も忘れない。杏の無邪気な笑顔。素直に何事にも頑張る杏を見ているから、この事実に何も言えない。
あまりに理不尽で、不条理で、なかなか感情移入できなかった。 第三者...
河合優実の代表作!
どん底のいた杏(河合優実)が、刑事 多々羅(佐藤二朗)、ジャーナリスト桐野(稲垣吾郎)
との出会いを通して生きることに前向きになり、
着実に一歩一歩成長していきながら、生きがいを見つけていく
その前半は観ていて優しい気持ちになれました。
一方、冒頭に強烈な印象を残した毒親である母(河合青葉)が出てくる度に
杏の足をひっぱりまくるわけです。
ラスト近くに出てきて、一方的に子どもを杏に預けて去った三隅(早見あかり)も毒親☠️。
(このあたりの雰囲気は『MOTHER』や『遠いところ』にも通ずるものがあると感じました)
杏にトドメを刺したのも母で、預かった子どもを児童相談所を引き取られ、
さらには自分の生活のために売春をやってこいと言う、このあたりの普遍的な毒性はもはや
救いようがなく、あんを幼少期から洗脳していたがゆえに、あんもそこから逃れることは
できなかったのだろうと思います。
それにしても杏のことを時折「ママ」と呼ぶ母親には怒りしか感じられませんでした。
ただ、たらればにはなりますが、多々羅が逮捕されていなければ、杏はまだ救われたのだろうと思うんですね。
多々羅はある意味倫理観が欠如しているクズではありますが、
人を更生させようという気持ちはちゃんと持っている人物だと思うんですね。
いずれ杏にも手を出したのかもしれませんが、そこはちゃんと人を見極めて選んでいるように想像しました。
拠り所だった多々羅の不在は、杏を死へと至りしめた大きな要因だったに違いありません。
ラストは杏の死を知った多々羅と桐野、それからアホさ加減全開だった三隅(本当にアホだなと脱力しました)、
それぞれの場面で締めくくられるわけですが、
杏は三隅の子どもを救ったんですよね。そこには確かに杏が生きていた証があるわけです。
そこに救われた本作でした。
この世から毒親がいなくなり(子どもを育てられる覚悟がない人には、子どもをつくって欲しくないと切に願います)
不幸な子どもたちがいなくなることを、心より願っています。
とにかく本作は、河合優実が圧倒的に素晴らしいです。今のところ彼女の代表作だと思います。
※宮崎では一昨日7/5(金)から公開されていますが、本日、私の鑑賞回は満席でした!!
タイトルなし(ネタバレ)
赤羽あたりのラブホテルの一室で男性が急死。
薬物の過剰摂取が原因だった。
部屋にいた20歳の香川杏(河合優実)は、刑事の多々羅(佐藤二朗)から事情聴取を受ける。
多々羅は、事件の原因以上に、杏の薬物依存歴、家庭環境に関心を示した。
多々羅は、赤羽の保護施設で薬物依存症者の復帰支援に取り組んでいたからなのだが・・・
といったところからはじまる物語で、冒頭、事実に基づいた映画である旨の一文が表示される。
杏の家庭環境は凄まじく、足の悪い祖母、酒癖が悪くDVの母親(河井青葉)と公団アパートで暮らしているが、杏には人権などないかのように母親を扱う。
酔っては殴り、酔わずとも殴り、小学4年生で不登校、12歳で母親の紹介相手と売春、16歳で薬物摂取・・・
欧米の映画では割と描かれることもあるが、日本映画でここまで描くことは珍しいほどの凄まじさ。
杏を演じる河合優実、母親の河井青葉とも、その存在感は圧倒的だ。
だが・・・
どうも男性陣の描き方がなぁ。
刑事の多々羅は、登場したとたんにうさん臭さ。
というか佐藤二朗くささ。
保護施設の取材を通して多々羅と親しくなったジャーナリスト桐野役の稲垣吾郎もいつものゴロちゃん。
ま、今回の役では、適切なんだけれど。
で、多々羅と桐野の話はツマラナイ。
テレビドラマのような話。
こういう話が入るのは、男性目線なのかしらん。
DV女性などのための保護住居で暮らすことになった杏だが、ひょんなことから同じ住宅に避難していた女性から幼児を預かることになり、それが杏にいい影響を与える。
それまで、自分自身を含めて護るものなどなかった彼女が、護るものができたことで。
だが、これも奪われて、最悪の結末を迎えてしまう。
多々羅はそれを杏の自責の念、薬をやめていたのを再び始めてしまった、という。
これには違和感を感じました。
護るものを得て初めて自己の存在意義を見つけ出した杏が、その意義を失ったから・・・
母などの護る必要のないひとのために生きなければいけない状況に再びなってしまったことの絶望・・・
そう感じたのですが。
意欲作だが、いくつかの違和感は拭い去れず、といったところでした。
映画だから同情できる
救いがない。可哀想。こういう境遇の子がいるんだと勉強になった。自分は金持ちでもないが多少は貯金はあるし夫婦でそれぞれ実家もあるし親戚もいるので、例え両親が失業したり病気で働かなくなっても子供はあんのようにはならないだろう。二重位のセーフティネットはある。金持ちはそれが3重4重あり、貧困はゼロなんだなと。
佐藤二朗にしても実際はあんさんともそういう関係はあったかもしれないが、告発はされないほうが良かったのではと思う。世の中清い正しいだけでは上手くいかない、清濁混同もやむ無しかな。
ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟で困っているひとが自分の隣にいると疎ましい。けれど自分の身近でないと憐れみ同情すると。自分もそうだと思った。かわいみゆさんが演じるからこそ映画だからこそ、同情できる。近くにいたら、例えば子供の同級生だったらなるべく関わらせないようにするであろう。学校の先生で教え子にいても親、祖母に問題がある場合、担任ひとりじゃあどうしようもできない。佐藤二朗は自腹ヲキッテ御馳走したり悪い面もあるけれど良い面もある。
介護施設の上司は素晴しいかった。世の中ああいう人が多ければ救われるかな。
虐待被害者の希望を踏みにじる、問題含みの映画
本作は、21歳の杏の壮絶な人生を描くという意図を掲げながら、結果的に虐待被害者の経験を不適切に扱う問題作となっている。
虐待という重いテーマを安易に取り上げ、それを単なる悲惨さの展示品のように描く姿勢には、虐待経験者への配慮の欠如を強く感じる。
物語は一時、刑事の多々羅(佐藤二郎)が運営する「サルベージ赤羽」を通じて、主人公・杏に希望の光を見せる。しかし、この希望すら最終的には虚しいものとなる。
多々羅の逮捕、コロナ禍による学校生活の中断、継続する母親からの暴行など、主人公を取り巻く状況が急激に悪化し、最終的には彼女を自殺に追い込む展開は、ショック効果を狙った安直な手法であり、実際の虐待被害者の心情を踏みにじりかねない危険性をはらんでいる。
監督が実話をベースにしたという点も、虐待という深刻な問題を安易に映像化することの倫理的問題を浮き彫りにしている。
社会問題を提起するという建前は理解できるが、その手法は拙速で、虐待経験者への配慮を欠いている。
「あんのこと」は、現代社会の闇を描くという名目で作られているが、結果的に虐待被害者の痛みを軽視し、観客、特に同様の経験をした人々の気分を害する可能性が高い作品となっていると感じた。
主人公が積み上げてきた希望を一つ一つ崩していく展開は、虐待被害者の回復の難しさを示そうとしているのかもしれないが、その描写は過度に残酷で、エンターテイメントとして失敗作だ。
評価: ★☆☆☆☆ (5段階中1)
このような虐待被害の映画化は果たして適切だったのだろうか。
虐待被害者の痛みと回復の過程をより慎重に、そして希望を持って描くべきではなかったか。この作品は、虐待という深刻な問題を扱う際の倫理的責任と、芸術表現の自由のバランスについて、重要な問いを投げかけているではないのだろうか?
つい「遠いところ」と
とても厳しい映画だが観て良かった
実話をベースに敷いたハードなドラマで、一体どこまで事実に即しているのだろう…と観終わった後に気になって少し調べてみた。人物設定や物語にアレンジはあるが、基本的には杏が辿った人生はほぼ事実に即しているということである。
きっとこの映画を観なければ、現代の日本でこのような事件があったという事を知らずにいただろう。それを知ることが出来たという意味でも今作を観て良かったと思う。と同時に、杏のように過酷な状況に置かれた少年少女が他にもたくさんいるのではないか…などと考えさせられてしまった。
物語は大きく前半と後半で切り分けることが出来ると思う。
前半は杏が刑事の多々羅、新聞記者の桐野と交流しながら更生していく…というドラマで、凄惨な過去から抜け出して徐々に人並みの暮らしを送れるようになっていく姿が清々しく観れた。
しかし、物語は中盤で多々羅の”ある秘密”が判明することで徐々に暗雲が立ち込めていくようになる。後半は一転、杏一人を中心としたドラマになり、彼女が再び破滅の道を転落していくようになる。
観終わった後には、実話ベースの重みもあり何とも言えない気持ちにさせられた。
劇中では新型コロナウィルスが社会に与えた影響も大きく取り上げられている。誰もが経験したであろう、このパンデミックはそれまでの日常生活を一変させてしまった。杏が勤める介護施設や夜間学校も閉鎖され、彼女の夢や希望は失われてしまう。こうした社会背景を如実に反映させた所に本作のリアリズムがあるように思う。自分は決して他人事のように観れなかった。
また、桐野が書いた記事が杏の運命を狂わせてしまうが、ここにはメディアの功罪という問題が隠されているような気がする。彼は正義のために取材したことは間違いない。しかし、その影で杏のように嘆き悲しむ人もいるということを忘れてはならない。
更に、杏の境遇には毒親の問題、後半のドラマのキーとなる隣人のシングルマザーにはネグレクトの問題が確認できる。
このように様々な社会問題を提示して見せた所も、今作の注目すべきポイントのように思う。
監督、脚本は入江悠。「SR サイタマノラッパー」で注目され、今ではメジャー作品も手掛ける作家だが、基本的には今作のようなインディシーンに軸足を置いている人だと思う。
…と言いながら、自分は「SR サイタマノラッパー」の1作目と3作目しか観たことがないので大層なことは言えないのだが、それでも手持ちカメラによるドキュメンタリックなスタイルはメジャー映画とは一線を画したシビアさを観る者に突きつけてくる。クローズアップの多さも特筆すべきで、画面にヒリつくような熱度と臨場感をもたらし、終始目が離せなかった。
アバンタイトルのシーンを含め、時制を交錯させたトリッキーな構成も特徴的と言える。ただ、隣のシングルマザーが児童相談所を訪れるシーンの挿入は唐突に思えてならなかった。結果的にこれはラストシーンに繋がるわけだが、ドラマへの集中力を欠く不要なカットバックだったように思う。
終盤、日記の紙切れが舞う演出も少しメロウすぎて自分には受け付け難い。リアリズムを重視した本作では浮いて見えてしまった。
キャスト陣では、何と言っても杏を演じた河合優実の熱演。これに尽きると思う。序盤はほとんどセリフらしいセリフがなく荒んだ表情だけで見事に強烈なキャラクター象を創り上げている。後半からは憑き物が落ちたような清廉さを見せ、これも印象的だった。
一方、多々羅を演じた佐藤二朗は独特のユーモアで妙演していると思うが、やや臭い芝居が鼻についた。リアリズム重視の本作には余り向いてないという気がしてしまった。
あんの汚え厚底と身勝手な母親のキレイな厚底がね。。 不運で可愛そう...
多々羅さんって案外いるような・・・
自分の得にもならないのに熱心に親身になって、ボランティアのような活動をする人。
とても素晴らしいと思うし、そのようになりたいとも思うが、自分はなれないとも思う。
火のない所に煙は立たない。並外れたモチベーションの裏には必ず理由があって、やる気の源泉が何なのかが重要なんだと思う。
理由がよくわからないけど、とにかく熱心で真面目で良い人。
自分はこういう人を疑ってしまう。よくわからないから。自分の性格が悪いのは確かだけど。
河合優実さんは上手いですね。ドラマ「不適切にも程がある」で、本人がまだ生まれていなかった80年台のヤンキーみたいなギャルを、いかにもいそうな感じで演じているのを見て、すごいと思った。
今作でもラスト付近のトラウマから発狂するシーンで、ゾクッとくるリアルさでした。
河合優実の凄さを感じる映画
クソ毒母親のせいで、万引きに始まり売春からクスリにまで手を染めてしまっている少女。
クソ人間が次から次へと
①麻薬更生を装い
実は性欲の塊クソ警察。
②スキャンダルネタが
欲しくて麻薬更生赤羽施設に入り込む
マスゴミ。
③毒親の極みクソ母親
④育児放棄のクソ母親
⑤同僚をマスゴミにリーククソ警察
からのクソ
コロナ
世も末の現実を生きる少女を演じる
可愛優実。
かといって
重くなりすぎず軽くなりすぎず
観客に余白を与えてくれている。
クドカンのドラマで感じたが
やっぱ天才やね。
最後のシーンで
母親と子供が歩いていく
未来への希望。
スマホ中毒社会の中で、子供を大切に愛情を
持って育てんとあかん。
親だけでなく、いろんな人が地域で愛情をそそがないといけねぇ。
自分もご多分に漏れずクソ人間だが、
クソ人間がたくさん出てくる
悲しい映画でした。
久々に打ちのめされた…。
静かな、静かな、映画だった。
まるで、洞窟の天井からしずくが一滴一滴落ちてきて、小さな盃からこぼれ落ちる寸前、表面張力がいつまでも保つか、そんな感じ。
気が付けば、あんという少女を祈るような気持ちで見守っていた。
彼女は、小学校もきちんと通っていない。
父親は不在で、母親から必要な愛情も養育も受けられないばかりか、搾取の対象にされている。
観察している限り、彼女より母親の方がよほど重症だ。
そして、彼女は、困ったときどうしたらいいか、それが根本的に分からない。
教えてもらっていないし、学ぶ機会も与えられていないから当然かもしれないが。
もう少しで、彼女の努力が実るかもしれないというところで、母親の言うことを信じて、気を許してしまう。
まるで、白雪姫のようだ。
けれど、王子様は現れず、白雪姫は眠り続けるエンディングに、暗澹たる気持ちになった。
…映画を観て、吐き気を覚えたのは、初めてかもしれない。
この後、「関心領域」を観るつもりだったけど、「あまろっく」に変更した。
明るい気持ちで帰途につけたので、正しい判断だった。
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