劇場公開日 2024年6月7日

あんのこと : インタビュー

2024年6月7日更新

河合優実が語る、佐藤二朗稲垣吾郎だったからこそ生まれた感情 プランをゼロにして、その場を“生きる”芝居

河合優実が、撮影前に佐藤二朗の手を握った理由とは?
河合優実が、撮影前に佐藤二朗の手を握った理由とは?

これが、2020年の日本で現実に起きたことなのか……。そんな衝撃を受ける一方で、映画が進むにつれて気づかされる。ここに登場する人物たちが抱く希望や絶望、喜びや怒り、哀しみ、葛藤や苦悩は、置かれた立場や境遇は違えども、“あのとき”、確かに私たちが感じていたものだと。

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先行きの見えないコロナ禍の中で実際に起きたある事件をベースに、過酷な運命に翻弄される少女の姿を描く映画「あんのこと」が公開を迎えた。彼女が直面する現実、そしてその結末は私たちに何を問いかけるのか? 河合優実佐藤二朗稲垣吾郎が思いを語った。(取材・文/黒豆直樹、撮影/間庭裕基

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――ろくに学校にも通えず、母親に売春を強要され、薬物中毒に陥っている少女・杏。この役を引き受けるにあたって、迷いや逡巡はありませんでしたか? 「やってみよう」と思えた決め手を教えてください。

河合:実は、私がこの作品について知らされた時は、既に引き受けることが決まった状態だったんです。最初は入江(悠/監督)さんの作品ということしか決まっていなくて、そこから少しずつ企画が固まっていき、脚本ができて、改稿を重ねていったという感じで、徐々に自分の中でどんな作品かという解像度が上がっていきました。

なので、最初に脚本を読ませていただいた時点で「やるかやらないか」という選択肢は既になかったんですが、「この役を自分が請け負う」という気持ちは最初の段階で固まっていました。最初に読んだ時、自分のところにこの話が来たからには「大丈夫ですよ」と役に対して言いたいような気持ちがありました。ものすごく大変な役であり、ものすごく大切に触れなくてはいけない題材なんだということがわかっていたからこそ、その裏返しとして「大丈夫だ」と自分に言い聞かせていた部分もあったのだと思います。

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――佐藤さんが演じた多々羅は、そんな杏を更生の道へと導いていくベテラン刑事ですが、情に厚く愛嬌を感じさせる部分と闇を併せ持った人間の複雑さを体現したような存在です。

佐藤:刑事であり、薬物更生の自助グループを主宰しているんですが、非常に“グレーゾーン”にある男なんですね。ただ、それでも彼の杏を救いたいという気持ちは本物だったと思うんです。

それは一見、矛盾するように思えるけど、同じ人間にそういう部分が同居しているというのはすごく人間らしく、生々しいことだと思いましたし、そんな男を「演じてみたい」と思いました。役者として「そそられる」役でしたね。

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――稲垣さんが演じた桐野は、多々羅の活動を追いかけるジャーナリストです。

稲垣:僕が演じた桐野の目線でこの物語に入っていく方も多いと思いますし、だからこそ物語の展開にショックを受ける方も多いと思います。僕自身、桐野としてなるべくフラットに物語に入っていくという部分は意識したところでもありました。

映画の中で、コロナ禍のさなかに緊急事態宣言が発令されるというのを見て、2020年のことですが、それが少し前のことのように感じられたんですよね。それを“不謹慎”とは言わないですが、人間はそうやってつらいことを無意識に忘れようとする部分があるというか、忘れようとしているわけではないけど、忘れかけている自分がいるんだというのを感じました。

一方でこの映画の物語も実話をベースにしているわけで、最初に脚本を読んだときは、かなり重いテーマではあるけど、目をつぶってはいけない、ここにあったことをきちんと心に刻んで生きていかないといけないとも思いました。

少し引いた見方になりますが、俳優の仕事というのは、他にいくらでも代わりはいるわけで、この役をできる人は僕以外にもたくさんいるんですよね。そんな中で、この役を自分に与えていただけたことはすごくありがたかったし、正直「なんで俺をキャスティングしてくれたのかな?」とも考えました。そういうこと、思いません(笑)?

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佐藤:思う! 思う! 「よくこの役を俺に持ってきたなぁ」って(笑)。ただ、パブリックイメージにない役をもらえるって役者として嬉しいよね。「僕のそういう部分を見たいんだ?」という喜びがあるよね。

稲垣:そうなんです。キャスティングしてくださった方の意図や気持ちがすごく伝わってきたし、入江監督ともそういうお話をさせていただきました。

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――本作のマスコミ向けのパンフレットのストーリー紹介の部分には、杏について「希望はおろか絶望すら知らず」とあります。そんな彼女が多々羅や桐野との出会いとともに変化していくさま、その後の現実の厳しさに打ちひしがれる様子など、それぞれで別人のように違う表情を見せるのが印象的でした。

河合:本当にいまおっしゃっていただいたようなことを自分なりに考えながら、演じてみたという感じなのですが、特に最初の部分に関しては、他の世界を知らないから薬を中心に日常が回っているというだけで、それが物心ついたころから当たり前で、たまに(母親に殴られる)痛い時間がある――そういう毎日を過ごしている人に見えるようにしようと考えていました。

それができたら、その後の多々羅や桐野に会ってからの変化や成長というのは、撮影をしながらできるんじゃないかと思っていたので、その前の最初の段階をどうするかというのはすごく時間をかけて大事につくっていきました。

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佐藤:最初、彼女は絶望さえしていなかったというのは、本当にその通りで、すごく印象的ですよね。桐野や多々羅と会って、“希望”を知ってしまったからこそ、(その後に直面する様々な現実に対し)絶望があるわけなんだよね。逆に言うと、あのふたりに会ってなかったら絶望さえ知らなかったんだよね、それが普通だったから。

多々羅が杏の生活保護の申請に付き合って、(冷淡な職員の反応に対して)怒るシーンについて、入江監督が「全てをあきらめていた人が、ちょっとだけ希望を見つける」という意味のことを言っていて、多々羅のあの時の熱量は、人生をあきらめていた彼女の目に見える景色に色をつけさせるくらいのパワーが必要だったということなんですよね。

河合:「あきらめない人がいるんだ」ということを、彼女は初めて見たのかもしれないなと思いました。

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――いまもお話に出たように、杏の成長や変化を語る上で、多々羅の存在を欠かすことはできませんが、人間の複雑怪奇さを凝縮したような彼の存在について、どのようなことを感じましたか?

佐藤:先ほども言いましたが、僕はそれこそが人間だと思いますね。例えば“神経質”とカテゴライズされた人がいたとしても、あるところではものすごく無頓着だったりするかもしれないし、人間って本当に複雑で面倒な存在だと思います。

稲垣:誰にでもそういう要素はあるし、誰もがなりうるよねって思いました。

佐藤:だから面白いと言えるしね。

河合:外から見た時、多々羅の行いは決して許されるものではないと思いますが、だからこそ、本を読みながらすごく難しいなと感じました。

ただ、実際にこの役を演じてみて、多々羅が杏を「助けたい」と思った気持ちであったり、杏が多々羅に助けられたということは絶対に本当だと思うし、それは撮影しながらも感じていました。それを裁くのではなく、あの時間――多々羅の存在が杏にとって“光”だったということを映せるのは、映画にしかできないことで、ニュースや裁判では伝わらないことだと思うし、多々羅という存在、この事件を映画で描いた意味がそこにあるんじゃないかと思います。

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――改めて佐藤さん、稲垣さんから見て、本作における河合さんの演技に関して、すごさを感じたところなどを教えてください。

佐藤:役の捉え方に嘘がないというか、本当のことをこぼさない部分というのはすごいなと思いましたね。特にこういう過酷な役ですからね。きちんと役を捉えて、嘘なく、自分の技量に逃げることなく演じる――ただひたすらにその人を“生きる”ということはすごくしんどいことだと思います。

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――ご一緒されて特に印象的だったシーンはありましたか?

佐藤:予告編にも出てきますが、(再び薬物に手を出してしまった)杏が泣き叫んで、多々羅が「大丈夫」と抱きしめる高架下でのシーンがあるんですが、あのシーンの撮影の前に、彼女が急に俺の手を握ってきたんですよ、両手で。そのとき、自分が何を言ったのか俺は覚えていないんですが、手を握られたことだけは覚えていて、一緒に受けた取材で優実ちゃんは「手を握って、二朗さんの体温を感じたほうがこのシーンはうまくいくと思ったから、『変な人だと思われるかもしれない……』と思って勇気が必要だったけどやってみた」と言っていたんですね。

これは全然、良い人ぶるわけじゃなく、偉ぶるわけでもなく、河合優実があの時、なぜ俺の手を握ったのかが自分にはすごくよくわかったし、後輩の俳優にそうされたからには「絶対にこのシーンは良いものにしなくちゃいけない」と思いましたね。

河合:今回、本当に二朗さんが多々羅だったからこそ出せた感情、稲垣さんが演じる桐野だったから出た表情というのが全てのシーンであったと思います。そういうものをできるだけ素直に感じて、出せるようにと手を握ってみたり、いろんなことをしましたが、もちろん、そんなことしないほうが楽なんですよ。

佐藤:勇気も要るしね。

河合:そうなんですよ(笑)。いま思い返すとよく言えたなって……。

佐藤:俺もびっくりしたよ。

河合:二朗さんに負担をかけることにもなるし……。

佐藤:いやいや、負担ではないよ。実際、あのシーンの2日後くらいに優実ちゃんに直接「感謝している」と言いました。

稲垣:そのシーン、現場で見たかったです。

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――河合さんはその場で思いついて、そうした行動を取ったんですか?

河合:その場ですね。私としては“許可”を取ったという感じでした。「握っていいですか?」と。そうしたら「おぉ。大丈夫か?」と声をかけてくださって、二朗さんがすぐに私の気持ちを理解してくださったのもわかったし、そもそも、こういう根拠のないやり方を受け入れてくれなさそうな相手だったら、最初から求めていなかったと思います。

稲垣:円陣を組むような感覚ですよね。舞台やステージでもよくやります。“触れ合う”って言葉以上に感じるものがあるんだろうね。

佐藤:そうすることで実際に芝居が変わったりもするからね。

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稲垣:そうなんだよね。本当に不思議だよね。いま「桐野の前だからこういう顔になった」と言ってくれたけど、まさに現場でそれを感じていました。俳優さんって、みんな準備をしてくるし、プランや計算もあると思うけど、でもそういうことじゃなく、優実ちゃんには、その人としてその場にいて、そこで起きていることにただ反応しているだけなんじゃないか?と思わせるすごさがあって、「〇〇をしよう」という意図が見えてこないから、杏ちゃんにしか見えないんですよね。撮影の合間のちょっとした時間に話していても「もしかしたら、杏ちゃんが河合優実を演じているんじゃないか?」と思わせるようなところがありました。

佐藤:いま、吾郎ちゃんが言ってくれたことって、俳優としてはすごく大事なことで、僕ら俳優にはセリフがあるので、それを覚えるわけです。そうすると、自ずと言い方が決まってきたり、「ここでこれくらい間を置いて……」というプランと呼ばれるものができてきたりするものなんですが、こういう作品の場合、現場でそういうプランをいったん置いてゼロにして、相手役から感じるものに反応して、その場を“生きる”ってことがすごく大事なことなんだよね。もちろん、それは作品にもよるんですけど。

稲垣:それは二朗さんからもすごく感じますよ。二朗さんは事前にすごくいろんなことを考えてきてくださって、それはリハーサルをやるとすごくわかるんですが、でもちゃんと現場で起きることに合わせて修正してくださる。そういう器があるし、そこに僕も優実ちゃんもすごく助けられました。

河合:本当にそうでした。

佐藤:そうやって、準備をした上で、現場でいったんゼロにするというのは意識してたね。

稲垣:そのほうが楽しいですよね。

佐藤:そうなのよ。決められたことじゃなく「その場を生きる」ことのほうが楽しいから。

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