「最後まで見続けることは辛かったが。」Winter boy 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
最後まで見続けることは辛かったが。
リセ(高校)の寄宿舎に入っている17歳の主人公のリュカ、演じている俳優(ポール・キルシュ)とも、映画の終盤まで、ほとんど共感を感じることはできなかった。しかし、兄カンタンを演じたラコストの安定した演技、それ以上に母イザベルのジュリエット・ビノシュ、監督であるクリストフ・オノレが演じた父クロードが光った。ポール・キルシュは、私にはせいぜい14歳くらいにしか見えなかった。肉体はともかく、心が幼かったことは、残念。
この映画は、コロナ禍の現在と、監督が父を喪った80年代を結んだ物語であることは劇中で示されており、そこにこの映画のrealityがあった。リュカは出席できなかった父の葬儀の後、兄カンタンに誘われるままパリの兄のアパート兼仕事場に転がりこむ。その時、スマホで母イザベルがリュカに言う。ルーブル美術館の近くにあるジュ・ド・ポーム美術館に行って、印象派、特に、モネの「睡蓮」を見たら。(でも、ジュ・ド・ポームにあった印象派の絵は、全て86年オルセー美術館に移されている。しかも、モネの「睡蓮」の壁画は、昔も今も、ジュ・ド・ポームの向かいのオランジェリー美術館にある。)もちろんのこと、兄は、リュカを正確にオランジェリーに案内する。そうだ、この映画では、監督が80年代に経験したことを、現代に移し替えて描いているのだ。
最初のポイントは、冒頭に出てくる交通事故。これはドライバーであった父には全く責任はない。しかし、車のなかで、歯科技工士をしているクロードがリュカに言ったことは、もっとリセで勉学に打ち込んだらと言う、親から一番聞きたくない言葉だった。父は、若い頃、勉強に専念できなかったことを明らかに後悔していた。(当時、40歳代であったと思われる監督の父にとって、60年代の終わりから70年代初頭は、ステューデント・パワーの時代だった。真面目な人であればあるほど、政治・社会のことの方が、学校での勉学よりも、大事に思えたに違い。しかし、そのまま時間を過ごしてしまえば、日本以上の学歴、試験中心社会のフランスでは、良い職に就けなかったことは容易に想像がつく。)映画の中での父の死の時、誰よりも可愛がられていたリュカを、兄のカンタンが車で迎えに来たことから考えても、単なる事故ではなかったと思わざるをえない。
パリからアルプスの麓に戻ってからのリュカの迷走ぶりは見ているのも辛かったが、恵まれた療養所に入所することができ、心身の健康を取り戻してゆく。特に、パリのアパートにいた時に、同居人のリリオ(エルバン・ケポア・ファレの好演)に連れられて、早朝のジョギングに出たが、その時は、リリオについてゆくのがやっとだった。それが、療養所で体を鍛えるようになってから、訪ねてきてくれたリリオと走ってみると、逆転していた。
父クロードは、一番心配していたリュカのことを、身を以て導いてくれたのだ。それが判って、受け入れることができた母イザベルにも笑顔が戻り(下手なバスケットはご愛嬌)、何よりもリュカが初めて年齢相応に輝いて見えた。それが脚本も書いた監督クリストフ・オノレによる演出の賜物ならば、賞賛せざるをえない。