黄色い繭の殻の中

黄色い繭の殻の中

解説

2023年・第24回東京フィルメックス・コンペティション部門出品。最優秀作品賞受賞。

2023年製作/178分/ベトナム・シンガポール・フランス・スペイン合作
原題または英題:Ben Trong Vo Ken Vang

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映画レビュー

4.5信仰をめぐる冒険

2024年6月29日
iPhoneアプリから投稿

侯孝賢『憂鬱な楽園』、ツァイ・ミンリャン『青春神話』、アピチャッポン・ウィーラーセタクン『ブンミおじさんの森』、ビー・ガン『凱里ブルース』等に連なるアジアン・スローシネマの傑作だった。

やはり東アジアの高温多湿と長回しの相性は抜群だ。持続する時空の中で少しずつ湿度が堆積していく。無上の没入体験だ。

物語の筋はきわめて単純だ。ある男がバイク事故で死んだ兄嫁の遺児(甥っ子)を故郷に送り返す。むろんそこには事務的手続きの枠をゆうに超越した神話的空間が立ち現れている。

本作には信仰の問題をめぐる洞察が含まれている。サッカー場から酒場までをゆっくりと舐めるファーストショットには、信仰なき都市生活といった雰囲気が漂う。そこへ唐突な衝突音とともにもたらされる兄嫁の交通事故はいささか神罰めいている。

次いで怪しげなメンズエステのシーンでは、主人公が射精へと至る直前で緊急電話がかかってくる。邪淫は巧妙に回避され、主人公は遺児となった甥っ子を山奥の故郷へ送り返す責務を負わされる。

故郷の村は都市とは全く異なる論理で駆動している。幽玄な霧、未舗装の道路、雄鶏の鳴き声。主人公はそこへ身を横たえることで少しずつ村のリズムを取り戻していく。

さらに、無賃で村内の冠婚葬祭を手伝う老爺や、修道女になった元恋人とのやりとりを通じて、彼は信仰の問題について思索を巡らせ始める。

キリスト像が置かれた実家の寝室で主人公と甥っ子が眠りにつくシーンは非常に示唆的だ。明かりの落ちた部屋の中で「信仰って何?」と甥っ子が尋ねる。「俺にもわからない」と主人公が答える。暗闇の中には、蓄光の秒針がうっすらと浮かび上がっている。信仰とは何か?まだわからない。しかし、確かにそれは「ある」。

後半、主人公は失踪した自身の兄を探す旅に出る。生前、非常に信心深かったという兄嫁。そんな彼女が愛した男。つまりこの「兄探し」はそのまま「信仰探し」だと換言できる。

途中、主人公が明らかに異界へと足を踏み入れる描写がある。それはバイクでひたすら閑散とした国道を走り続けるシーンだ。バイクは数分ほど走り続け、そして最後は白い光に包まれる。

ここでいう異界とは、言うなればあの世とこの世の境だ。そこでは不可思議なことが次々と起きる。

バイクの修理店に入ると一度だけ死後の世界に踏み入れたという老婆と出くわす。店員は「いつものことよ」と軽くいなすが、主人公は老婆の言葉に宿る重みに強く惹き込まれる。あるいは夜中に宿で目を覚まし、土砂降りの夜道をとぼとぼと歩いていると、光る蝶の大群を目撃する。

主人公は遂に兄の居場所を突き止める。彼は今、小さな村で養蚕業を営んでいるらしい。兄の現在の嫁だという女と、その赤ん坊に出会った主人公は、バイクで兄の作業場に向かう。

しかし気がつくと兄の現在の嫁もその赤ん坊も忽然と消えており、主人公は自分のバイクの上で眠りこけていた。見知らぬ農夫が彼を叩き起こし「ここは俺の畑だぞ」と声をかける。

途方に暮れた主人公は畑の下に広がる川に身を横たえ、その流れの音に耳を傾ける。そこで映画は終幕する。

兄=信仰を直接目で捉えることは叶わなかった主人公だが、そこに確かに存在の残り香を感覚する。

川の音を聞く主人公の姿はどこか悠然としている。都会にいた頃の小狡さといったものはとうに剥落している。少なくとも、信仰に臨むための態勢は彼の中できっちりと整ったようだ。

テオ・アンゲロプロス並みに長回しが特徴的な作品であり、上映後の解説によれば180分の上映時間にもかかわらずカットは合計で60回程度しかないという。

特に、主人公が甥っ子をバイクに乗せて老爺の家に向かうシーンはどう撮っているのかわからないほど技巧的に洗練されている。ヒッチコックの『ロープ』からサム・メンデス『1917 命をかけた伝令』まで、映画の中の長回し史はそのまま映像技術の発展史と重なり合ってきた。そんな中、歴史を更新する一作がベトナムという新興エリアから飛び出てきたことは驚異でありまた僥倖でもある。

また本作は音の映画であるともいえる。本作冒頭の都会のシークエンスでは常に画面外から不快な音が鳴り続ける。衝突音、サイレン、電話、クラクション。しかし故郷の村ではそうしたノイズが遠のく。ゆえに秒針や雨やせせらぎといった微かな音が前景化する。主人公を取り巻く世界の様相が変わったことが、音を通じて巧みに表現されている。

さらにいえば、同時上映の短編作品『常に備えよ』が好例だが、ファム・ティエン・アンは音によって視覚をコントロールするのが上手い。数多のオブジェクトが行き交うロングショットの中で、彼はある一箇所の音だけを抽出する。我々はくぐもったポップミュージックという聴覚情報から、画面右手でイヤホンをしながら鍋をつつく男に注目すべきだということを了解する。

ゆったりとした作風にもかかわらず終始緊張感があるのは、本作が映像のみならず音響に関しても非常に厳密な作品だからだろう。

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