「作品そのものが“ご当地怪獣映画”として成立している面白さ」怪獣ヤロウ! 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
作品そのものが“ご当地怪獣映画”として成立している面白さ
岐阜県関市の市役所に勤める観光課職員の山田は、市長からの命で“ご当地映画”を製作することに。やがて事態は、山田が兼ねてから抱いていた〈怪獣映画〉製作の夢へと向かって行く。
監督は、芸能事務所タイタンのマネージャー業も行っている八木順一朗。
主人公山田には、コンビ芸人「春とヒコーキ」のボケ担当、更にYouTuberとしてチャンネル登録者数180万人超(2025年2月1日現在)を誇る『バキ童チャンネル【ぐんぴぃ】』のメンバーである“ぐんぴぃ”が映画初出演&初主演。
共演には元欅坂46・櫻坂46の菅井友香をはじめ、手塚とおる、田中要次、清水ミチコとベテラン勢も参加。更に、「春とヒコーキ」や監督の所属するタイタンから、様々な芸人達もゲスト出演。
私自身が、まだチャンネル登録者数10万人程度の頃からのファン(ぐんぴぃさんが自身の人生を語る動画)であり、同じ童貞(現在31歳)として「あまりにも有名になってしまったが為、寧ろ童貞を捨てられなくなった」という思い十字架を背負って生きるぐんぴぃさんを“心の師匠”と仰いでいるだけに、観に行かないわけにはいかなかった作品。
また、監督の八木順一朗氏は、かつてバキ童チャンネルの「『ゴジラ』について語る回」にて、怪獣映画に対する愛の深さが見え、そんな八木監督がどんな怪獣映画を作り上げるのか楽しみでもあった。タイトルロゴや予告編の作りからも、東宝特撮、特に平成ゴジラシリーズへの愛が溢れていたのもポイントが高かった。
舞台は岐阜県関市。怪獣映画好きの中学生・山田少年は、自身が製作した手作りの怪獣映画を学校にて上映するも、不出来な作品を生徒達に笑われてしまう。しかし、恩師である桝井(田中要次)だけは、彼の作品を評価し「お前の怪獣で、全てぶっ壊すんや!」と叱咤激励する。
時は過ぎ、市役所の観光課に勤めるようになった山田(ぐんぴぃ)は、昔の情熱をすっかり忘れ、やりたい事を見出せない日々が続いていた。
ある日、市長(清水ミチコ)の命で地域活性化を図る“ご当地映画”製作をする事になり、上司の武藤(手塚とおる)や後輩の古川(三戸なつめ)に加え、市長の秘書である吉田(菅井友香)と共に映画製作に励む。しかし、凡庸なご当地映画の製作を進める中で、次第に山田の中には「これでいいのだろうか?」という疑問が募ってゆく。
映画製作も折り返し地点を過ぎた深夜、突如として吉田から連絡が入る。それは、吉田の些細なミスによって、製作していた映画のデータを全て失ってしまったというものだった。
残り少ない予算と製作期間。追い詰められた山田は、怪獣映画製作の伝説的人物・本多英二(麿赤兒)との出会いもあって決意する。
「「「ヨシっ! 怪獣やろうッ!」」」
まさに本作そのものが、“地域活性化を図るご当地映画映画”になっているという作りが面白い。監督の故郷である岐阜県関市の伝統(鵜飼や刀)と対照的な現状(シャッター街)という明暗どちらも映し出す正直な姿勢に、地域に対する愛情が感じられた。クライマックスで山田自身が怪獣として登場し、大映の『大魔神』を彷彿とさせる暴れっぷりを披露するという仕掛けも面白い。
また、主演のぐんぴぃさんのハマりっぷりが素晴らしく、映画初出演とは思えない演技(俳優としてのドラマ出演経験があるとはいえ)には驚かされた。このあたりは、芸人としてコントも行うスタンスが活きている面もあるのかも知れない。更に、ぐんぴぃさんがネットミームとしてバズるキッカケとなった2019年の街頭インタビューもパロディするというのはクスリとさせられた。相方である土岡哲朗さんの一瞬ながらも印象的なゲスト出演(顰めっ面のはずなのに、感情を失くしたサイコパスな表情)も最高だった。
吉田役の菅井友香は、他のキャストと比較すると演技力には劣るが、ヒロインらしい可愛さを振り撒きつつ市長の秘書として苦労させられる姿は魅力的だった。途中披露されるニットセーター姿は、申し訳ないが男性としてどうしても胸に目が行ってしまう。
ベテラン俳優としては、武藤役の手塚とおるの出演が、同じ怪獣映画ファンとしては嬉しい。何せ同氏は、平成ガメラ3部作の『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』(1999)や『シン・ゴジラ』(2016)に出演していたのだから。そのキャスティングにも、監督の怪獣映画愛が溢れているように感じられた。
しかし、肝心の怪獣映画としてメインになるはずの〈怪獣〉の造形が今一つなのは、予算や時間の都合を抜きにしても頂けない。特に、冒頭で山田少年が撮ったオリジナル怪獣映画『大怪獣セキラ』のクオリティは、「中学生でももう少しクオリティの高い怪獣にするだろう」という違和感があった。ダンボールで作るにしても、色塗りは勿論、顔の造形や背鰭、尻尾の作りまでもっと拘れる箇所は幾らでもあったはずだ。これについては、パンフレットでも平成ガメラ3部作の金子修介監督と八木監督との対談にて、金子監督が歯に衣着せぬ鋭い指摘をしていた。
この怪獣の造形に拘るからこそ(何なら、およそ中学生のクオリティとは思えない出来でも良いくらいだ)、学芸会で渾身の一作をバカにされたという辛い経験の重さ、それをクライマックスで山田が怪獣としてそのまま出演する(=芸人ぐんぴぃが暴れ回るという仕掛けの面白さ)事で、剥き出しの感情を爆発させてリベンジを果たすというカタルシスも増すと思うのだ。
作品として表現したい【やりたい事をやる】というテーマが明確に示されているだけに、この部分に力を注ぎ切れていないのは、かなりのマイナスポイントなのは間違いない。
監督の怪獣映画愛、地元愛を下地に、芸人ぐんぴぃのコミカルさや演技力にフォーカスし、作品それ自体が一種のご当地映画になるという構図の面白さは評価したい。しかし、だからこそ怪獣の着ぐるみ造形には、もっと情熱と工夫を注いで欲しかった。監督念願の一作が、まさにクオリティまでご当地映画のそれになってしまっているのは皮肉な話だろう。