劇場公開日 2025年1月31日

「どうして「怪獣映画」なのか、そのきっかけが分からない」怪獣ヤロウ! tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0どうして「怪獣映画」なのか、そのきっかけが分からない

2025年2月1日
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「怪獣」が、自分を取り巻くものや自分自身に対する「怒り」の象徴だという解釈や、伝統を打ち崩すための「破壊」のメタファーだというメッセージには、大いに頷いた。
CGに頼らず、着ぐるみやミニチュアワークにこだわろうとする「特撮愛」は心に響くし、どこかで聞き覚えがあるような音楽も、パロディとしての面白さを盛り上げている。
ただ、主人公が、どうして「普通」のご当地映画ではなく、そうまでして怪獣映画にこだわるのかが、今一つ理解できない。
特に、それまで撮影した映像データが消失したことと、主人公が怪獣映画の撮影を決意することとが、どういう理屈で結び付いているのかが、まったく分からなかった。
別に、スタッフやキャストがいなくなった訳でもないのに、市長一行が見学に来たタイミングで、どうして普通に撮影を続けるのではなく、爆発シーンを撮影する必要があったのだろうか?
ここは、怪獣映画を撮影する意味の根幹に関わる部分だっただけに、もっと納得のいく説明があっても良かったのではないかと思う。
それ以前に、特撮映画の伝説の監督の出身地で、しかも、あれだけの小道具類が保管されている倉庫があるのであれば、(須賀川市のように)監督の記念館を作って、町おこしに役立てたら良いのではないかとも思ってしまった。
結局、でき上がった映画に着ぐるみの怪獣は出てこないし、ミニチュアのビルが粉々になるような派手な破壊シーンがないのも物足りない。
CGを否定しておきながら、主人公を導く脳だか心臓だかをイメージした物体を、結構レベルの高いCGで描いているところにも、釈然としないものを感じてしまう。
着眼点は面白いし、ご当地映画としての手作りの魅力も感じられるものの、怪獣映画を題材とした映画としては、何かと「残念さ」を感じてしまった映画だった。

tomato
almarkさんのコメント
2025年2月1日

それは確かにそうですね

almark
tomatoさんのコメント
2025年2月1日

なるほど。
データが無くなって「吹っ切れた」ということなのでしょうね。
それにしても、消えてしまった「普通」のご当地映画も、なかなか良い感じだったと思うのですが・・・

tomato
almarkさんのコメント
2025年2月1日

いや、もともと出来れば怪獣映画を撮りたいというのが主人公の意向だったでしょう。それを「もう途中まで撮ってしまった」ことを理由の一つとして挙げられて断念したという経緯がある訳ですから、その分が消失したら怪獣映画にしてやろうという流れになるのは当然でしょう。

almark