シン・ゴジラ オルソのレビュー・感想・評価
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採点は映画の内容であってモノクロではないですが。 公開当時も何度か...
採点は映画の内容であってモノクロではないですが。
公開当時も何度か劇場で観たしDVDも持ってるので分かるものの、蒲田くんから漏れる赤い体液とかゴジラから発射される青白いビームがモノクロだと今一つ。
頑張って目を凝らすので視力弱いと結構負担だなぁと思いました。
ゴジラ70周年の記念と思えば、まぁそれなりにバリエーションとして楽しむ分にはいいのかな。
24-125
今更の初鑑賞。
非常に重厚で緻密な作りで見応えあった。
モノクロながら潜入感なく観れたのも良かった。
本当に怖いのは人間
スクラップアンドビルドがこの国を強くする
芯を突いたことばが心に刺さる。
素晴らしい映画体験でした。
ゴジラとは
「スクラップ&ビルドでこの国はのし上がってきた
今度も立ち直れる」
これがこの作品のメッセージなのだとしたらまさに今なのでは
地震、台風、水害 ありとあらゆる災害がそこかしこから聞こえてくる
私達には住む場所を選ぶほどの余裕はないのです
だから何度だって立ち上がらなきゃダメなんです
まだ川や海岸に堤防がほとんどなかった頃は少し雨が降れば直ぐに水害があったそうです
それでもその場所で水害と共に暮らすことを選んだのはなぜなのだろう
このゴジラだって街中を破壊して放射能までも撒き散らす
しかしなんとか人の力で乗り越えててそしてまたそこに住み続けてゆくのでしょうね
なぜゴジラが人気なのか、今まで見たこともない圧倒的な災い
それは誰にでも突然襲いかかってくることもある
とても他人事ではないのだと思う
台風や地震は時がくればおさまるけとその後の立て直しが大切なことなのだとあらためて教えられるのでしょうか
私は災害にあったことが無いのでそんな気持ちを想像するしかありません
映画やドキュメンタリーなどをいくら見たって足元にも及ばない
だからといって進んでそんな目にはあいたくはないですけど少しながらの助けにはなりたいと思います
どうかどうか諦めずに頑張って下さい。
迫力はカラー版のが上かな
第四形態後の背後からの熱線砲等、カラー版の方が微細なとこまで鮮明なので個人的には好みである。モノクロだと緻密さに欠ける気がします。
ともあれ、ストーリーは何回観ても秀逸ですね。日本という国家のウィークポイントとストロングポイントを巧みに織り交ぜながらの展開は何回観ても魅入ってしまいます。
シン・ゴジラと−1.0ゴジラを比べると前者のほうが圧倒的に強く唆られます。
必然性のない無彩色
シン・ゴジラ大好きなのでコレクションとしてブルーレイ購入しました
初代へのリスペクトか−1に対抗するつもりだったのかは知らないけどモノクロ映画に特に思い入れも無くノスタルジーも全く感じない世代なのでこの作品の必然性がわかりません。それでも最後まで楽しく鑑賞できたのは目が慣れたことと作品自体の完成度の高さからでしょう。だけど吹き飛んだ橋の青味やゴジラの体表奥で鈍く光る赤味そして霞が関破壊の紅蓮の炎が台無しになっていました。
白黒化によって演技に深みが出たなど想像力が介入する余地は生じたという観点もあるかもしれないけど、彩度がなくなった劣化版としか感じられませんでした。まあモノクロでも尾頭さんの刹那の笑顔は綾波レイの如く美しかったし無人在来線爆弾は楽しかったので満足です
新たな恐怖と感動
「シン・ゴジラ」は公開当時3回劇場へ足を運びました。
先日、愛すべきスーパーぶっ飛びおバカ怪獣映画「ゴジラxコング 新たなる帝国」を観たので、前々から興味のあったこちらをアマプラで鑑賞しました。
世間では「-1.0」がもてはやされていますが、ゴジラおよび日本の映画作品として、映像のクオリティを大きく飛躍させ日本の映画界の新しい扉を開いた「シン・ゴジラ」は偉大な作品であると思います。
まあ、白組を育てて日本の特撮界に風穴を開けたのも山崎監督ですが。
で、モノクロゴジラ、怖い怖い。
最初っから怖く、一瞬一瞬に緊張感があります。
一人ひとりの表情もよく分かるようになり、現場の緊張感が伝わってきます。
物語により集中できるようになり、何度も観たシン・ゴジラがさらに面白くなりました。
ヤシオリ作戦前の矢口の演説ではまた感動してしまいました。
ゴジラの発光シーンでは光の色がわからないので得体のしれない不気味さは半減したかな。
あと、4Kじゃなかったのはなぜなんだろ?
次は「-1.0」の方も見るつもりです。
今後、邦画のゴジラ映画はモノクロとカラーの両方を同時に上映してもらいたですね。吹き替え版を上映するような感じで。
そしたらモノクロ版を観てからカラー版を観に行くという、新しい楽しみ方ができちゃいますね。
邦画では、恐怖のゴジラが納得のクオリティで制作され、アメリカでは昭和のヒーローゴジラの魂を受け継いだゴジラが作られるという、いい時代になりましたねえ。
『also(再び)』の意味じゃない『オルソクロマチックフィルム』の事
『アメリカ軍に依頼しては?』
『日米安保条約があっても、アメリカ軍が日本の為にイニシアチブは取れない』
その通り。
しかし『アメリカの為に日本の軍隊は出動しなけりゃいけない事は知っておこう。』つまり、アメリカの戦争に日本は巻き込まれるって事。
さて、この行政の取っている判断は遅いって事だと思う。だがしかし、想定外の状況こそ冷静な判断が大事だという事。
行政がやらねばならない事は、予見だと思う。例えば、災害が起こらない措置や減築だと思う。
例えば、原発事故を想定したエネルギー開発とか、水害が起こらない様な治水、排水システムの構築とか、
仮想敵国を作らない八方美人な外交。
それが、絶滅危惧種大和民族には絶対に必要だ。
ヤシオリ作戦(ヤグチプランとして)は45分経過した時に発案されるが、この時点で、もっともっと、知恵を働かせるべきだったと思う。この映画の最大の汚点。
『翔んで神奈川♥』じゃないんだから、『ゴジラを東京に入れるな』はない。
鎌倉に上陸する時に上陸を阻止する措置を取るべきだ。
さて、東京がほぼ壊滅したので、日本のGNPは東京の45%がゼロになったと考えるなら、あのロシアよりも下回る。
最後の台詞
「世界はゴジラと共存する覚悟が必要だ 云々」と台詞があるが、放射能を放って存在する施設。 ゆえに、チェルノブイリとかあの原発の事を言っていると想像できる。
核兵器を根絶は元より、核施設の廃止を考えなければならない。
見づらくなっただけ
2023.11月3日に公開を控えるゴジラ生誕70周年記念作品「ゴジラ-1.0」の公開記念し、池袋HUMAXシネマズで、「山崎貴セレクション ゴジラ上映会」が開かれ,10月27日に登壇したシン・ゴジラの庵野監督がモノクロ版の本作を上映し山崎監督にゴジラ-1.0のモノクロ版の制作を勧めたそうだ、その後ゴジラ -1.0/Cが公開されています、山崎監督によれば庵野監督に言われる前にプロジェクトを立ち上げていたそうです。
問題は本作のオルソ、正確にはオルソクロマチック・フィルムの略、そもそも映画用フィルムはコダックが1889年に製作しました、以前の感光材は青色だけに感光するものを紫から緑色まで広げましたが黄色、オレンジ色、赤色は感度が低く黒く写りました。そのため、俳優たちはメークで補ったそうです。1922年にコダックはすべてに感光性がある「パンクロマティック・フィルム」を作りました。現在のモノクロフィルムの原型です。
2019年公開されたゴシックホラー「ライトハウス」のモノクロ映像が古いオルソクロマチック風の映像で当時の雰囲気を醸し出したとされアカデミー撮影賞にノミネートされました。
庵野監督は単に色を抜くことでなく黒っぽさを誇張した古いモノクロフィルムの味合いを強調したかったのでしょう。
しかし、そもそもシンゴジラの撮影はデジタルシネマカメラのフラッグシップであるALEXA XT3台、Canonの一眼レフ3台、庵野さんのiPhoneまで使い、編集はアドビのPremiereという異色の凝りようで、あえて画質合わせをすることなく繋いだそうですから、オルソ化は何だったのでしょう・・。
おそらく負けず嫌いの庵野監督が終戦直後のゴジラならオルソで描くべきとマウントしたかったのでしょうね、しかし、本作を観た限り大失敗、ゴジラ-1.0/cなら時代的にも初代ゴジラへのリスペクトとしてもそこそこ意味が感じられますがシン・ゴジラの場合は現代ですし、オルソ版では画面を凝視しないと何が起きているのか分かりずらいし必然性を全く感じられません。単なる、庵野監督の自己顕示欲で作られた失敗作と言い切ってしましょう。オリジナルが面白かっただけに残念です、ご覧になるなら是非カラー版で・・。
うーん…「二番煎じ」「柳の下の二匹目のどじょう狙い」の感が否めなかった、ある意味想定外の作品。でもオリジナルが面白かったので、この評価です。
アマプラでゴジラシリーズが一挙配信開始と知って。その中から何かを鑑賞しようと思った時に発見しました。
「なんで作ったし!」というのが正直な感想です。想定外な出来事です。
「山崎っ!てめぇ!上手いことやりやがって!俺らにもやらせろ!」というわけでもあるまいしと思った今さら感が拭えないんですよ。
これ『ゴジラ‐1.0マイナスカラー』の時にも思ったんですが。初代ゴジラへのオマージュとして作った(?)白黒版にしては、絵が鮮明で綺麗すぎると感じたんですよね。
どうせ作るんだったら、もっと弄って昭和チックな絵面にしてほしかったです。フィルムノイズや、クレジットタイトルの微妙なブレ(ジッターって言うの?)を再現させるとか。私はそう思いました。
とは言え、ただ単に白黒化させたのではなく“オルソクロマチックフィルム”という手法を用いて、普通の白黒よりもフェイストーン(なんぞそれ?肌色のこと?)が重くなるように作られたらしいですね。(.com様から引用)
その“オルソクロマチックフィルム”演出のためか?出演者の皆さまが「えっ、別人?」と思うほど人相が悪く見えたんですよね。みんな悪人面。
それができるならなおのこと、現代の映画を現代の技術を使って、あえて退化させた絵が観たかったです。そういうチャレンジを見たかったです。的外れな思いつきかもしれませんが。
などと文句言いながら、本作のオリジナルのレビューは書いていませんでした。まさに「今さらかよ!」なんですね。
なので、今回はオルソを兼ねてそれを記したいと思います。書くなら「今でしょ!」
この作品のおかげで、現在に繋がる私の映画ライフに火が付いたと言っても過言ではありません。
それまで、月イチのペースで上京して、地下ドルさんのおっかけなんてやらかしていたんですね。この阿呆は(笑)
イラスト描いて売って、細々と軍資金の工面をしていたんですよ。
なので映画を思う存分観る余裕なんてなかったんですね。時間的にも、財布の事情的にも。そもそも映画自体に興味が薄かったですし。「地下ドルさんかわえぇ♡」だったんですね。
そんなある日、想定外で結構重篤な病気で倒れてしまって。リハビリを含めて二カ月間の入院生活を余儀なくされてしまったんです。
後にその病気に関わる大手術を受けることにもなり。そんな時に出会ったのが、世田谷自然食品の緑黄青…ちがーう!
この『シン・ゴジラ』でした。
当時はスマホを持っていなかった時期でした。外界との接点はといえば、病室の有料テレビのみです。そんな時の何かのテレビ番組で知ったのが本作でした。
丸っきり娯楽に飢えていた状態ですから、この映画を観るのをウキウキワクワクと楽しみにしていたんですね。
ごめんなさい、ここからレビュー本番入ります。相変わらずまくら長すぎる。想定内の出来事です。
本作、乱暴に言えば、別にゴジラ映画である必然性はなかったと思いました。
映画の世界では、挙げつくされているほどの、ありふれたデザスター物でもよかったように思えて。
“if”をリアルなタッチで描ききったところが秀逸だと思いました。
平成ガメラ三部作や押井守作品を、さらに徹底的にリアル寄りに特化させた政治シミュレーションゲームだと思ったの。
卵が先かニワトリが先か論になっちゃうんですが、ディザスター物を撮りたくて、ゴジラを思いついたのか、はたまたゴジラを撮るためにディザスターテイストをチョイスしたのか、どちらかなんだろうなぁ。
おそらく、いえ、きっと後者なんでしょうね。
でも、ゴジラを登場させなくてもお話を進行させるのは十分に可能だったと思って。
もっと言うなら、災害対策本部という限定された空間のソリッドシチュエーションドラマとしても良作が撮れたと思いました。現場で起っている部分を全く見せずに。『未知への飛行』みたいな。例に漏れずレビュー書いていないんですが。
でも、そんなんじゃアカンのんですよね。やっぱりそこは主役にゴジラを据えて、破壊の限りを尽くすシーンを見せなきゃなんですよね。
「アメゴジ」にお株奪われていた現状をどうにかしたかったんでしょうね。その意気やよし!です。“KAIJU”じゃなくて“怪獣”なんだよ!って感じで。
驚いたのが蒲田に上陸した時の第二形態。これ、想定外のビジュアルでした。
第二形態の目が怖い!あの目がイヤだ!鳩?爬虫類的?なあの目がイヤだ!
第二形態については、本当に想定外のサプライズでした。造形としてのインパクトは限りなく大でした。
造形に関しては、△体型の第四形態のインパクトもすごすぎて、過去作品や『-1.0』よりもゴジラらしい体型だと感心しているんですよね。
特技班が一番嬉々として作ったのって、ヤシオリ作戦よりも、物語中盤の戦車大隊活躍からの壊滅のシーンだと思いました。あそこ、本当に見ごたえありましたから。ミリヲタじゃない私が見ても、鳥肌が立ちました。砲塔を目標に向けたまま、車体をギャリギャリギャリ!と向き変えするところです。
肝心の音楽なんですけれど、エヴァの焼き直しみたいのには、正直感心できなかったです。その代わり、他のオリジナルサウンドトラックは印象的なものが多かったです。第一波ゴジラ禍が去った後の平和な街並みのシーンや、米軍による“地中貫通型爆弾 MOPⅡ”(このキャプションが本作が本作たらしめる理由のひとつでしたよね)攻撃を浴びたゴジラが背から光線を吐くシーンところなどが秀逸だと感じました。
キャストの皆さんのシリアスな演技が最高潮を迎えたのは、国連軍(=米軍)による核攻撃決定のところだと思いました。
本作、名のある俳優さん330人弱が生き生きとして演技なさっていたように思えました。
私的には本作のMVPって、尾頭を演ずる市川実日子なんですね。この人のクールな佇まいや、チャキチャキした口調が、まぁ本作にハマるのハマらないのなんの。人間側の主役・矢口の長谷川博己を完全に喰ってましたから。
よく言われる石原さとみのウザさは、あまり感じなかったかな?私スーツ萌えですし(笑)
ただね、『シン・ウルトラマン』の長澤まさみの時にも思ったんですが。現場でチャキチャキ動くにはあのハイヒール(推定9cm)はないやろーと思ったんですよ。3.5cmヒールですら動きにくいのは女装時に検証済なんですね。(またしれっと女装ネタ絡めやがって!)←でも、こういう視点って大事でしょ?(笑)
ここは庵野さんの萌え的には外せない部分だったのかな?あんなんで踏まれたいのかな?←おい!
終局に至って、最大の恐怖はゴジラではなく、米軍の核兵器になったんですよね。
“核の脅威”を訴える。これこそが初代ゴジラのメッセージとするなら、当然の帰結かと思いました。
エヴァでも言われていたように「最後の敵は同じ人間」なんですよね。
ヤシオリ作戦はそれへのアンチテーゼだと思い。「人類が協力した叡智を尽くせば平和的な解決方法もあるやろ!」というふうな。
そのヤシオリ作戦の時の矢口の演説に燃えました。“新幹線N600系電車(無人運転)”の活躍シーンでの「宇宙大戦争マーチ」からの“無人在来線爆弾”のところのオリジナルサウンドトラック使い方もドンピシャでした。ここ鉄っちゃん的には燃えるシーンだったのは想像に難くなく。「庵野わかってるやん!」みたいな。
戦車大隊のところもそうでしたけれど、特にミリヲタさんのツボを押さえまくっていると思いました。私は興味のない分野、かつ、勉強不足なのでよくわからなかったのですが。
ラストで矢口が語った「政治家の責任の取り方は、自らの進退だ」とありましたが、私は「はぁ?」だったんですね。そんな簡単なことでいいの?と思って。半沢直樹でもあるまいに。為政者ってもっと重いものを背負っているんじゃないの?と思って。
ラストと言えば、本当の最後。あのカット必要?正直言ってあれは蛇足。思わせぶりなシーンで締めて、恐怖感を煽る手法にうんざりしているんですよね。責任持って続きを描けるなら別ですけれど。どうして綺麗に1本の作品で幕引きできんかなぁ。
何だかんだ文句も付けつつ、オリジナル版は総じて高評価です。ですがオルソで観る価値があったかといえば、かなり微妙だったんですね。
通常のカラーver.で観た方がよかったと思いました。その方が自然だったと思って。背から光線を吐くシーンなんてカラーで観た方が圧倒的に美しいですからね。
本作は海外での評価は散々らしかったじゃないですか。そこのところがもうひとつスッキリしなくて。
ゴジラ映画という枠組みを超えてでも、斬新な切り口の作品だと思うのに。何がダメだったんだろう?
我が国の政治の独自性に興味を惹かれなかったのかも?
もはや語り尽くされている感のある本作なので、ありきたりなレビューになっちゃいました。私オリジナルな部分って、ハイヒールのくだりだけなんですよね(笑)
-1/-Cの二番煎じだけどOK
悪くは無いけど違う気がする
-1の-Cの反響が良く急遽追加された感があるけど、-1はあの時代背景だから良かった訳で現代劇を無理矢理モノクロバージョンにする必要があったのだろうか?
モノクロで際立つ、新訳初代の側面
ゴジラ・シリーズ第29作のモノクロ版。
Blu-rayで鑑賞。
モノクロになったことで本作の持つ新訳1作目的な側面が鮮明になった気がしました。さらに、庵野秀明総監督が本作を製作する際に手本にしていたと言う、「日本のいちばん長い日」のテイストにも近づいていて、重厚さが増していました。
ゴジラ第二形態(蒲田くん)や第三形態(品川くん)はひたすら不気味に見えるし、第四形態(鎌倉さん)はそそり立つ巨大な黒い塊と化していて、恐ろしさが際立っていました。
東京が火の海になるシーンも、1作目の同様の場面を想起させ、カラーの時よりも絶望感が溢れており、圧倒されました。
恐ろしくも美しい
一番の見所は、2度目の上陸後、闇に包まれた都心での熱線放射シーン以後。
電力供給が絶たれ暗くなった都心にゴジラの熱線で一面火の海に。
その中に浮かび上がるゴジラのシルエット。
そのシーンが初代ゴジラの2度目の上陸シーンに重なって、モノクロ映像ならではの美しさを魅せてくれた。
正直、このシーンを観るためだけでも劇場に足を運ぶ価値があった。
うまい企画。ハマった。
モノクロームの旧作品の彩色は一時期流行ったが(そして作品を台無しにしていたが)本作はその逆張り。 第1作目のゴジラがモノクロであり、観る側がそれをすでに観ていることを前提としたトリッキーな企画。そしてその企図は成功していた。モノクロ化により現代の東京がレトロな風合いを帯び、ドラマパートに重みが出ている。 また夜の赤坂・永田町壊滅シーンは、カラー版でも哀しく美しいシーンであったが、モノクロ化によって、初代ゴジラの夜の燃える東京シーンとオーバーラップしてよりエッジが立っていた。
あと、シンゴジはVFXの部分に正直今ひとつの仕上がりの部分が多々あるのだが、色彩情報がなくなったことでそれらの箇所の違和感が目立たなくなり、かつドラマ部分との馴染みが良くなったようにも思えた。また一部VFX画面では、ミニチュア撮影したような雰囲気が出ていたのも意外。鑑賞前は頭の片隅に「?」がよぎっていたが満足できる鑑賞後感でした。
なお本日(10/29)鑑賞したなかでエンドロール後に拍手がでた2本目の映画でした。(1本目はインド映画「サイラー ナラシムハー・レッディ」)
最後に些細な苦言を1つ。
本作鑑賞時、全編・画面全体にわたって画面に細い縦縞のノイズがあり、とくに白無地の映像部において目立ち、鑑賞感をおおいに損ねていた。これが作品として意図的に付与されたものであればそれは失敗であり、あるいは劇場(TOHO日比谷スクリーン12)再生時の固有の問題であれば改善を望みたい。
美しかった!
シン・ゴジラの白黒版。
色がなくなって、明暗だけの情報になったらほんとに別映画のようでした。
特に、夜のゴジラが光るシーンは、光が強調されてめちゃくちゃきれいだし、不気味でした。
イベント上映だったのが、ほんとに残念でした。
オルソ…現実と虚構を馴染ませる
シン・ゴジラは大好きなので、再び劇場で観られるのなら、もちろん行きます。
それはカラー、モノクロ問わずなのだけど、〜オルソとか言われると、俄然興味が湧いてくる。
もともと元祖ゴジラを現代に翻案したようなシン・ゴジラだから、モノクロが似合わないはずはない。
白黒映像はシンプルに昭和映画の趣があるし、現実と虚構を馴染ませる効果もあるようだ。
シンクロ率高いw
そして意外な発見は、セルフがよく耳に入ってくる。すでに10回以上は観ているシン・ゴジラだが、聴き慣れたはずのセリフが脳に染み入る。
色という情報が無くなっただけで、洪水のようなセリフを処理する余裕が脳内に生まれたらしい。
昭和スペックの脳には嬉しい現象でした。
「鳥肌が立つ程美しい!シン・ゴジラであって、全く別次元の神・ゴジラ‼️」
久々に映画館で見るモノクロ映像がこれほど鮮烈だったのか!
と改めて目から鱗。
彩色が排除される事によって否が応にもかきたてたれるイマジネーション、カラーでは気づいていなかった庵野監督が描きたかった“特撮”の世界、その原点に触れる事が出来たかもしれない。
この作品を観ながら、2016シン・ゴジラ公開時の気持ちが思い出されて来た。
冒頭の巨大不明生物出現のワクワク感から第二形態蒲田君が出てきた時は「昔の怪獣映画感すごいなぁ」と昭和の特撮“怪獣”感にこの先どうなるんだろうかと思ったものだ。
しかし第四形態として再び上陸してきたゴジラは、映像もキャラクターも全く別次元の形態に進化。
そして覚醒していく新しい”ゴジラ“に「こんな特撮映画観たかった・・・」、と思ったのは私だけでは無いと思う。
現実では見ることができない別世界を特殊な映像技術を使って現実の世界に繰り広げる、それが特撮映画の原点であり観たかったものである。シン・ゴジラはまさにそんな思いを叶えてくれる映像だった。
モノクロの世界の蒲田君は昔の“特撮怪獣映画”感を増し、暗闇の中ゴジラが覚醒し熱線を放射するシーンは陰影が強調され鳥肌が立つほどほど美しく、神々しい。その映像は初代「ゴジラ」公開時には見る事ができなかった半世紀以上の時を経たからこそ観ることが出来る画だ。
カラーのオリジナル「シン・ゴジラ」でも充分楽しめるが、このモノクロの世界はより鮮明に“特撮映画”の進化を感じる事が出来る作品になっている。
モノクロームの効果
避難民の姿や、小杉と永田町近くの攻防戦などのシーンはモノクロのおかげで、ゴジラの新しい怖さを感じられた。
俳優の顔の影はともかく、染みや皺が強調され、実年齢より年嵩に見え、アップ時限定ではあるが感情が増し増しになるとも思った。
黒澤作品や初代ゴジラに出てくる俳優が老けて見えたのには、戦争の影響を残すあの年代の貫禄以上に、モノクロームの効果があったのかもしれないなと。
反面、官邸内の会議でのやや引きのショットでは、表情のつかみにくさも感じた。
などなどメリット、デメリットあるが、従来と「まったく違う作品」としての『シン・ゴジラ』の面白さがあると感じました。
なにはともあれ、尾頭さん(市川実日子)のそばかすが可愛いのがモノクロでマシマシだったんで、尾頭さんファンはぜひとも観に行きましょうw
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