レオノールの脳内ヒプナゴジア(半覚醒)のレビュー・感想・評価
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予算の少なさを奇想と映画愛で補った好作
多くの過去作を連想させる映画だ。脳内世界と現実を行き来したり、創作世界と現実が干渉しあったりする感じは、当然ながら「脳内ニューヨーク」というずばりの邦題の監督作もあるチャーリー・カウフマンが脚本を書いた「マルコヴィッチの穴」「アダプテーション」「エターナル・サンシャイン」や、ウィル・フェレル主演作「主人公は僕だった」などを思い出させる。あるいは、アクションやサスペンスではめったに主人公にならない太めの中高年女性が、災難や事件、家族のトラブルなどに直面するという点では、同じフィリピン映画の「ローサは密告された」のほか、昨年日本公開のメキシコ映画「母の聖戦」などに近い。
フィリピンで1980年代頃に多数製作されたB級アクション映画のオマージュにもなっているそうで、あいにく該当するような作品は観ていないものの、同じ時期の邦画もそうだったように、おそらくハリウッド発や香港発の娯楽活劇の影響を受けた低予算映画が量産されたのだろうなということが本作から間接的に伝わってくる。監督・脚本のマルティカ・ラミレス・エスコバルは1992年生まれの31歳だそうで、若い世代の女性が30~40年も前の活劇に刺激を受けている点も感慨深い。
不条理な笑いもいくつかあって、レオノールの脚本の世界におけるヒーローのロンワルドがストリートで唐突に踊り出す場面が特におかしかった。
ものうまれいずるばしょ
フィリピン映画見たのは初めてかも。
ヒプナゴジアは半覚醒で現実と非現実の入り混じるアイディアが浮かびやすい脳の状態とか。だから混じる現実と虚構、ゆえの劇中劇中劇。
つまりファンタジーも極まってのデタラメのようにも感じるのだが、最後はなぜかあったかい気持ちにさせられる不思議。
一番ヤラレタのは、あえて大半を古臭いトーンで撮り続けていること。
この最後の劇中劇が剥げたとたん、本作の真価に触れる。
もの生み出す時のヤバイ感じや、自由奔放さや、デタラメ感が、このふわっとしたつかみどころのなさがとても良く感じ取れる。
というのも主人公みたくモノ書く趣味がある者としては、自分で登場人物を殺したり、痛めつけたりしながら、自分でショックを受けたり喜々としたりしているんだから、あの変性意識、つまりヒプナゴジアっぽいところはちょっと狂気だ。
ともかく名作、とは言い切れないが、確かと記憶に残る1本となった。
あ!! 分かった!!!
最後になぜかあったかい気持ちになるアレは、
フェリーニ「81/2」のラストへのオマージュかもしれない!
さらにどうやら若手女性監督作品で、古臭さは80年代に流行った作品のパロらしい。そこに作者が出入りするということはこれ、監督が監督になった原体験、影響を受けた作品へのサンクス映画なのでは。だから最後のあったか幕引きなのでは。
これはすこぶるエモいというやつじゃないか!
「短気は損気」 映画愛 溢れる作品だよ
Amazonプライム・ビデオでレコメンされて映画「レオノールの脳内ヒプナゴジア」やっと観れたよ
一昨年の東京国際映祭でスケジュールが合わなくて観そびれた、フィリピンの若手女流監督の作品
主人公のおばあちゃんがスンゲーかわいいの〜😍
監督をはじめ 携わるみんなが映画作り楽しんでるのがよく伝わってきて、こちらも楽しかったなぁ♪ハッと驚く新鮮なカットも散見
ラストのクレジットの街の風景は監督の街の人々と映画への愛が溢れかえって、何故だろう切なく愛おしくなりました
もし観る覚悟あるならば、序盤で呆れて投げ出さないことをオススメします
黒沢清監督作品とも共通の楽しみ方で、脳内補完をかけながら、こちらから世界観に合わせながら没入😹
アジアの作品を観る時はね 頑固はダメ
文化やさまざまな背景の違いがあるからね
出来る限りアタマ柔らかくね受け入れて鑑賞
すると、あ〜ら不思議 段々楽しくなってくるよ😚
「短気は損気」とはよく言ったものだ
僕は好きだなこの映画🎬
ガチャガチャ
面白がって見るとよい。
エブエブ+80年代香港映画=この作品
設定は面白い。虚構部分はスクリーンサイズがスタンダードになり、色合いも80年代香港映画っぽくなる。主人公のレオノールおばさんがドラマ世界に入り込んでしまうのは、ドラえもんでもウディ・アレン作品でも使われた設定だが、途中から息子までブラウン管を突き抜けてドラマの世界に入るわ、最後はスタッフ総出で踊りだすわで、結局レオノールおばさんは帰ってこれたのかあっちに行きっぱなしなのか、事故死したお兄ちゃんは幽霊のままなのか、全部投げ出しちゃった感があった。ま、いいけどね(笑)
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