劇場公開日 2024年6月21日

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アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家のレビュー・感想・評価

全22件中、1~20件目を表示

知らぬ所に巨人は佇む

2024年8月25日
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鑑賞方法:映画館

 戦後ドイツを代表する芸術家とされるアンゼルム・キーファーの作品と人物をヴィム・ヴェンダースが記録したドキュメンタリーです。
 美術に全く不案内な僕はこんな芸術家が居た事を全く知らなかったし、この映画で描かれるドキュメンタリーとドラマパートの境が分からなくなる事もあったし、これはアンゼルムの作品なのかヴェンダースの演出なのかが混乱もしたし、読み上げられる詩の意味も把握できなかったのですが、彼のどこか荒々しくも強い意志が感じられる巨大作品群の実物を無性に観たくなりました。不思議な魅力です。

 調べてみると、来春、京都二条城で展覧会があるのだとか。行ってみようかな。

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La Strada

3.5キーファーという名は耳にしたことがあった

2024年8月24日
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鑑賞方法:映画館

アンゼルムという名前は知らなかったが、キーファーならば、何度か耳にしたことがあった。戦後のドイツを代表する芸術家で、その作品は、長大・重厚。テーマは深遠、ナチと戦争、神話、生と死。比較的よく知られた作品は、占領ー英雄的シンボル(1969)、マルガレーテ(1981)、内景(1981)、無名の画家へ(1983)、オシリスとイシス(1986-87)他、多数。

キーファーは、1982年、フランスのバルジャックに拠点をおいたが、2008年パリの郊外、クロワシー・ボーブールに移り住んだ。そこは、セーヌ河畔にあったラ・サマリテーヌ百貨店のかつての倉庫で、とてつもなく広く(3,300平米とか)、天井も高い。彼は、少なくとも3 メートルx4メートル以上ある巨大な作品の間を自転車で移動するが、そこは創作の現場であると同時に、彼の作品や素材の保管場所にもなっているようだった。

彼の青年時代は、息子のダニエル・キーファーが演じ、さらに幼少期は、何とヴェンダース監督のてっそん(甥孫)アントン・ヴェンダースだった。特に、アントン坊やは、キーファーと交錯する。ヴェンダース監督が作ったキーファー自身が出てくるドキュメンタリーだが、映画的な要素もあるわけ。

彼の人となりは、20世紀最大の芸術家である(と私が信じる)ピカソと比較すると良いかもしれない。二人とも身体が強く、ピカソは小柄だが、キーファーは(少なくとも79歳の今は)長身痩躯で、健康に恵まれている。キーファーが狭い何もない部屋のベッドに横たわり、幼い時を回想する場面では、毛布が似つかわしくないほどだ。ただ、ピカソの背後には、いつも女性の姿があったが、キーファーの日常に女性の影はない。ピカソは女性と出会う度に、そのスタイルを変えた(change)が、キーファーは変容する(transformation)。つまり、彼の作品には、変わらず、引き継がれてゆくものがある。倉庫の中はその象徴か。テーマは、それだけ重い。

二人とも、ありとあらゆる素材を試しているが、特にキーファーは、鉛と藁を好み、後者の時は、リフトに乗って、バーナーで焼き、助手が放水する。近年は、金箔も用いるようだ(来年、二条城で展覧会を行う背景か)。

ただ、彼は恐ろしいほどの勉強家で、倉庫には、よく整理された図書館がある。今、思い出しても、冒頭出てきた頭部の欠けた白いドレスは、モネの「緑衣の女性」を、ホワイト・キュービックの建築物は黒川紀章のカプセルタワーを、何度も出てくる向日葵はゴッホのそればかりでなく、映画の「ひまわり」で出てきた広大なウクライナのひまわり畑や墓地を思い出させる。何と言っても、映画の最後で出てくる構図は、キーファーとヴェンダースの心の中に、ドイツ人の故郷とも言えるC.D.フリードリヒが住み着いていることを思わせる。

私が一番見たいのは、10歳代のキーファーが奨学金をもらって、ゴッホの歩みの跡を辿った時に描いたと言われる300枚の絵。そこには彼の全てがあると思うから。来年の展覧会では、観ることは叶わぬだろうけれど。

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詠み人知らず

4.0さっぱり理解できない作品

Mさん
2024年8月15日
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に対して、「なんだこの映画!」とか、ひどい時には、それを撮った監督に嫌悪感を感じてしまうこともある。
さっぱり理解できない作品なのに、嫌いになれないこともある。
この作品は後者。
とはいえ、「5」はつけられませんでした。
ただ、とんでもなく大きなアトリエ(工場?)や展示場(巨大な公園??)は圧巻でした。

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M

3.5展覧会を観ているようでなかなか良い。ただし眠気にも誘われる。

2024年8月12日
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鑑賞方法:映画館

展覧会を観ているようでなかなか良い。ただし眠気にも誘われる。

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Mr. Planty

5.0アンゼルム・キーファーの個性的な作品の数々

2024年7月31日
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鑑賞方法:映画館

難しい

幸せ

寝られる

アンゼルム "傷ついた世界"の芸術家
神戸市内にある映画館シネ・リーブル神戸にて鑑賞 2024年7月2日(火)

戦後ドイツ最大の芸術家アンゼルム・キーファー
ドイツの歴史、ナチス、戦争、リヒャルト・ワーグナー、ギリシャ神話、聖書などをテーマに、砂や藁、鉛などを用いた作品が特ドイツの歴史、ナチス、戦争、リヒャルト・ワーグナー、ギリシャ神話、聖書などをテーマに、砂や藁、鉛などを用いた作品が特徴。

以下パンフレットより 長澤均(服飾史家/デザイナー)
 観客はまずそのスケール感に驚かされる。アトリエに置かれたたくさんの絵画、そこにキーファーが現れたことで、作品の巨大さを改めて知る。画家はローラーの付いた巨大カンバスを押し出すとアトリエ内に置かれた自転車に乗る。カンバスは押された勢いで自走し、絶妙な位置で止まる。
広大なアトリエを自転車で移動するキーファー。たくさん置かれた棚には、彼が収集した様々なものが箱に入れて積まれている。枯れた草木や石っや動物の骨
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堕ちるものすべてに翼がある

 キーファーの絵画はさまざまなものが複雑に折り重なっている。しかも概念や哲学が多層的に重なっているというだけでなく、実際に物質的にいくつもの素材が重層しているのだ。
 その層を剥いで、観客に種明かしをするかのように、映画の中でキーファーが答えを用意している部分もある。
「リリトの住処は廃墟だ。戦後の荒廃した建物は彼女にとって完璧で、待ち望んだ場所であった」。そのモノローグに敗戦時に瓦礫の山と化したドイツの都市映像が重なる。
 廃墟の時代に生まれた彼が神話と関わるのは神話に逃げるためではない。そこに神話的現実が現前していたからに他ならない。

 そして現代のダイダロスたるキーファーは、神話の職工がそうであったように人工の翼を作り続けている。キーファーがつくる鉛の巨大な飛行機は飛び立つことはない。彼は詩人パウル・ツェランに深く傾倒してきたが、ツェランに捧げた連作「シダの秘密」の中の1枚、いくつものドレスが落下している作品にはこう書かれている。
「堕ちるものすべてに翼がある」
 キーファーのつくる飛行機や翼の根底にあるのはこの観念だろう。この一節によって画家が、映画前半で、螺旋階段に吊るされたいくつもの衣装をひとつひとつ床に投げ捨てていくシーンの謎が解かれる。ラテン語で「スルスム・コルタ」と題されたこの作品は、ヴァルキューレが戦場での死者の魂をヴァルハラの宮殿に運ぶという北欧神話に想を得たものだ。もちろん北欧神話というだけではなく、リヒャルト・ヴァーグナーからナチズムまでヴァルハラ幻想は連なっていることをキーファーは承知しての作品だ。
「スルスム・コルタ」でのいくつもの汚れた衣服(=翼)は、天上に魂のメタファーでもあるが、上がるだけはなく「堕ちる」ものであることを、画家として語っている。それは、北欧神話からドイツ史までを俯瞰しての想念だろう。
 映画にクライマックスが必要なわけではないが、ヴェンダースは”翼”を軸にひとつのクライマックスを中盤に用意した。
 飛行機作品の展示会場の古い映像から森へとカメラが移り、そこに張られたスクリーンにアトリエが写りだされる。その広大な庭に置かれた爆撃機のすべての窓から飛び出る、枯れた向日葵の花と茎の圧巻さ!
 白い室内に枯れたケシが林立する「モーゲンリー・プラン」と言う作品をカメラは誉め(ケシはツェランの詩集「ケシと追憶」に由来するものだろう)さらに鉛の書物の上に置かれた紙の書物が風でめくれるのを上から捉えると、まるで飛行機が飛んでいくかのようにバルジャックのアトリエの俯瞰映像になっていく。
この作品の中でとりわけ美しいシーンだ。
そこから30分後、ラストシーンには翼の彫刻が映し出される。誰もがここで映画「ベルリン・天使の詩(1987)」を想起するだろう。こうしてキーファーのいくつもの"翼"は、これまでのヴェンダーズの映画作品に登場する"翼"に連なっていく。
アンゼルム・キーファー巡る1時間半の映像は、最後見事にヴィム・ヴェンダーズに収斂されていくのである
注釈
「リリト」
リリスとも表記されるユダヤの伝承における女性の悪霊。中世以降の伝承でアダムの最初の妻とされるようになり、アダムとリリトの交わりから悪霊たちが生まれたと言われている。
「モーゲンソー・ブラン」
2度の世界大戦の中心となったドイツから戦争能力を未来永劫奪うために1944年にアメリカ政府が立案したプラン。財務長官でユダヤ系のヘンリー・モーガンソーによって立案されたことからこの名が付く
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アンゼルム・キーファー (1945年生まれ)
ダニエル・キーファー(アンゼルム・キーファーの息子)本作では本人の青年期を演じるアントン・ヴェンダース(ヴィム・ヴェンダースの孫甥)本作では本人の幼少期を演じる
ヴィム・ヴェンダース 監督 (1945年生まれ)
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感想

この作品は、明確な物語は存在しません。
「先入観を捨てて、この衝撃的なビジュアルをただ楽しんでもらいたい」とヴィム・ヴェンダース監督がおっしゃる。その通りかと。
彼の作品は、日本国内でも何度となく展覧会が行われて公開されている。

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大岸弦

2.0アンゼルムの作品を映画を通して体感する

2024年7月27日
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鑑賞方法:映画館

映画作品というよりは、
映画というフォーマットを通して、アンゼルムの芸術作品を体感する作品だと思いました。

1960年代は、ドイツ国民がWW2を振り返ることはなかったと言うアンゼルム。
そこへの危機感があって、あえてナチスを彷彿とさせるような作品を通して
ドイツ国民(だけではないでしょうが)に「考えさせる」ことを目的にしていたということを知り、
加えてその作品の圧倒的な存在感により、何か胸に突き刺さるものがありました。

その他、さまざまな作品を観ると、スケールも圧巻です。
ヴィム・ヴェンダースだからこそ、映画でここまで伝えることができたのかもしれませんね。
実際に目の当たりにしたら、きっと本当の意味で「体感」できるのだろうと思います。

物語はないですし、ドキュメンタリーでもない、アンゼルムの作品を映画を通して体験しました。

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ひでちゃぴん

3.5芸術に疎い

2024年7月17日
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鑑賞方法:映画館

楽しい

知的

自分でも楽しめた。ヴェンダースが見てどう感じたのかが、アタマから無遠慮に出されていたと思う。作品を見て自分の中から流れ出す台詞や音、みんな無意識に感じてるんだろうが、映像化するとこうなるのか。
現代アートには膨大なスペースが必要、レイダースの収蔵庫以上か?
しかし、アーティストには完成形が完全に視えてるのか、それとも変化し続けるものなのか。

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トミー

3.0ヴェンダース映画としては「らしい」仕上がりだが、キーファーの紹介動画としてはイマイチ。

2024年7月16日
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鑑賞方法:映画館

僕にとって、アンゼルム・キーファーは特別な芸術家だ。

こういったことを書くと年齢がバレるが、自分がまだ文学部美術史学科の大学生だったころに、アンゼルム・キーファーの日本で最初の回顧展が開催された。
「メランコリア―知の翼」と銘打たれたその展覧会は、真の意味で衝撃的だった。
僕はいっぺんでこのドイツの芸術家の虜となった。

当時池袋にあったセゾン美術館、京都国立近代美術館、広島現代美術館と巡回したというが、僕は京都で観た記憶があるから、きっと夏休みの帰省中だったのだろう。「あしか作戦」や「リリト」「メランコリア」といった代表作も展示されていた。

キーファーの何がそこまで衝撃的だったかというと、彼は間違いなく美術を通じてなんらかの「意味」と「思想」を、われわれに問いかけようとしていた。
それは80~90年代の現代芸術においては、きわめて稀なスタンスだった。

20世紀の美術史とは、拡張の歴史である。
扱える画題が拡張され、美の範疇と定義付けが拡張され、様式と方法論が拡張された。
印象派の活動は、絵画芸術を画題の制約やヒエラルキーから解き放ち、「視覚的認知の二次元平面への転写」の実験として再定義した。
フォーヴィストが色彩の実験を、キュビストが形態の実験を推し進め、ダダイストは美の既成観念を破壊し、シュルレアリストは絵画の意味世界に深層心理と偶然性の領域を持ち込んだ。前衛の時代を経て、絵画芸術はやがて、額縁が四角くある必要もなく、キャンバスが布である必要もなく、何をどのように描いても別段構わない、自由な存在へと変容した。

だが、それらの「色彩」や「形態」「基底材&画材」「モチーフ選択」にまつわる大いなる実験のなかで、いつしか希薄になっていったのが、元来絵画が担っていた「意味」のフェイズの価値づけだった。
ポストペインタリーアブストラクトは、絵画からむしろ意味性を奪い取り、具象を捨てて抽象を志向する道を選択し、もしくは純粋に美学的な実験であろうとした。
ポップアートはコミックや消費財を美術館に展示するアートの画題として導入したが、それらは意味性を深めるというよりは、大衆社会を批評し、ある種「奇をてらう」こと自体が目的とされた動きだった。

そんななか、アンゼルム・キーファーは、絵画芸術にもう一度「意味」を取り戻そうとしたという点で、きわめて斬新であり、同時にきわめて復古的な芸術家でもあった。
彼は、「何が」「どのように」描かれているかを鑑賞者に考えさせることで、作品の背景に複雑な「意味」と「思想」の領域が存在することを深く印象づけようとした。
彼の作品の「解釈」には、大前提となる「歴史」「宗教」「神話」についての知識と共通理解が必要とされた。あるいは、そこに「錬金術」や「神秘学」といった補助線が援用されることもあった。
キーファーは、「あらゆるマテリアルを用いて自由に表現する」現代的手法を用いながら、その手法を美学的に探求するのではなく、その手法によって表しうる意味性の世界を追求し、深掘りしようとしたのだ。
それはまさに、16~19世紀においては一般的だった絵画鑑賞のオーソドックスな文脈に、現代芸術を回帰させようとする試みだった。

彼は、つねに宗教的/歴史的な含意のある作品を制作してきた。
彼は、鉛や藁や釘や衣類や砂や骨や枯草など、ありとあらゆる物体を、そのままキャンバスの上へと導入する。画面に塗り込められた衣類は、いつしかワルキューレを模したトルソーへと変化し、ナチス・ドイツの歴史を想起させる戦場の女神として、鑑賞者に自省と再考を促すだろう。
彼の作品には、常に廃墟のイメージ、朽ち果てるイメージがつきまとうが、これは戦後ゼロ年の瓦礫と化したドイツに生まれた彼の原風景でもある。同時に、彼はそれらの「廃墟」「瓦礫」「腐敗」「劣化」のイメージを、銅や鉄によって固着させることで永遠化しようとする。長い年月を経て荒れ果てた物質の外観を、彼は金属で模して、その一瞬をアートとしてとどめようとするのだ。

アンゼルム・キーファーの作品は、常にモニュメンタル(記念碑的)である。
巨大で、風格があって、重みがあって、年輪を感じさせる。
藁や日常品を貼り付けられた画面は、荒れていて、偶発的な形状の美に満ちているが、それはちょうど年経た巨樹や巨岩を鑑賞するのにも似て、観客を永劫の歴史と神話の世界に導く。キーファー作品に対峙するということは、人類の歴史と対峙することであり、誰もが胎内に抱えているユング的な神話世界を活性化させることでもある。

キーファーは、ありとあらゆるマテリアルを駆使し、その痕跡を画面上に残す。
この手法自体は、いかにも20世紀的だ。
だがキーファーは、この現代的な手法を用いて、あえてオーソドックスに「歴史と宗教と神話」の世界を語り、鑑賞者に「畏怖」と「崇高」の感情を抱かせようとする。
これはまさにゴチック~ルネサンスの宗教芸術の志向性と軌を一にするものであり、16世紀フランドルを卒論のテーマに選んだ僕にとっては、非常に受け入れやすい感性だった。

そんなこんなで、僕はキーファーが大好きになった。
だが、彼がフランスに移住してからの創作活動に関しては、まったく状況がわからないままだった。その後、回顧展も来ないし、情報も伝わってこない。たまに現代美術の展覧会のうちの1点として見かけたり、欧州旅行中に美術館の常設展示で目にする程度。

その意味で、今回の『アンゼルム』にはたいへんに期待していたのだった。

― ― ―

で、どうだったか。
結論からいうと、ヴィム・ヴェンダースの映画としては、それらしいルックを備えているし、絵画鑑賞にも似たゆったりしたテンポの撮影は、キーファー作品を擬似体験するにはうってつけだ。
だが、アンゼルム・キーファーという偉大な芸術家を、まだあまり知らない人達に「紹介」する「プロモーションフィルム」としては、いささか物足りない出来だったというのが、僕の偽らざる感想だ。

個人的には、もっと正攻法でやってほしかった。
アトリエ内をくまなく撮って回って、
出来る限りたくさんの作品を映して、
なるべくキーファーにしゃべらせて、
彼の制作風景を映像として記録する。
なるべく長尺で、演出もなく淡々と。
それで、十分だった。

まず、作品を捉える画角に、ヒキが多すぎるのが気にくわない。
キーファー作品の真骨頂は「モニュメンタリティ」だ。
そっと風景にまぎれて佇んでいるような公共芸術ではない。
周辺を圧するオーラで観る者を釘付けにする、猛烈に「圧の強い」芸術だ。
ヴェンダースの引いた視点では、その圧倒感がどうもうまく伝わらないのだ。
もっと近くに立って、360度煽って撮ってほしかった。
作品の巨大さ、風格、孤高の精神性を身近に感じさせてほしかった。

一方で、キーファーの真骨頂は「マチエール」にこそある、という言い方も出来る。
マチエールとは、絵の具の材質と使用状況からなる絵肌の調子のことを指す美術用語だ。
あらゆる文物を貼り付けた、独特の荒れた表面の感覚。あれこそが、キーファー作品をキーファー作品たらしめていると言って良い。
それなのに、ヴェンダースの撮り方には、近接写が足りないのだ。
もっと、寄せて、寄せて、寄せまくって、撮ってほしかった。
画面上で素材と偶発性の織り成す機微を、肉眼で顔を寄せて追い続けるように追ってほしかった。

3D撮影という選択自体は、わからないでもない。
むしろ、正しい選択であるように思う。
キーファー作品には立体造形も多いし、空間内の彫刻作品の雰囲気を知るには、3Dはメディアとして適任だからだ。画面のマチエールのニュアンスを捉えるという意味でも、3Dは2Dより情報の劣化が少ない。
なのに。なぜ、そのうまみを生かして、画面の微細な質感をじっくり捉えようとしない?

ヴェンダースの撮り方は、総じて冷徹で落ち着いた、ぐっと押し殺したものに終始している。それはたしかにスタティックで、スタイリッシュだけれど、僕のキーファー愛には残念ながらこたえてくれていない。
キーファー作品の本質は、「ミクロ」と「マクロ」の振幅の大きさだ。
そこを、うまく捉え切れていない。

こういう撮り方をするのなら、3Dでなくてもよかったくらいだ。
3D映像は、たしかに三次元空間を的確に認識できるが、妙にクリアすぎて人工的な感じがするし、メガネのせいで光量が落ちて画面が暗くなる。映画の佇まいがシックで地味に落ち着いてしまう。要するにメリットもあるぶん、デメリットもある。
なにより、ふだんメガネのうえにメガネなんかかけないから、どうしても気が散ってしまう。そして、暗くて、地味で、気が散ると……つい眠たくなってしまうではないか(笑)。

― ― ―

映画としては、少年期と青年期のイメージ映像を随所に導入して、それらしい仕上がりになっている。なっているとは思うが、せっかくキーファーの存命中のドキュメンタリーなのだから、もっと彼の人となりを知りたかったし、ふつうにしゃべらせてほしかった。

むしろ、映画の本編よりも、映画の宣伝で映画館サイドが外に掲示してあった田中泯のインタビュー(まさにこの映画.comの6月8日の記事)のほうが情報量が豊富で楽しかったくらいなのだが、彼いわく、アンゼルム・キーファーは哲学者みたいな風貌だけど、ダジャレばっかりいってる結構楽しいオヤジらしい。そういう一面はちゃんと見せてほしかったなあ。
(ヴェンダースとキーファーと田中泯は、同じ第二次世界大戦終戦の年に生まれ、キーファーはドイツ大空襲のさなかの3月8日、田中泯は東京大空襲のさなかの3月10日、ヴェンダースは原爆投下直後の8月14日に生まれている。三人とも現役バリバリ。おそるべき79歳ズだ。)

もちろん、面白かった部分もたくさんある。
何より、ドイツ・ヘッヒンゲンの旧アトリエと、フランス・バルジャックの新アトリエの内部に入り込んで、その芸術家のアトリエと呼ぶには破格の規模(バルジャックのアトリエの敷地は35ヘクタール、東京ドーム数十個分!)の様子をフィルムにおさめてくれただけでも素晴らしい。
てか、ほぼこれ、キーファーの個人美術館だよね。
明らかに、もう売らなくても生活できるのか、自作を一か所にきちんと確保して、インスタレーションとして並べている気配がぷんぷんするんだけど。
今でも館内ツアーとかないのかな? 死んだらちゃんと保存・公開してくれるんだよね?
超・超・見たいんだけど。
田中泯いわく、50以上のガラスルームがマテリアルの保管庫になっていて、すべてが地下道でつながっているらしい。なんだよ、そのお手製ダンジョン……。

巨大なアトリエのなかを、自転車で口笛を吹きながらうろつきまわるキーファー。
コロのついた背丈の3倍くらいある作品を押し出して自走させるキーファー。
キャンバスに貼り付けた藁をバーナーで焼き尽くして痕跡を残すキーファー。
背の届かない作品に、重機に乗って木べらでペンキを塗りたくるキーファー。

うーん、クールすぎる!!

あと、キーファーが斜めに張ったワイアーの上を、バランス棒をもって綱渡りしてる映像が突然挿入されるんだけど、なにあれ?? 趣味? 健康法? なにかの宗教儀式?
なんでイメージ映像みたいに流すんだよ。ちゃんと説明してくれよ。70代後半の老人で、綱渡りのできるアーティストってどんなスーパーマンなんだよ(笑)。
(全体にこの映画は、今どこで何を撮っているかの説明がほとんどなく、ところどころにフッテージ映像や若いころのインタビュー、新撮の再現映像などが散りばめられていて、映画らしいといえば映画らしいが、とにかく状況が追いづらい。ドキュメンタリーフィルムとしてはかなり「不親切」な部類に属すると思う……)

映画の出来自体には得心がいかなかったが、あらためてキーファーへの自分の愛情は確認できた。そして大きな目標がひとつできた。
必ず、バルジャックにあるキーファーのアトリエが公開されたら、行ってやる!!

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じゃい

4.5キーファーを追ってくれたのは感謝。とはいえ、ベンダースゆえ、寓意的...

2024年7月15日
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キーファーを追ってくれたのは感謝。とはいえ、ベンダースゆえ、寓意的で分かり辛い。あとの人が見ても分かるようにまとめるべきだったんちゃうか? ドイツというテーマも大きかった。

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えみり

2.5無題

2024年7月10日
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キーファーの作品紹介としては成り立っているものの、キーファーに上手く煙に巻かれた様な内容でした💨

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北三田

5.0観た中で過去最高のアートドキュメンタリー

2024年7月10日
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今朝は満員電車に内臓まで押し潰されながら日比谷

ヴィム・ヴェンダースが撮った、アンゼルム・キーファーのアートドキュメンタリーフィルム🎞️「アンゼルム」の朝イチの回へ

ゲルハルト・リヒターと並ぶ現代アートのスーパースター アンゼルム・キーファーの入門篇、 来春の京都二条城での大規模個展の予習のつもりで、映画としては期待せずに気楽に鑑賞

キーファーには膨大な作品群があり、断片でしか見せられない映画の制約ある映像表現でどこまで我々観客に伝わるものなのか?そんな懐疑的な気分で見始めた

時代背景など、くどい説明は一切せず、少年時代のキーファー、過去、物議を醸した作品へのメディアインタビューの核心部分のキーファーの短い回答をインサート
時々画面に登場し創作活動を繰り返す作家本人は終始無言を貫く😑

作品も部分や断片しか写せないにも関わらず、何故だろう キーファーが歩んだイバラの道のような人生がジワジワ、鮮明に浮かび上がってくるではないか
凄いなヴィム!

最後にはこのフィルム自体が巨大なオブジェ、ギミックが仕込まれた芸術作品みたいに仕上がった気分を抱き、さざ波のような静かな感動をもたらしてくれた
来春、京都でのキーファーの個展が楽しみでならない

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あさちゃん

3.5アンゼルム・キーファーの生き様

2024年7月6日
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知的

寝られる

現代美術家アンゼルム・キーファーの
ドキュメンタリー映画

映像として美しく面白いかなとは思う

ムビチケで座席予約できず
仕方なく新宿武蔵野館という初訪館の劇場で鑑賞

3D&6Kが売りの作品なのに2Dで上映ですと
まぁ、設備の関係だろう事はわかるし
ドキュメンタリーは、娯楽性の高い映画と比べたら儲からないだろうけど

思ってしまった
「上映館ぐらいちゃんと選べよ‼
金儲けしか眼中になく鑑賞者のこと蔑ろにしてるんかね⁉」と···

まぁ、作品づくりの経験と
昔キーファーの作品を鑑賞した時の
経験を活かして脳内補正しましたけど

冒頭と所々のマッタリと優しい感じに
眠気を覚えながらも(となりのほうの人寝てた)

キーファーの表現者としての姿勢、思想、知性、活力に感銘を受ける映画でした。

個人的には、「時間」を重要なファクターとして捉える
キーファーの作品を通して
これから先の人生に一筋の光明が差し込むようでした。

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ぴぃや

3.0なんでこんなに巨大なアトリエ持てるのってところが正直一番気になりはしたが

2024年7月5日
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鑑賞方法:映画館

知的

寝られる

しょっぱなから、巨大なアトリエ出てくるし、作品も大きいが作成に使う道具や材料にしてもものすごくお金かかってそうってところに関心が行ってしまった。
最初の場面から3Dでアート作品を見ることの面白さはわくわくしたが。
3D眼鏡で確かに立体に見えるけれど、遠くと手前は違和感あるのね。
それはともかくとして、この作家の作品が、もう描いちゃうより、物質使っちゃってくっつけちゃった方が早い(確かにそうだって思った。)みたいなこと言ってる部分あり、
立体であることが重要なので、3D映画にする意味があったんだなというところは納得。
映画館で見るからこそ、壮大さが味わえる。
しかし最初の方、これって何人か別のアーティストが出てくるのか?って思うほど、
唐突にシーンが変わるのだが、その工夫は、それがないとただのドキュメンタリー映画になってしまうからなのか?現在に近いって言うかアーティストとして完成していっていくにつれて、作品について口ではペラペラ語らないから、若い時の話を織り交ぜることで
どうしてこうなっていったかが説明できるってことかなあ?
ナチスに利用された作家について、彼が取り上げた時のエピソードのことなど
へぇ、そんなことがあったのかとか、そういうとりかたがあるのかとか、
彼のインタビューの受け方の姿勢には驚くところがあった。
若い時から自然に対峙して、自分ならではの考えをもち、深く考えて、作品を作ってきた。彼独自だからこそ、そういう生活とかけ離れた自分たちには、一見してその作品を理解しがたいのかも。
現代アートの作品を展覧会で色んな作家の物の中の一つとして見ても、なんか奇妙なものにしか見えないかもしれないが、同じ作家の作品を膨大に連続して見せられると、
作家が作り続けているストーリーが分かりやすいのだなと感じた。
翼のモチーフが何度も出てくるが、それはヴィム・ヴェンダースとこの作家のどこか心の奥に通じる何かがあるのかなと思った。
全体を通して、戦後ドイツについてこだわり続けているのは何か遺伝子レベルなものがあるのだろうかとも思ったが、最初の方で、アンゼルム・キーファーが自分には語る権利があるみたいなことを言っていたのが、そういう作品つくり続ける理由であり、それについて伝え続けていくことが彼の使命なわけなんだな、と単純なことなのだがあとで納得した。
これから戦後ドイツやナチス関係の作品を見るうえでも、見方が変わりそう。

それにしても日本ではどれだけ彼が知られてるのかわからないが、ものすごい膨大な資産ありそうなのは、成功したからなのか、ものすごい資産家のパトロンがいるのか?
単純にそこんところ気になった。大切なことを伝えている作家だから、彼の作品作りのためにそれだけお金を出す価値があるとしてお金を出す人がいるのは意味があるとは思うが。

しかしこれは、食後に行くと相当眠くなる映画だろうとも言える。
実際、周りで寝てる人いたし・・・・

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しゅま子

3.5夜明けの黒いミルク

2024年6月27日
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鑑賞方法:映画館

巨大な作品を作成するために廃工場をアトリエにし、
アトリエ内はあまりにも広いので移動は自転車
絵画に藁をつけてバーナーで焦がしたり、鉛を溶かして絵に撒いたり、一見シワシワの紙のように見える鉛に描いた絵や
トルソーに着せたようなドレスのオブジェなど
3D鑑賞で臨場感たっぷりに鑑賞出来た
事前にファーガス・マカフリー東京で、アンゼルム・キーファーによる個展「Opus Magnum」(7/13まで)でガラスケースに入った小さめの作品と水彩画20点を見ていたので映画も心待ちにしていた。
戦後生まれのアンゼルムが、大人たちが蓋をしたドイツの過去を開け放ち過去と対峙する様子が描かれている。
子供時代のアンゼルム役はヴェンダースの孫甥で、
青年時代のアンゼルム役はアンゼルムの息子さんだそう。
息子さんそっくりだった。
来年京都で大規模アンゼルム展をやるそうですが
そこには持って来れない大きさのものを沢山鑑賞できるのでおすすめです。
そして、何より、しっかりヴェンダース映画だった

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m m

3.0アンゼルム

2024年6月27日
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鑑賞方法:映画館

最大の作家の創作現場はどんな感じか?
アトリエのスケールがデカい。
地震が起こったらどうするんだろうなどとどうでも良いことを思ったけれど、もともと廃墟なのだから、崩れ落ちたところで成立しない強度ではないんだろう。
ヨウジ、サルガド、ピナに続くコレクションとも言えるけど、いつもよりWimが気合いが入っている。
映画からは遠いけど。
キーファーは、2023Dec7以後のドイツの状況をどう見ているのか?

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pigeyes

3.0アンゼルム・キーファー。 作品の大きさもさることながら、その数、展...

2024年6月26日
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鑑賞方法:映画館

アンゼルム・キーファー。
作品の大きさもさることながら、その数、展示用建物の大きさ、その敷地の大きさ。
スケールが違う芸術家。
知ってたかって?
それはオイラに聞くほうが野暮だろう。
ドイツと日本の国土面積はほぼ同じだけど、活用できる土地は広いんだね。

普通の映画と違って、かなり眠くなっちゃう作品。
いちばん前で観ればよかったかなぁ。

鉛の板なのか·····
危ねえな。下敷きになったらおしまいだ。
ヨーゼフ・ボイスの名前も出てきたが、
眠かったので詳細はわからずじまい🙏
ノーコメントです。

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カールⅢ世

4.0ただのドキュメントにしないのが、ヴェンダース流

2024年6月24日
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鑑賞方法:映画館

知的

難しい

寝られる

ヴェンダース監督のドキュメント作品。
どうなるかと思ったが、ただのドキュメントにしないのがヴェンダース流。再現ドラマも入れつつしっかりドキュメントに仕上げるのはさすがヴェンダース監督だ。
再現ドラマにはヴェンダース監督の孫アントン・ヴェンダースが出演している。エンドロール見て驚いた。
アンゼルム・キーファーは前ドキュメントで観たヨーゼフ・ボイスっぽい芸術作品が目立つ。作品、作品への想いはなるほどと唸らされた。
ヴェンダース監督の目のつけどころがいい。PERFECTDAYSのイメージは捨てて鑑賞した方がいい作品です。
ただのドキュメントではないのがヴェンダース監督らしい。

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ナベウーロンティー

4.53Dで描かれる静謐な世界

2024年6月23日
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鑑賞方法:映画館

興奮

知的

アンゼルム・キーファーの世界を3Dで闊歩できる、時間を横断するロードムービー。
まるでSF映画のような不思議な世界に没入できる幸せも味わえるし、必要最低限の作品の成り立ちについての解説もちゃんとしてくれるから、じっくりとその世界に浸れる。キーファーのまるでなにかの工場のような巨大なアトリエの迫力と制作風景。作品そのものに侵入していくかのような3D表現。ガチャガチャしたアクションだけでなく、こういう3Dの使い方もあるんだなと感動した。美しい。これは劇場で観てよかったなぁって心底思える作品でした。

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しん

3.0ドキュメンタリーが好きで見に行ったけど、 監督のファンだとか、 ア...

2024年6月22日
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ドキュメンタリーが好きで見に行ったけど、

監督のファンだとか、

アンゼルムのファンだとか、

そういうのがないときつい気がする

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jung

3.0ドイッチェ新表現主義の系譜なんだろう

2024年6月21日
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鑑賞方法:映画館

難しい

アンゼルムを知らずに、彼のコンセプトに、ただならぬ妖気を下記の作品紹介を読んで訪ねてみた。

それと、ヴェンダース監督の昨年の作品に落胆して本ちゃんの本気の映像確認のため鑑賞した訳だ。

正に、芸術家が芸術家を語り紹介し合うその尊厳の響きに感銘を受けるしかない。

そして思い出した。
アンゼルム?そうか彼のあの作品なら国立国際美術館で何度か鑑賞したことがあった。

映画にも出てきたあのモチーフだ。
星降る暗黒の天空を見上げ、大地に横たわる男。
あの静寂感、孤独感、孤高感は印象的だった。

ビルの壁面ほどに大きなキャンバスに色々なものを焼き付ける痛々しく暴力的な画法による作品群の荒廃感は、
アートはゴミだなぁ

まあ、彼ら二人がまだ存命している最中にこの映画を鑑賞出来たことは何より意義があった。

本作は『PERFECT DAYS』が出品された第76回カンヌ国際映画祭で、
ヴィム・ヴェンダース監督作品として2作同時にプレミア上映された。

この2作を鑑賞してこそ、
監督の芸術論に近づけることが分かると言うものだ。

納得、そらそうだ。納得。

(^O^)

アンゼルム “傷ついた世界”の芸術家

ドイツの名匠ヴィム・ヴェンダースが、戦後ドイツを代表する芸術家アンゼルム・キーファーの生涯と現在を追ったドキュメンタリー。

ヴェンダース監督と同じ1945年にドイツに生まれたアンゼルム・キーファーは、ナチスや戦争、神話を題材に、絵画、彫刻、建築など多彩な表現で作品を創造してきた。

初期の創作活動では、ナチスの暗い歴史から目を背けようとする世論に反してナチス式の敬礼を揶揄する作品をつくるなどタブーに挑み、美術界から反発を受けながらも注目を集めた。
71年からはフランスに拠点を移し、藁や生地を素材に歴史や哲学、詩、聖書の世界を創作。作品を通して戦後ドイツと「死」に向き合い、傷ついたものへの鎮魂を捧げ続けている。

ヴェンダース監督が2年の歳月をかけて完成させた本作は、3D&6Kで撮影を行い、絵画や建築が目の前に存在するかのような奥行きのある映像を表現している。

アンゼルム・キーファー本人が出演するほか、再現ドラマとして息子ダニエル・キーファーが父の青年期を演じ、幼少期をヴェンダース監督の孫甥(兄弟姉妹の孫にあたる男性)アントン・ベンダースが演じる。

本作は『PERFECT DAYS』が出品された第76回カンヌ国際映画祭で、
ヴィム・ヴェンダース監督作品として2作同時にプレミア上映された。

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カール@山口三