「【”誰もが人生の主人公”今作は現代中国の家族、競争化社会、人生観、死生観の観点も取り入れ、知らない人の人生を丁寧に調べ弔辞を代筆する、脚本家になる夢を諦めた男が徐々に再生していく物語である。】」来し方 行く末 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”誰もが人生の主人公”今作は現代中国の家族、競争化社会、人生観、死生観の観点も取り入れ、知らない人の人生を丁寧に調べ弔辞を代筆する、脚本家になる夢を諦めた男が徐々に再生していく物語である。】
■大学院まで進学しながら、脚本家の夢を諦め、精気のない表情で過ごすウェン・シャン。(フー・ゴー「鵞鳥湖の夜」以来である。)
彼は、弔辞の代筆(って、そんな商売あるんかい?)で生きている。
丁寧な遺族、知人への取材に基づく弔辞は好評だが、同居人シャオイン(ウー・レイ)から、色々と突っ込まれている日々である。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
ー ウェン・シャンが弔辞の代筆を請け負った人達 ー
1.亡き長兄の人物像が異なる弔辞を依頼した弟と、海外にいる妹。
2.仕事に忙殺されて、同居していたのに亡き父と会話が無かった息子。で、ウェン・シャンが所在中も矢鱈とメールが来て仕事の指示を出している。
3.余命宣告を受けた老婦人は、自身の弔辞を依頼する。
4.一緒に起業した親友の急死に戸惑い、会社が傾きかけている中頑張る、誠実な青年。
ウェン・シャンは、彼らから、故人の人柄を丁寧に取材し、故人の人生に向き合い弔辞を書いて行くのである。
・ウェン・シャンの、故人の人生を取材により時系列にまとめ、弔辞に入れて良い事、入れない方が良い事をキチンと整理していく姿。彼の誠実な人柄が見えるし、それをフー・ゴーが繊細に丁寧に演じているのである。
・そして、ウェン・シャンはその作業の過程で、知らなかった人間の弔辞を丁寧に取材し書くことで、社会から取り残されているのではないかという焦燥感や、諦観を徐々に取り払って行くのである。
・アクセントとなっている、同居人シャオインの存在自体が、ウェン・シャンの創造物だったという設定も、この作品に不思議な余韻を与えていると、思ったな。
<今作は、現代中国の家族の在り方、競争化社会、人生観、死生観の観点も取り入れた、知らない人の人生を丁寧に調べ弔辞を代筆する脚本家になる夢を諦めた男の、徐々に再生して行く物語なのである。>
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