小学校 それは小さな社会のレビュー・感想・評価
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素晴らしい映画でした
見て良かったです。子どもたちの優しさに感動しました。小さい社会で自分の思い通りにならないこともありますが、泣いている子には回りにいる子が声をかけたり、手伝ったりする姿がありました。泣いている子の心の葛藤も垣間見れました。先生たちもそれぞれの強みを生かし働かれていて、大変なお仕事だと感じました。大勢の保護者の方やお子さんが出ていたので一人一人の許可を取るのが大変だったのではと思いました。素敵な作品でした。他の人にもおススメしたいです。
日本の教育の長所を抽出した作品、泣けました~。
出演者は、皆さん素人の方なのでしょうか?
カメラを向けられていることが信じられないくらい、先生方も子どもたちもナチュラルです。
先生方は、子どもたちに寄り添い、基本的にやさしく接しています。
子どもたちも、喧嘩などなく、穏やかです。
1年生のクラスも落ち着いていて、一見私立の小学校なのだろうかと思いました。
さすが世田谷です。
印象に残ったのは、6年生の放送委員の男の子。
運動会の団体種目のために、一生懸命2重飛びの練習をして、当日見事に演じ切ります。
胸アツです。
そういえば、息子たちも縄跳びを結構練習していたなーと思い出しました。
この映画でフォーカスされた子どもたちは、いわゆるいい子たち。
1年生のクラスではいなかったけれど、6年生の方では学校がしんどそうな子も見かけました。
先生方があまりにも子どもたちに一生懸命で、もう少し自分の生活を大切にしてはと感じるほどでした。
6年1組の担任の先生が、「言葉が子どもたちの心に届くように」という想いで、6年生に厳しめの言葉で注意するところは、心に沁みました。
なぜなら、中学校は、小学校よりも先生との距離が遠く、ある程度自立した行動を求められるからです。
反面、1年生の合奏の指導している先生が、練習中に間違えた1年生の女の子を厳しく叱責する場面は、ちょっと引きました。
1年生なら、その子なりに一所懸命することが大事で、失敗したらそこから学べばいいのではと思いました。
ラスト、卒業式は、息子たちのそれを思い出して、涙駄々洩れになりました。
息子たちが合唱した「3月9日」を歌われていたら、号泣していたかもしれません。
そして、新1年生の入学式で、新2年生たちの合奏がうまくいって、また涙。
一生懸命の子どもたちに、幸あれと願いました。
個人主義の欧米から見たら、和を大事にする日本の小学校の様子は、よく見えるかもしれません。
ホントは、両方が合わさって、個人が幸せでありながら全体も満たされる、そんな社会が最高。
学校教育のアップデートは、今こそ必要ですね、きっと。
不登校の現役中3が感じた「本作に仕込まれた二重構造」 ※映画鑑賞後に読むと10倍面白い
※タイトルにもあるとおり、先に一度映画を鑑賞し、ご自身の感想を持ってから読むことを強くお勧めします。鑑賞前に読むと、映画を純粋に楽しめなくなるかもしれません。
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他のレビューはおそらく大人の視点から書かれているが、私は今まさに義務教育を受けている年齢、それも不登校の立場からのレビューだ。
結論から言えば、この映画は立場によって全く異なる感想を抱かせる"二重構造"を持つ作品である。
ホームページでは小学校のことがすごくポジティブに書かれていた。
「世界各国で大反響!」「日本の教育も悪くない」とか。
映画を見た外国人が小学校の教育を賞賛しているコメントをアピールしていた。
だから、さぞかし「日本の小学校っていいな」って思える映画なのだろう、と思い、鑑賞を楽しみにしていた。
だが、実際は全く違った。
むしろ、鑑賞後に真っ先に浮かんできた感想は「教育って難しいな」ってこと。
予想通り、鑑賞中は何度も泣いた。泣いた場面と理由は様々で「先生が苦労し試行錯誤している」「1年生なのに責められて可哀想」「この子、成長してるなあ」とか。
泣いたけれども、小学校に対して肯定的な意見は持てなかったし、単なる「感動的な映画」で片づけられるものでもなかった。
私は中学生の初めから不登校になったが、小学校は通いきった。
その上で「1年生ってこんなに厳しかったかな?」って思った。
少なくとも、これが「平均的な現代の小学校」とは思わない方がいいかもしれない。
特に印象に残ったのは、1年生が新1年生を歓迎するために楽器を演奏することになった場面。
楽器が全然できなかった女子児童1人を先生が責め、他の児童に
「なんでみんなはできるの?」→他の児童「きちんと練習してるからです」
「オーディションに受かったらそれで終わり?」
的なことを言ってとにかく泣かされていた。胸が痛くなった。
その後無事に楽器を演奏できて、先生に褒められる、って流れなんだけど、さすがにこれは気持ち悪くなった...。
いじめの原因を作っているような。というか、他の児童を引き合いに出して「きちんと練習してるからです」って言わせるのって、"先生公認のいじめそのもの"な気がする。
繰り返しになるが、この部分はかなり心に残った。
「この子、可哀想だな」と感じ、まるで自分が責められているかのように、ここでめちゃくちゃ泣いた。
ただ、ここまでではなくても、私の小学校でも公開処刑が何度もあったことは事実。
小中学校の悪いところってまさにそれで、なんでも「集団責任」「公開処刑」の傾向が強すぎる。
集団のミスならまだしも、個人のミスなら、あとで呼び出して1対1で叱ればいいだけなのに。
あの女子児童や私たち日本人の多くが経験した"洗脳"はこうだ。
①公の場で自分1人だけ叱られた児童は、精神的ダメージを受ける
②自己肯定感がすっごく下がる
③その後、小さな成功や褒められることで精神的な報酬を得る
④それにより、叱られたこと自体を「自分が悪かったから」と納得するようになる
⑤結果的に、教育システム(または権威者)への従属意識が強まる
これは日本の教育現場で多用されているが、学校に限らず社会でも日常的に行われている手法だと思う。
そう、この場面も、"社会の縮図の一部"として機能していたのだ。
実は私も、小学5・6年でこの手法を多用する先生に当たった。
自己肯定感は下がり続けたが、小さなことで褒められたのでその先生を好きになった。最初は「こんなことで怒るの?」と思っていたが、次第に納得し、自分の心の中でさえ反抗しないようになっていった。ーーそう、これが「洗脳」だ。
なんとか小学校は乗り越えたが、中学校に入りさらに自己肯定感が下がり、耐えられず不登校になった。そのとき、小学校の日々が"洗脳"だったことに気づいた。
もし中学で不登校になっていなければ、洗脳には気づかないままだっただろう。
ただ、今の教師に1対1で向き合って叱る時間なんてないのかもしれない。見せしめ的な意味合いもあるのだろう。その根底には、教師不足もあるのではないだろうか?
だから、各々の教師のやり方だけが悪い、とも言い切れないのがまた複雑である。
もちろん、「叱られるようなことをする自分が悪い」と言えばそうかもしれない。叱られることを最初からしなければいいのかもしれない。環境のせいにしてはいけないのかもしれないし、実際私は自分も悪かったとも思っている。
でも、この女子児童が叱られているところを、当事者ではなく第三者の視点から見て、確信した。
「それでも、こんな叱り方は間違っているのではないか」と。
むしろ、私はこの映画を観て改めて「中学生で不登校になってよかった」とも思ってしまった。小中学校のつらい日々を思い出してしまったからだ。
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映画の意図について考察
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この映画では細かいところで児童が先生に注意される様子が度々見られる。
監督は、あえて"窮屈に感じる日本教育らしい場面"を多く選んだのかもしれない。
他にも印象に残ったシーンはある。
「ふざける1年生の児童に児童同士で注意しあうシーン」
「運動会の縄跳びがうまく跳べない6年生の児童に、ペアの子が指摘するシーン」
これらのシーンも、児童が日本式教育を施され、日本人として仕上がっていることの象徴だ。
このような「児童同士の指導」をするように仕向ける教育は、言い換えれば「同年代の子供同士が集団内の規律を守る役割を担わせる」ということ。
700時間の撮影の中であえてこれらのシーンをカットせず入れたのは、「日本的な集団の在り方」を描こうとしたのだろう。もちろんそこには賛否両論あって当然だ。
この映画は、日本社会や保護者にとっても日本の教育を再考できるいい機会になると思う。
最初に"二重構造"と言ったのはまさにこれだ。
外国人から見れば、自分の国の教育の悪いところを埋めているように見えて「日本の教育は素晴らしいな」と思うのかもしれない。
だが、日本人から見れば、日本の教育について再考し、賛否両論を巻き起こす"起爆剤"となるのだ。私や他のレビューにあるように。
もしかすると、この映画は最初からそのような狙いがあったのかもしれない。
山崎エマ監督は中高ではインターナショナルスクールも経験している立場だ。
ホームページにもこう書かれている。
「いま、小学校を知ることは、未来の日本を考えること」
つまり、日本人の鑑賞者に対する、監督の本当の狙いは「未来の日本社会のために、日本人に教育の在り方を考えさせること」だったのではないだろうか。
もしそうなら、このレビューサイトで私を含めた多くの日本人の間で賛否両論を巻き起こしている時点で、その狙いは一部成功したと言えるだろう。
かくいう私も、「教育は何が正解なのか?」は分からない。
教師不足もあり、教育のリソースには限りがある。また、日本社会で生きていくためには、こうした価値観を均等に植え付けることが必要なのではないか、という考え方もある。
総じて「教育って難しいな」という結論に至ったのだ。
「学校教育の在り方」「日本人とはなにか」について改めて考えさせられる、ある意味での傑作であった。
それは小さな日本⁈
やや(海外視点で)わかりにくい点はあろうがおすすめ枠か
今年31本目(合計1,573本目/今月(2025年1月度)31本目)。
この映画それ自体は日本の映画で日本の小学校の、新1年生と6年生の1年の生活、そして新2年生と中学生へ(=小学校の卒業式まで)を1年扱ったドキュメンタリー映画の扱いですが、公式サイト等にあるように海外で見ることが相当考慮されていて、エンディングロールにはその旨のクレジット等や関係者の名前もあがります。
公立小学校ということなので、昔も今も変わっていない部分もあれば、映画で扱われているのが2021年以降という事情もあるのでコロナ事情によるいわゆる自宅学習やタブレット学習といった、やはり公立といっても10年、20年前ではなかったようなことも扱われているので、ここはやはりコロナ事情が(結果的に、一過性のものではありましたが)特殊な部分もあるので、そこを特に強調すると「コロナと小学校の在り方」という別の論点になってしまうのではないかな、といったところです。
気になった点として、ややプライバシー保護が「すぎるかな」といった点があります。明確に名前が出てくる登場人物(児童)以外の児童は名札などにうっすらモザイク(ぼかし)がかかっていますし、登場人物としてあげられる児童数名も全て「ひらがな」の名前での紹介です(もちろん、本名がひらがなの子もいましょうが、全員ということは考えにくい)。
こうした事情から、一部後半からわかりにくい点があり、そこがどうかなといったところです。
採点に関しては以下まで考慮しています。
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(減点0.2/一部の理解がわかりにくい部分がある)
上記のプライバシー保護の観点で名札などにうっすらぼかしがある点を書きましたが、この関係で、映画後半から終わりかけに登場する、当時1年生(映画内では、2年生となる直前で1年生を迎える会の話に登場する)の登場人物の一人、「あやめちゃん」の部分(その新1年生を迎えるための音楽会に参加するという趣旨の部分)で、誰が誰かわかりにくい部分があります。
※ 女児の名前として「あやめ」は時々みますが、海外では当然これら当然追加字幕はつくのだろうと思いますが、 Japanese Iris なのでしょうか?(いわゆる「あやめ」と「アイリス」は実際には同じものだが、それは花屋等では当然のことではあっても、一般には別扱いされるため)
(減点0.2/足し算の交換法則についてやや配慮が足りない)
1年生では1桁までの繰り上がりがある、1桁どうしの加法を学習します。その中で「11が答えになる計算式を色々探す」というカリキュラムの中で「2+9のカードがなくなった」という趣旨の話が登場します。もちろん答えはそれだけではなく(例えば3+8も答えになる)、「答えが11になるカードを全部探そう」という趣旨のものです。
ただ、答えが11になる点においては、2+9も9+2も同じであり、この点の話が出てこないので、この点やや配慮を欠くかなという気がしました(加法の交換法則ほかは3年以降の扱いですが、多少なりとも理系的な知識・教養がある子なら、「足し算について、交換法則(に相当するもの)が成り立つ」ということは推知できるため、それらに対する配慮が足りないわけです。
※ ただ、この「加法について交換法則が成り立つ」のは大学以降も含めて常にそうですが(代数上の環では乗法の交換法則は保証されない(それも成り立つのは可換環)ものの、加法の交換法則は常に保証される)、例えば文章題として「初めに9人の子供がいました。遊び友達に2人加わりました。合計で何人ですか?式と一緒に答えましょう」という問題なら、9+2を認めるのは当然だが、2+9を認めるかどうかは見解が分かれうる(このあたりが乗法(掛け算)で厳密にうるさく論争になっているのが、いわゆる「掛け算の教え方論争」という、実際にツイッター(現、X)等でしばしば問題になることがら)ところです。
希望に溢れていた
採点4.3
何とか観に行くことができました。
まず映像が美しくすごく柔らかいです。何だか陽だまりのよう。
カメラは子どもの目線、随所に差し込まれるアップのカット、何とも懐かしい気持ちになりました。
観ていて思うのが「そういえば子どもの時こんな感じだったなぁ」といった懐かしい気持ち。
そして自分の子らが今こんな生活に触れているんだなという、知らない時間を見たような新鮮な気持ち。
またコロナ禍での子らの学校生活はとても興味深かったです。
保育園も小学校もとても窮屈そうで、やっぱりこんな感じで過ごしていたんですね。
運動会や遠足がなくなったり、あってもすごく制限されていて、胸が痛かったの覚えています。
また、子ども達も大きくなった時観たら「そうだったそうだった!」ってなるんでしょうね。
また大人になってこの景色を見ると、少しずつ感じる違和感が散らばっていたりもします。
それは教育方法。時間通りの行動、机の並び、給食の食べ方、靴箱検査など、皆が一つに纏まるを一番とする先生の言葉、その世界は今見るとやはり少し気になるところがありました。
ピークに持ってきたシンバルの女の子は、演奏が上手くできなかった事を他の生徒の前で叱責されていました。これはちょっとなぁ。
そして校外の教授による講義で「協調性の高さは世界に誇れることであるが、それは諸刃の剣でもある」といった趣旨の言葉。これにはドキッとさせらレました。
このシーンを敢えて入れたのは、それを気づかせる意図があったのでしょうね。
少しネガティブな書き方になりましたが、別に全部が悪いとも思わないのです。
そうした中で磨かれた心や技術は、実際日本が世界に誇れる部分だとも思っています。
圧倒的に世界一の正確さを誇る鉄道など、まさにその表れだと思うんですよね。
それに怒られていたシンバルの女の子。彼女はクラスメイトに励まされ、練習の末無事習得していました。
皆に支えられ壁をこえて、その時の彼女の笑顔は素晴らしかったんですよ。
このドキュメントは学校生徒の一年間がうつされているのですが、メインは入学してから2年生になるまでの子ども達。シンバルの女の子たちですね。
一年を通したその成長には本当驚かされるんです。
まるで自分の子を見ているようで、ラストのカットからエンドロールはずっと涙が出ていました。
原題は「The Making of a Japanese」。
確かに作り上げる教育には考えさせられる部分もあるでしょう。
でもそれよりも、映る子ども達の姿は本当に希望に溢れて見えました。
ありのままの、素晴らしいドキュメンタリー作品でした。
こうして「日本人」になる…?
まこちゃんの2+9のカードがない!
すっかり大人になってしまったわが子らの小学校入学時を思い出して初っ端からじんわり。ピカピカの1年生と6年生を並べて、6年間で日本人として「できあがって」いくのもすごいが、生物としての細胞分裂度合いにも単純に驚く。
教室での黙食や修学旅行で全員前を向いた御膳の配置などコロナ禍で学校は大変だったとは思うのだが、若い先生たちの規律に向けての力の入りっぷりを観ていると、戦前の軍国主義教育への反省を國學院の教授が講演しているほどなので、やはり下駄箱の上履き並べ方チェックとか、なんでそんなことまでやるのか?と思う。J・K・シモンズじゃないんだから、シンバルできないあやねちゃんを泣くまで責めんでも…。
教育水準が高いと言われるフィンランドで本作が拡大公開されるほど日本の教育は(いろんな意味で)興味深いのかもしれないが、「日本人の作り方」という英副題になるほどと思いつつ、小学校の頃はまじめに教師の言うことをよく聞いていた自分がいつから捻くれた人間になったのかと考えると、日本人を作り出す社会の空気が初等教育の現場に滲み出ているという気もする。
とはいえ、ナチュラルな子どもらの姿を99分間眺めるだけで2024年末に微笑ましい気持ちにもなったのはたしか。
とても作為的な作品
世田谷区教育員会によるプロパガンダ?
私は1980年代に世田谷区の公立小に通っていました。(この学校ではありません)
それは時代もあったのかもしれませんが、高圧的な教師と伝統を守ることに縛られた学校生活で、決して良い思い出ではありません。
そして、今は都内の別の場所で小学校高学年の子供を育てています。
その目線からのレビューであることを最初にお断りさせてください。
(以下、否定的なレビューになりますので、この映画で感動した方はお読みにならないことをおすすめします)
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子供の学校生活を見ていて、令和の小学校は私の時代よりだいぶ自由になったと思っていたのですが世田谷区においては未だに時代錯誤な管理教育をしていた!というのが一番の驚きです。
序盤にある、入学したばかりの1年生がランドセルを小さなロッカーに無理矢理押し込み、綺麗に並んだショットを見て嫌な予感。これは、すべての生徒を規格内におさめます、という痛烈な皮肉?
嫌な予感は当たり、生徒による下駄箱チェック、お互いに注意し合う様子、1年生の担任がクネクネ歩いてる男子生徒に向かって「普通に歩いて」(普通に、って今時NGでは?)と声かけするシーンなど、気持ち悪いほどの相互監視、教師が管理するシーンが続きます。
はいっ、と大きな声でまっすぐ手を上げてお返事する規格内の子供が礼賛される世界。
運動会の縄跳びがうまく跳べない生徒に、ペアの子が指摘するシーンを見て胸が痛くなりましたが、さらに胸糞悪いのが、合奏でシンバルがうまく叩けない生徒への教師による指導。
本人はふざけているわけではなく、真剣にやっているのに、あのように吊し上げるのはいかがなものと。詳しくは書きませんが、他の生徒を引き合いに出して叱責する言い方にイラッとしました。
縄跳びの子もシンバルの子も、練習をして苦手を克服し本番は大成功、良かったね、という流れなのですが、それは頑張れる「規格内」の子だから美談になったのであって、そうでない子ならどうなったのだろうと。
どうにも、先生がたの指導が規格内に生徒を納めることをやっきになっていて、しかも自発的に生徒が規格内に沿わせるように仕向けているように感じたのが一番の気持ち悪さです。
朝6時前に自主的に出勤して準備する6年生の教師「いつか報われるかなと思って」…って、働き方改革が浸透しつつある現代において、美談としてあのシーンを入れているなら大問題かと。
まあ、大なり小なり日本の公立小学校は似たような教育をしているとは思いますが、ここまで管理型なのは今時珍しいし、このやり方を礼賛するのはとても危険だと思います。
おそらく世田谷区の閑静な住宅街で、収入に余裕があり教育意識が高いご家庭が多いからあの教育が成り立つんですよね。
(入学前に家庭でお盆に載せた給食を運ぶ練習をしたり、母親が子供のオンライン授業を横ではりついて見守るシーンを見て)
私が今あの地域で子育てしたら子供は不登校になってるだろうし、私は学校にクレームを入れまくってモンペ扱い必至だな、との想像が頭をよぎりました…
ちなみに、劇場では時折感動のすすり泣きが。
自分がおかしいのかしら?と思って、みんなの学校、でこの小学校のレビューをみたら、自分と似たような理由で保護者の評価が低く、安心しました。
完全に蛇足になりますが、昔から世田谷区は教育委員会が強権的な保守的な土地柄で、教師は委員会に絶対服従、親への圧力も強いです。
監督は外国人目線(ハーフとのことですが)で純粋に日本の小学校の素晴らしさを伝えるためにこのドキュメンタリーを撮影したのかもしれませんが、もう少しリベラルな地域の小学校を選べなかったのかな?と思います。
世田谷区教育委員会のプロパガンダに利用されるのだとしたら、非常に残念です。
ドキュメンタリー「ある小学校の一年間~コロナ禍編~」
世田谷区のとある小学校の1年間を映した作品。
ただ、時期的にコロナ禍という要素が多分に混合している点にはご留意。“コロナ禍の”小学校のドキュメンタリー、という感じ。
意図してこの期間を選んだのかたまたま時期が被ってしまった形なのか分からないが、これはこれでとても貴重な記録映像だと思う。コロナ禍が実際にどう子どもたちに影響しているか、何を犠牲にさせられているかというのを映像として見ることができる。まさに百聞は一見に如かずだなと思う。
余計な演出等はなく、ただ小学校の1年間が順々に、色々と映っていく。99分の中に1年を詰め込んでいるから、余すところは実際沢山あるんだろうけど、観た側の感想としてはそれでも結構余すことなく詰め込まれていた感じがした。一つ一つの尺も丁度よかった。せっかくなのでもう20分くらい長尺で観てみたかった気もするけど、これくらいで丁度よかった感じもする。
「なるほど、そこを叱るのか」とか、「そこまでするか」とか、個人的にも色々感じながら鑑賞した。本作を観て何に驚いたり、感動したり、問題を感じたりするかは千差万別だと思う。
本作のような実態を忠実にとらえて広く提供する存在がなければそもそも俎上に上がる機会もない訳で、記録映像としても、広い議論や関心を喚起する一歩目という意味でも、貴重な作品だと思う。生の学校を撮って映画として公開するというのは相当にハードルの高いことだったんじゃなかろうかと思うので、制作者の方々は勿論、何より作品の成立のために自らが映ることを引き受けてくれた先生や生徒さんには感謝したいし、敬意を表したい。
集団心理
ポスターに書かれている、
THE MAKING OF A JAPANESE
この言葉に強く惹かれ、鑑賞。
『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』や『スキャンダル』で賞を取った特殊メイクのカズ・ヒロさんが言ってたこと…
日本人は日本人ということに拘りすぎて、個人のアイデンティティが確立していない。
大事なのは個人として、どんな存在なのか何をやっているのかということ。
日本人は集団意識が強く、その中で当てはまるように生きている。
周囲の目を気にして、その理由で行動する人が多いことが問題。
日本は威圧されている。どう受け入れられているか、どう見られているか、全部周りの目。
自分の人生であり、周りの人の為に生きているのではない。当てはまろう、じゃなく、どう生きるかが大事。
心が痛いですが、かなり的を射ていると思う。
この作中で少しだけ触れられますが“日本は軍事教育をした国”だと、
そして“世界に誇るべき協調性の高さ”があると、
ただイジメを生む可能性があり“諸刃の剣”だと。
その日本人の集団心理をエグるような尖った内容を期待したけど、普通に小学校に密着したハートフルな内容でした。
でも、面白かった。
小学校
舞台になってる小学校は少し仕事でご縁があり、映画になってると知人に聞いて、へーそうなんだーと見に行きました。
コロナ禍の公立小学校の約1年を描いたもの。
ドキュメンタリーで、日常を映しているのでストーリー性はあまりない。
厳密に言ったら、小さな社会は幼稚園や保育園が先にあるわけですが、責任や役割をより感じながら素直に吸収して成長していくのは小学校なのでしょうね。だから大事な時期なのだと感じます。
実際はもっと友達同士のケンカやトラブルなども沢山あるだろうし、ほんの一部しかわかりませんが、多分、平均的…な日本の小学校の様子がよくわかりました。先生たちは本当に大変だーといつも思います。卒業式辺りの場面はちょっと涙出ました。
日本人になっていく…なるほど。
規律や集団生活を学び、日本の大人になっていく。下駄箱で上履きが揃ってるかチェックするところは、そんなとこも見るのかーと少し違和感を覚えましたが、そんな日々の習慣の積み重ね。
なかなか普段見ないタイプの映画を見れました。
鑑賞後、様々なことを考えてしまいました。
ドキュメンタリーとしてとても面白かったです。
一般的な公立小学校の数人の児童・先生をピックアップしながら一年間をカメラを通して見つめてゆくスタイル。
児童も先生もとても自然で、かといってカメラを無いものとするわけでもなく。
カメラも動きを見せるわけでもなく、淡々と撮る、みつめる。
私自身も映画の内容とほぼ変わらない小学生時代を過ごし、自分の子どもを通して小学校とかかわった経験から歩んできた道をもう一度客観的になぞる。
そうすると視えてくるものもあり、小学校教育とは何なのだろうかと、はたしてどこまでが教育でどこからが理想でどこからが抑圧なのだろうかと。
大人の「こういうものだろう」は子どもには通じない。
大人になって振り返ったときに気づけばいいと私も思うこともあります。
しかし今、瞬間、考えることを促されずに指導される子どもたちの協調性とはどこに向かうのか。
日本がとても特殊な小学校スタイルであるがゆえに海外ではとても高評価の作品と伺いました。
掃除、配膳、お当番や委員、運動会に宿泊行事。
いつか社会に出てゆく人間として必要な経験値のファーストステップがここにあるのかもしれない。
1年生の初々しい可愛らしい入学式からの1年間。
びっくりするほど顔つきが変わりしっかり2年生のお顔になっていました。
カメラに映っていないところでも彼らは様々なことを経験し心も頭も体もフル回転だったのだろうと。
先生がたも様々に悩み苦しみ楽しみながら成長されてゆくはずですが、小学校教師の体調不良による離職がとても多い昨今の現状を垣間見せてもらえました。
対しているのが生の人間と言うことだけでも神経を擦り減らすであろうのに、仕事量の多さがまじめで真剣な先生ほど追い詰められてゆくように思えました。
作品に登場している先生方のだれよりも長生きをしている私からすると、その目線から一段おりて様々なものを見渡すと見えないものも見えてくるかもしれないよと感じてしまいました。
冒頭にも書きましたが、ドキュメンタリーとしては良い作品。
ただ、海外の評価と日本の評価では少し違いが出るのではないかとも感じます。
あまりにも日常すぎて。
鑑賞は劇場でなくても十分に良さを味わえると思います。
1年間の成長
2021年4月、コロナ禍の中、入学したばかりの1年生は手の挙げ方、名前を呼ばれた時の返事の仕方、箒の使い方、廊下の歩き方、掃除や給食当番など、集団生活の一員としての規律と秩序について初めて学ぶことになる。そんな1年生を6年生が手助けし、わずか5学年違いなのだが、その5年の間に自覚を持ち、6年生にふさわしい行動をとるようになる。そのような、1年生、6年生、そしてコロナ禍で行事の実施に悩む教師たちのドキュメンタリー。1年経ち、2年生になった元1年生は新入生のための音楽演奏をし、次の1年生を迎える、という話。
東京の公立小学校で150日、のべ4000時間にわたる長期取材を実施したようで、どう編集しようか悩んだ事だろう。変わり映えしないシーンが続いたりして、ちょっとウトウトしてしまった。小学校1年生って小学校では1番下だけど、その前は幼稚園だったり保育所の1番上で、下の子の世話したりしてたはずなのに、やはりレベルの違いがあるのだろう。急に何も出来なくなるのはルールが違うというか、ちゃんとした社会ルールを教えられるという事なのかも。
そして1年経つと今度は下の子(新1年生)のために歓迎の演奏を披露出来るようになる。充実した1年なんだと思う。
今まで自分の経験してきた事だし、それくらいしか思わなかったが、これを海外の人が観たら日本式教育について何か思う事があるんだろう。そういった外国の人の感想を聴いてみたい。
日本人はいつ日本人になるのか?
国際スポーツ大会で日本の観戦者が片付けをして帰ることに対し、"称賛"したり、"掃除のプロの仕事を奪うと批判"する話がある。
観戦者はただ自分の身の回りの事をしただけなのだと思う。小学生の時、教室を自分達で掃除したのと同じように。
キレイな場所を得ることが目的ではないことは、児童が帰った教室の机を先生が整えて回るシーンが現していると思う。
縄跳びを上手く跳べない子が、自分で練習し運動会でやりきった後の笑顔。
演奏の練習不足を叱責され、悔し涙を流す子。その子が本番の演奏でやりきれたあと、嬉しさで駆けだす。
取材する中には一生懸命やって、上手くいかなかった子もいただろうけど、ストーリーは上手くできた子を主にしている。
でも、監督は「小学校が、ルールを守り努力すれば成功することを教える場だ」とだけ言いたいのではないのだろう。
それは、卒業式の練習でお手本をみせる先生を可笑しく笑った子供たちに、「先生は気持ちを込めて"ハイ!"と言った。一生懸命やっている人を笑うのは間違っている」と諭すシーンを残した事からもわかる。
自分が言いたいことをナレーションに頼らず、編集で語る監督の手腕に拍手です。
学校と教育委員会の勇気は称えたい
どんな内容でも、肯定する人がいれば批判する人もいるのに、学校教育の一部ではあるが公開する学校と世田谷区教育委員会の勇気を称えたい。坊主の先生が児童に「殻を破れ」と言って、ダチョウの卵?の殻をおでこで割り、出血したのはさすがにやり過ぎと思ったが、殻を破りたかったのは、その先生自身であることは後で分かる。先生も正解が分からない中、もがいている。最後に我が子と思われる幼児が出てくることから、朝早く出勤して仕事をして、夕方は早く退勤して子供を保育園に迎えに行くのだろう。1日に24時間じゃ足りない、他人の子供のために仕事をして、我が子には十分なことが出来ないと思っている教員は、たくさんいる。そういう教員に、日本の教育は支えられている。
1年生のための合奏の練習で、ミスばかりする児童を叱るシーンで、初めは厳しく指導し、励まして、出来たら誉めるというのは昔の学校で良くあった。いくら子供が喜び、成長したとしても、私はこういう指導は好きではない。はじめから個別指導を丁寧にしてほしい。放送委員会の児童が二人しか出てこないが、この規模の学校なら20人以上の委員がいるはず。他の委員会も活動しているが、あまり紹介されない。挨拶運動ぐらいか。
この映画は、日本の小学校を外国の人や保護者に紹介するのにはよいが、これが全ての小学校で同じように行われているわけではないし、コロナ後はますます多様化しているはずである。また、特別活動を日本の教育の特徴として、映画を製作しているが、もっと特色のある特別活動をしている学校は他にあるし、特別活動より特徴的なのは教科指導の方ではないだろうか。
見た人に勘違いしてほしくないのは、学校も組織で仕事をしているのであり、教員が全て自分の考えでやっているのではなく、校長の学校経営方針のもとで仕事をしているということ。校長が何度か画面に登場するが、本当は見えないところで教員に指導をしているのである。頭で卵を割ることは、さすがに指示も指導もしていないだろうけど。
撮影手法・編集は丁寧だが内容は平凡
複数のカメラを配置しての撮影、ほとんどの子どもたちがカメラを意識しないまでの溶け込み方、そうやって撮られたものをまとめる技術など、とても丁寧・端正ですばらしい作品だと思いました。
ただ、内容としては、ある小学校を1年間撮り続けたら、こうなるだろうなぁ…という域を出ないものでした。もちろん、どんな普通の子どもたちであれ、何か心を動かすものはある、だからそれなりに感動する映画にはなっている。
ただ、タイトルである「それは小さな社会」というのは「日本社会の縮図」という意味であるとしたら、それは全く描けてなかったと思います。
小学校が「小さな社会」であるのは当たり前で、監督がそういうことではなく、そこに日本社会の縮図が見えるという意味でこのタイトルをつけたのであれば、例えば子ども社会におけるもっと深い人間関係…友情とかの正の感情だけでなく、怒りや嫉妬、いじめといったものがもしかしたら存在したかもしれないし、それこそが社会の縮図だったのではないでしょうか。
先に書いたように、普通の小学校に1年間密着取材したことで典型的な日本の小学校の姿を可視化することができた、それは日本の教育の在り方を見つめ直すのにも役立つだろうし、外国人から見たら非常に興味深い映像かもしれない。そういう意義のある映画だとは思います。
それでも…同じく学校の定点観測的な映画で言えば、やはり「14歳の栞」という傑作ドキュメンタリーには全く及ばない。今回の映画で感動したという人は是非、「14歳の栞」を見てほしい(ネット配信は永遠にされないので、映画館で見るしかない映画です)。
こちらは中学生たちのわずか数カ月に密着しただけですが、奇跡としか言えないような瞬間が切り取られ、子どもたちの本音(と思われるもの)が語られ、切なく収束するドキュメンタリーです。
この映画と比較してしまうと、「小学校 それは小さな社会」は、あくまで「観察映画」に過ぎないと思えてしまうのです。大変申し訳ないですが。
タイトルなし(ネタバレ)
小学生の頃を思い出したくて観た。ドキュメンタリーにいうのかも変だろうけどリアルだった。一年生のとき、六年生のとき、もう結構遠い日々だけど、久々にあの雰囲気を感じられてよかった。特にナレーターも入らず映像だけで続いていくんだけど、繋がりを感じさせるように編集するの大変だろうなぁと思った。成長の過程が見れるので親の気持ちもわかった。というか途中泣きそうだった(ちょっと泣いた)周りも泣いてる人がいて、画面の中の女の子がはしゃいでで、不思議な感覚。卒業式のとき先生が泣く気持ちがまったくわからなかったんだけどこれを見たらわかりました。自分は全然成長してる感覚なんてなかったけど、身長とか足の大きさみたいに知らないうちにすごく伸びてたんだろうな。ゆっくり人が成長するところみると感動する。ただ嫌なことも思い出した。謎ルールとか、先生の叱り方、話し方、一年生の子が泣いてるところみるのきつかった。あと怒鳴るところ。これはドキュメンタリーだから、演技じゃなくて、実際の人間の仕草なので、あまり具体的にどこがしんどかったとは言いづらいけど、頭が真っ白になる、手足がかじかんで喉が痛くなる、叱られたときのあの感覚をスクリーン上のこの子が味わってると思うと胸が痛い。大勢の中名指しできつく指摘されるのはいくつになっても辛いのに6~7才の子にやらせるのはさすがにちょっと‥。最後できたー!って言って廊下を走るシーンは胸にきた。頑張ったねっていいたくなる。あと嬉しいときってそわそわして走りたくなる感じがするのわかる。今この年齢でやったら変質者なのでやらないけど、羨ましく感じた。改めて子供は全身全霊で生きてるなあと思った。あと叱ることの難しさを感じた。単に指摘されるだけだと、その後成長したときに叱られるのに慣れてないからめちゃくちゃ落ち込んでしまう。なので多少厳しさは必要だと思うんだけど、このくらいの年齢の子には怒られてるっていう感覚しかない。怖いとしか思えない。あと年上の、大人の、基本的には保護してくれる人から詰められるっていうのはどれぐらい心身に負担がかかってるのかっていうのは理解しておくべきだと思う。ちょくちょく流石にやりすぎでは?と思うシーンもあり。知ることのなかった先生側の苦労が見れてよかった。やりがいとその大変さを知った。子供への対応、どうしたら子供をよく導けるか、難しいなあと思った。
日本人の小学生って・・・愛らしい!!
レビュー内にも指摘ありますが、個々の先生の、やや厳しめの指導方針や、できていない子への叱咤に対して、批判的なコメントが散見されますが・・・自分はむしろ、それらが子供たちにどう受け止められたのかがポイントではないかと思います。そしてその受け止められ方を左右するのが、先生の生徒さんに対する愛情なのだと思います。その意味では、本編に登場する先生方には、生徒さんへの愛情があふれていて、生徒さんがそれに応える姿が生き生きと描かれていました。単に、給食のすばらしさ、生徒が教室を掃除することの意義をアピールする動画は多々目にしましたが、ここまで先生と生徒の心的交流を見事に活写したドキュメンタリーは初めてでした。そして、日本の小学生って、みんな抱きしめたくなる位愛らしいっ!!と思ってしまいました・・・
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