「良くも悪くも集団生活を描く貴重な映像。作りもの感が惜しい」小学校 それは小さな社会 KaMiさんの映画レビュー(感想・評価)
良くも悪くも集団生活を描く貴重な映像。作りもの感が惜しい
勉強以外の行事や学級の活動が盛りだくさんで、それらが子どもの成長の機会として意図されている日本の小学校。この映画は、集団活動の良さや、若干の弊害に焦点を当てた貴重な映像だ。
ただ特に前半は作りもののように見える場面も多く、ありのままの学校生活を見ている感じがしない。
なぜなのかと考えると、一つに「音」の聞こえ方がある。先生が子どもを指導する声が、遠くに移動した場面でも同じ音量ではっきり聞こえる。これはピンマイクをつけて撮影されているということなのだろうか。
実際の学校ではもっと声が反響してしまったり、子どものざわつきにかき消されてしまったりして、それが学校独特の活気や気だるさにつながっていると思う。この映画の場合、先生の指導内容が明確で、子どものほうも理解しやすく行動する場面が多く切り取られている。つまり「見やすいように撮る」ことが優先され、演技みたいな映像になってしまっているのではないか。
それでも放送委員をしている縄跳びが苦手な男の子のエピソード、卒業式の練習で行動がそろわず叱られる子どもの様子などは現実感があり、映画の見どころになっていた。
クライマックスでは2年生になった子たちが1年生のために楽器を披露する。そこでシンバルに立候補した女の子が練習で間違えて音楽の先生に叱られてしまう。厳しさと暖かさのある良い場面ではあるのだが、集団の同調圧力をありありと感じ取れた。
先生が女の子に自分の考えを言う前に、他の子たちに「練習しているから」楽譜がなくても間違えないと言わせている。でも本当は楽譜を必要とするタイミングは個人で違うかもしれないし、練習しても間違えてしまうかもしれない。
このような指導では、自分に合った練習法を選ぶというより、結局集団からはみ出さないことが大事だと学んでしまうのではないか。ほかに提出物に関する指導でも「反省しているかどうか」、つまり教師に与える心証を基準に評価する価値観が見て取れる。
集団のなかで自分の役割を学ぶ教育や、結果よりも成長を重視する指導はよいと思う。しかしその目的が「輪を乱さない人材」に集約されしまっているのではないか。先生たち自身、自分たちの指導のよしあしを職員室での反省会に委ねていて、確たる基準を持っていないように見える。こうした課題をどう見るのか、多くの人と共有してみたくなった。