ロボット・ドリームズのレビュー・感想・評価
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ひと時の夢の余韻
「ロボットの夢」とは、ロボットが夢見ることなのか、ロボットが眠りについてみる夢なのか、はたまた、ロボットのことを夢にまでみることなのか。
「そんな問いは、無意味だよ」とばかりに、そのすべてが出てきた上に、「ロボットとドッグにまつわるひと時の夢」のような余韻を残す映画だった。
ちょっと自分語りをすると、突然動けなくなってしまうロボットって、突然の体調不良で入院を余儀なくされた自分自身に重なった。
思うように身体が動かない。ほとんどすべての時間、天井を眺めているしかない。視野が限られているから、周りの状況もつかめない。夢に見るのは、自由に動けた頃の自分自身。
そうした状況を自分だけの力ではどうすることもできなくて、誰かに(自分の場合はドクターやナースに)頼るしかないのだけれど、でも心底までの絶望とかはなくて、心の中は意外とポジティブ。というのも、いつかはよくなるという「夢見る力」が、何となく自分にはあったから。
砂浜で横になっているロボットも、イエローブリックロードをたどりながら、エメラルドシティを目指す夢をみながら、きっとそういう気持ちだったんじゃないだろうか。
それから、この映画って、省かれているものが実はポイントなのでは…とも思った。
セリフはない。ドッグの生業や家庭環境もわからない。時代背景も説明されない。ビデオゲームはレトロだし、カセットテープが全盛なのにロボットだけはすさまじくハイテクな理由もわからない…。
こうやって上げていけば、まだまだキリが無さそうだが、実は、自分を取り巻く世界って、案外そんなもんじゃないだろうかとも思うのだ。
自分にとって関心がある範囲なんて限られていて、自分に関わる世界はそんなに広くない。
だから、そこで深く関わった人や出来事とは離れ難くなるし、思い入れも生まれる。
けれど、いつまでもそこに留まり続けることは出来なくて、人生は否が応でも続いていく。
ラストなど、そこがとてもスマートに描かれていると思うし、この映画で省かれていて、最高最大にグッジョブなのは、自分は登場人物たちの「涙」だと思った。
EWFのセプテンバーの使い方の心憎さと、絵柄の温かみも◎。
遠く離れても、あなたの幸せを心から願う
30代で急死した父は車好きで、奮発して購入した輸入車をとても大事にしていたそうだ。父が他界して20年以上経ったいまでも、街で父が乗っていたのと同じ輸入車を見かけると、母は車体にちいさく刻印された車台番号を目で追って確認する。「かつて手放した父の愛車を、どこかの誰かが、いまでも大切に使ってくれているのではないか」と期待を込めて。失った友人の面影をNYで探し求めるドッグの姿を見ていたら、そんなことをふと思い出した。
どんなに愛していても、別れは唐突にやってくる。遺されたひとは深い悲しみに包まれると同時に、自責の念に駆られることもあるだろう。あのとき目を離さなければ、いつもより1本早い電車に乗らなければ、一緒に高台へ逃げていれば…。この映画のドッグにあてはめるなら、「あのときロボットを海水浴へ連れて行かなければ」だろうか。大切な人との別れに、悲しんで苦しんで、明日なんて来なくていいと絶望しても、季節は巡ってくるし新しい出会いも生まれる。そうやって少しずつ前へ進んでいく。かつて愛し愛された記憶、喪った悲しみや苦しみ、そのすべてが柔らかな土壌となって新たな愛の芽が育っていく。親友と離ればなれになったドッグの日々のなかで、その過程が優しく描かれていく。
やがてドッグは新しい友達ロボットと出会うけれど、彼の悲しみがリセットされたわけではないと思う。かつての友情の記憶も喪失の悲しみも、彼の内に存在し続けていることはラストシーンを見れば痛いほど伝わってくる。「この街のどこかでロボットが生きているのではないか?」と期待するたびに失望で傷ついてきた瞳と、幸せな日々の記憶が詰まった曲にあわせて勝手に踊り出す身体。そんなドッグを優しく見つめる新しい友達ロボット。せつなさを感じさせる同時に、未来への希望を示してくれるラストシーンだ。
神谷美恵子の『こころの旅』という書籍にこんな記述がある。「大海原を航海する船と船がすれちがうとき互いに挨拶のしらべを交わすように、人間も生きているあいだ、さまざまな人と出会い、互いのこころのよろこびをわかち合い、あとから来る者にこれを伝えていくようできているのではないだろうか。じつはこのことを真の『愛』というのではないだろうか」
ドッグとロボットの船はそれぞれの航路を進んでゆく。遠く離れていく船から、お互いの幸せを祈っている。ふたりの新たな航路が幸せなものになるよう、私も祈りたい。
今愛してくれる人がいるじゃない
絵が色鮮やかで、わたせせいぞうみたい。
またはアグレッシブ烈子かな
ロボットってものを食べられるんだ? エイトマンは東八郎としてなんか食べたら誰もいないところで胃のあたりをぱかっと開けて食べ物出してたけど。
でもって、機械モノに塩水は大敵でしょうが!
ロボットのような精密機械を海水に浸けるなんて以ての外です。
取説読まない人、いや犬なんだね。
海水浴場の最終日に日が暮れるまで浜で昼寝、助けを求めたが店は閉まってるし誰もいない、公衆電話は線が切れてる。。それでもなんかやりようがあったんじゃないの?
なんかもう、だめでしょうこれ。DOGだめすぎ。
その後のエピソードでもダメっぷり全開で、こういう人、いや犬なんだね
与えられたものをそのまま受け取るだけ、工夫もしないし何かを得るために自ら動くという発想がないみたい。
一方的に受けるだけ与えられるだけで、自分から発信も与えることもない。
なので感情のキャッチボールが成り立たないから、知り合いになったとしても、トモダチとしてはノーサンキューです。
犬もロボットも男女どちらかわからない
ふたりの触れ合いに同性愛っぽさと、倒れたロボットに跨る場面など、エロさが仕込まれてるように感じたのは私だけでしょうか。
ロボットに記憶があるのは分かるが、想像力があるのか
なまじ両方あるのが辛い。首から上以外の体は動かないが意識はあるし。
こんな状態でひとりぼっちで置き去りにされ願望を夢見ているなんて。
「ジョニーは戦場へ行った」のジョニーのようで息苦しくなった。
渡り鳥の親子のエピソードで少しほっとした。
愛する人と離れ離れになり、ようやく会えたと思ったらすでに他の人がそばにいる
つらいけど、今の自分を愛してくれる人がそこにいるじゃないの。
ボディのラジカセに並んだ、「ろぼっとのお気に入り」「ラスカルのお気に入り」
体を修理してくれ料理をして美味しいものを食べさせて、フリマで足を買ってくれる。思いやってくれてこちらからの好意も受け取ってくれる。今一緒に幸せを味わえる人が一番だよ
ラスカルはDOGと違って、感情のキャッチボールができる相手。頭と身体を使って自ら動いて工夫して人生を良くしようとするヒト、いや、アライグマだしね
DOGは二番目の子には最初の子のような失敗はしない。
私が子供の頃に、第一子の私に母が言っていた、「生き物は最初の子で子育ての練習をして、二番目の子供からちゃんと育てるもの。最初の子は練習台だから育たないのが当たり前。二番目の子供からが本当の子供」は悲しいかなその通りなんでしょう。
第二子の妹と対等なつもりで図々しい、練習台のくせにのうのうと生きながらえて食って着て住んでるんだから恩返しとして両親の老後の責任を持つように。でなければお前なんか育ててないって。
「最初の子」だけど愛してくれる人がいて、一緒に幸せになれる相手がいて嬉しかったです。
追記:これは私の母の持論で、真理ではありません。イキモノっていうけど、野生動物と人間は違うでしょう、野生動物の生態を正とするなら、野生動物は親の老後の面倒みるものいないんだからその通りにしなくちゃね。大人になってから、母にそう言い返しました。
私に子供複数いますけど、最初の子を練習台と思ったことはないです。
家族で観れるいい映画です。
一週間前に観たこの映画が、まだ胸の奥でざわざわしています。温かくもあり物悲しくもあるこの作品に心打たれました。心に残る映画です。相手を想う気持ちが強くても、相手に負担が掛かるなら自分を遠ざけて相手の幸せを願う。どんなに時間が経ってもどんなに姿形が変わってもいつまでも慕い続ける。そんな純粋な愛に満ちた物語。
劇中歌のEarth, Wind & FireのSeptemberがいい味を出しています。ドックやロボットの気持ちを歌っているようで、一切声は無いのですが、気持ちが伝わってきます。12月に9月の頃の愛と夢と想い出を歌っているこの曲がよく合います。
まさに"Golden dreams were shiny days" きらめく日々は黄金色の夢だった。
ロボットは友だちになれるのか
世界貿易センタービル(WTC)のツインタワーが描かれている時代のNYマンハッタンで様々な動物たちが擬人化されて描かれている世界観の中で、友だちのいない犬が友だちが欲しくて組み立て式ロボットをテレビショッピングを見て注文。
組み立てて友情を育む日々とトラブルから離れ離れになってしまう。
ロボットの見た夢、犬が見たロボットへの夢、それぞれの歩みとすれ違いが描かれている作品。
絵のタッチは優しく、太めの輪郭で描かれていて可愛らしいが物語は結構残酷なシーンなどもあり重くてシュール。
だからこそ動物やロボットに置き換えられたキャラクターで描かれている意味があるのだろうけど。
マニュアル通りの行政、襲いかかる理不尽、日常と季節の移り変わり、積もっていく雪に埋もれていく日々…
AIや汎用ロボットの普及が身近になっていく現代に「ロボットは友だちになれるのか?」を問いかけるような作品だと思いました。
日本的にはドラえもんやコロ助が理不尽によって壊されていく展開と言えば、感じる所があるのではないでしょうか。
監督はスペインの方という事で、NYへ留学で渡った経歴のようで当時のマンハッタンの雑多な雰囲気や地下鉄やスラム街の荒廃した感じがよく描かれていると思います。
作中で度々流れるEarth wind &fireの 『September』(パ〜リラ♫)は1978年、監督が15歳の時の音楽でアメリカンミュージックの原風景だったのかも。
WTCは1973年開業なので、作中の時間軸は監督がNYへ留学していた1990年代〜2001年の直前辺りか。
また1998年にSOPHIAの『黒いブーツ〜oh my friend〜』のミュージックビデオも手がけられた方という事で情緒や感受性が高い方には刺さる作品だと思いました。
他の方のレビューにもありましたが、言葉にして表現するには複雑な感情を揺さぶる作品ではないでしょうか。
純度100%の「会いたい」
生きていればいつか会える。という言葉はあるが、この映画は本当に2度と会えない人、もの、風景に対しての「会いたい」なのだと思った。
2度と目の当たりに出来ないツインタワーがそびえたつ姿が象徴するように、死んでしまった大切な人、お父さんと手を繋いでくれたあの日の幼い娘…。
全て会いたくてももう2度と会えない。触れられない。語れない。
でも会いたいという気持ちは消せない、消えない。思い出すと苦しくなる、この感情。
このただ、あなたに会いたい。という気持ちを凝縮した映画だと思った。
dogが薄情という意見もあるが、dogはdogなりにロボットを愛していた。
ただ、あまりにもピュアで賢く無かったことがロボットを救えなかったんだと思った。
何回も繰り返されるロボットがdogの家に帰る夢。死んだ人の意識ってああいう感じなのかと思った。
私は、死者と残されたものの物語にも感じてしまった。
私も今あなたに会いたい。と涙が出そうです。
ロボの夢
80年代、あのゲームやったな〜って思い出した。
ただピコピコとピンポンみたいなやつ。あれ2人用なのよね。
あれを1人でプレイして冷食をチン。それをぼんやり眺めながら食べる。ブラウン管に映る1人きりの自分。慌ててチャンネルをつける。
たったあのシーンだけでドッグのぼっち寂しい生活がマジマジと痛感する。辛いよね〜窓の外には仲睦まじいカップル。わかる〜。
縋る想いの友達ロボ購入。お金で友情を買っていくスタイル。
ニコニコ可愛いロボ。ドッグ大喜び。
ロボは見るもの全ての楽しみを真似して歩く。
手を振られれば振り、手を繋ぎ、食べ物を飲み込む。
決してドッグの嫌な事はしない。主人の命令は聞くものだ。それがロボット。
Septemberを軽やかに踊る2人。名曲に名シーンを被せてくるとかすごい所業だ。
そんな彼らの別れはまさに夏の終わりであろう9月。
周りの子共やドッグの喜ぶ顔を見て遊ぶロボは海で動けなくなる。
あそこ、私なら絶対置いていかない。
ずっとしがみついて離れないし、なんなら警備員や他の人の手を借りて絶対連れて帰る。
逮捕されてもまた帰る。
でも、ドッグはきっと困って悩んでいたと思う。だからロボは目で帰っていいよと伝える。主人の為。
迎えに行けるのは6月。
その間、ドッグは新たな友達を作る為に奔放し、ロボはドッグの元へ帰る夢を見る。何度も。
その時の彼はいつもSeptemberを口ずさんでいる。
きっとドッグの喜びが詰まっている曲。
そんなロボの献身的な想いを他所にことごとく友達作りに失敗するドッグ。いい気味だと思った。
早くロボの元へ帰り、彼の存在の大きさを知れよ!って。
ドッグの寂しさもわかるけど優しいロボ側への肩入れが半端ない私。
しかし、ロボはスクラップ場へ。
もちろん嫌などと言えるわけもなし。
またぼっちになったドッグが掘り返したのはロボの片足のみ。
顔だけになったロボをなぜラスカルが連れ帰り修理したのか分からない。
同じく友達が欲しかったのか、興味なのか…
そんなこんなでラジカセロボになり、ラスカルと楽しい日々が始まる。その時ロボが奏でる曲はhappyへと変わる。
新しい日々の始まり。
BBQの最中、ソースを取りにふと窓の外を見やるとドッグの姿。新たなロボと手を繋ぎとても楽しそう。
何度も夢見たドッグの姿を見て駆け寄り手を繋ぐ想いを堪えて、彼は思い出のSeptemberを流す。
覚えてるかい?
君のことを想っているよ
ドッグの耳には届かないが、遠く離れた2人のリズムはピッタリと合った。
そこへやってくるラスカル。
ロボは音楽を一瞬変えるが、再びSeptemberへ。
新たな主人と共にビートを合わせるロボ。
新たなロボットと共に歩くドッグ。
彼はロボット。主人の命令は絶対。
ロボットだから、新しいロボットといて幸せそうなドッグの邪魔は出来ないと思ったのかな?
だけど、あの時そうしなかったのはロボットとしてではなく、感情を持った彼の意思だと思う。
ちなみに、涙腺崩壊ポイントはスクラップ場でラスカルがロボを手にニコッとしたシーン。
そこからなんかずっと泣き通しで同じ列に座ってた男性に申し訳ない事をした…
序盤に車内で子供に叩かれながら困り顔のロボットとすれ違ったロボの顔を思い出した。
全てのロボットは人間のエゴで生み出され使われる。
ロボット三原則に縛られる。
サイレント?なのに全く違和感を感じなかったのは幼少期に夕方に放送してた「トムとジェリー」を楽しんで観ていたからかな。
帰りにめちゃくちゃSeptember聴いた。
チャップリンには叶わないさ!
昔、チャップリンの映画のリバイバルをやっていた頃に何本も観に行ったことを思い出した。
しかし、新しい無声映画はつまらない。昔ほどの鮮烈な想いはなかった。チャップリンじゃないから?だろうな。もちろん「September」の曲は良かった。
1980年代、ニューヨークの風景、ツインタワー、当時のアメリカに何も思い入れの無い私にとってはつまらない話が繰り広げられ、最後は嫌な方のエンディングで終了。悲しくて泣かされた。
夢見るロボットは最初の御主人様を幸せに出来ませんでした。次に寂しさを埋めるロボットを身代わりとして買ったけれど、最初のロボットの素晴らしさを思う心は埋まらないまま大したことのない身代わりロボットと生きていくことになりました。ロボットもラジカセボディに改造されたりして復活させてくれた新しい主人に恩義を感じ、昔の御主人様の下へは帰りませんでした。なんて切なすぎる、悲しい結末は嫌いでした。
人それぞれ想いはあるだろうから感じ方は皆違うでしょうけど、私はニューヨークに思いはないし、別々に生きていくエンディングに共感はしません。
私は主人公が新しいロボットに「やっぱり最初のロボットが忘れられないから御免」と謝り、ロボットは復活させてくれた新しい主人に「最初の主人の為に戻らせて」と懇願して説き伏せて、主人公とロボットが感動の再会をして末永生きていくエンディングが観たかったので評価は低いです。
なめてました
多くの皆さんと同じくラストで落涙
正直途中の夢オチが続いてる段階ではもういいかなという感じでしたが、、、
二人が一緒に踊ってるように見せるラストの演出が刺さりました。
過去の人との出会いがあるからこそ現在の自分があるという、出会いと別れそのものを肯定する思想は自分の好みなんだなとはっきりわかった。
ロボットとドッグの関係性は単なる友情にとどまらない、恋愛関係を含むあらゆる人間同士の関係を内包してる。
当然自分の頭の中には過去に出会ってもう会わない恋人、友人のことが浮かぶわけで、人生を肯定してくれたような気分になりました。
過去に出会ったあの人やこの人のおかげで今の自分があり、かといって失ったその関係ばかりに拘泥するのではなく、今の関係を大切にしようよというメッセージは、普遍的であり今の自分に刺さりました。
これからもいろんな出会いと別れを経験していくと思いますが、折に触れて思い出す映画に出会えたと思います。
目も表情も仕草も、口以上に物を言う
実写かアニメかという相違はあったものの、先月観た「ゴンドラ」同様、セリフのない作品でした。いずれもセリフがなくとも登場人物の気持ちがこちらに伝わってくるもので、「目だけでなく、表情や仕草は、口ほど、いや口以上に物を言う」と感じたところでした。
さて本作ですが、題名の通り”夢”がキーになっているお話でした。擬人化された動物が住むニューヨークで、一人孤独な生活を送る主人公・DOG。彼は寂しさを払しょくするために、”友達ロボット”を購入。友達関係にも恋人関係にも親子関係にも通じるDOGとロボットは、良好な関係で幸せな日々を送っていたものの、海水浴に行ってロボットが故障して動けなくなってしまい、結果離れ離れになってしまう。その後互いを思うDOGとロボットは、互いの”夢”を見る。その”夢”と、かなり悲しい現実が交互に出て来る展開がテンポ良く、どんどん物語に引き込まれて行きました。
海水浴場に取り残されたロボットは、最終的にアライグマのRASCAL(名前が絶妙!)に拾われて修理されて復活、RASCALとの新生活を始めたロボット。そしてロボットと再会出来ないと悟ったDOGは、これまた新しいロボットを入手。互いに幸せな生活を送るものの、最後の最後でニアミス。ここでまたまた”夢”の中で、思い出のアース・ウィンド・アンド・ファイアーのSeptemberの曲に乗りながらダンシング!現実では再会を果たせなかった2人でしたが、”夢”の中での再会であったればこそ、余韻たなびくほろ苦くもハートウォーミングなお話になっていて、非常に印象深い作品でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.4とします。
ストーリーが惜しいと感じた
評価が高い作品でしたので、鑑賞前からハードルを上げてしまったせいか、個人的にはそこまで良いストーリーには感じられませんでした。
冷めてしまったポイントははっきりしていて、ロボットと別れることになる場面で「犬、お前もっと頑張れなかったか?」という風に思ってしまい、それ以降の犬のことを薄情者に思えてしまったことです。
どうしてこんな風に感じ取ってしまったのか自分なりに考えたのですが、ロボットが放置されている場所が「頑張れば何とか救助できそうな場所」という中途半端な距離感なので、頑張ることをやめて諦めてしまった犬に対してガッカリしてしまったのだと思います。ロボットのことを本当に大切に思っていたのなら、せめて定期的に様子を見に行くシーンは入れてほしかったです。(割とすんなりロボット2号を購入してるところも「お前、マジか」とは思いました。)
作品の舞台が「80年代のNY」という妙にリアリティのある設定のせいで、「自分の家から911すればいいのに・・・」「お巡りさんに相談すればいいのに・・・」「ウサギたちみたいに海から助けに行けばいいのに・・・」というようなリアルな解決策が思い浮かんでしまうのも良くないのかもしれません。
いっそのこと別れのきっかけを「ロボットが海難事故で行方不明になって全く別の場所の浜辺に打ち上げられてしまった」とかにして、犬とロボットを完全に引き離してくれた方が、諦める犬に対しても共感はできるし、その後の犬の印象も変わったと思います。
原作の舞台は特に示されていなかったところを、「80年代のNY」に思い切って変更したのだから、舞台設定が具体的になったことによって中途半端になってしまった「放置されたロボットと犬との距離感」をもう少し調整してほしかったです。
アニメーションと音楽はとても良かっただけに、ストーリーの部分で惜しいと感じてしまいました。
スティーブン・キング
何度も映り込むツインタワーが印象的だった。
スティーブン・キングのオマージュが沢山あった。
ラストは「ラ・ラ・ランド」のようだった。
周囲は号泣していたが、自分はドッグのあざとさが気に食わず、泣けなかった。
ロボがどんなに君を想っていたか
背景の動物たちもみんな生き生きしていて、画面いっぱい楽しい!
すごくよかったんだけど、最後に相手に気付くのはロボットじゃなくてドッグであって欲しかった。ロボットがいいやつすぎる。ドッグ頑張ってたけど、お前が始めた物語だろ!とどうしても思ってしまう。
浜辺に取り残された間、ロボがどれだけドッグのことを思っていたか、ドッグが知らないままなのが悔しい。反面、離ればなれの間にドッグがロボを切実に思う様子はあまり感じられなかった。海開きの日を書き付けた冷蔵庫のメモは日が経つにつれて少し埋もれてしまうし。まあ、砂浜に取り残されて何もできないロボと、なんとか日々を暮らしていかないといけないドッグでは、濃度に差が出るのは無理からぬことなのだが。わーそうかそうじゃん、リアルだなあ。だからやっぱり最後に相手に気付くのはドッグでなくてロボなのは必然なのかもしれない。でもそれならばやっぱり、せめて、ロボがどんなにドッグを好きだったか、ドッグにわかって欲しかったな…。
繰り返し出てくるツインタワーにアメリカ人の悲しみだけを見出すのはもうできないなと思ったりもした。
1985〜1986年のマンハッタンだから、バナナフィッシュもちょっとかぶってるよね。ニューヨークの街の雰囲気がわかって楽しかった。
安易すぎるのでは
アニメーション自体は悪くなかったが、ストーリーが生理的に受け付けなかった。
リアルに友人を作ることができず、友達ロボットを購入してお金で解決。壊れて無くしたら簡単に買い換えてしまう安易さ。レンチンするだけで食べられるマカロニチーズと同じくらい手軽で軽薄だ。
水にこそ浸からせないが再び海水浴に連れて行ってしまうあたりも反省の色なし。一連の経験を通じて主人公は特に成長していないように思える。アゲアゲな音楽で彩られている分、都会の孤独な生活がかえって不気味に浮き上がってくるように感じられた。
この犬はマカロニチーズを自分で手作りしてみるところから始めるべきだろう。プロセスを経験することを学ばないとたぶん同じことの繰り返しになってしまうと思う。
タイトルの意味
ほぼ前情報ないまま観に行った。なるほどタイトルのドリームは、ロボットがずっと彼を信じて待っていた間の夢だったのか。
切ない。
何がって、ロボットは疑うことも自分を憐れむこともなく、ただその今を案外楽しく何かを見ようとしてるのがまた切ない。
スクラップ屋にはそれを文字通り砕かれてしまう。
結局再会しない道を選んだわけだが、この終わりは大人じゃないと納得いかないものかもしれないなと。
だっていくら寂しいからって裏切りじゃん!と子供ならなりそうです。
どうにも仕方ない、そうなってしまうタイミングというのも世の中にはあるものだよな…。
ところで製作陣はスティーブン・キング好きなんだろうな。
シャイニングの双子お化けや読んでる本はペットセメタリー、足を切られたりとオマージュが。
ロボットは電気羊の夢を見るか
あの曲を涙なしでは聴けなくなる!
【名曲”September”の調べに乗せて、大都会で孤独だったDogと”組み立てロボット”との友情を、優しくも切ないトーンで描いたセンス溢れるアニメーション映画。】
■ニューヨークの何処かの深夜のアパートメント。Dogは、独りで二人で遊ぶTVゲームをしている。夕食はレンジで温めるいつものTVディナー。そんな時、TVに流れた”友達ロボット”のCMを見て、翌日に購入。
組み立てた後に、一緒に街に出た二人は、もう友達。
そして、ある晴れた日に、二人は海水浴に行くが、海水に濡れた”友達ロボット”は、動かなくなってしまう。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・登場人物が登場、全て動物である点が斬新である。Dogの友人になるアヒル、動かなくなった”友達ロボット”に巣を作り、卵を孵化させる鳥、同じく”友達ロボット”を再生させるラスカル・・。皆、キャラが立っている。
・何よりも、Dogの友達になった”友達ロボット”のシンプルだが、愛嬌のある顔、特に目が良いのである。
Dogの喜怒哀楽の表情も、良かったな。嬉しそうな時は、下を出して飛び跳ね、哀しい時は俯いて、耳も垂れ下がっている・・。
・二人が、離れ離れになってからも”友達ロボット”が夢みる、Dogとの再会シーンの数々と、目を覚ますと動かない身体の現実。
・それは、Dogも同じで”友達ロボット”を浜辺から救出しようとしても、海岸は季節が過ぎて封鎖され、雪が降り積もって行くシーンは切ないなあ。
<ラストの見せ方も良かったな。”友達ロボット”がラスカルに再生して貰った時に、出会ったDog。喜んで手を肩に伸ばそうとしたら、Dogの隣には新しい”友達ロボット”が居て・・。
けれども・・。
今作は、名曲”September””の調べに乗せて、大都会で孤独だったDogと組み立てロボットの友情を、優しくも切ないトーンで描いたセンス溢れるアニメーション映画であります。良かったですよ。>
「自分の物語」として読み取る余白を大きく取った一作
本作の、グラフィックノベルの手触りが伝わるような絵柄は、たとえば『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』のようなビジュアルアートの洪水的な派手さと比較すると、やや地味な印象を受けることは確かです。一方で、作画は隅々まで丹念で、大スクリーンだと実に細かい部分までその描きこみ、ちょっとした小物の妙などを楽しむことができます。
主人公のドッグとロボットにはほとんど台詞がなく、なんだったら名前と呼べるものもありません。そのため、ドッグとロボット、そして彼らの関係について、観客側が想像を巡らせたり解釈する余地が大きい造りになってます。特にロボットにどのような姿を見出すかで、本作の見え方がかなり異なってくるため、複数人で鑑賞して、どういった物語と受け取ったのか話し合うのも面白いかも。
ものすごいほのぼのとした絵柄でとんでもなく過激な物語、という作品も世の中にはたくさん存在するので、本作にも何らかの、予断を裏切るような描写があるんじゃあ、とうがった見方をしそうにもなりますが、本作は基本的に絵柄を裏切るような展開はほぼないので、その点は安心できるところ。裏返して言えば、衝撃のどんでん返し展開!を期待すると物足りないかもしれない、ということでもあります。
鑑賞後はアース・ウィンド・アンド・ファイアーの『セプテンバー』を聞き返したくなること間違いなし!なんだけど、歌詞の内容自体が「ドリームズ」なところはちょっと切ない…。
全287件中、161~180件目を表示













