ロボット・ドリームズのレビュー・感想・評価
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ストーリーが惜しいと感じた
評価が高い作品でしたので、鑑賞前からハードルを上げてしまったせいか、個人的にはそこまで良いストーリーには感じられませんでした。
冷めてしまったポイントははっきりしていて、ロボットと別れることになる場面で「犬、お前もっと頑張れなかったか?」という風に思ってしまい、それ以降の犬のことを薄情者に思えてしまったことです。
どうしてこんな風に感じ取ってしまったのか自分なりに考えたのですが、ロボットが放置されている場所が「頑張れば何とか救助できそうな場所」という中途半端な距離感なので、頑張ることをやめて諦めてしまった犬に対してガッカリしてしまったのだと思います。ロボットのことを本当に大切に思っていたのなら、せめて定期的に様子を見に行くシーンは入れてほしかったです。(割とすんなりロボット2号を購入してるところも「お前、マジか」とは思いました。)
作品の舞台が「80年代のNY」という妙にリアリティのある設定のせいで、「自分の家から911すればいいのに・・・」「お巡りさんに相談すればいいのに・・・」「ウサギたちみたいに海から助けに行けばいいのに・・・」というようなリアルな解決策が思い浮かんでしまうのも良くないのかもしれません。
いっそのこと別れのきっかけを「ロボットが海難事故で行方不明になって全く別の場所の浜辺に打ち上げられてしまった」とかにして、犬とロボットを完全に引き離してくれた方が、諦める犬に対しても共感はできるし、その後の犬の印象も変わったと思います。
原作の舞台は特に示されていなかったところを、「80年代のNY」に思い切って変更したのだから、舞台設定が具体的になったことによって中途半端になってしまった「放置されたロボットと犬との距離感」をもう少し調整してほしかったです。
アニメーションと音楽はとても良かっただけに、ストーリーの部分で惜しいと感じてしまいました。
スティーブン・キング
何度も映り込むツインタワーが印象的だった。
スティーブン・キングのオマージュが沢山あった。
ラストは「ラ・ラ・ランド」のようだった。
周囲は号泣していたが、自分はドッグのあざとさが気に食わず、泣けなかった。
ロボがどんなに君を想っていたか
背景の動物たちもみんな生き生きしていて、画面いっぱい楽しい!
すごくよかったんだけど、最後に相手に気付くのはロボットじゃなくてドッグであって欲しかった。ロボットがいいやつすぎる。ドッグ頑張ってたけど、お前が始めた物語だろ!とどうしても思ってしまう。
浜辺に取り残された間、ロボがどれだけドッグのことを思っていたか、ドッグが知らないままなのが悔しい。反面、離ればなれの間にドッグがロボを切実に思う様子はあまり感じられなかった。海開きの日を書き付けた冷蔵庫のメモは日が経つにつれて少し埋もれてしまうし。まあ、砂浜に取り残されて何もできないロボと、なんとか日々を暮らしていかないといけないドッグでは、濃度に差が出るのは無理からぬことなのだが。わーそうかそうじゃん、リアルだなあ。だからやっぱり最後に相手に気付くのはドッグでなくてロボなのは必然なのかもしれない。でもそれならばやっぱり、せめて、ロボがどんなにドッグを好きだったか、ドッグにわかって欲しかったな…。
繰り返し出てくるツインタワーにアメリカ人の悲しみだけを見出すのはもうできないなと思ったりもした。
1985〜1986年のマンハッタンだから、バナナフィッシュもちょっとかぶってるよね。ニューヨークの街の雰囲気がわかって楽しかった。
安易すぎるのでは
アニメーション自体は悪くなかったが、ストーリーが生理的に受け付けなかった。
リアルに友人を作ることができず、友達ロボットを購入してお金で解決。壊れて無くしたら簡単に買い換えてしまう安易さ。レンチンするだけで食べられるマカロニチーズと同じくらい手軽で軽薄だ。
水にこそ浸からせないが再び海水浴に連れて行ってしまうあたりも反省の色なし。一連の経験を通じて主人公は特に成長していないように思える。アゲアゲな音楽で彩られている分、都会の孤独な生活がかえって不気味に浮き上がってくるように感じられた。
この犬はマカロニチーズを自分で手作りしてみるところから始めるべきだろう。プロセスを経験することを学ばないとたぶん同じことの繰り返しになってしまうと思う。
タイトルの意味
ほぼ前情報ないまま観に行った。なるほどタイトルのドリームは、ロボットがずっと彼を信じて待っていた間の夢だったのか。
切ない。
何がって、ロボットは疑うことも自分を憐れむこともなく、ただその今を案外楽しく何かを見ようとしてるのがまた切ない。
スクラップ屋にはそれを文字通り砕かれてしまう。
結局再会しない道を選んだわけだが、この終わりは大人じゃないと納得いかないものかもしれないなと。
だっていくら寂しいからって裏切りじゃん!と子供ならなりそうです。
どうにも仕方ない、そうなってしまうタイミングというのも世の中にはあるものだよな…。
ところで製作陣はスティーブン・キング好きなんだろうな。
シャイニングの双子お化けや読んでる本はペットセメタリー、足を切られたりとオマージュが。
ロボットは電気羊の夢を見るか
あの曲を涙なしでは聴けなくなる!
【名曲”September”の調べに乗せて、大都会で孤独だったDogと”組み立てロボット”との友情を、優しくも切ないトーンで描いたセンス溢れるアニメーション映画。】
■ニューヨークの何処かの深夜のアパートメント。Dogは、独りで二人で遊ぶTVゲームをしている。夕食はレンジで温めるいつものTVディナー。そんな時、TVに流れた”友達ロボット”のCMを見て、翌日に購入。
組み立てた後に、一緒に街に出た二人は、もう友達。
そして、ある晴れた日に、二人は海水浴に行くが、海水に濡れた”友達ロボット”は、動かなくなってしまう。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・登場人物が登場、全て動物である点が斬新である。Dogの友人になるアヒル、動かなくなった”友達ロボット”に巣を作り、卵を孵化させる鳥、同じく”友達ロボット”を再生させるラスカル・・。皆、キャラが立っている。
・何よりも、Dogの友達になった”友達ロボット”のシンプルだが、愛嬌のある顔、特に目が良いのである。
Dogの喜怒哀楽の表情も、良かったな。嬉しそうな時は、下を出して飛び跳ね、哀しい時は俯いて、耳も垂れ下がっている・・。
・二人が、離れ離れになってからも”友達ロボット”が夢みる、Dogとの再会シーンの数々と、目を覚ますと動かない身体の現実。
・それは、Dogも同じで”友達ロボット”を浜辺から救出しようとしても、海岸は季節が過ぎて封鎖され、雪が降り積もって行くシーンは切ないなあ。
<ラストの見せ方も良かったな。”友達ロボット”がラスカルに再生して貰った時に、出会ったDog。喜んで手を肩に伸ばそうとしたら、Dogの隣には新しい”友達ロボット”が居て・・。
けれども・・。
今作は、名曲”September””の調べに乗せて、大都会で孤独だったDogと組み立てロボットの友情を、優しくも切ないトーンで描いたセンス溢れるアニメーション映画であります。良かったですよ。>
「自分の物語」として読み取る余白を大きく取った一作
本作の、グラフィックノベルの手触りが伝わるような絵柄は、たとえば『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』のようなビジュアルアートの洪水的な派手さと比較すると、やや地味な印象を受けることは確かです。一方で、作画は隅々まで丹念で、大スクリーンだと実に細かい部分までその描きこみ、ちょっとした小物の妙などを楽しむことができます。
主人公のドッグとロボットにはほとんど台詞がなく、なんだったら名前と呼べるものもありません。そのため、ドッグとロボット、そして彼らの関係について、観客側が想像を巡らせたり解釈する余地が大きい造りになってます。特にロボットにどのような姿を見出すかで、本作の見え方がかなり異なってくるため、複数人で鑑賞して、どういった物語と受け取ったのか話し合うのも面白いかも。
ものすごいほのぼのとした絵柄でとんでもなく過激な物語、という作品も世の中にはたくさん存在するので、本作にも何らかの、予断を裏切るような描写があるんじゃあ、とうがった見方をしそうにもなりますが、本作は基本的に絵柄を裏切るような展開はほぼないので、その点は安心できるところ。裏返して言えば、衝撃のどんでん返し展開!を期待すると物足りないかもしれない、ということでもあります。
鑑賞後はアース・ウィンド・アンド・ファイアーの『セプテンバー』を聞き返したくなること間違いなし!なんだけど、歌詞の内容自体が「ドリームズ」なところはちょっと切ない…。
「70年代の曲」
LGBTQの価値観からの解放
孤独と喪失
孤独には色々な顔があるんだなぁと思った。
ポジティブもネガティブも。
しかし監督は鑑賞者を同じ孤独に招き入れるのが
上手。引き込まれた。
喪失をずっと抱えても幸せになっても良いだよ
と投げかけてくる。
ドッグとロボットはお互いに想いあってるのが素敵。少し寂しさもあるけど………。
観ている側に考えさせられる余白を残している。
別れも決して悪くないだとも。
寝る前にふんわりとふと思い出す。鼻歌も口笛も。キャラクターも可愛い素敵な作品でした。
テクノロジーの過渡期
動物が擬人化された世界、大都会ニューヨークで孤独な犬とロボットが出会う切ないストーリー。
アニメだけど最近のディズニーみたいな押し付けがましい窮屈な世界観ではなく原作があるからか、漫画的。
主人公の犬くん?にもっと上手くやれば…と、ちょいイラッとしてしまうが、自分も上手くいかない時はホントにどうしようもないので近親憎悪かも。
ロボが一途なだけにラストのアース・ウィンド・アンド・ファイアーの歌に新しい出会いには爽やかな気持ちに!
全くセリフやナレーションもないのにはびっくり!
ロボットは、羊の夢を見ずに、犬の夢を見た
まったくのノーマーク映画でしたが、友人女子の推薦があり、
予告編を1度観ただけで、原作も知らずに、予備知識がほぼないままの状態で鑑賞しました。
映画を観る前は"友情"をテーマにした映画かと思いきや、完全に恋愛比喩映画でした。
恋愛ものと言っても、大人が観るアニメなので、投げられる球は、直球という生やさしいモノではなく
ほぼ全ての球は"比喩表現"です。
この映画の挿入歌「セプテンバー(アース・ウインド&ファイアー)」だけは、映画の内容そのものなので、
観賞前に、きちんと和訳を予習しておくと、この映画の真髄を素直に理解できると思います。
ただ、曲自体は9月21日の事ではなく、12月に成ってから後悔する未練がましい内容ですが。。。その辺が 映画とは違いますが
6月を待つまでの、グズぶりは曲も映画も同じです。
かと言っても、誰でも100点満点な生き方は、100%ありえないのですから、
僕の場合でも、人生をやり直しても、相手を変えても、やはり今の立ち位置だと思うからこそ
本映画を鑑賞していて、最後の画面分割の踊りあたりから。。。本気の涙が止まりませんでした。
本映画鑑賞者は、これまで歩んできた個々の人生の違いによって、
この映画をいろいろな形で、比喩解釈をする事になりますが、
僕の場合は、ありきたりな恋愛ものにさえ感じました。
恋愛もの あるあるストーリー展開で、捻りはないストレートなのですが、それだけに
美男美女を使う実写映画ではなく、動物(犬)とロボットに置き換えてくれているので、かえって感情移入ができました。
監督がこのようなアニメ映画にした理由は、原作絵本との関係ではなく、素朴さを魅せる為のものでもなく、大人向け映画なので、
比喩的内容に対して、鑑賞者が深読みして欲しいので、必要以上の情報を減らしている為の結果だと考えられ、ある意味現代版の白黒映画と同じ演出手段に近いものだとも思われます。
ニューヨークのWTC(911で有名な世界貿易センター:ツインビル)が何度か映り込んでいたのだが、この意味は何なのか? 僕には理解できなかったので、監督に訊いてみたい。
本筋からは、外れるが、アヒルのダックからのメールだけは、翻訳字幕だけはいれた方が、映画として良かったと思う。
“手を繋ぐ”事は、友情ではなく、恋愛を意味しています。
異性だけではなく、同性にも当てはまりますけど。
錆びる と言う事は、飽きて しなくなる事です。そして会話もない時間が過ぎていました。
ロボットは、機械ではなく眠れるので、夢を観ます。
だから、この映画のロボットは生身の体であり、メンテナンス(コミュニケーション)が、必要で、放っておいては いけない相手であると言う事です。
この映画を観たら、最近の映画では「四月になれば彼女は」を観た方が良いかもしれない
理由は異なるが、どんくさい主人公は似ています。
E,W&Fの“September”がとっても印象的❣️
舞台は1980年代のNY、孤独なワンちゃんと優しいロボットのメランコリックな友情物語🤖
長編アニメのサイレント(無声映画)って初めて観たかも🐕
E,W&Fの“September”がとっても印象的で、ノスタルジックな気分に浸れる映画でした🎶
ストーリーは深く考えずに見てください
単館系の海外長編アニメが話題になっているという前情報だけで見に行きました。
(予告編などの前情報など一切仕入れずセプテンバーがテーマ曲として使われてることも知らず)
海外映画なのに字幕とか吹替えとかの区別がないな?と思っていたら無声映画と気付いたのは始まって10分くらいしてからで、その後も、あ、これNY(それも40年くらい前の)が舞台なんだとか見ながら理解していく過程は楽しかったですし、作画のセンスや見せ方も非常に良かったです。
犬とロボットが手を繋いでいるキービジュアルくらいはさすがに知っていたので、
この二人の友情(あるいは愛情)物語なんだろうなぁと思って見てたら、
出会ってから親愛度MAXになるまでのスピード感がすごいですね。
結果的には別離のシーンを描くことが主題であるから、人と人(?)が仲良くなる過程に理屈なんていらないよ!という割り切りなんだろうなとは思いました。
この辺は日本的なセンスでは無いところなので海外作品の面白さとも言えるかもしれません。
犬とロボットというのもあくまで寓話的なものであって特に仕組みや社会背景を気にするようなものでもありません。単純に大都会で一人で暮らす寂しい人が(手段はともかく)親しい友人(家族)を作った。ということが理解できればそれでよい作りです。頭空っぽで見ましょう。
さて、ここまではきっと前情報だけでも得られる内容だと思いますが、
ここから先に踏み込みます。まだ見てない人は見てからにしてください。
犬さんがやむなくロボットと別れた後ですね。
正直この辺の描写は社会経験が長い人ほど引っかかるというか受け入れ難い流れが続きます。
遊びにでかけたビーチで故障してやむなくロボットを(一旦)置いて帰った後ビーチは閉鎖されてしまい救出不可能に、不法侵入などを試みたものの逮捕、正規の手続きを申請するも却下。
やむなく来シーズンまで救出を諦める。(来シーズンに助けることを決意する)
ここまでは良いとして、寂しさの穴埋めに公園で出会った女性と遊んだり、スキーツアーで友達作りに励んだり、段々と日々の生活の中でロボットの比重が下がり埋没していきます。
この辺はまぁ確かに人ってどんなに固い決意をしても期間が空くと生活の中でだんだん薄れていってしまうものだよねという人間臭さとして理解はできます。
でも少なくともマンハッタンで自活できるくらいの生活基盤があるなら
もう少しやれることあったんじゃないの?とも思ってしまいます。
もう少し粘って方法を模索できたんじゃないか?とか、ビーチに入れないまでも定期的に様子見に来るくらいできるよね?とか。
この後普通に海側からビーチに侵入(避難)する人たちや鉄くず集めをする人がいるのでなおさら。
犬さんの中でロボットがどれだけ大事だったのかがわからなくなってくる。
そして決定的に理解し難いのが、結局行方不明になってしまったロボットは諦めて代わりのロボットを買ってしまうところ。
んーそこは諦めるにしても思い出を胸に人との交流頑張ろうとかそっちの方向に舵を切るべきなのではないか????
結局代替手段に逃げるなら初代ロボット君への思いって何だったのさ???と思ってしまいました。
もちろんこの犬さんがあまりにも薄情だとは思わないです。ただただ人間臭いだけだと思います。
失ったものにいつまでも執着しない、(しても幸せになれない)みたいなことは大事な心掛けだと思います。(とかく日本人はその気質が強いですし)
それぞれが幸せに向かって日々生きるという前向きなメッセージは理解できます。
メッセージが届きさえすればウジウジした部分を長々描かないという割り切りも前半感じた文化の違いかもしれません。
ただタイトルの通りロボットの夢を中心に身動きの取れないロボット側の犬への恋慕や憧憬がいっぱい描かれるので、その裏でなんだかんだ人生楽しんでる犬はなんなんだよと思わなくもないです。(笑)
そんなこんなで紆余曲折あって、ラスカルの新しい家庭に着いたロボットは
犬さんへの未練を残しつつもそれぞれの生活が既に出来上がってしまった以上、干渉しないという決意をします。ここの演出はすごく良かったです。(上に書いたそれまでの経緯から切り離して見たらですが)
気分上々のセプテンバーがこんなに切ない流れで奏でられるシーンはとても新鮮です。
総じてテンポや画作り、作品全体はとても良いと思います。
ただ人と人の出会いと別れの寓話として見ると、正直ロボットを買い替えてしまう流れが非常にノイズです。別の人も書いてましたが、ロボットは人というよりペットの暗喩の方が近いような気がします。
んーでもセプテンバーの歌詞が着想だとすると恋愛劇として見るべきなのか。。。でも恋愛劇として見たら犬は薄情すぎるよなぁ。。。みたいなモヤモヤのループに陥ります。
まぁその辺の受け取り方も人それぞれであっていいという作りなので深く考えない方がいいです。
ここまで書いた評価は穿った大人の視点で見た評価であって、人生悲喜こもごもをライトに伝えるものとしてはちょうどいいんじゃないかなと思います。
感性の強い若年層が見る分にはすごく良いと思います。
あるいは細かいことは気にせず頭空っぽで見ればいいやと割り切れる人なら十分楽しいです。ストーリーの深さではなく、あくまでもアニメーション表現に重きを置いた作品です。
幕切れとしてはビターエンドですが、やっぱりセプテンバーの曲調のおかげか人生前向きに生きようと思えるパワーがあります。
深読み
しようと思えばいくらでも出来る
ヒトは誰でも 自分の思いたいように解釈する
多分 この通りのストーリーなんだと思う
色んな意味や思いを汲み取ったヒトは 自分の中から ソレを見つけ出したんだと思う
孤独をロボットで埋めるトコロで躓いたので 乗れなかったのよねぇ
せっかく出来た友達も 遠くに行っちゃって 結局次のロボットって言うのもなぁ
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