ロボット・ドリームズのレビュー・感想・評価
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ファンタジー映画だけど...
昨年末から気になってたアニメ映画。日本では何年か前にTV放送されていた「オッドタクシー」を思い起こさせるような動物の世界。全編にアースウインド&ファイアーの「セプテンバー」が流れるため、舞台は70~80年代のニューヨークで主人公はちょっとお人好しそうでおバカな犬(Dog)。
孤独の生活が嫌になった犬は、ロボットを購入するところから物語が始まります。
犬はロボットをパートナーとしてセントラルパークで踊ったり、ボートの乗ったりパートナーのいる生活を思う存分楽しみます。夏に海へ連れて行き、海の中で一緒に泳ぎ、砂浜で日向ぼっこをしているうちに案の定、ロボットが故障して動けなくなり、重すぎて犬一人では家に運べないため、修理するために一旦はうちに帰るものの、引き返したビーチは来年の夏まで閉鎖されてロボットはビーチに置き去りになり...
主人公の犬はおバカだけど人の好さそうな性格なのに、何故、周りの人たちは彼に厳しいのだろう。
ロボットを助けようと必死になる犬と冷たい世間。来年の海開きまで待つことにした犬と彼を待ち続けているビーチで動けないロボットはいろいろな妄想をする。(タイトル回収ですね)
終盤は思ってもみなかった展開でラストはあのシドニーポラックの名作「追憶」を思い出させ、頭の中ではユーミンの「Good luck and Good bye」が流れてました。
セリフは全くなく、たまに言葉ではない声があるが、キャラクターの主に目と口だけなんだけれど、喜怒哀楽や意地悪な顔が見事に表現されてました。
ロボットと犬の妄想が現実とごっちゃになることと、もう少し短くまとめてほしかった点がマイナスですかね。
※今回の件、映画の内容より、自分の後ろに座っている未就学と思われる子供が終始うるさかった点がたまらなく腹が立ちました。
小声とはいえ映画全編で後ろからこそこそ話されることと、席を立って動き回っているためなのか席を蹴られているような感覚。保護者と思われる女性は全く注意せず、ファンタジーアニメ映画だからと言って5分もまともに座っていられないガキを保護者は劇場に連れてくるなと強く言いたい!(シンゴジラ以来のストレスでした)
つくづくうまいなあと思った
AIとかロボットとかの話題が飛び交う日々の中で暮らしているので、
そういうことに対する何らかの警鐘なのかな?と想像しつつ観てみた。
いや、これは人の心の旅を描いた映画で、
ご時世的に人々の注目、関心を集めやすいロボットを登場させているにすぎないのだなと、
個人的には解釈した。
批判しているのではなく、わかりやすさ、伝えやすさという意味ですごく上手いなと思った。
自分の楽しさに夢中になって相手を振り回せば相手を傷つける。
相手と自分は同じではなくあれもこれも違うということ。
未熟でどうにもならないことから離れて過ごし時が流れて色々変わる。
かつて相手を傷つけた記憶はその人の後の行動に影響するんだな。
色々あるけれど、あの時の未熟だけれど果てしなく純粋なトキメキや情熱ってかけがえのない思い出だね。
その思い出は掘り起こすと傷つけてしまう人は以前よりも増えてしまうから、現実に向き合って生きていくんだよね。
とか、そんなことを感じた。
主人公の人間でなく犬として描いたのも上手いと思う。
直接的じゃないので生々しさや嫌味がない。
じわーっときいてくるように人間の心の旅を描いているんだな、描き方が上手だなと思った。
目頭が熱くなるという表現があるが、この映画はそうではなく、
心のどこかからじわりと涙が出る。
ハンカチやティッシュは必要ないけど、席を立ち上がって映画館を出るまでに数分の時間が必要。そんな映画だった。
予想していた内容とかなり違ったけれど、それがかえって私には良かった。
単なる絵空事の象徴物語ではない
新年早々、米半導体の巨人エヌビディアがロボットなどを開発する企業にAI基盤技術を無償提供し、ヒトと同じよう自ら動くロボットの実現を目指すと報道されました。(以下若干ネタバレあり)
AIを搭載したロボットがヒトと同じように自ら動くことはあっても、自ら感情をもつようになるかどうかは、なお複雑な問題を孕んでいるようですが、仮に感情を持たなくても、AIが倫理的に設計され、ヒトの感情を尊重し、良い関係を築けるようになる可能性はあるのだそうです。ラストシーンは賛否あると思いますが、倫理的に設計されているAIであれば多分ああなるのではと思いました。
そう考えると、単なる絵空事の象徴物語以上の、大変革期の現代を踏まえた深いメッセージが込められているようにも思います。
無駄な音やセリフをそぎ落とし、線や動き、ストーリーを単純化していること。二人の友情が、二人の関係性を脅かす大小様々な逆境と対置して描かれていること。これらにより、友情や感謝の感情の素晴らしさをわかりやすく伝えているように思いました。(設定は違いますが、チャップリンの名作無声映画「キッド」に少し通じるものがあるように思います。)
砂浜で動けなくなったロボットと鳥親子たちとの交流のシーンが一番好きです。
終始自分には合わないとは思われながら‥
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
評判が良かったので今更観ました‥
しかし結論から言うと、自分には終始合わない映画でした‥(スミマセン‥)
冒頭の、孤独な主人公の犬が、近くの恋人の関係を見て羨ましそうな表情を浮かべた時から、個人的には嫌な予感はしたのですが、友人ロボットが届いてすぐさま意気投合した時には、これは参ったなと思われました。
なぜなら、本来の友人関係は、自身とは違う感覚には距離を取りながらその存在を認め合いつつ、一方で互いの共通点で共感や信頼を持ち合う、複雑な関係性だと思われるからです。
逆に言えば、これまでの主人公の犬は、まず互いの違いを距離を取りつつその存在を認め合うという【人間関係の煩わしさ】から離れているからこそ、そこから互いの信頼関係を築いて行く友人関係を作れなかったと思われるのです。
ただ私個人は、そんな人間関係の煩わしさから離れている主人公の犬のような現在の人達に、一方では肯定的です。
なぜなら、自身の周囲からの根本の理解のされなさを認める事は、逆に自身と感覚の違う他者の存在を認める事と同義だと思われるからです。
(それこそが多様性への一歩だと思われるのです。)
ところが、この映画『ロボット・ドリームズ』は、主人公の犬が孤独であることを冒頭で否定的に描いているように感じられました。
また友人ロボットがすぐさま主人公・犬と同調し、本来の友人関係の構築のための入り口の煩わしさをすっ飛ばしています。
そして映画全般を通して、主人公の犬が友人ロボットを介して、同調同質的な世界を外に広げて行く(あるいは、その喪失を悲しむ)、世界観を表現しているように感じられたのです‥
(この映画の大きな特徴の1つに、言葉での会話を交わさない点があります。
しかし、会話の言語コミュニケーションは、互いの違いを相互理解するためのツールだとも言え、この映画が言葉での会話をすっ飛ばしている点も、同調同質的な世界を外に広げて行きたいという表現になっているとは、(良くも悪くも)僭越思われました。)
もちろん私個人も、自身と同質な世界が外にも広がって行くことを夢想しない訳ではないですし、その世界観を肯定したい少なくない人達がいることも理解します。
ただ一方で、私的の好みで言えば、他者との煩わしさを通過した対立や、距離感を取って自身の価値観とは違う存在を認め合う、他者との関係性が表現されている世界観の方が好みではあるので、今作は自分には僭越ながら終始合わないなとは思われました。
仮に、友人ロボットが、初めは主人公の犬とそりが合わず、しかし次第に煩わしさを乗り越えて関係性が修復されて友人関係になり、その後に映画と同じ離れ離れになるストーリー展開であれば、また個人的には違う印象だったとは思われます。
しかし、鑑賞後しばらくして、今作が多くの人に評価されているのは、自身の同質性が徹底的に追い詰められ破壊されている現在の現実があるからこそであり、友人関係の入り口の煩わしさをすっ飛ばした表現にしているのも、あまりに自身の同質性が破壊されている現在の現実が理由とも考えました。
また、個人的には友人関係なら違和感がありますが、(友人ロボットではなく)失われた家族(を取り戻す)ロボットだと考えれば、家族は初め同質性から始まると思われ、家族ロボットだと置き換えればその感覚は分かるぞ‥とも思われました。
個人的には今作は好みと合わない世界観でしたが、様々考えるきっかけになる深さある作品ではあったと、一方では僭越思われました。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか
最後の切ないシーンが流れる中、年甲斐も無く涙が止まらずにスクリーンの画面が歪んで見える程心を動かされていたので、これは高得点を付けざるを得ないと思った次第なのです。
なので皆さん感動する事を期待してハンカチを用意して見て下さいね!っていう程単純な訳では無いのです。
最終的に心を動かされた理由についてその正体を自分なりに探っていたところ、ロボットの心はどこまでが単なるプログラミングによる反応で、それ以上の自分の意思を持つことが可能なのかと、登場人物(動物だけど)がどれだけロボットに心がある事を信じていられるかというのがテーマのような気がしたからなんです。
個人的な話をすると、身近に某犬型ロボットを購入し愛玩犬として可愛がっている人がいるのですが、オーナーの行動を見るとまるでその犬型ロボットに人間並みの複雑な感情があって、自分が愛されていると信じているような風体なので、話は合わせたりするけれど正直共感は出来ていなかったのです。
とても嫌な言い方をすると、ペットを飼える住環境による理由もあるのでしょうが、実際の犬では無く犬型ロボットを選んだ時点で「いいとこどり」をしようとする意図を感じてしまい、命を持っているが故の「勝手きままさ」や「病気や死亡」を避けようとし、都合が良い時に電源をオンにして、従順さのプログラミングによる「心地良さ」を享受しようと思っている風に見えてしまうからなんです。
映画でもロボットを購入しようとしたきっかけは、人間関係(動物だけど)に不器用なドッグが無条件に自分を受け入れてくれる相手を望んだからで、しかも怪しげなテレビショッピング番組を頼る位だから、恐らく最初は「パートナー的な存在」よりは「パートナー的なおもちゃ」ぐらいの期待だったのかもしれません。
しかし予想を裏切りロボットは彼の心を虜にしていき、本来は人付き合い(動物だけど)で学んでいく様々な事を一緒に経験していく事で、その行動はプログラミングからだけではなく、ロボットからの愛情であると確信(錯覚)していくんですね。
ロボットがビーチで動けなくなった時のドッグの必死な行動は、もはや機械に対しての対応ではなく、対等な者に対しての救済処置であったのですが、ここで改めて他人や社会の視点が冷静に組み込まれていく事で、改めてロボットが単なる機械で社会の規則を破ってまで助ける存在ではない事が示されてしまうのです。
ドッグは寂しさを感じながらもロボットを一旦諦め、なんとか苦手な社会生活に馴染もうと姿に、「歪な自分だけの世界なんか捨てて、人並に真っ当に生きる方が当たり前だろ?」という同調圧力を強いる村社会を見せられるようで、少し寂しくなりました。
また放棄されたロボットに近付く人間達(動物だけど)は、やはりことごとく彼を物扱いしかせず、種族の違う鳥だけが心を通わせる事が出来たという皮肉を見せ、何度も彼の夢の中でドッグのアパートメントに戻る事を見せられたので、視聴者である自分もすっかりロボットには心がある事を確信(錯覚)してしまうのです。
そう、ここらへんで自分の中にも変化が起こっていたのですが、某犬型ロボットを飼っている人達が彼らからの愛情を疑わない限りは、そこには確実に愛情が存在するって事を実感し始めたのです。
他人から見たら歪であったり理解出来ないものであったとしても、それが他人の迷惑に繋がらない限りは否定してはいけないし、人間同士の信頼関係にしたって契約事項でしたためているから成り立っているって訳でも無いので、曖昧で証明もし辛い事ではあるのだけれど、信じている内は確実に存在しているってだけなのだと気付かされるのです。
ロボットが廃棄業者に引き取られた際はバッドエンドを想像してしまいましたが、ラスカルの登場でセカンドチャンスを得て、ドッグも新しい友達ロボットを以前の感覚よりも大切に扱い始め、世知辛いけど別の形の幸せを見つけられて良かったと思っていました。
でも運命の悪戯でロボットがドッグを発見した際に取った行動が、普通の人間が行う判断以上に人間らしかったので、それまでの心無い登場人物(動物だけど)の誰よりも愛情深い事が分かり、滂沱の涙に至ったのです。
余談にはなりますがこの映画の色彩設計はとても目に心地よく、ずっと眺めていなくなるほどでした。
それから唯一不思議だったのは、ビーチにいったら水着を穿いていたのに、普段は何も身に着けず生活しているドッグの羞恥心の在り処についてだったんですけどね。
最後に涙が流れました
ドッグとロボット。ドッグは寂しさからAIロボットを購入。でもロボットがいなくなると喪失感はありながら、次の友達作りへと行動する。しかし、その間もロボットはドッグを忘れることなく一途に思い続ける。ドッグを人間に置き換えると、やはり心のまま、自分中心で生きているのが人間で、友達ロボットのように全てに優しく完璧になることはできないと痛感した。出会いがあって、別れがあることで、成長するのが人間なのかもしれない。そう思いたい。
最後に、別のロボットと歩くドックを見かけて、隠れながら思い出の曲をかけるところに涙が出た。しかも、カセットテープのタイトルにも。
劇場で、嗚咽してたおじさんは私です
ロボットの側に選択肢はないのか
とても可愛らしい作品。良かったところと、気になったところと 一つずつ
・良かったとこ
ロボットという設定ではあるけれど、性を持ち込まなかったこと。仲良くなりたいな、仲良くなれるかな、とおずおず手を握ろうと指を伸ばすシーンがあるが、ロボットに性が与えられていたら少し違った見方に見えてしまったろう。仲良くなりたいなと思う心の奥にあるものは、性差を問わないのだ。
・気になったところ
ロボットが飼い主を嫌いになるっていう設定もあってしかるべきでは。ずっと仲良しでいられるって、そう平坦なことではないはずなんだけど。
絵の可愛さで得してる
ほのぼのしたイメージでありながら、よく考えると現実的なメッセージが散りばめられている。
犬とロボットの交流と、そこからうまれる生活の変化。
セリフなし(うなったりはする)で物語を成立させているのはすごい。
1980年代のニューヨークが舞台のアニメ。
主人公は犬。ひとりの暮らしに寂しさを覚えて通販でロボットフレンドを購入する。自ら組み立てたロボットと外出するようになり、生き生きとしてくる。
夏になり、海に遊びにいく。ひと泳ぎしてから砂浜で昼寝。犬が目覚めるとすっかり日が暮れていた。ロボットを起こし、ふたりで帰ろうとするが、ロボットは体がさびてしまい動けなくなっていた。
犬はその日は帰って、再びロボットを助けに戻るが海水浴シーズンが終わって砂浜は閉鎖されていた。
LGBTを意識した作りなのかわからないが、友だち以上の感情であることは間違いない。しかし、他の人間にとってはロボットはただのロボット、金属の塊という扱いになっている。こういう設定は現実的だ。人間同士でも友だち同士は大切にするが、無関係な人はそんなものだろう。多様性の時代とはいえ、誰もが理解しあうという世界になっていない。
街並みのショットで、いつもツインタワーが描かれているのはなぜだろうと思っていたのだが、監督が「この映画は、もう二度と会うことのできない大切な人々へのラブレターとして作りました」とコメントしていることと、アース・ウィンド・アンド・ファイアーの「セプテンバー」が繰り返し流れるので、911を意識しているのだろう。
ペタっとしたアニメで人間が出てこないファンタジーな作りでありながら、内容はけっこう現実的だった。
このあたりの規模の作品が増えてくれると、また映画を観る楽しみが増えるので良い。
ボート借りて海から救助に行けなかったのかなぁ
ニューヨークで暮らす孤独な犬は自分の友人が欲しくてテレビで観たロボットを注文し、組み立て、そのロボットと一緒に色々な所に行き、友情を深めていた。夏になり、犬とロボットは海水浴へ出かけたが、海水に浸かったロボットが錆びついて動けなくなってしまった。ロボットを持ち帰ろうとするが重くて運べず、日を改め、工具を持って行き修理しようとする犬だったが、海水浴場はシーズンが終わり閉鎖されてしまい、来年の6月1日の海開き迄入ることが出来なくなった。ロボットを置いたまま犬とロボットは離ればなれになってしまい、ハロウィンが過ぎ、冬が来て雪が降り、春になり・・・さてどうなる、という話。
セリフ無しで擬人化した動物の住むニューヨークで、孤独な犬が寂しさを紛らわそうとロボットを購入するのだが、ストーリーは単純だからセリフは無くてもわかる。
穴の空いたボートで沖から来た奴らみたいに、陸側から海岸に入れてもらえないのなら、ボートを借りて海から救助に行けばよかったのにね。
海開き前に鉄クズ集めに見つけられ、売り飛ばされた時は絶望的に悲しかった。どこから来たのか、陸側からあの海岸に行ける人(動物)も居るんだ、とは思ったが。
その後、アライグマが買い取って修理してくれて良かった。
でも、その時には犬はもう新しいロボットを買ってたんだよね。
そこも悲しかったかな。
ずっと流れてた、アースウィンドアンドファイヤーのSeptember、いい曲だなぁ。懐かしかった。
もう恋じゃん
これはもう恋の話ではないですか。
きっとこの先こんなふうにAIは繊細なこころの機微さえも学習していくのでは?というある種のおそろしさがつねにあって、しかしなぜそれにおそろしさを感じてしまうのか、複雑で淡くあいまいな恋心をもてるのであれば、それはもうすでにひとなのでは?恋するひとはこわくない、でも機械が(プログラムが)恋するこころを手に入れられてしまうのは、なんとなくこわい気がするのはなぜなのか、みたいなことをぐるぐる考えつつ、でもこのピュアな恋心にどうしても胸をうたれてしまう。
余談ですけど、こういう動物の世界線って服とか靴とかの概念どうなってんのかな、といつも考えてしまう。
モブの動物たちは服着てたけれど、犬さんいつも全裸だったよね・・・
GO GET ROBOT!!
シンプルに再会して踊ってハッピーエンドを想像してたので、終盤の展開はなかなか意外だった。
よく見るとポスターの2人の影で示唆されてたのね。
出会いから仲を深めるまではかなりテンポよく、2人が『SEPTEMBER』を踊るシーンが楽しい。
予告で見た別離も序盤で訪れ、「もう!?」となる。
ただ、そこからの中盤は少し冗長で、特に夢オチは重ねすぎて意外性もなくなり徐々に冷めてしまった。
ロボットの脚を切断したウサギは、去り際に後ろめたそうに振り返ってたのに何もなし。
とはいえ、こちらサイドは心温まる交流や状況打破の予感やらで印象はいい。
対するドッグ君サイドは、諦めが早すぎてモヤモヤ…
黙って引っ越したとはいえ、手紙をくれたダックに会いに行こうともしない姿勢がドッグの本質か。
ソリスキー行ったりハロウィンやったりデートしたり、淋しげな描写もあるが釣り合いが悪かった。
そもそも管理会社に拒否された理由が分からないし。
映像としては細部まで動いており手が込んでいる反面、情報量が多すぎるところも。
スクラップ屋でハエが感電するのとか、必要ないし。
演出やらカメラアングルやらも、効果的というより色々やりたかったんだなという印象が強い。
“かけがえのない関係”を想定していたので結末は飲み込みづらかったが、後味は悪くない。
別れがあってもまた出会いがある、離れていても繋がれる、というような前向きな結末に感じた。
別角度から見ると、絶対に離れたくない相手は何がなんでも手放すな、とも取れる。
ロボットが身を引いた形だが、いつかは再会してほしい。
ドッグ君のボーリングシャツが『CAT』だったのは何?
Do you remember?
かなりシンプルでピュアな映画でした。孤独を紛らわすために通販で購入したロボットと犬との、友情とも恋愛とも言えるような、心の絆のストーリー。
ロボットが見る「オズの魔法使い」の中にも登場するワールドトレードセンターは、ノスタルジックで理想的な世界のイメージのよう。現実にはそれが失われているだけになおさらです。「ロボットが夢見る」というタイトル通り。
ただこちらの感性が摩耗しているせいか、細かいところが気になってしまった。ニューヨークの海岸って、そんなに出入りが厳しいのでしょうか?自分の所有物(ロボットのこと)を紛失してしまったのに、それを取りに入ることも許されないというのは、ちょっと納得いかないような。。。
映画で観る絵本
ツインタワーのあった時代
わかっちゃいるけどセプテンバー一発でぼろ泣き。ロボットを助けるためにもうちょい別の方法あるんじゃと思ったり、子鳥がロボットとドッグを結びつけてくれるのかと思いきやそれもなく拍子抜けしたが、映画を観終わってからもついセプテンバーを聴いてはふたりが踊るシーンが目に浮かんでまた泣いた。セプテンバー聴く→落涙するパブロフのドッグ状態。
設定は80年代ということだが、ドッグとロボットの関係が単なる友情以上のものをにおわせてくるところに今どき感があり、さまざまな人間関係にも当てはめられるのがうまい。ちなみに血走った目玉柄のゲイラカイトが流行ったのは70年代だと思うけど、そもそもセプテンバー自体が1978年の曲なので、そんなざっくりとした懐かしさも落涙要素になっているのかも。
クライマックスのパートナーへの想い、優しさが心に染みますね
記念すべき2025年の1本目は、周囲の誰もが大絶賛の『ロボット・ドリームズ』をヒューマントラストシネマ渋谷さんにて鑑賞。
(ネタバレあり)
『ロボット・ドリームズ』(2023)
第96回アカデミー賞長編アニメーション映画賞ノミネート(受賞作は宮崎駿監督『君たちはどう生きるか』)はじめ海外の名だたる映画祭で高く評価された作品。
事前の予備知識ゼロ、犬とロボットのポップなポスタービジュアルから子ども向けのカートゥーンアニメと高を括っていましたが然に非ず、人間の誰も抱く、孤独、友情、恋愛、別れ、他者への想い、労わりを擬人化された動物やロボットを通じて優しく丁寧に描いた大人向けの絵本のようなハートフルな傑作でしたね。
ナレーションやセリフは一切ありませんが、キャラクターたちの表情や仕草だけで心の機微が伝わり、背景も80年代のまさにポップなニューヨークの街並みやカルチャーシーンを精巧に再現、作中に何度もかかるアース・ウィンド・アンド・ファイアーの「セプテンバー」(September)が効果的に使われていましたね。
作品設定上は孤独な犬が友達用のロボットを購入、ロボットとの出会いと別れを描いた友情ドラマが「正解」かもしれませんが、ロボットの性別を曖昧にしているため、男女やLGBTQのラブストーリーと解釈しても全く違和感はありませんね。
互いに不運が重なり意図せず別れ別れになった二人が、別々の道を歩みながら互いに幸せをつかみ、数年後偶然再会をする機会が訪れる…普遍的なストーリーですが、二人の過ごした時間を丁寧に描いているため、クライマックスのパートナーへの想い、優しさが心に染みますね。そして流れる「セプテンバー」の「Do you remember/覚えているかい?」の歌詞。
本作が実写で映画化されたら、もっと過剰なほど激情な演出になるはずですが、カートゥーンアニメを採用することで、切なく温かな作品に仕上がったのでしょうね。
正月早々涙腺崩壊でした…。
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