「幻想的なケアの時間」異人たち うぐいすさんの映画レビュー(感想・評価)
幻想的なケアの時間
主人公に訪れる死者との再会と癒し、そして別れを描いた作品。原作既読で鑑賞。
1980年代に書かれた原作から舞台は現代のイギリスに移り、主人公の年代やセクシュアリティも変化させてある。この主人公のパーソナリティの変更や、映像に漂う幻想的なテイストは監督の作風によるところが大きそうである。
ここまで変更が大きいのなら原作と比べるのは野暮な気がしたが、自分は脚色に40年を隔てた時代や社会の変化を感じた。
原作の主人公・英雄はアラフィフの男性で、自身の心の傷を自覚しながらも「傷など誰にでもあるもの」となおざりにしている。自分の心の傷とそれがもたらす孤独を理解し、傷の手当てに踏み切れず、人生へ諦観すら抱いている本作の主人公・アダムとは出発点が異なる。
英雄は戦前や戦中世代の祖父母や父母の下で育っており、彼が育った時代の社会の関心は、個人の傷よりも社会が負った傷、そしてそこからの成長と価値観の激動による痛みに集中していた。現代では、メンタルケアの考え方は当時よりもずっと個人の経験に踏み込んだものになっており、その重要性も認識されている。それがアダムと英雄の出発点の違いや、アダムが両親との再会で向き合う問題のシリアスさに繋がっているのだろう。
とはいえ原作・本作共に、一つの空間で共に過ごす家族の団欒が心を解す点や、心を開くことに必要な勇気、伝えられなかった思いを言葉にし心が通った時のカタルシスを丁寧に描いていることは変わらない。さらに、打ち解けて関係が深まった後の時間が長く続かない哀しさも同じだ。
アダムと両親の再会、ハリーとの出会いはより彼のケアにフォーカスした出来事になっており、別れなおす過程は彼にとって一種のグリーフケアにもなったのではないだろうか。
原作から大幅に脚色が成されているため、鑑賞直後には「原作が必要だったのか?」という疑問が過ったが、原作の主人公の心の変遷を思い返しながら本作を振り返ると、本作が原作の癒しの機微を踏襲した上で現代によりマッチさせるべく練り込まれていることがわかった。
原作からの変更点は大きいが、原作への愛やリスペクト、そして監督の作家性もしっかり感じられる作品だった。また、少々幻想的・感傷的な色が強い気はするが、強さを是とする作品がひしめく中で、本作の様に弱さに寄り添い無償の癒しが降り注ぐ作品に出会えたのも良かった。
ノスタルジーのポイントが、原作では下町で過ごす真夏の午後の団欒、本作ではクリスマスの団欒になっているのはお国柄の違いなのだろう。現代の日本でも、扇風機で昼間の熱気をかき回し、甲子園中継をBGMにする郷愁はどの世代まで通じるのだろうか。