劇場公開日 2025年1月17日

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「大切な人の忘れ方は…」君の忘れ方 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0 大切な人の忘れ方は…

2025年9月1日
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鑑賞方法:映画館

「人生は後ろ向きにしか理解できないが、前向きにしか生きられない」と喝破したのは、デンマークの哲学者・セーレン・キルケゴールでしたけれども。

その箴言を映像化したとすれば、そのものズバリ、本作になるのではないかと思いました、評論子は。

そういう意味では、今は亡き大切な人の「忘れ方」というものは、決して文字どおりに「忘れてしまう「忘却してしまう」「記憶の彼方に捨て去ってしまう」ということではなく、「今は亡き大切な人との関係性を見直して、それまでとは違った関係性を築くことにある」というのが本作の訴えかけではないのかと理解した、ということです。

大切な人を亡くした時に、喪失感に苛(さいな)まれることは、機械ならぬ生身の人間としてはやむを得ないこととしても、いつまでも、未来永劫にその喪失感をいたずらに引きずることなく、ある時点に至っては、遺族としての気持ちの上での過剰な負担とならないように、今は亡き大切な人との関係性を組み立て直さなければいけないーというのが本作の言わんとするところだと理解するものです。

使い古された言い回しを例に引けば、幼くして両親を失ってしまった子供たちに、「お父さん、お母さんはお空の星になって、今度はお空の上から◯◯ちゃんを見守ってくれるんだね」と、子供の視座を切り替えてあげたりするのも、言ってみれば「関係性の組み立て直し」ということになるのかも知れません。

いずれにしても、その気づきは当の本人の内発的な自覚によるもの(よるべきもの)であって、外からの働きかけであるカウンセリングは、その端緒に過ぎず、その要素ではない―というのが本作の謂(いい)なのでしょう。

別作品『インサイド・ヘッド』『インサイド・ヘッド2』になぞらえて言えば、今は亡き大切な人との記憶も、人生に生起する幾多の想い出とともに、記憶のカプセルに丁寧に納めて、脳内の貯蔵庫に、大切に大切に収蔵しておくべきだーというように言い直すこともできるのかも知れません。

その意味では、岐阜でグリーフケアの集まりを主宰していた牛丸の「相手との関係性って言うんですかね。まあ、もう会えないのに関係性って言うのもね、なんかあれなんですけど。なんて言うんですかね。会えないけど、でも、変わっていくんですよね」という台詞。

そして、最後の最後に昴の、今は亡き美紀を抱き締めながら「見えなくても近くにいてね。忘れても思い出すから」という台詞は、それぞれ、本作の核心を言い得ていたと思います。

本作の作道監督は、別作品『いのちスケッチ』や『光を追いかけて』などで脚本家として実力を発揮し、今回、満を持して(?)の本作が長編処女作と聞き及びます。

これからも作品を観続けていくことが楽しみな監督さんをお一人「発掘」することができたことと併せて、本作も十二分な佳作と評価しておきたいと思います。評論子は。

(追記)
それにしても皮肉ですねぇ。
結婚式で使うために編集した写真の中から遺影を選ばなければならないというのは。
さぞかし、昴の心を押し潰したことでしょう。
その一事をもってしても。

(追記)
本作については、レビュアーの皆さんの間でも「ストーリーの展開が平坦で抑揚がない」「冗長」と言った指摘があり、評論子も、確かにテンポよくストーリーが展開する訳ではなく、作品の素材とも関連しているのか、登場人物の台詞回しも発声が明瞭とは言い難く、何かモゴモゴ喋っているという印象は、拭えませんでした。

これまでは、主として脚本を書いてきた監督さんの手になる作品のせいか、説明的な台詞が極端に少なく、その点でも、ストーリー展開の把握に難儀した作品でもありました。

あえて減点要素とは考えませんが、「分かりやすい」=「観客に訴えかけやすい(観客として味わいやすい)」作品とするためには、もうひと工夫が必要かとも、評論子は思いました。
(作品の素材は悪くなかっただけに、惜しまれます)

talkie
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