JOURNEYのレビュー・感想・評価
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「最終日に見れて良かった」
今年207本目。 この映画館最終日。たまに映画を最終日に見れると本当にラッキーだと思います。映画後伊藤梢さんとお話し出来ました。 お互いお気に入りの場面を自分は2部の初めの男性と月が映っているシーンが見た事ない映像で美しい映画ですねと、伊藤梢さんは1部の終わりの夫婦が車に乗っていてスクリーンが車が走っている道路を映していて手をひらひらさせる所が良かったと。自分もそこ凄い好きで奥さん手を握ってくれと思ったと同時に、実は隣にいないんじゃないかとも取れて深い場所だったと思いました。 どちらのシーンも映像で魅せる作品だなあと感じました。
カーズは考えるのをやめた。
肉体から意識を切り離し開放することか可能になった近未来で、肉体を持ち生きることに疲れた夫婦の話。 BGMさえあれば昭和の頃の角川映画の様な始まりから、朝から浮遊する嫁を引き戻し、役所からの手紙をみる旦那となって行くけど…。 設定的には精神というか魂を肉体から自由に引き離したり戻したり出来るし、肉体が滅びても精神として浮遊し続けられるということでしょうかね。 個人的には、緊張がなく終わらせられない永遠の緩和は、最早退屈な無限地獄だと思うのですが…。 そんな能書き臭いことを思ってみていたけれど、2部の途中から山田悠介の「Aコース」的なもの?とか思い始め、そして3部でやっぱりそうなのか、それとも言っている通りか、切り離した精神の世界か…難しく考え過ぎですかね? 実はは集合体を推しておいて、金持ちが空いた肉体に乗り換えてループとかの陰謀まで考えてしまったけどw 設定はユニークだけど、淡々としているしどの解釈にしてもじゃあどうするのぐらいのオチにしかならないし、面白味は殆ど感じられなかった。
拗らせ系
『スタンリー・キューブリック』+『リドリー・スコット』+『庵野秀明』 ここに『押井守』が入っていれば、立派な"ヲタク"という事だろうけど・・・
観賞後のアフタートークでやっと今作の粗筋が理解出来た位、今作は丸っきり説明がない 3部構成の章立てだが、時間軸も登場人物の関係性も一切明かされずに物語は進む そういう作品だというジャンルは決して嫌いなわけではないが、監督がある程度喋ってしまうのは、補完の必要性を問う話になってしまう こう言う作品を制作したのならば、監督自身も自己演出を常と覚悟して欲しいと願う事を先に付け加えておく
前段にも書いてある通り、物語の粗筋はまるで読めない どういう背景でどういう状況、状態なのかも幻のような描き方である
冒頭、男の老人が車椅子に座り観葉植物が茂る部屋内から窓越しに星空を見つめる 傍らにはヒューマノイドが寄りそう 人間じゃないと言うことは台詞で理解出来、初めは単に人間二人がいるかの如くだ
そして、章立てで本編が始まる
三章から成る章立ては、その章の間の時間軸も説明されない 全体に的にライティングが暗いのは、光の移動やスポッティングの効果とストーリーとの意味合いを考えてのタイミングの重要性を考慮したとの監督談
しかし、そもそもどんな物語なのかもさっぱり掴めない状態ではそういう演出効果をされても記憶には残っていない
子供を亡くした夫婦という設定かと思ったら、国からの通知書が暗くてさっぱり読めない 赤く大きな字でさえも滲んでみえて、重要な事が記載されているのだろうが、カメラの性能が悪いのか、自分の視力が低いのも手伝ってチンプンカンプン 結局、アフタートークで優生思想による、障碍を持って産まれた赤子は全て国が管理するとの政策らしい そして二人の会話劇が延々と続く そこで今作品のSFジャンルというカテゴリが判明するのだが、未来を感じさせるセットが、ヘッドギアだけなのでSFだと思い込むしかない そしてエヴァの『人類補完計画』を彷彿とさせる、人間を意識だけの存在にするテクノロジーを持っているらしく、妻はそれを望んでいるようだ
男の方は、これ又宇宙開発が相当進んでいたがあるときを境に中断していた宇宙進出の再開の為、飛行士を募集されていて、小さい頃からの夢を叶えたいと応募する
宇宙船の航行の目的は銀河系の先の宇宙に集合意識となった人間を放出する任務であるらしい その辺りが自分の想像を加味した内容で、もうそこからはハッキリ言って自分の印象から勝手に妄想した作劇である
アフタートークで初めて判明したが、最終章の時間軸はそこから何十年も先の地球のようで、文明が滅んだとされる人類の生き残りの一人である弱視の男(これもさっぱり説明ないので後での判明だが、パイロットと意識体との間の子供らしい)と、叔父さんとのやり取りがこれまた延々と続く
そして、光を求めて湖?沼?に引き寄せられて、そこでまた冒頭の老人とヒューマノイドのシーンに切り替わり、エンドとなる リスト『愛の夢№3』をヒューマノイドがピアノを奏で、いつか人間のように自我を獲得したならば、同じような音楽を生むかもしれないとのメッセージなのだろうか?
過去の哲学、観念的SF大作をモチーフとしていて、台詞の一つ一つになにかしらのメタファーやメッセージを組み込みつつ静かに幕を降ろす今作は、100%監督の頭の中を具現化した世界観であろう
でも、観客として観賞する姿勢は、別に作者に慮る必要は無く、此処の想像力のみで勝手に構築して欲しいとのアフタートークでの話だったので、その通りにさせてもらった
正直、面白味を感じさせる作品ではない 抽象画を見せられている自分の意識の変換を面白がるのが今作品の鑑賞方法なのだろう
こういう作品がメジャーでも取り上げるような懐の深い、感受性豊かな人間に溢れて欲しいと願うばかりである
新鋭監督による『SF』へのラブレター(挑戦状)
細部までこだわり抜かれた60分間でした。 荒廃した未来社会。人々は「意識化」によって肉体から解放される時代。「維持」が求められるディストピアの中、宇宙への探究心を捨てきれない男が、向こうへ向こうへと旅をしていくーーー。 『SF』というジャンルには、やはり夢があります。ありえないと捨て置かれるものたちが命を得て躍動し、我々に新たな思考、感覚を植え付けてくる。ともすれば映画という運動そのものに通ずるこの夢を、21歳の新鋭監督が思い出させてくれました。 なによりも、それらがただの憧憬で終わらず、自分ならこうだと主張する挑戦状のようなショットすら見せてくれます。 必見
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