52ヘルツのクジラたちのレビュー・感想・評価
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泣けました
原作はだいぶ前に読みました。どうしても詳細部分は忘れ、暗い話という記憶でしたが、杉咲花さんで映画化というので楽しみでした。納得の配役。違和感なかったです。
やはり映画の力はすごいですね。クジラの声が聞けた。そして泣けました。花さんはもちろんのこと、私は余貴美子さんに持ってかれました。
ほぼ登場人物みんな苦しみだらけな内容。キナコもアンさんも愛も母たちも。
孤独なクジラになぞらえて、声が届かない場面が沢山ありました。
毒親、虐待母がひどいですね。ひどい。描かれるたびに憤りを感じますが、こういった方たちも病んでいるように思います。
愛という素敵な名前をつけておきながら。最後までひどかった。
次のステージへ進む時、自分を理解してくれる人の声に耳を傾けなきゃいけない。時にそれは難しいのかもしれないが判断を誤ってはいけない。そんな風に思いました。
でも、負の連鎖だけではなく、クジラの声をアンさんからキナコへ、キナコから愛へと伝えていけた。また愛から誰かへと伝わるのかな。そんな救われる点もあったのが良かったです。
友達の美晴もいい子ですね。
*****
「52ヘルツのクジラ」「魂のつがい」など、作家さんの着想はすごい。町田そのこ はこの作品から人気になったように思います。辻村深月、瀬尾まいこなどのような映画化常連になる予感が。どうだろう?
*****
最近、予告編前に流れるJTの「森を育てる」がちょっと笑えて気に入ってます。
誰もいない森の中で・・・
この映画とは全く関係ないんだけど、『スパゲティコード・ラブ』って映画を前に観たんですね。
内容よりも挿入歌の曲のタイトルが印象に残っているの。
「誰もいない森の中で一本の木が倒れたら音はするか?」
これって、昔の哲学者の問いなんですね。
そして答えは、しない。
認知する人がいて、初めて音になるって考えなんですよ。
そう言われると、音ってただの震動で、感じとって初めて音になるんですよね。
「スパゲティコード・ラブ」でもそんな感じの台詞有ったはず。
それでね、声もやっぱりそうなんですよね。
物理的にも、そうじゃない意味でも、聞いてくれる人がいて初めて声になると思うの。
そう言った意味では、この映画の貴瑚と愛は声を発する事が出来たのだろうし、安吾は声を発する事が出来なかったのだろうなと思う。
もしかしたら、主税や琴美も声を発する事が出来なかった側なのかも。
そんな感じでこの映画、ちょっと息苦しいのだけど、最後は温かい感じで終わって良かったです。
この映画に限らず、小野花梨さんの笑顔は温かい感じがします。
だけどね、気を付けないといけないと思う事も有るの。
美晴は明るくて強くて優しく見える。
でも、これだけ誰かにに寄り添える人って、自身の中でも乗り越えてきた物が有ると思うの。
こういう人って、誰かの為に声を上げられても、自分の為の声を発せられなかったりするんじゃないかな。
もっと言えば、人って皆そんなところが有るかも。
なので、そういう声を聞く事が出来る心の耳を持ちたいとは思うの。
毎度の破壊力だが、支離滅裂
杉咲花の表情や演技力は、毎度毎度破壊力抜群でしたが、ストーリーは支離滅裂で、私は共感できませんでした。
あんさん程の人ならば、すべてを割り切って覚悟の上でのトランスジェンダーだと思ったのに、母親の前で泣き崩れたり、最後は自殺と全く期待外れでした。
またきなこも、遺書を燃やされ、宮沢を刺すのかと思ったら、「え、自分??」って感じで、理解不能でした。
そして、52の自殺未遂も意味不明の上、極めつけはクジラの飛び跳ねた水しぶきがかかるって、どんだけ近くやねん!と呆れるほどでした。
児童虐待、DV、LGBT、自殺と、無理やり社会問題を詰め込み過ぎた感じが強く、結果、主役2人が、最後まで他人依存が強く、薄っぺらい設定になってしまったのが、非常に残念でした。
泣きの演技が秀逸
原作も未読、予備知識なしで鑑賞。
現代社会の問題が山積みの内容でした。
虐待、DV、福祉利用への煩雑さ、LGBT。
個人的には志尊淳演じるアンさんが、
体は男なのに心は女なのかと思っていたらその逆で、少し頭が混乱しました。
でもそんなことより、アンさんの終わり方が悲しくてやるせなかった…
母親が一見アンさんに寄り添うようで、実は本人の心に響いていないところにリアルさがありました。
「もう大丈夫だから、一緒に暮らそう」と言われても「知ってる人は誰もいない場所で」なら、根っこではアンさんのことを恥ずかしい、隠したいという気持ちが伝わってしまう…
亡くなってから気づいても遅いのです。
この映画で一番最初に涙腺が緩んだ場面は
いっちゃんの名前が「愛」だったところ。
「愛」という字の持つパワーを改めて感じ、
「愛」だったんだ、愛情の「愛」なのにどうしてこうなった?と涙がこぼれました。
あと印象的だったのは
倍賞美津子さんの存在感と
「子どもはペットじゃない」のセリフ。
わかってはいるけど、劇場で聞くととても重みがあります。わずかな登場シーンでも印象に残るのはさすがです。
杉咲花ちゃんの泣きの演技が秀逸です。
内容的に泣けた部分ももちろん多かったのですが
花ちゃんの泣きの演技に泣けた部分もありました。
やはり虐待されている人や辛い環境下にいる人でも、一人でも救ってくれる人がいればと思わされる内容です。現実でも、アンさん→キナコ→いっちゃんのような「魂の番」の良い連鎖があってほしいものです。
世界中にいる52ヘルツのくじらたちが救われますように…と願ってやまないです。
イヤホン
イヤホンから聴こえたのは
とにかく杉咲花が凄い。本当に絶望の顔してた。
近寄りたくない。人生どん底。
中盤は志尊淳が凄い。
難しい役どころだったでしょう。
ヤングケアラー、
家族という呪い、
ジェンダー、
児童虐待
今の日本をはびこるカビのような問題
カビのように見て見ぬ振りしている私たち
悲しき親ガチャ
本屋大賞を受賞した同名の小説を原作にした映画でしたが、まずは題名が秀逸でした。「52ヘルツのクジラ」って何だろうと誰しも思うところ、鳴き声の周波数が高過ぎて他のクジラに声が届かないクジラのことなんだと、冒頭に志尊淳演じる安吾から説明がある。なるほど高知の捕鯨船の話じゃなかったんだと直ぐに認識出来る(当たり前か)。そしてお話が進むにつれて、人間世界においても、自らの声とか思いが周囲の人に届かない主人公たちの悲しき人生が描かれており、この題名が本作の内容を的確に表現した優れた文学的修辞だと気付きました。そして映画としても、ホント掛け値なしに涙々の物語でした。
映画作品としては、主役の杉咲花に大注目。昨年末の「市子」で親の都合により無戸籍になってしまった市子を演じた彼女でしたが、本作でも市子同様に親ガチャの境遇の貴瑚(「キコ」と読むけど、作中「キナコ」とあだ名が付く)を、情感たっぷりに演じており、益々彼女のファンになってしまいました。また「キナコ」の名付けの親である安吾を演じた志尊淳も、実に良かった。とても優しくていい人なんだけど、何処か影があって秘密を持った人物を、悲しさと苦しさが混じった表情で表現したことで、彼の秘密に対する興味が俄然湧いて行くように創られており、その辺が映画として良く出来てるなあと感心させられました。もう一人、”少年”を演じた桑名桃李は、髪の毛が長いので最初女の子かと思いましたが、実は男の子だったので驚きました。喋れないという設定だったのでセリフはほぼありませんでしたが、逆に表情で演技をしており、中々見所がありました。
物語的には、親によるDVとか育児放棄に遭ったキナコや”少年”、そして何か秘密を抱えていそうな安吾の3人が、「52ヘルツのクジラ」として描かれていました。キナコと”少年”の境遇は似通っているので、キナコが”少年”に肩入れするという流れは実に自然でしたが、一方で安吾が、自殺しようとしたキナコを救い、その後も全面的にバックアップしていながら、何故か彼女からのアプローチを受け入れないというところが、実に謎めいた展開になっていて興味が尽きませんでした。
親ガチャがテーマになっているので、例えば彼の親が殺人犯だったとか、もしくは彼自身が親を殺してしまっていたとか、そういったことなのかと思っていたら、驚きのトランスジェンダーだったという展開。彼が、自身このことを誰にもカミングアウト出来ずに悩んでいたことが明かされ、まさに「52ヘルツのクジラ」だったと分かった時には、全てに合点が行ったと同時に、若干のお腹いっぱい感もありました。
正直親ガチャだけでも凹んでいる観ている側の感情に、さらにトランスジェンダーとしての悩みを浴びせられてしまう展開は、「52ヘルツのクジラ」にはいろんなタイプがいるということを表すのには最適解と思うものの、余りに重すぎるかなと感じられたところでした。ただ周囲の人に声が届かないというテーマ的には、3人の中で最も合致していたのが安吾だったも思われたので、この展開の解釈には中々結論を出せずにいるところでもあります。
また、概ねいいお話だったとは思うのですが、唯一「うーん」となってしまったのが、キナコの男を見る目のなさというか、危機管理能力の低さ。親友の美晴に恋人が出来、自分も思い切って安吾に告白するも、前述の理由で拒絶してしまう中、勤務先の会社の御曹司である主税から迫られて受け入れてしまう。まあここまでは納得出来るものの、公衆の面前で安吾を罵倒したのを皮切りに、何と親が決めた取引先のご令嬢と婚約するに至っても、主税から離れないキナコには、正直ガッカリでした。その後も両親から受けたのと同様のDVを主税から受けても、何故か逃げないキナコ。逆に言えば、彼女のそんな心理を、もう少し深掘りして貰いたかったと思うところでした。
最後にまた俳優陣の話になりますが、「52ヘルツのクジラたち」たちの親たちにも触れておきたいと思います。まずキナコの親を演じたの真飛聖。どちらかと言うとスマートな役柄が多く、個人的にも好きな女優さんの一人ですが、本作ではキナコにDVを振るいつつも、キナコに依存する母親という、明らかな汚れ役を演じており、非常に驚きました。杉咲花はある意味イメージ通りの役柄だったけれども、大袈裟に言えば真飛聖は新境地を開いたんじゃないかと感じたところです。
それから安吾の母親を演じた余貴美子の変幻自在の演技も素晴らしかった。本作では、善良だけど悲劇に接して悲しむ母親役を演じましたが、実にしっくりと来る配役でした。
あと、主人公たちの親ではありませんでしたが、キナコの地元で何かと世話を焼いてくれる村中サチエ役として倍賞美津子が出てきた時は、本作が予想以上に豪華俳優陣を起用していることに驚くとともに、波乱万丈の物語の掉尾を締めくくるに相応しいキャスティングだったと思いました。
以上、キナコの危機管理能力には疑問符を持ちつつも、実に心揺さぶられる秀作だったので、本作の評価は★4.5とします。
52ヘルツのクジラ"たち"
⭐︎3・5になったのは、鑑賞状況が最悪だったからだ。
私はいつものG列真ん中。
その後方列の右端おばさんズ、
私の左後ろばあさんズが、まぁ〜うるさいうるさい!ずっと喋ってる。
予告も見たいから静かにしてほしい。
後ろチラ見したり、咳払い2、3回して
"威嚇"してみたものの、全く効果なし
( ̄∇ ̄)
つか、その咳払いが迷惑よねスマセンでしたm(__)m
もう部屋に入ったら静かにしてくれ!
来期の担任が〜とか、グループホームの出し物が〜とか、知らんがな!後にして!
こ〜ゆう繊細な作品を鑑賞する状況として最!悪!でした!
上映中もずっと喋ってた。
ばあさんの副音声付き(°▽°)
ムカついていたからか、ちょっとクレーマーみたいな観方になっちゃった泣
ふぅ。。さてさて、
本作は、本屋大賞では常連の町田そのこ先生の同名小説を映画化した作品ですね。
本屋大賞ノミネート作品は面白い物が多いからよくチェックしています。
最近では
「そして、バトンは渡された」
「流浪の月」「ある男」「正欲」なども映画化しており、見応えありましたね。
「かがみの孤城」
(←アニメ化されたか)
「店長がバカすぎて」「逆ソクラテス」「夜が明ける」も面白い小説でした。
おすすめ♪
本作は。。
映画の尺の都合上、仕方ないのは承知だが、起こる不幸に対しての描写がやや浅かった印象。
どんどん次の場面に移ってしまい、アレもコレも入れなくちゃ感で、忙しい。
そこに至るまでのプロセスをもう少し丁寧に描いて欲しかった。
説得力に欠けていた部分が多かった。
冒頭の工事に来た兄ちゃん(金子君)のあり得ない噂話。
結局ラストのあの皆んなの集まりの中でも、婆ちゃんだって嫌われていたようでもなかったし、これが何に活かされていたシーンだったのかわからなかった。
病院で母(真飛さん)からボコボコにされたキコ(花ちゃん)も、次のシーンではもう街をフラフラ歩いている。
死のうとした所を安吾(志尊君)と美晴(小野ちゃん)に助けられるが。。
あの顔のアザ、心身ボロボロなキコを呑みに誘うか?!
安吾がキコにあそこまでする動機もハテナだ。
村人がイトシの存在を知っているのに無関心。。毒親(七瀬ちゃん。良かったです!)は結局フェードアウト。。
舌にタバコ?!
あり得ない設定過ぎてビックリ仰天!
小説ならば文字を目で追うので、まだ「52」と仮に呼んでいても、頭の中で処理出来るが、実際に「ごじゅ〜に〜」と声に出して呼んでいる所は違和感があった(°▽°)
新名(氷魚君)vsキコ。
彼が何故にあれ程までキコに執着したのか?自分の思い通りになる女を飼いたかったのか?
そして、なぜ背後にまわる?!
「逝くなー!!」ってw ごめん失笑。
(リアル坊ちゃん氷魚君。
ボンボン専務を頑張って演じてはいたが、やや力不足だったか。。)
安吾の選択も。。
トランスジェンダーとしての葛藤もあったのだろう。
しかし、密告の手紙に込めた想いからあの最期には繋がりにくかった。
キコの幸せを願っていた安吾。
キコの第二の人生を生きるきっかけを作った彼が、生きる事を諦める程の葛藤が描ききれていなかった。
さり気なく映したためらい傷や、手が柔らかいの台詞、最初不自然に見えたあごひげなどは、彼の秘密が分かってからは納得。
巧い演出だった。
優しい安吾だからこそ、自分を追い込んでしまったのですかね。辛いね。
そして、どんなに虐げられても子は親を愛していて愛されたいと思っている。
責められる程に自分が悪いからだと考えて直そうとする。
切ない。悲しい。泣ける。
キコが「お母さんに愛してほしかった」と号泣したシーンは辛かった。
イトシ(桑名桃李君)を通して、幼少期の自分を肯定してあげたかったのだろう。
負の連鎖を断ち切って、彼と共に生き直そうとするキコの姿は逞しく見えた。
とは言え無職女に子は任せられません
(°▽°)
安定の花ちゃん。本作でもキコに憑依!同年代の俳優さんの中でも頭1つ2つ抜きん出た演技力で魅せてくれました。
回鍋肉少女だった頃が懐かしいですね♪
多くのメッセージ。
誰にも聞こえる事のない声。
現実社会でも52ヘルツの声をあげている人々が大勢いるんだろうな。。
しかし私達はクジラではない。
声を上げる事が出来ない人を見つけ出してあげたいし、声をあげれば聞こえるし助けになれるかもしれない。
生きる事を諦めないでほしい。
そんな事を考えた。
作り手の伝えたいメッセージが溢れかえっていて、熱い想いを感じ取る事は出来ました。
だけど、個人的に、今回は揚げ足取りな観方になってしまって残念だった。
上映後、席を立つばあさんズ。
お二人共杖を持っておられ、ゆ〜っくり階段を降りる。
「可哀想だったねぇ」と仰っていた。
う、うん。可哀想だったね( ; ; )
そして、鑑賞後、52ヘルツのクジラについて調べていくうちに、どんどん鯨の知識が増えていった私でした。
声なき声に耳を傾けて
昨今、原作と映画化の齟齬が問題になっている中での、本屋大賞の映像作品。そういった意味でも、興味惹かれて鑑賞しました。
SOSの声を出しても、誰にも届かない人。自分がSOSを出すべき対象であることさえ気が付かない人。いろんな声で社会は成り立つ。
悪役に見えたDV専務も、世襲企業の軋轢の中で生きなくてはならない苦しみを持っていたのかも。(全然共感はできないが)
声にならない声に耳を傾ける社会の聴診器としての役割を果たすこと。まずはその声にならない声を音にすること、だと、是枝監督がテレビの役割について語っていた。
今回は映画ではあるが、声なき声の存在を伝える道徳的役割を担った映画だったのでは。
過去と現代の2軸構成は、映像化する上で難易度が高い挑戦だったと思うが惹きつけられた。
原作読んでみようかな。
届かない声、聞き届ける心
少年のような貴瑚と少女のような少年、そしてトランスジェンダーの安吾。
このあたりの外見の置き方が非常に上手い。
また、注射の手元と一緒にためらい傷(ずっと長袖だったね)を映すなどのさり気なさにも好感を覚えた。
ただ、主税のキャラ造形と宮沢氷魚の(下手とまでは言わないが)微妙な演技はマイナス。
「優しいんだね」とか「大好きだよ」とか、台詞から作りもの臭かった。
志尊淳の男性的でも女性的でもない所作は絶妙だし、似合わないヒゲも背景を考えると納得がいく。
ただ、体格があまりにも男すぎたように感じてしまった。
2回ほど手についての言及があったが、めっちゃゴツゴツしとるやん。
トランスジェンダー設定はHPに載せないでほしかった。
度を越して直情的で考え無しに動くキャラや、ハナから行政を疑う姿勢にも疑問を感じる。
しかし、ラストでは不思議と涙腺が緩んでしまった。
『市子』でも感じたが、杉咲花の不幸を体現する芝居は胸にくるものがある。
イトシのものも含め、大袈裟でなく自然な笑顔に留めたことも良かった。
主税や琴美はともかく、貴瑚と父母のその後は気になる。
杏時代のアンちゃんは可愛すぎで、声を聞いてくれた人にカウントされない美晴は不憫。
そういえば貴瑚のお腹のキズ、横向きだった気がしたんだけど気のせいかな。
"原作ファン"はもうちょっと怒ってもいいと思うよ。
内容を詰め込んだせいで、ある種の「見易さ」を追求してしまったのか?
演技が大げさなため見ている側としては感情移入出来なかった。
映画であるはずなのに、心情を全てセリフで説明しているので安っぽい印象になってしまっていると思う。
あまりにも映画が酷かったので、急いで原作を買って読んでみた。
そちらの方がマシだが、感動の押し付けという点においては似たりよったり。
――以下は原作と比較しての感想――
映画ではムシを家に連れ帰って風呂にいれる際、ムシが全く抵抗せずにTシャツを脱がされてた直後に背中の痣を映したところで、まず違和感を覚えて少し感情が離れてしまった。
原作では、ここを描写してくれていたので一安心して読み進めていった。
映画では、登場人物たちの感情表現の大きさと、心情説明的なセリフの多さになかなかついて行けないまま物語が流ていってしまう。
原作では、あそこまでオーバーに叫んだり怒鳴ったりはしない。
主税のキャラクターが登場時から飛ばし過ぎてて、ヤバいヤツの匂いしかしない…
喧嘩騒動を起こした部下をいきなりクビにすると発言したり、謝罪のための1回目の食事で「あ~んして」を繰り出したりする。
原作では快活なキャラクターで徐々に親しくなるが、そういった経過がないから好感を持てない。
主税がアンさんに「親にも打ち明けられないような状態で…」と特大ブーメランを投げつけたところで思わず笑ってしまった。
原作では『あの親にしてこの子あり』な環境のため主税の立場は強いままだったから、アンさんへの報復は叶ったというのに、改変によって道化のようになってしまっている。
バックハグからの腹部刺傷、そこからの「逝くなー!」が個人的にはこの映画の爆笑ポイントとしてのハイライトとなり
以降まったく感情移入出来ずに、淡々と感動ポイントを見せつけられる。
原作でもこの辺りから話の筋と展開がグダグダになってきて、感動シーンとそれを発生させるための後出しの説明を繰り返す始末。
登場人物たちがあの世界の中で生きている気がしなくて、ただただその場面場面で感動的なシーンを演じさせられてるように感じでしまってかなり残念だった。
その声は聞こえている
タイトルの“52ヘルツのクジラ”とは、仲間のクジラには聞こえない高い声で鳴き、大海にたった独りぼっちのクジラの事。
その声は仲間を探す声なのか、悲しみの声なのか、声にならぬ声で助けを求める声なのか…?
その声は誰にも届かないのか…?
いや、聞こえる相手もいる。
自分と同じ境遇。大海のように広い世界で、たった独り…。
そんな中で出会った。貴瑚と一人の少年…。
東京から海辺の町に越してきた貴瑚。
かつて祖母が住んでいた古家を改修。テラスから臨める海が本当に美しい。
防波堤で海を眺めていた時、突然の雨と腹部に痛みが。
一人の少年が傘を差し出す。
無口なその少年。びしょ濡れになったので、せめてシャワーを。
服を脱がせた時、ハッとする。身体に痣。
少年はそのまま逃げ去ってしまう。
貴瑚は思う。私と同じだ…。
貴瑚も暗い過去が…。
知り合いから少年が母親から育児放棄と虐待を受けている事を知る。
その若い母親はとても親とは思えない辛辣な言葉で我が子を罵る。子供なんていらない…いや、いない。あいつのせいで私の人生が狂った。ゴキブリ、虫ケラ。母親は我が子を“ムシ”と呼ぶ…。
貴瑚は少年を預かる。
少年は言葉を話す事が出来ない。紙に文字を書いてやり取りを。
貴瑚が時折聞いている“ある声”が少年もお気に入りに。それは52ヘルツのクジラの声。少年は“52”と呼んで欲しいと。
昔、私もあなたと同じだった。
その時聞かせてくれた。教えてくれた。救ってくれた。
“あんさん”。
時折貴瑚の傍らに現れる“男性”。
貴瑚は尋ねる。どうして居なくなっちゃったの…?
3年前。
貴瑚は実家で朝から晩まで義父の介護。
母親からは虐待。義父の病状悪化で病院を訪れた時、医師の目の前で殴られる。罵られる。あんたが死ねば良かった! 事情はあるにしても、キチ○イ母。
街中をさ迷い、車に轢かれそうになった所を、男女二人組に助けられる。
偶然の再会。高校時代の友人・美晴と、彼女の塾講師・安吾。
二人に悩み、苦しみ、今の現状を打ち明ける。
二人の力と支えによって、現状を断ち切り、抜け出す。
義父を介護施設に入れ、実家を出る。引き留めようとする母親。
この時の安吾の言葉が響く。お母さんは本当に娘さんを殺そうとしたんですか…? 本気で首に手を掛けたんですか…?
我が子への愛や自由や人生を思うなら、本気ではない筈だ。
母親の元から解放された貴瑚だが、その心境は…。お母さんが好きだった、愛されたかった…。
そんな貴瑚の傍に寄り添い、支える安吾。
ある言葉を掛ける。“魂のつがい”。必ず、貴瑚を愛してくれる人が現れると…。
この時、貴瑚も見てる我々も思った筈だ。安吾、君じゃダメなの…?
2年前。
貴瑚は一人暮らしを始め、自立。仕事も。
時折会う安吾や美晴(とその彼氏)と飲み交わすお酒が美味しい。
ある時、職場でトラブルに巻き込まれ、怪我を。
上司が謝罪。専務の息子で、主税。
イケメンで御曹司。それからちょくちょく会食に誘われ、交際を申し込まれ、プロポーズ。億ションで同居も。
かつてからは信じられない玉の輿。人生逆転。彼が遂に巡り合った“魂のつがい”…?
が、映画を見てると薄々察するのだ…。
貴瑚と主税、安吾と美晴(とその彼氏)で会食。
貴瑚が“あんさん”と呼ぶ安吾が“男”だと知って、主税はトゲのある言動を…。
安吾は貴瑚に主税と別れた方がいいと進言する。いつか必ず、悲しませる…。
貴瑚は耳を貸さず、安吾のある秘密と共に、やがて悲劇が…。
1年前。
久し振りに安吾と再会した貴瑚だが、別れを進言する彼の話を聞こうともしない。
そんな時…、主税に婚約者がいる事を知る。親の取引先の令嬢で、親同士が決めた話。いつの時代だよ…と主税は言うが、貴瑚に“愛人になってくれ”というお前もお前だよ!
会社内に貴瑚と主税の関係が書かれた怪文書。婚約は解消、会社は取引先を失い、主税は父親から激怒されクビ…。
自業自得のくせに、本性を現す。貴瑚にDVを…。
億ションから出る事も許されない。やっと辛い過去から抜け出して幸せを手に入れたと思ったのに、また…。かつてと変わらない。
怪文書を出したのは安吾と判明。
主税は安吾に復讐を。安吾の母親を呼び、今の安吾と会わせる。
驚き合う二人…。
これがきっかけで…。
後日、安吾のアパートを訪ねた貴瑚。安吾の母親とも会う。
そこで二人が目にしたのは…
浴槽で自殺した安吾。
母親との再会。ある秘密。“彼”を悩ませ苦しませていたもの…。
“彼”ではなかった。安吾の本名は、杏子。
女性から男性になったトランスジェンダーだった…。
安吾が貴瑚に“魂のつがい”として切り出せなかったのは、それだからだろう。
自分は貴瑚を幸せにしてやる事は出来ない。何故なら、自分は…。
貴瑚は安吾が好きだった。しかしそれは恋愛感情ではなく、自分を救ってくれた恩人として。尊敬すらしている。
そこに嫉妬剥き出しのクズ男が割り入り、悲劇の連鎖が…。
貴瑚は主税に別れを。包丁を手に。主税に向けるのかと思いきや、自分の腹部に…。
貴瑚の冒頭の腹部の痛みや傷痕はこれ。
相手を思いやり、思い過ぎる余り、その思いがぎこちなく、届かぬ時がある。
貴瑚と安吾の関係がまさにそれだった。
では、どうすれば良かったのか…?
女性/男性として、思いを受け入れれば良かったのか…?
その区別自体が愚か。
女性でも男性でもどっちでもいい。関係ない。
誰かが誰かに手を差し伸べる。尊き人間愛。
あんさんが52ヘルツの声で鳴いていた私を救ってくれた。
そんなあんさんも52ヘルツのクジラだったんだね…。
甘えてばかりで、支えて貰ってばかりで、時には耳を貸さないで反発して、あんさんの苦悩に全く気付いてやれず…。
遺書も私の事を思ってくれて…。(それをコンロで焼く鬼畜主税!)
本当にごめんね、あんさん…。会いたいよ…。
映画賞を総ナメにした『湯を沸かすほどの熱い愛』、まだ未見だが昨年のこれまた大評判だった『市子』、そして本作と、不幸と悲劇が続く杉咲花。しかし言うまでもない、それが出来るのも演技力があるから。今にも壊れてしまいそうな序盤の弱々しい不安定さ、涙と嗚咽、自立、少年に手を差し伸べる包容力…同世代屈指の演技力で魅せる圧巻の見せ場の連続。
志尊淳もまた難しい役柄を見事にこなした。トランスジェンダーであるが故に誰にも打ち明けられない苦悩…。あるシーンの絶叫嗚咽…。しかし見終わって心に残るのは、その優しさと温かさ。
小野花梨も好助演。時々言動が荒いが、それも親友を心底心配するから。
宮沢氷魚もクズ男を熱演するが、第二の『流浪の月』の横浜流星にはなれなかったかな…。ちとミスキャスト感が…。彼はやはり複雑で繊細な役が似合う。
西野七瀬は意外や毒親がハマっていた。余貴美子、倍賞美津子らベテランが支える中、オーディションで選ばれた桑名桃李が印象を残す。
不幸な生い立ち。言葉を発する事が出来ず、虚ろな眼差し、佇まい…。少しずつ貴瑚に心を開いていく…。早くも年末映画賞の新人賞の注目株。
介護、虐待、DV…見ていて辛くなるほどの社会問題。性的マイノリティーの苦悩…。
シリアスと緊迫感と、それを経ての感動と温かさ。成島出監督が手堅く。
一部、感動ポルノと言われている。
一部、ご都合主義も目立つ。ステレオタイプのような不幸の背景や序盤の安吾による救出、ラストシーンに登場するクジラ…。一応希望の兆しが見えるハッピーエンドだが、課題や問題はこれから。いい話で終わりにして途中投げ出しの感も…。
でもそれらを踏まえても、素直に感動出来た良作であった事に偽りはない。
大切な大切なあの人が私を救ってくれた。
今度は私が。
受けた優しさ、温かさを。
あの人がそうしてくれたように。
あんこからきなこへ、愛しに。
それぞれがそれぞれの“魂のつがい”。
大海にたった独りの52ヘルツの声のクジラ。
独りじゃない。
その声は聞こえているよ。
私に。あなたに。
不幸のてんこ盛り
不幸な人だけがこれでもかと出てきて、最後まで希望が見えずに終わる。見終わって残念な気持ちになった。
2時間20分に収めるとはいえ、設定とストーリーが雑すぎる。底辺作業員に専務が一目惚れとかありえないし、職も資産もない主人公が口もきけない、字も書けない子供と生活するなんて不可能。警察・児相案件でしょ。
本当に本屋大賞なのか、原作はどうなっているのか気になった。
杉咲花の不幸の演技は相変わらず凄まじいがそれだけ。たまには明るい役を演じて欲しい。
残念だが素直な感動に浸れる事は無かった!重要な時間的要素が不安定に感じたかな。
気が付けば3月。もうね時間経過が早いよ、そして新作公開ラッシュな時期に来ており見過ごすと時間都合上劇場では見れない作品も出てきそう。
そんな中、今日は期待の「52ヘルツのクジラたち」を観に行ったよ。
ズバリ観た感想だけども、大賞受賞作品にしては展開が浅い目と思えた。
原作ではシッカリした内容を形成していると思うのだが、いかんせん脚本&演出がもう一つに感じました。この作品は親子間に抱く心の不安定な状態とそのケア的な要素点が上手くリンクし絡む所が大変重要なポイントな作品なんだろうと感じます。
しかし 映画を観ていて何で今それするの?って場面が多いでしょうか。
多分一つ一つの心の流れ描写に丁寧な時間をかけないと 上手く感動の波が経っていかないと思うのですが、映画と言う時間的な制約上、追われて次の場面へ移ってしまっている感じが受け取れます。そこがとっても残念でしょうか。
よって もうちょっと深めな感情が有ろうと思うのですが それが感じられず浅い目な感受となってしまいました。
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この作品は 2021年の本屋大賞受賞作品
原作:町田そのこさん
監督:成島出さん
MC:
①家族:
三島貴瑚(主人公):杉咲花さん
三島由紀(貴瑚の実母、娘叩く首絞める):真飛聖さん
三島の父(由紀の再婚相手、病気で要介護)
②家族:
岡田安吾(元女性⇒男性そして自殺):志尊淳さん
岡田典子(安吾の母):余貴美子さん
③家族:
少年(愛(いっちゃん)捨てられた子供 一見女の子?でも男の子):桑名桃李さん
品城琴美(捨てた子供のヤン母):西野七瀬さん
千穂さん(少年の祖母 主が探し尋ねたが病死)
④家族:
村中真帆(主の祖母宅直した大工):金子大地さん
村中サチエ(大工さんの祖母?):倍賞美津子さん
⑤家族:
新名主税(会社上司、貴瑚の彼氏):宮沢氷魚さん
※会社社長の息子、主以外に本命の婚約者いたが破談になる。
牧岡美晴(主の親友 とっても良い人):小野花梨さん
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(疑問に思う点:)
・安吾は貴瑚へ、”君の幸せを心の底から願っている”・・・この言葉が何度も出てくるのだが、その深い思いが伝わって来ない。主と共鳴共感している点が見えて来ず分からない。生まれながらの番い(ツガイ)とまで言ってるのだけどな。過去の共通点を探しても 安吾は母に愛されていたと思うし。新名へは暴露ネタ送りつけるし、そこまで思うのなら 主へ元同性でも愛を告白するべきである。それでダメなら諦めれば良いだけだと思うのだが。それをセズ、良い人ぶっているだけにしか思えない。
母に男性へ性転換がバレたから? 他人の幸せを破談にして制裁したのが知れたから? 責任感じて直ぐ自殺? これも分からない。精神が脆いと思う。なのに新名にはあんな事する勇気は有るんだ、そこが理解不明。普通に嫉妬狂いと思う。
・三島貴瑚と牧岡美晴との街で偶然会った時の場面。母に叩かれて首絞められて罵られて、介護してるピークが来てて それで街を彷徨ったんでしょう?違う?
トラックに跳ねられそうなのを助けられて お互い気が付いて。
なのに直ぐに 飲みに行こう??? 有り得んわぁ。先ずは病院かな。真っ先に居酒屋は無いと思う。
あの居酒屋で 三島貴瑚(杉咲花さん)の涙ながらの心の吐露は凄く良かった。
今作 杉咲花さんは全編通して凄く良い味を出してたなと思います。
・村中サチエ(倍賞美津子さん)登場辺りから やっといい感じに成って来たなと思いましたが、”子供はペットじゃないんだよ” この言葉ね。良いよね。なんか暴力的な問題が起こっていて、見たり聞いたりしているのに警察沙汰にスグに絡んで行かないのがちょっとモドカシイかな。現実味からかけ離れている思いがします。
・52ヘルツのクジラたち・・・”たち”なんだね。
どの家族の人々もこの孤独で鳴く(話す)クジラの様って事なんだ。
人によっては何処となく似た様な場合、深く秘めた心に入って来ない様にしているかもですね。死ぬ程では無いけども 案外寂しい作品に感じました。
※他に「52ヘルツの鯨」(2018年邦画作品)って言う作品が既にあった様ですね。
ご興味ある方は、劇場へどうぞ!
長い旅の中で
原作は未読です。予告の段階でも大まかなストーリーは把握しておらず、虐待が要素の一つとしてあるのかなと思いました。あと監督が成島監督だったのを直線で気付き、自分との相性が悪いので大丈夫かなーと思いましたが…。
これ映画にしたのは失敗だったのではと思いました。ドラマでじっくり描いて人物を深掘りしていけば物語に味が出たのに、2時間強ではどうも淡白に思えてしまいました。
ここ数年話題に上がっているもの全て詰め込んだレベルで、児童虐待からはじまり、回想ではDVや家族の介護があったり、物語の支柱になる人はトランスジェンダーで、と全て詰め込んでしまったが故にそれぞれの描写が散漫になっていました。
きなこの母親は完全な毒親で、父親の介護を全部押し付けて、死にかけたら娘のせいにする、それで見捨てられそうになったら縋る…とどこかで観たよってレベルのテンプレっぷりに笑ってしまいましたが、ここも浅く掬っただけなのであまり印象に残りませんでした。その後の展開に特別活きるものでもなかったのでより一層そう思ってしまいました。
女性から男性への性転換が親にバレて、悩んで悩み抜いた末に自殺というのはどうにも納得できませんでした。
そもそもどこでDV坊ちゃんの婚約者の連絡先を知れたのか、その上でなぜ告発文を送ったのか、遠回りしすぎですし、誰も幸せにならない謎すぎる安さんの行動には難色を示してしまいました。
昨年の「怪物」がそこに余韻を持たせつつも、現実から離れるという選択の残酷さがこれでもかと表現されていたので、そことの比較が作品の善し悪しになってしまったかなと思いました。
この手の邦画で最近多いのが無駄にグロ描写があるところが物語的にノイズになってるよなーと思う事が多いです。暴力シーンは言わずもがな。腹に思いっきりナイフを刺したりするシーンだったり、自殺でなぜドリルを用いたのか…どうしても引っかかってしまいました。
役者陣は良かった人が多かった印象です。杉咲花さんは去年から大化けの連続で、今作も葛藤を抱える主人公の辛さがこれでもかと伝わってきました。
西野七瀬さんの毒親っぷりも生々しくて今までの清純派な印象とは違うものが観れて良かったです。
宮沢氷魚さんの演技はどうも一辺倒で…。怒鳴るか叫ぶか殴るかで善人だったはずの人がどんどん狂気を帯びていく様子が感じられず、あーこの人絶対殴るだろうなーと思ったらその通りになったので、ここはキャストミスだったのではと思ってしまいました。
終わり方は希望を持てる感じで終わっていったんですが、そこまでの過程がはちゃめちゃだったせいかイマイチ感動する事ができず、まだまだ課題は山積みなのにな…とモヤモヤしてしまいました。
考えさせられる作品でしたし、要所要所に光る部分はあったんですが、映画としてはチグハグな出来だったのは否めませんでした。また違う形でリメイクがあったら映像作品としての見方が変わるのかなと思いました。
鑑賞日 3/1
鑑賞時間 14:35〜17:05
座席 B-13
タイトルの意味
原作ファンで楽しみにしていた映画。
映画は原作を凄く忠実に再現されていました。
まずタイトルの意味から説明しておくと「52ヘルツのクジラ」とは、非常に高音な52ヘルツの周波数で鳴くため周囲のクジラたちにはその声は届かない、「世界でもっとも孤独なクジラ」と境遇を重ねているということ。
複数の視点の「52ヘルツのクジラ」な人たちが描かれ、全体的に胸が痛むような暗く重いシーンが多い。
毒親、ヤングケアラー、児童虐待、DV、トランスジェンダーなど、現代社会において問題視されているような、誰しもが抱え得る悩みを、過去に抱えてた人達がそれぞれ描かれ、タイトルの意味が複数形であるのが腑に落ちる。
ストーリーとしては、きなこをどん底から救ってくれたアンさんが、きなこの事が引き金となり自死を選び、漸くきなこは気づき、専務との関係に幕を閉じようとしたが、人生・社会経験が浅いきなこは、自分の命を落とそうとすることでしか幕を閉じられない、そんな歯痒さも感じた。
恋愛だけではない「愛」も世の中にはある。
ただ、世間のジェンダー感は、男と女、一刀両断。性別の壁は高い壁なんだよな、と表現されているように感じた。
アンさんがきなこを尽くしてくれたように、「時間を」貰い、きなこが52(愛)の社会復帰に尽くす、「愛(あい)」の繋がりの表現は凄く好き。
登場した俳優については、宮沢氷魚や西野七瀬らのクズ役。結構見応えがあり、惹き込まれた。宮沢氷魚さんは特に、育ちの良さもありつつ、冷徹な感じを持っていて、傍から見て非常に嫌〜な人(笑)を演じるのがが上手すぎた。
どこが嫌かと言われるとまあ言語化は難しいけど、誰しもが心から友になりづらい感じを醸し出してる感じ。(笑)
2時間を超えても緩む様なシーンが無く、また、過去との回想シーンも分かりやすく、入り込みやすい作り。
難点を挙げるとするならば、美晴との関係。
初期の関係値を考えると、少し、急展開さや無理矢理さを感じざるを得ない気はしないが、物語には必要不可欠な存在の為、仕方ないのかな。
ただ、最後のクジラに出会うシーン。
あれめちゃくちゃ要らない演出で浮いていた。
きなこと52(愛)をクジラと出会わせるのは、感動的な表現で良いが、水飛沫などの演出がとてつもなく安すぎて一気に冷めた。
責めて、沖の方でクジラに潮を吹かせて、水飛沫が届かない距離で描けば良かったのに。。。
私は好きでは無かった
私が無知なだけかもしれないが、
日本映画では珍しくトランスジェンダー男性(FTM)が主要キャラクターで、
とても嬉しく思って見ていた。
死んでしまうまでは。
もういいよ、失ってから気づくとか。そんな話。
ラストとか、シスジェンダーのみんなで海見てて、
すごく寂しかったよ。
未だに死を持って、分からせないとダメなのかな?
また、主税や安吾の母親の無知による差別が本当に痛い。
アップデートされていない人が余りにも多い。(し、その割に罰はない)
あと、キコが虐待されていたことを知っているにも関わらず、
友人が殴ったり、馬鹿だの何だの言っているので、
フラッシュバックとか大丈夫?と気になったし、
(例え安吾との対比を示す為としても)無神経過ぎると思った。
ただ、トランスジェンダー監修も入っていたし、
インティマシーコーディネーターもいたようで、
制作という面では少しずつ変わっていっていると思った。
また、杉咲花を始めとする俳優陣が良かった。
特に、小野花梨、池谷しのぶ、余貴美子。素晴らしかった。
実際にトランスジェンダーである若林佑真のナチュラルな演技もよかった。
あと少し気になったのが、主税のキャラクター。
最後には、キコに暴力まで振るうけど、
なんかそれって、あえて安吾を立たせるためにそうしているように見えて、
逆に安吾を成人男性として平等に扱ってなくない?と思ってしまった。
別に、対立構造として、悪人を立たせなくても良くないか?という。
そんな差異作らなくても、安吾は素晴らしい人だしさ。
原作を読んだことがないため、そちらがどうかはわからないが、どう考え...
原作を読んだことがないため、そちらがどうかはわからないが、どう考えても安吾に気がありかつ恋愛慣れしていない主人公が働く会社の会ったこともない専務に会って短期間で告白され、OKするだろうかという疑問が残る。安吾のことは大切に思っているとは言っていたが、手も触れる仲だったのだから、多少は恋愛感情はあったのだろう。それなら尚更、自分を窮地の道から救ってくれた安吾を捨てたりしないと思う。(もちろんこれが主人公が安吾がトランスジェンダーだとわかっていた上での行動ならまた話は別だがどうやら杉咲花の演技を見てるとそうではなさそう)、そして最後の展開が中途半端で終わる。きなこは、女の子(52)とともに暮らすが、職もない状況でどうやって役所から認められるまでになったかが全く説明不足。そして、その後どうなりそうかが全く読めず、終わり方が雑すぎる。正直杉咲花の演技が上手いだけに残念な映画だった。
みんな52ヘルツのクジラだよ
原作は未読。アンさんはキナコを救えたのに、なぜ死んだのか。誰にもアンさんの声が届かなかったから?
キナコがムシを救おうとするけど、その前に街の人や行政は何もしなかったのか。
時間を抑えるために、脚本に無理があったと思う。クジラの声は、癒やしよりも孤独が強くなるようだ。
虐待などがなくても、自分の孤独や辛さを周りが分かってくれるわけではない。それでも生きていくから、みんな52ヘルツのクジラたちだよ。
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