コラム:21世紀的亜細亜電影事情 - 第10回
2014年6月25日更新
第10回:カンボジアの大量虐殺を描く「消えた画 クメール・ルージュの真実」
大虐殺を生き延びたとは思えぬ、穏やかで静かなたたずまいだった。2013年秋の東京フィルメックス。「消えた画 クメール・ルージュの真実」のリティ・パニュ監督は、満場の客席に語りかけた。「ポル・ポト時代がなければ、父と同じ教師になっていたかもしれない」
日本では今年、アジアの負の記憶──大量虐殺を描いた映画が相次ぎ紹介されている。インドネシアの大虐殺を描いた「アクト・オブ・キリング」に続き、7月5日公開されるのはカンボジアが舞台の「消えた画 クメール・ルージュの真実」だ。
カンボジアでは1975~79年、ポル・ポト率いるクメール・ルージュ(カンボジア共産党)が政権を掌握した。毛沢東思想を導入し、伝統文化を禁じ、知識人を排斥。都市部の人々は農村へ移され、強制労働に従事させられた。全土を恐怖政治の嵐が吹き荒れ、監視、拷問、粛清などで200万人近くが殺されたとされる。
当時少年だったリティ・パニュ監督は、教師だった両親や友人たちを失った。強制労働所に入れられたが、79年に脱出してタイへ逃れ、その後フランスに移住。パリ高等映画学院で映画製作を学び、ドキュメンタリー、フィクションを問わず、さまざまな形で故郷カンボジアを映像化してきた。
かつてのカンボジアは、華やかな音と色に彩られ、文化の香り高い国だった。しかしポル・ポト派は写真や文書を焼き払い、人々の名前を消し去り、命を奪った。文字や映像がない中、失われた記憶は取り戻せるのか。監督が試みたのは、土人形による過去の再構築である。
「最初は子供のような遊び心で、粘土で人形を作ってみた。ところが、できた人形は表情がとても豊かで、魂が宿っているようだった。言葉では表現できないものを伝える時、人形がいいのではと思った」
虐殺で命を落とした人々は、カンボジアの土に返った。汗と血が染み込んだ土から人形が生まれた。表情がないはずの人形たちは、画面の中で繊細に、静かに「消えた画」──失われたイメージを再現していく。観る側の想像力が画面を刺激し、相乗効果で映像がふくらむ。幸せだったかつてのカンボジア。人形たちの声なき歌は、犠牲者への鎮魂歌にもみえる。
「人形には心と信念が込められ、無垢なものや魂を感じる。死者を表現するため、動かない人形を使った。観客は彼らにも物語があり、命があると気付くだろう」
「アクト・オブ・キリング」は、虐殺の加害者が自らの行為をなぞることで、犯した罪の深さと向き合う作品だった。「消えた画」は動かぬ土人形に自身を投影し、過去を掘り起こす。斬新で切実な手法だ。カンボジアの人々は今、過去の傷とどう向き合っているのか。
「私たちが抱えているものは、『恨み』などの言葉で表現できるものではない。終わりのない悲しみ。原爆の被害者と同じように痛みは続き、時間とともに鋭くなるかもしれない。一度死んだような感覚だ。私たちは再び生まれ直し、死を抱えながら生きていく」
虐殺はなぜ繰り返されるのか。どうすれば防げるのか。
「カンボジア人は寛容で、親切で、笑みを絶やさない人々だった。なぜあんな暴力が起きたのか分からない。根底には農民に対する差別、不公平があるのではないか。イデオロギーが彼らを過激で憎しみを持つ人々に変えてしまった。世界のどこでも起きうることだ。私たちは全体主義を打ち砕き、歴史から常に学ばなければならないと思う」
「消えた画 クメール・ルージュの真実」公開に先立ち、企画上映「虐殺の記憶を超えて──リティ・パニュ監督特集」が6月28日(土)から7月4日(金)、渋谷・ユーロスペースで開かれ、代表作「S21 クメール・ルージュの虐殺者たち」(02)ほか5作品が上映される。
筆者紹介
遠海安(とおみ・あん)。全国紙記者を経てフリー。インドネシア(ジャカルタ)2年、マレーシア(クアラルンプール)2年、中国広州・香港・台湾で計3年在住。中国語・インドネシア(マレー)語・スワヒリ語・英語使い。「映画の森」主宰。