コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第99回
2021年12月1日更新
第99回:17 Blocks 家族の風景
米ワシントンD.Cの貧困地域に住む黒人の一家。母親と二人の息子、娘の4人を20年にわたって撮影し続けたドキュメンタリーである。そう書くと、地味なファミリーヒストリーものと受けとめられるかもしれないが、この作品は決して地味ではない。それどころか、非常に衝撃的な物語だ。
シングルマザーである母親は薬物依存症であり、息子の一人も長じて麻薬の売人になる。住まいのある場所はアメリカの首都であるけれども、連邦議会議事堂からわずか17ブロック(これが作品のタイトルにもなっている)しか離れていないのに、治安はとびきり悪い。
冒頭から、物語ははやくも不穏だ。母親がかつて自分が育った懐かしい家を訪れるシーンからはじまる。こぎれいな住宅街のその家には、現在は裕福そうな白人が住んでいる。かつては貧しい層が住んでいたエリアに豊かな白人たちが住むようになり、貧困層は追い出される。ジェントリフィケーション(都市の高級化)と呼ばれる現象が、彼女の育った土地で起きていたことが示唆される。
母親は裕福な家の中で佇んだまま、すすり泣きはじめる。「私の行ないが連鎖的に反応しあって、ものごとをあらぬ方向へと導いた」と独白。そして画面は一転し、だれかのお葬式のシーンへと移る。みんなが悲しみで泣き叫んでいる。しかし冒頭のこのシーンでは、死者がだれかは明らかにはされない。
本作が撮影されるきっかけになったのは、本作の製作者であるデイビー・ロスバートが1999年、自宅近くのバスケットコートでふたりの兄弟と出会ったことだった。そこからロスバートは一家を撮影するようになり、さらに息子のひとりにもカメラを渡し、使い方を教え、家族の日常を撮影するように勧めた。そうやって1000時間もの映像が蓄積され、そこから本作は一本の作品としてつくりあげられた。
家族のだれもが弱くて欠陥があり、悩みを抱え、血と暴力の中で生きている。母親は付き合い始めた男に殴られ、青春時代のトラウマに苦しめられる。息子のひとりは高校を中退して麻薬の取引をはじめる。息子が転落していくことを、母親は「自分のせいだ」と苦しむ。冒頭シーンで彼女が語ったように、「私の行ないが連鎖的に反応しあって、ものごとをあらぬ方向へと導いた」とつねに自分を責めているのだ。
物語の骨格はこのようにシビアだが、撮影された映像は決して重苦しいわけではない。切ない郷愁があり、家族の微笑ましい一瞬があり、躍動する日々がある。そういう映像の信じられない美しさと、骨格の物語とのギャップが、本作の強い魅力にもなっていると思う。
この家族の物語の背景には、ジェントリフィケーションや黒人差別、薬物などの社会的な問題がたくさん横たわっている。しかし本作では、そうした社会的なメッセージを前面に打ち出すことは決してしない。アメリカ本国ではそれが本作への批判にもなっているようだが、私はまったく逆の感想を抱いた。そういう強い社会メッセージを提示しないからこそ、本作にはひとつの家族を愛情も絶望も交えてあらゆる面から描いたリアリティがある。そして観客はそうやってこの家族に寄り添っていくからこそ、ラストシーンにいたって望陀の涙を流さざるをえなくなるのだ。
ひとつの家族を長い年月をかけて追うファミリーヒストリーもののドキュメンタリーは数多く世に出されているが、そのなかでも唯一無二の傑作。
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■「17 Blocks 家族の風景」2019年/アメリカ
監督:デイビー・ロスバート
2021年11月30日から、 Bunkamuraル・シネマのオンラインシネマ「APARTMENT by Bunkamura LE CINEMA」で配信上映。
筆者紹介
佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。
Twitter:@sasakitoshinao