コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第96回
2021年8月11日更新
第96回:サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)
1969年と半世紀も前の映像なのに、すばらしく鮮明で音楽も最高。まだティーンエージャーだったスティービー・ワンダーの姿に感動し、スライ・ストーンの演奏とニーナ・シモンの歌唱は圧倒的すぎて放心してしまうほどだ。
なぜこんなすごい映像が、ほとんど誰にも知られないまま今まで眠っていたのか。この原稿では、本作がどのように作られたのかという秘話をわかりやすく解説していきたい。
1960年代のアメリカは、ベトナム戦争とカウンターカルチャーの時代。人種差別解消を求めた黒人の公民権運動が盛り上がり、激しい衝突が繰り返され、マルコムXやキング牧師が暗殺され、ブラックパンサー党が武装蜂起を呼びかけ、社会は騒然としていた。
その60年代の最後の年の夏にニューヨークのハーレムで開かれたのが、本作の舞台となる音楽フェス「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」。ユダヤ系移民の子孫でテレビプロデューサーだったハル・トゥルチンが企画した大規模なソウルミュージックの連続的なイベントだった。
同じときに、アメリカではウッドストック・フェスティバルが開かれていた。こちらは歴史に名を遺し、「ウッドストック 愛と平和と音楽の3日間」というドキュメンタリー映画にもなって、アカデミー賞ドキュメンタリー賞を受賞した。3枚組の音楽アルバムも発売され、至宝のライブアルバムとして今も聞き継がれている。
ところがウッドストックから160キロしか離れていないニューヨーク市で開かれていたこちらの音楽フェスは、ほとんど知られないまま終わった。そもそも資金を集めることも難しく、映像を撮影するのにも苦労した。主催者のトゥルチンはステージを西向きに設置し、照明をつかわずに自然光で撮影できるように工夫。5台のポータブルビデオテープカメラで撮影し、6週にもわたったフェスを40時間の映像におさめた。
でもこの映像は、その後まったく日の目を見なかった。トゥルチンは何度となくテレビ局に放送を働きかけたけれども、ことごとく失敗。ドキュメンタリー映画制作の計画もあったが、それらも頓挫した。2017年に90歳で亡くなるまで、トゥルチンは「いつかあれを映画かテレビ番組にしたい」と娘に語っていたという。
本作はヒップホップグループ、ザ・ルーツのドラマーであるクエストラブが監督している。クエストラブは制作ノートで「この映像が無視されたことこそが、黒人文化の抹消の例だ」「この歴史的にも文化的にも重要なイベントの記録や書類が残っていないことを信じられない」と言っている。
「黒人はいつでも米国文化の創造力の源でした。しかし、こうした努力はいともたやすく忘れられました。自分が生きている間にこうした黒人文化の抹消が絶対に再び起きないようにしたいのです。この映画はその目的に向けて働きかける良い契機となりました」
4時間の映像がついに今回映画化されるきっかけになったのは、本作の製作者、ロバート・フィヴォレントが大学の同級生に「ウッドストックと同じ年にすごいコンサートがハーレムで開かれていた」という話を聞いたことからだった。そこから彼は生前のハル・トゥルチンの居場所を突き止め、映画化の交渉を始める。
しかし交渉の途中でトゥルチンは亡くなってしまい、すわ映画化はまたも頓挫か……と思われた。ところがフィヴォレントはトゥルチンの未亡人から「死の直前に夫は映像化の権利についての契約にサインした」と聞かされる。そしてついに映像は解き放たれた。40時間のビデオテープはニューホークのブロンクスにあるトゥルチンの自宅地下室にずっと保管されたままだった。
フィヴォレントは40時間のテープを専門ラボに持ち込んで、修復を依頼した。とても幸運なことに、映像は無傷だったという。編集担当のジョシュア・L・ピアソンはこう語っている。「モノラル録音だったことを考えると、奇跡のようです。一発勝負で適正なミックスを成功させていたのでした」「画に関しては彩度を全面的に上げてもらいました。しかし、もとの素材がすでに驚くほど綺麗でした」
こうして「サマー・オブ・ソウル」は、50年の歳月を経て完成した。この信じられない奇跡に思いをいたらせつつ、ぜひ素晴らしい音楽と素晴らしいダンスに感動してほしい。音楽が好きな人なら誰でも、自然と身体が動き出してしまうような最高の音楽映画である。
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■「サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)」
2021年/アメリカ
監督:アミール・“クエストラブ”・トンプソン
2021年8月27日から、TOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開
筆者紹介
佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。
Twitter:@sasakitoshinao