コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第95回

2021年7月15日更新

佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代

第95回:太陽と踊らせて

「音楽の島」で有名なスペインのイビサ島。そのイビサの浜辺で、四半世紀にわたって音楽を流し続けている伝説のDJがいる。本作はそのDJ、ジョン・サ・トリンサを描いたドキュメンタリである。

イビサ島の伝説的DJジョン・サ・トリンサを描いたドキュメンタリー
イビサ島の伝説的DJジョン・サ・トリンサを描いたドキュメンタリー

夏のあいだ、浜辺にあるレストランの小さな小屋で、彼の選曲が聴きたくてあつまってきた人々に自分の好きな音楽をただ流し続ける。シーズンが終わると海小屋はたたまれ、求められるまま世界のさまざまな場所に出かけてはDJをし、旅をしながら暮らす。まるで天上の楽園のような生活に思える。表には出ないさまざまな苦労はあるだろうけれど、年を重ねた主人公ジョンの眩しすぎるほどの笑顔と美しいイビサの映像に、ただただ癒される。

イビサはナイトクラブが盛んで、世界中からパーティピープルが集まる。かけられる音楽もEDMとかのそういう印象が強いのだけれど、本作で流れる音楽はまったく違う。昔からバレアリック(イビサ島のあるバレアリス諸島から来てる)と呼ばれているような、海辺でチルしながらゆらゆらと踊ってるような、そんな曲ばかりだ。

しかも特定のジャンルに偏らず、彼は世界中のありとあらゆる音楽を選曲しているのが面白い。

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SpotifyやApple Musicのようなストリーミングが普及し、すべての時代とすべての場所の音楽が聴けるようになり、すべての音楽がフラットにそこに存在する時代になった。もはや一般リスナーにとっては、音楽を体系的にジャンルごとに聴くものではなくなった。特定のミュージシャンの音楽だけに入れ込む人もいれば、その日その時の気分に合わせてプレイリストを選ぶ人もあり、あらゆるジャンルを横断的に攻めていく人もいる。自分自身の好みのコンテキストに沿って、どんなふうに音楽を聴こうが自由である。そういう自由な音楽スタイルが、月々1000円程度でだれにでも楽しめるようになったのだ。

本作の監督リリー・リナエが、ジョン・サ・トリンサのプレイリストをいくつか教えてくれた。彼女の素敵なコメントつきで、SoundCloudのリンクを紹介しよう。

●土曜日の朝の始まり。昨晩のロマンスに胸を膨らませるも二日酔いの中、部屋を片付けながら聞く
https://soundcloud.com/jon-sa-trinxa/sa-trinxa-live-25092017-29092017-part-2

●日曜日の午後。気持ちのよい日差しを浴びながら、クッキーを抱きしめて聞く
https://soundcloud.com/jon-sa-trinxa/jon-sa-trinxa-nammos-beach

●雨が降っていて、今日は外に出たくないとき。窓の外に咲く傘を眺めながら聞く
https://soundcloud.com/jon-sa-trinxa/jon-sa-trinxa-summer-mix-september-2015part-1

●シャキッと迎える月曜日。作りたてのスムージーで身体を満たしている時に聞く
https://soundcloud.com/jon-sa-trinxa/jon-sa-trincha-naked-ibiza-the-salinas-beach-mix

●天井を眺めながら夢現。月と一緒に横たわって聞く
https://soundcloud.com/jon-sa-trinxa/dreaming-with-nito-the

これらのプレイリストを流しながら窓の外の空を見ていると、地中海西部のおだやかな浜辺が、まさに今そこにあるように感じる。

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それは昔の「異国への憧れ」「ビーチリゾートへの憧憬」ではなく、もっとリアルで身近な感覚だ。2020年からのコロナ禍で世界は遠くなったが、しかしインターネットによって映像や音楽やテキストが交換されて世界は近くなり、どこにいてもどこか遠くの「空気」を間近に感じることも可能になった。そういう21世紀的な新しい距離の感覚が、本作からは浮かび上がってくる。

わたしたちは健全で心地良いこの瞬間を、いまわたしたちが物理的に存在している日本でも感じ、それを遠い土地のものとしても感じ、あらゆる土地と時代が、この瞬間からすべてつながっているような感覚を持ちはじめているのかもしれない。

台湾で生まれ歌舞伎町で育ち、アメリカで映像制作をしてきたリリー・リナエ
台湾で生まれ歌舞伎町で育ち、アメリカで映像制作をしてきたリリー・リナエ

リリー・リナエは台湾で生まれ、台湾の両親のもとで新宿歌舞伎町で育った。自分のアイデンティティはいったい何で、自分はいったいどこに所属しているのかを、つねに葛藤しながら生きてきたという。その彼女がイビサ島で伝説のDJに出会う。音楽のさまざまな人との出会いも発見も苦い経験も、ありとあらゆるものをミックスしながら生きている彼の姿に、新しい世界の地平を見いだした。

スローガンを声高に叫ぶのではなく、音楽をとおして穏やかに多様性の世界のありようを知る。文化が社会を変えるというのは、こういう基点から始まっていくのだと思う。ジョン・サ・トリンサの眩しすぎる魅力的な笑顔は、まさにその新しい世界のありようを象徴しているようだ。

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■「太陽と踊らせて

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2020年/日本
監督:リリー・リナエ
2021年7月24日から、新宿K's cinema、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開

筆者紹介

佐々木俊尚のコラム

佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。

Twitter:@sasakitoshinao

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