コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第65回
2018年10月5日更新
第65回:太陽の塔
この映画は、前半が非常に面白い。そして後半は、前半の面白さとはまったく別の意味で非常に興味深い。
前半では、大阪の万博公園にいまもそびえている「太陽の塔」という巨大なオブジェの異形さが描かれている。大阪万博が開かれたのは1970年で、そのころはまだ日本もようやく途上国から脱却しようとしているころで、白熱電球の街灯は薄暗く、街には木造家屋が立ち並んでいた。そういう中で「人類の進歩と調和」をテーマに掲げた大阪万博は、あまりにもSF的でピカピカしていて、日本人は圧倒されたのだ。
本作に登場する平野暁臣・岡本太郎記念館館長のコメントが当時の空気感をとてもよく表している。「日本人はぶったまげたんですね。メンコやべーゴマで遊んでいた小僧の目の前に、宇宙船やロボット、レーザー光線、動く歩道。そういうものがバーっと広がっていたんです。そういうのは当時はテレビで見るもの、つまりSFの中の話だったんです。これは子どもだけじゃなく大人もびっくりで、いい年したオヤジが、万博の敷地でそのへん歩いてる外国人にサインを貰っていたぐらいですからね」
万博会場の真ん中にある「お祭り広場」には、丹下健三の設計した大屋根があった。当時としては斬新なスペースフレームという構造で、第二の都市を空中に展開するというイメージで作られた。大屋根の下の展示をプロデュースするよう依頼された岡本太郎は、あろうことか大屋根に穴を開けて70メートルもの巨大な塔を建設するというプランを強行してしまう。猛反発した丹下健三と大喧嘩になったとも伝えられている。
太陽の塔は建造から半世紀近くも経ったいまでは、すっかり目に馴染んでしまっている。それでも万博公園を訪れる子どもたちは初めて太陽の塔を見るとびっくりするらしく、公園管理事務所スタッフの「怖がって入れない子もいます」なんていうコメントも紹介されている。
1970年当時は、その異形のインパクトはものすごかっただろう。塔は鉄骨のまわりにコンクリートを吹き付けるショットクリート工法で建造されているが、当時の技術責任者が本作でインタビューに応じていて「それほど美しいものだとは思いません。グロテスクだなと思った」と素直に証言しているほどだ。
塔の表面はまるで安っぽいハリボテのようにゴツゴツしているが、実はそれも太郎の狙い通りだったのだという。技術担当者に対して太郎は「もっと凹凸をつけたいんだ」と要求。「どんな凹凸ですか」と問い返すと、「泥の塊を握って投げつけたような凹凸だ」と答えたという。科学的なピカピカではなく、より根源的でプリミティブなゴツゴツを太郎は求めたのだ。
とにかく得体の知れないものを作っているのだということを、作っている側が不気味に感じながら、そうやってこの巨大オブジェは完成した。
岡本太郎はこの太陽の塔に、どのようなメッセージを込めていたのか。大阪万博の「人類の進歩と調和」というテーマに対し、太郎は「人類は進歩なんかしていないし、調和もしていない。本当の調和はぶつかりあうことだ」と考えていた。つまりは万博全体が楽観的な未来思想に覆われている中で、そういう価値観とただひとつ真逆を向いていたのが、お祭り広場の中央にそびえていた太陽の塔だったのだ。
パリ留学中に文化人類学者マルセル・モースや思想家ジョルジュ・バタイユの影響を強く受けていた太郎は、人間は特別な存在ではなく自然の中のひとつの存在に過ぎないと考え、そのうえで全体的で普遍的に生きるということを目指した。そして日本人である自分がアートの表現へと向かうためには、日本のプリミティブな世界に没入するしかないと考えた。
そして太郎は帰国後に縄文文化と出会い、縄文土器のような特徴的な造形を生んでいくことになるのだ。
このあたりまで、本作で描かれる岡本太郎の精神的背景は非常に面白い。ところが後半に入るとこの映画は、なぜかイデオロギー的な話へと傾斜していく。
太郎は、縄文を体感するために東北や沖縄を歩く。ここで本作では民俗学者の赤坂憲雄氏が出てきて、こんなことを話す。
「虐げられた人々に対する共感は強烈にある。でも同時に太郎は、虐げられた人々が長い歳月の中で『去勢されていった精神性』みたいなものを認めたくないんですよ。それを真っ向から批判しますね」
東北人は去勢されているのだという。そして去勢された東北人を太郎が批判するのは「愛だと思う」と赤坂氏は述べる。
「愛と共感が強いがゆえに、いまも去勢されているようなあり方を認めたくない。いま我々の時代では『自発的な隷従』という言葉がキーワードになりつつありますが、まさにそれだと思います。太郎は怒りを持って挑発したかったのは、たとえば東北は僕は千年の植民地だと思っているが、千年かけて植民地にされ、そのことも忘却してやられっぱなしでいる人たちは自発的な隷従」
このあたりから映画は「自発的隷従」の話になっていく。フランス哲学者研究者の西谷修氏が出てきてエティエンヌ・ド・ラ・ボエシの自発的隷従論を引きながら、「日本の戦後も、アメリカに対する自発的隷従だった。こういうことが日本のいたるところに当てはまる」と語る。「もし岡本太郎が(自発的隷従論を)読んだら、『おお~これだよ』と言ったと思う」と話す。
もちろん、岡本太郎は「自発的隷従」などという言葉は使っていない。赤坂氏も西谷氏も、岡本太郎を勝手に代弁し、そして東北や沖縄の人々を勝手に代弁し、「二重の勝手な代弁」を展開している。
しばらく前にベラルーシのノーベル文学賞受賞作家が福島を訪問し、「福島で目にしたのは、日本社会に人々が団結する形での『抵抗』という文化がないことだ」と発言して物議をかもしたことがことがあった。彼らの言説は、これに酷似している。縄文というテクノロジーや市場経済以前の世界への憧憬が強いのは自由だが、その言説を補強するために縄文を体現する(と自分たちが思っている)東北や沖縄にその立場を強要してしまっているのではないか。
ちなみに岡本太郎は沖縄の久高島を訪問した際、風葬されている白骨になりかけの遺体の写真を撮影し、あろうことか雑誌に掲載してしまった。遺体はまだ個人が判別できる程度で、これに久高島の人々は猛反発し、以降メディアの取材を受け付けなくなったと言われている。部外者による勝手な代弁表現の危うさを象徴する有名なエピソードだが、本作にはこの話は(意図的かそれとも知らなかったのかはわからないが)紹介されていない。
マイノリティの視点はとても大事だが、マイノリティの視点を勝手に乗っ取ることには私たちはもっと慎重にならなければならない。
そして映画では赤坂憲雄氏が再び登場し、反経済成長を朗々と語る。「これまでは右肩上がりの成長を演出してきたけれど、若い人はほしいものなんてなくなっちゃってる。あらゆる欲望が大衆化しているんです。それらは社会資本をぶち壊しつつある」
そしてこう訴えるのだ。「どこかでストップをかけて、成長ではなく、成熟した社会を作っていかないと、君たち若い人たちが老人になるころにはとんでもない社会になってしまう。それは止めなければならない」
典型的な「経済成長は要らない」論で、正直言って私は「大きなお世話」と思った。本作はこのあとは福島第一原発事故とそれにともなう反原発イデオロギーの話へと突っ走っていくのだが、なぜ古い知識人が反テクノロジー・反経済成長を言い募り、江戸や縄文など昔への回帰を語るのか。その精神的源流みたいなものが解き明かされているという点では、本作(の後半)はきわめて興味深く、面白く観ることができた。
筆者紹介
佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。
Twitter:@sasakitoshinao