コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第6回
2013年8月9日更新
第6回:南の島の大統領 沈みゆくモルディブ
この映画は、いくつもの「異質さ」にあふれた作品だ。
まず第一に映像と音楽の素晴らしさと、投げ掛けてくる重いテーマのあいだの異質さ。映像は本当に美しい。冒頭のシーン、主人公のモルディブ大統領モハメド・ナシードは旅客機で母国へと戻ってくる。上空から俯瞰する宝石のような島々。みごとな環礁。青い海。水面に浮いた箱庭のようにビルが立ち並ぶ首都マレの姿。そして、その映像に重なってくるレイディオヘッドの重厚で鮮烈な音楽。うぉーっと旅情がかき立てられ、作品の空間へと瞬く間に引き込まれていく。
しかしモルディブの島々の美しい映像空間は、単なる導入にすぎない。この映画のテーマは、圧政からの脱却と地球温暖化との戦いだ。カメラが美しく野性的な海岸にパンすると、思いもかけないナレーションが流れて虚を突かれる。
「この美しい浜辺で、少し前まで残虐な拷問が行われていたことはあまり知られていない」
モルディブ共和国は19世紀末にイギリスの保護領となった後、君主制を経て1950年代から共和政に移行した。ところが第2代の大統領に就任したマウムーン・アブドゥル・ガユームは長期政権を維持し、独裁的な圧政を続け、民主化のデモが相次いで2000年代に入ると非常事態宣言が出されるまでになる。2007年にはマレで爆弾テロが発生し、日本人観光客らがけがをしたこともある。
そうして2008年に独裁政治は倒れ、民主的な選挙が行われて、圧政時代に何度も投獄されていた民主活動家のナシードが大統領に就任したのだった。
しかしようやく民主化を実現させたナシード大統領は、たいへんなことに気づいてしまう。年々モルディブの海面が上昇し、海岸が削られて、国土がだんだん減ってきているのだ! 海面が1メートル上昇すると、なんと国土の80パーセントがなくなってしまうというのだ。
これは地球温暖化が原因にちがいない――ナシードは徹底的な対策を決意する。まず対症療法として海岸の盛り土。さらに、将来国民が移住できるように観光収入で海外の土地を購入することを計画。さらには、デンマークで開かれていたCOP15(地球温暖化対策を各国で合意するのを目的にした国際会議)にみずから出かけていく。彼は会場を駆け回り、温室効果ガス排出規制の数値目標を合意内容に入れるべくインドなどの大国と交渉し、熱いことばでスピーチするのだ。
息を飲むようなサンゴ礁の映像と鮮やかな音楽のビートと、きわめつけの政治ドラマ。この異質さがすごい。
第二の異質さは、わずか人口40万の国とはいえ、一国の大統領の内面にまでカメラが徹底的に入り込んでいるということだ。
制作ノートによると、ナシード大統領は海外からはるばるとやってきた映画制作チームに撮影を許可したものの、数日で終わって帰っていくのだろうと思っていた。まさかその後1年間も、密着取材が続くとは想像もしていなかったらしい。監督のジョン・シェンクはこう語っている。「私たちは一国のトップにとっては前例がないほど近い距離感で、カメラを回そうとしていた。その難しさに加えて、モルディブでは長年の独裁政治の名残りからか、大統領という立場のためにも私たちを排除しようとする雰囲気も強かったしね。自分たちが何をしたいのか、どんな人間なのか、説明し直さなければならないこともしょっちゅうだったよ」
COP15での他国の首脳との会談も同様で、マスコミ取材では入れない会談の現場にまでカメラは踏み込み、冒頭の挨拶だけでなく率直な議論に入り込んだところまでカメラは撮影してしまっている。こういう映像はテレビだろうが映画だろうが、きわめて稀だ。これが二つ目の異質さである。
だからこの映画は、二つの異質さによってとてもとても緊迫感に満ちている。その緊迫感を島の映像とレイディオヘッドの音が丸く包み込み、何とも言えない不思議な感覚をかもし出しているのだ。
■「南の島の大統領 沈みゆくモルディブ」
8月10日より新宿K's cinemaにて公開(全国順次公開予定)
⇒作品情報
筆者紹介
佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。
Twitter:@sasakitoshinao