コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第20回
2014年10月14日更新
第20回:ハッピー・リトル・アイランド 長寿で豊かなギリシャの島で
ギリシャはたいへん深刻な事態がつづいている。ユーロ圏に参加したのはいいけれど、実は政府が巨額の財政赤字を隠していたことが発覚し、ヨーロッパの金融危機の引き金になった。なぜそんなことが起きたかといえば、ギリシャでは昔から脱税が横行してるのに、公務員はめちゃめちゃ多くて全労働者のなんと4分の1。そして公的年金の額も高くて、55歳から支給という手厚さ。
つまりは社会そのもの、政府にみんなでぶら下がって食い物にして……という経済構造になってしまっているわけで、これではいくら危機が叫ばれてもなかなか改善されるめどが立たない。この結果、ギリシャでは3人に1人が貧困に陥り、若者の失業率は50パーセント台という無残なことになってしまっている。
首都アテネは失業者だらけで、夢も希望もない。このままこの都市にしがみついて貯金を食いつぶしていっても、その先には何もなさそう。……というわけで、最近は都市を脱出し、田舎に移住する若者たちも増えてきているという。
この映画の主人公、35歳のトドリスと恋人のアナもそうだ。アテネではIT関係の仕事をしていたが、貯金をはたいてイカリア島というエーゲ海の離島にボロボロの家を買い、移住してきた。家を修理し、畑を耕し、島の老人たちから生活を教えてもらい、そして人生を取り戻していく。
……という風に書くと、「ああ、ありがちなその手の『離島はハッピー』映画ね」というステレオタイプな感想になってしまう。都会から逃れ、理想的な田園生活を送るんだ、おまけにイカリア島は「長寿の島」として世界的に有名で、地元には元気な長生き老人たちがたくさんいる。そういう人たちに人生を楽しむコツを学ぶのだ、というような話の流れである。
でもこの映画は、そう単純ではない。
老人たちはたしかに元気そうだし闊達だが、しかし彼らのそういう人生の背後には、第二次世界大戦から戦後にかけてのたいへんな苦難の歴史があったことも語られる。島は貧しく、失業率も高い。老人たちが人生を楽しんでいるように見えるのは、彼らが「手に入れたいものを手に入れてきたから」ではなく、「手に入らないものはすべて諦め、達観してきたからだ」と説明される。貧しい島に住み、目の前にあるものだけで満足を強いられれば、いずれはそうした「ささやかな幸せ」で人生を満足できるようになる。人間の欲望なんて、たぶんその程度のものなんだろう。とりあえずテーブルに熱々のスープと焼きたてのパンが用意されていれば、人生の悩みはしばらくの間どこかに置いておける。
イカリア島の幸せというのは、そういう幸せだ。
おまけに離島だから、人間関係もとても濃密。機会があるごとに島中の人たちで集まり、パーティーを開き、みんなで飲み食べる。そこには島民どうしの絆があるが、そういう絆は同調圧力と表裏一体だ。都会から来たトドリスは、そういう絆に違和感を感じて、なかなか入り込めない。でもそのコミュニティに入っていかないと、島ではいつまでも孤独のままだ。雑草取りもオリーブ摘みも、ひとりでやらないといけない。
共同体の安心感と自由のなさ、息苦しさはワンセット。そしてどこにも属していない不安感と、自由の満喫もやっぱりワンセットだ。「安心感があるけど自由」なんていう状況を保持できる人間は、この社会にはほとんどいない。
アテネという不安でいっぱいの都会、でも自由な街から移住してきて、頼れるけど息苦しい共同体にどううまく入っていけるだろうか。そういう課題も、この映画は描いている。
トドリスとアナが抱えている思いは、グローバル時代になって世界共通の人々の現代的課題になってきている。成長の期待できない社会、貧しくなっていく社会で、どう達観して目の前の小さな幸せだけで生きていけるか。どうやって共同体を取り戻し、息苦しさを我慢してでも安心感を得ていくか。
そういう視点から見て、この映画はとても切なさに満ちあふれているように感じたのだ。
■「ハッピー・リトル・アイランド 長寿で豊かなギリシャの島で」
2013年/ギリシャ
監督:ニコス・ダヤンダス
渋谷アップリンクで公開中/横浜、大阪、京都ほか順次公開
⇒作品情報
筆者紹介
佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。
Twitter:@sasakitoshinao