コラム:メイキング・オブ・クラウドファンディング - 第18回
2020年3月6日更新
***物語に埋め込まれる希望と願い***
大高:物語の中で、主人公が変わるように感じました。何か意図されたのでしょうか?
壷井:あまり気軽に言っちゃいけないんですけど、僕はいまだに主人公が誰かわからないんです。存在感で言えばやっぱり沖田役の青木柚さんだと思うのですが。映画のセオリーだとドラマの定義というものがあって、登場人物の中で最も変貌を遂げて成長するものが主人公だという約束事みたいなものがあると思うんですけど、「サクリファイス」の中ではそういうことをあまり考えていないというか、いまだに誰なんだろうと思うところがあります。翠に関して言うと、そもそも脚本の段階は今みたいな役ではなくて、ちょっとした役だったんですけど、どんどん大きくなっていきました。
大高:撮影時に変わったんですか?
壷井:大きく変わったのは五味さんとリハーサルをしながら進めていた脚本直しの時です。ひとつ、なにか希望というのが欲しいなという思いがあって、翠というものが大きくなりました。撮影の時は、五味さんが演技が初めてということで、翠と重なる部分があり、役と五味さんが一緒になって成長していっているような感じでした。そういう部分で翠おしになっているところがあるかもしれません。
大高:最初、沖田という青年が主人公のようなストーリラインで、後半から急に視点が変わっていく。そこは監督の意図したところではないとのことですが、観る側にはどう感じて欲しいですか?
壷井:どう感じて欲しいというのは正直あまりないのですが、そうですね、これも気軽に言っちゃいけないんですけど、人間が描けてないよ、という批判は結構ありました。
大高:それは「サクリファイス」自体に?
壷井:「サクリファイス」もそうですし、他の映画でもそうなんですけど、映画や脚本をダメ出しする時に、人間になってないねって、表現することがあって。でも僕は、映画って本当に人間だけを描くものなのかな、映画ってもっと大きい、運命そのものみたいなものを描けるんじゃないかなっていう思いがあるんです。「サクリファイス」に関しては、それぞれが生きた人間であることにめちゃめちゃ興味があったというよりは、ある種の神話というか、全員が何かの象徴であるということを意識してつくりました。
大高:それはある種の希望ですか?
壷井:そうですね。ただ結果として、五味さんたちが演じてくれることによってどうしようもなく人間というものが立ち上がってしまう、コントロールできなくなる、ということが救いでもあったと感じています。
大高:劇中で、新興宗教に入信していた翠の母が、現地の復興支援に入ったことで信心が消えるというところが興味深かったです。むしろ、震災の被害を目の当たりにすることで自分ができることの小ささを感じて、やっぱり神様だっていう風に信仰が強化される方に流れるのがステレオタイプだと思いますが、なぜ彼女は逆の方向に向かったのでしょう?
壷井:僕は映画とかそういうものがなかったら、おそらく新興宗教にどハマりしていただろうなっていう思いがすごいあるんです。人が、想像も及ばない大きな悲しみと直面して心が空洞になって、その欠落を埋める為に何か代わりになるものが欲しいと思った時に、新興宗教のようなものにすがると思うんですよね。僕はたまたま好きな小説だとか音楽や映画があって、その中に信じられる物語があったし、自分も物語を描きたいと思えるようになったから、そういう風にならずにいられるというか。新興宗教が悪いという意味ではなくて、僕の頭の中には常にオウム真理教のことがあるんです。あの時代、まさに若い人たちにとって信じられるものがなく、そこにすごくうまい語り手が現れた時に、優秀な人たちが一気にそっちに行ってしまった。どうしてそうなったのかをずっと考えているんです。僕はその、麻原の方に行ってしまった人たちの気持ちがわかるけど、僕はそうはならなかったし、これからもそうはならない、というところにおいて、人任せではなく自分の中で物語をもつことがめちゃくちゃ重要だという思いがあるんです。翠の母に関しては、さらに信仰が深まる方向にいくのが楽なんだけど、そうじゃなくて、娘の翠との記憶をふっと思い出すことができれば、楽な方の物語に流れないで済む。そうであって欲しいという僕の思いでもあります。
大高:希望に近いですね。
壷井:そうですね。願いを込めてああいう風にしたんじゃないかと思います。
大高:ご自身が、気持ちは分かるけど新興宗教に行かない、という大きな違いは?
壷井:僕は自分の物語をつくりたいし、それを誰かに信じ込ませようとは思わないです。自分の物語というのは人を信じ込ませるものじゃなくて、覚醒させるためにあると思っているから。だからたぶん、僕は映画とか本が好きである限り、自分がつくりたいと思っている限り、大丈夫だと。同時に、いつもやっぱり、楽なほうに、誰かが提示してくれる簡単なほうに行きたいという欲求と戦っているという思いはあります。
大高:映画の中で描かれている「サクリファイス」とは何なのでしょうか?
壷井:シンプルに、猫のことである、青い服をきたソラという少女のことである。もうひとつは、津波で亡くなった方々である。これに関してはちょっとぶっ飛んだ話ですけど、自分はあそこでたくさんの方々が亡くなった中で、本当に死ぬべき人間は、極端な話、自分でも良かったんじゃないか、という思いが常にあるんです。そういう思いを常に持って映画をつくりたい。それと、この映画をつくる直前に個人的に大切な人が亡くなりました。物語の内と外でいろんな意味がある言葉です。タルコフスキー監督の映画「サクリファイス」のこともあって、複数形にしたらという話もあったんですけど、でもそうすると、震災で亡くなってしまった人たちを数値で還元できないというところと矛盾してしまう。かけがえのない一人一人が、一つ一つの死を死んでいった。そういう意味では複数形ではなく「サクリファイス」なんだという思いがありました。明確な答えにはなってないですけど、タイトルに関しては自分も複雑な思いがあって、考え続けています。
***お礼メールで確信した、個と個の時代への直感***
大高:今回、クラウドファンディングをやってみてどうでしたか?
壷井:僕が今回やれたことというのは108コレクターになってくださった方々全員に違う言葉でお礼メールをするということだったんですけど、それによって何かを感じて、さらに作品を広めたり応援する気持ちになってくださった方がいたんです。今は、全体に向けてとか、インフルエンサーが、ってなってますけど、僕は直感として、これから絶対に、一対一の個と個のやりとり、言葉のやり取りが大切になる時代がもう一度くると思っていて、今回Motion Galleryのクラウドファンディングをやらせていただいたのを通して、それが確信に変わりました。めちゃめちゃ辛かったし、もう一回やれるかと言われたらもうわからないくらいなんですけど、それでもやれて良かったと思います。
大高:辛かったのはどういった部分ですか?
壷井:やっぱり、自分の作品のためにお金を出してくださいというのが単純に辛かったです。これまではそういうことを考えず自分たちのつくりたいものをつくって、やりたい形で発表してきたので、なぜお金をだしてもらうのか、その社会的な意味は何なのか、というのをここまで考えさせられたことはなかったです。それが辛かったというか、改めて考えさせられて、でも同時に、良かったと思っています。
大高:そこまで考えて向き合ったから、あれだけしっかりと応援されて成功したんだと思います。
壷井:ちゃんと小さい声でも聞いてくれている人がいるということがわかって良かったです。やる前は、絶対いないでしょって思ってました。ここまで読んでくれているんだ、ここまで見てくれているんだっていう人がいることを知れたのは、大きな財産になりました。ありがとうございました。
五味:私は、今インターネットやSNSで人気とかいろんなことが数字で決まっているけど、その数字って確かなものじゃないって思っていて。クラウドファンディングの数字は、実際のお金という一種の重みがある数字ですよね。100万という数字は普通一人の人間がぱっと出せる数字ではなくて、それが集まる過程でいろんな人がお金を出してくださったもの。一人一人の人間が存在していることが明確にわかってこんなに多くの人が支援したいと思って行動を起こしてくださったのが、数字が増えていくので確かに感じでとてもありがたい気持ちでした。
監督が、お金を出してくださった人へのリターンを考えて、実際にメールを返している姿を見ていて、支援したいと思ってお金を出してくださった方に、感謝の気持ちだけではなく、実際何かをこちらからも返せるのはすごい素敵なシステムだなと思いました。
壷井:五味さんのファンの方がコレクターになってくださったり、五味さん自身にもリターン用のポストカードの写真撮影などに協力していただけて、ありがたかったです。
***覚悟を胸に刻んで、映画のその先へ***
大高:これからどういう映画作家・監督になっていきたいですか?
壷井:そうですね。常に、強い弱いでいえば弱い人の立場、多い少ないでいえば少ない人の立場からものをみて作り続けられる人でありたいです。
大高:それには何か理由が?
壷井:自分の大きな軸として、村上春樹さんの存在があります。僕が震災のことを描くとなった時も、阪神大震災に間接的に関わる人々の姿を描いた「神の子どもたちはみな踊る」という物語があったから、自分もやれるかもしれないと思った部分があります。村上春樹さんだけじゃなく、自分の信じる物語を生み出してきた人たちの物語や言葉に触れて、段々そうなっていったんじゃないかと思います。
大高:元々どういう経緯で映画をつくられるようになったのでしょう?
壷井:小学校での「映像」という変わった授業の影響もあって、小さい頃からそういうことが好きで、気付いたら中学生の時には将来映画をつくる人になりたい、みたいなことを言ってましたね。専門学校に行って、現場で働いたりもしていたけど、体調を崩して、大学に入り直しました。
大高:どんな映画がお好きですか?
壷井:難しいですね…。最近は三池崇史さんがすごく好きです。男も女も関係なく人間はすべて邪悪みたいな。こんな時代で、男は女よりえらいというのはもちろん論外だし、逆に男が愚かだというのも僕は違うと思っていて、登場人物全員皆殺しみたいなのが正しい、みたいな(笑)。
大高:ひたすら死にまくっている(笑)。
壷井:気持ちいいな、この人かっこいいなって。僕もそうでありたいです。綺麗事を言ってる場合じゃないでしょ、全員邪悪でしょっていう。あんな気持ちいい監督いなくて、最近ちょっと救われていますね。
五味:私は最近、山戸結希さんが好きです。山戸さんは若者の感情みたいなのが強いじゃないですか。そいうのにずっと憧れてて。どうしようもない感情というか、簡単に言いたくないんですけど、大人には理解できないというか。10代だからこその恋愛とか感情とかが、自分も通ってきたし分かるので好きです。
大高:五味さんは今後、どんな活動をしていきたいですか?
五味:女優さんの活動も楽しいですし、私個人にやってほしいと思ってくださった仕事はなんでもやりたいと思っていて、五味未知子にやって欲しい、表現して欲しいという仕事があれば、なんでもやりたいです。
大高:公開してからどういう人に見て欲しいですか?
壷井:それは間違いなく若い人に見て欲しいです。五味さんくらいか、もっと若くてもいい。そういう人たちに、大人にとって都合の良い物語を享受して生きるんじゃなくて、自分の頭で考えて、自分の思いで物語を描き出すということの意味を考えて欲しい、という思いがあっていつもつくっているので、難しいかもしれないですけど、若い人に見て欲しいです。
大高:最後一言ずつお願いします。
壷井:これまでなぜこの映画をつくったのかと聞かれる度に大学の授業の課題だったからと答えてきました。それも嘘ではないですが、今は、本当は自分が自分のためにこの話をつくりたかったんだと思っています。被災された方が「サクリファイス」の予告編を見て、到底自分の家族には見せられないと言っていたと聞いた時、それももちろん覚悟の上でしたが、改めて言葉にされて、すごく体の芯から力が抜けていくような怖い感覚がありました。そういうことも受け止めて、深く胸に刻んで公開の時を迎えたいです。ただ、僕らも決して気軽な気持ちで、何も考えないでつくったわけではないので、その先で、また新たな気持ちや言葉のやり取りができたら幸せなことだと思っています。
五味:こうして東京だけじゃなく各地で上映してもらえることになって、撮影していた当時は、ここまで多くの人の目に触れることになるとは思っていませんでした。「サクリファイス」を通して私自身いろんな体験や学んだことや成長させてもらったことがあって、個人的に思い入れがある作品です。たくさんの人に届けられればいいなと思っています。
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『サクリファイス』 2020年3月6日公開
青木柚 半田美樹 五味未知子 藤田晃輔 櫻井保幸 矢﨑初音 下村花
柗下仁美 青木陽南 田港璃空/三坂知絵子/草野康太/三浦貴大
監督・脚本・編集:壷井濯
プロデューサー:藤原里歩 副プロデューサー:柗下仁美、林海斗
撮影:柗下仁美 録音:藤原里歩 撮影助手:柳田智哉 助監督:加登谷美琴
制作:下村花 音楽:大津沙良 整音:塚本啓介 スチール:柗下知之
主題歌:ぐみ(from パスワードの人)「小譚歌」
制作・配給:Récolte&Co. 配給協力:林海斗 宣伝:髭野純 宣伝デザイン:寺澤圭太郎 webデザイン:秋山祐
2019年/日本/カラー/16:9/77分/ステレオ/デジタル