コラム:FROM HOLLYWOOD CAFE - 第55回
2004年7月6日更新
ぼくにとって、DVDの魅力はなんといってもその特典映像にある。映画の舞台裏やフィルムメーカーのインタビューを見るのは単純に楽しいし、なにより勉強になる。映画ファンのぼくにとって、それは手品のトリックを教えてもらっているも同然なのだ。でも、宣伝用の映像素材を詰め込んだだけのDVDが依然として多くて、好きな映画でも買い控えすることも少なくない。子供のころに作った稚拙なホームムービーを必ず収録するM・ナイト・シャマラン監督や、メイキングにまで完璧主義を貫くデビッド・フィンチャー監督ほどこだわらなくてもいいから、せめて充実したメイキング映画と、監督のコメンタリーくらいは欲しいところだと思う。
そんなぼくが、自らメイキングを作る機会を与えられて、断るはずもなかった。「ジョゼと虎と魚たち」のメイキング監督を依頼されたのは、いまから1年半ほど前のこと。自らの手で納得のいくメイキングを作ることができるばかりか、それまで見学したことのなかった邦画の製作現場に潜入できるチャンスとあって、二つ返事で引き受けた。でも、当時、頭のなかにかちっとした完成図はなく、映画製作の舞台裏を、出演者やクルーのインタビューを織り交ぜて紹介するという、漠然とした方向性しか決めていなかった。映画製作のプロセスは理解しているつもりだし、インタビュー取材にも慣れていたから、前もってかちっと枠を決めてしまうよりも、その場で発見したり、思いついたことを取り入れていったほうが良い仕上がりになるだろうと考えていた。なにより、ぼく自身、心をオープンにして撮影見学を楽しみたかったのだ。
03年1月下旬に行われた衣装合わせから、03年5月上旬の初号試写まで、ぼくはメイキング撮影のために3度の帰国をすることになった。他の事情もあって、すべての撮影に同行することはできなかったのだけれど――自分がいないときは、もっと優秀なカメラマンに撮ってもらった――それでもかなりの時間を「ジョゼ虎」のクルーと過ごした。なによりも驚いたのが、スタッフのスピーディーかつ献身的な仕事ぶりだった。これまで何度となくハリウッド映画の撮影現場を見学してきたけれど、「ジョゼ虎」のスタッフほど、きびきびと働いている人たちは見たことがなかった(唯一、スピルバーグ監督の撮影クルーは機敏だったが、彼らの労働環境は日本のそれとは比較にならないほど恵まれていた)。撮影が進行するにつれて、寄せ集めの職人集団だったクルーにまとまりが出てくる。意見がぶつかりあうことがあっても、それで険悪になるのは一時的で、むしろ絆は深まっていった。早朝から深夜まで濃密な時間を一緒に過ごすなかで、ひとつの運命共同体が出来上がっていくのだ。睡眠不足と疲労の極限のなかでも、励まし合いながら同じ目標に向かっていく人たち。そんなクルーの輪からちょっと距離を置いてカメラを回していたぼくは、とても美しい瞬間に立ち会っているのだと自覚した。
メイキングのはっきりとしたイメージが浮かんだのは、そのときだ。出会いから別れまで、ひとつの映画のために集まった人々のドラマを軸にするのだ。クランクアップを迎えれば、セットは壊され、クルーは次の仕事へとバラバラになっていく。「ジョゼと虎と魚たち」という映画に人生の一時期を費やした経験は、実際に関わった人たちの思い出のなかにしか残らない。それを、メイキングという形で、しっかりと残すのだ。「ジョゼと虎と魚たち」に感動した観客のため、そして、全スタッフのために。
編集作業は、すべてロサンゼルスに戻ってから行った。撮りためたフッテージが70時間以上にも及んだため、毎日、スターバックスで原稿を書く合間に、こつこつと進めていった。半年間にも及ぶ編集期間を経て、それは、当初予想していた長さを遙かに超えて、73分間のドキュメンタリー映画となった。タイトルは、「The Diary of ジョゼと虎と魚たち」。ぼく自身にとっても、宝物のような作品になった。
筆者紹介
小西未来(こにし・みらい)。1971年生まれ。ゴールデングローブ賞を運営するゴールデングローブ協会に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリスト。「ガール・クレイジー」(ジェン・バンブリィ著)、「ウォールフラワー」(スティーブン・チョボウスキー著)、「ピクサー流マネジメント術 天才集団はいかにしてヒットを生み出してきたのか」(エド・キャットマル著)などの翻訳を担当。2015年に日本酒ドキュメンタリー「カンパイ!世界が恋する日本酒」を監督、16年7月に日本公開された。ブログ「STOLEN MOMENTS」では、最新のハリウッド映画やお気に入りの海外ドラマ、取材の裏話などを紹介。
Twitter:@miraikonishi