コラム:FROM HOLLYWOOD CAFE - 第36回
2002年12月3日更新
スティーブン・ソダーバーグ監督を勝手に師匠と仰いでいるぼくだけど、正直なところ、ぼくの心はちょっとぐらついていた。「オーシャンズ11」は、ぜんぜんらしくない映画だったし、ほぼ全編デジタルビデオで撮った「フル・フロンタル」は、認めたくはないけど、大はずれだった。だから、はじめてSFに挑戦する「ソラリス」にも、期待ができなかった。観るのが怖かったほどである。
監督取材をすることになり、否応なしに試写で「ソラリス」を観ることになったのだが、このときの映画体験を、ぼくはどう表現したらいいかわからない。それは、「アウト・オブ・サイト」を観たとき以来の衝撃だった。天才監督が、その持てる力すべてを発揮していた。映像からサウンド、編集に至るまで、すべてが圧倒的で、思わず涙がこみ上げてきた。
ご存知のとおり、これは、スタニスラフ・レムのSF小説「惑星ソラリス」をもとにしている。惑星ソラリスを探査している衛星から連絡が途絶え、クルーニー演じる心理学者が派遣される。そこで主人公は死に別れたはずの妻との再会を果たす。彼女が人間でないことは明らかだが、自分が記憶している妻のイメージをそのまま体現している彼女を、徐々に受け入れていく。やがて、彼は重大な選択を迫られることになる――。
ソダーバーグ監督には、こうしたシンプルなストーリーが合っているように思う。そのぶん、映像や編集で冒険できるからだ。「ソラリス」では、主人公の現在と幸せだった過去を、ずっとパラレルで描いていく。監督にとっては、「イギリスから来た男」以来のノンリニア構成である。原作とも、タルコフスキー監督版とも違い、ソダーバーグ監督はラブストーリーにフォーカスを当て、SF映画なのに、ロマンティックで温かみのある作品に仕上げているのである。
ただ、この作品が一般の映画ファンに受け入れられるかどうかは疑問である。たとえば、「イギリスから来た男」はインディペンデント映画だったからよかったが、「ソラリス」はジョージ・クルーニーが主演しているSF大作なのだ。お手軽なスリルやアクションを期待した観客はきっと面食らうと思う。モンスターが登場しないことに腹を立てる人もいるかもしれない。じっさい、試写を観たライターの人たちの反応は一様に悪く、ぼくが映画会社の人に「最高でした」と伝えたら、「そう言ったのは、あなたが最初よ」と驚かれてしまったほどだ。
グループ・インタビューも最低だった。せっかくソダーバーグ監督に質問が出来るチャンスなのに、ほかのライターたちは、ジョージ・クルーニーのおしりとか(「ソラリス」のラブシーンでは、クルーニーのおしりがばっちりと映っている)、ジュリア・ロバーツとの関係など、ゴシップの質問に終始した。ぼくもつたない英語で質問を試みるが、すぐゴシップの話題に戻されてしまう。それでも、「ソラリス」に惹かれた理由については、なんとか訊くことができた。
「もし、ぼくがこの映画をティーンのときに観ていたら、きっとものすごい衝撃をうけたと思うんだ。『2001年宇宙の旅』をはじめて観たときみたいにね」
そうなのだ。おそらくアメリカの若者の多くは、単純なアクションやコメディで満足だろう。しかし、なかには、かつてのソダーバーグ監督のように、より刺激的な体験を求めている人がきっといるはずなのだ。アメリカ映画界は80年代にパーソナルな作品が絶滅し、90年代になってやっと刺激的なインディペンデント映画が台頭してきた。しかし、そうした野心作は、田舎町のシネコンでは公開されることはなく、必要としている若者たちには届かない。そんな人たちのために、ソダーバーグ監督は「ソラリス」を作ったのだ。「オーシャンズ11」の成功や、「トラフィック」でのアカデミー賞を楯に、全米2400館で公開される大作で、パーソナルな映画をやってしまったのである。試写での状況やジャンケットでの反応を見る限り、その冒険が報われているとは思えないけれど、きっとこの映画を観て、人生観が変わる若者もいると思う。ぼくもこんな映画を10代のときに観ておきたかった。もちろん、31の自分にも十分すぎるぐらいの衝撃だったけれど。
筆者紹介
小西未来(こにし・みらい)。1971年生まれ。ゴールデングローブ賞を運営するゴールデングローブ協会に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリスト。「ガール・クレイジー」(ジェン・バンブリィ著)、「ウォールフラワー」(スティーブン・チョボウスキー著)、「ピクサー流マネジメント術 天才集団はいかにしてヒットを生み出してきたのか」(エド・キャットマル著)などの翻訳を担当。2015年に日本酒ドキュメンタリー「カンパイ!世界が恋する日本酒」を監督、16年7月に日本公開された。ブログ「STOLEN MOMENTS」では、最新のハリウッド映画やお気に入りの海外ドラマ、取材の裏話などを紹介。
Twitter:@miraikonishi