コラム:若林ゆり 舞台.com - 第105回
2022年3月8日更新
さらに驚いたのが、生身の俳優たちのキャラクター再現能力が異様なまでに高いことだ。千尋役の橋本は、これが女優としての初舞台とは到底思えないほど、自然に「千尋」として存在している。もちろん千尋にしては美少女過ぎるかもしれないが、ちゃんと小学生っぽい表情も見せてくれるし、揺れる心にもどんどんたくましく成長していく姿にも非常に説得力があり、見ていて楽しい演技だった。上白石の千尋もすこぶる評判がいいので、見比べてみたい!
湯婆婆役の夏木マリは、なにしろ本物(アニメーションの湯婆婆声優)であるから、不満が生まれようはずもない。最高。だが、神秘的美少年ハク役の醍醐虎汰朗、まさに凛としたリン役の妃咲みゆまでアニメーションから抜け出したかのようなビジュアルと演技を見せてくれたのには、感謝したくなったほど。声のトーンやセリフの言い回しも、まさに「本物」。いや、もっとリアルで生身を感じさせ、感情に訴える力が素晴らしかった。今回のキャスト、とにかく全員、評判がいい。
しかし、この作品で出ずっぱりの千尋役と同じくらい讃えられるべきなのは、アンサンブルの役者たちである。体を張って何役も演じ、裏方の仕事もセット転換までをも行い、この世界を支えたひとりひとりの力は計り知れない。全員のパワーと技量が舞台に漲り、作品を押し上げている。
この作品は、ミュージカルではない。しかし、もしミュージカルにして歌を何曲も入れれば、上演時間は4時間を超えてしまっただろう。その代わり、久石譲の音楽をベースに作ったという音楽は、なんとオーケストラの生演奏。油屋の人々が歌ったり踊ったりするシーンはあるし、とにかく躍動感に溢れている。そしてよく「ミュージカルは総合芸術だ」と言われるが、この作品はミュージカル以上に「舞台は総合芸術だなあ」と感じさせてくれる。
これほどのクオリティを実現できたのは、作り手ひとりひとりの力量はもちろんだが、そのひとりひとりがスタジオジブリの「千と千尋の神隠し」を心から愛していたからではないか。その素晴らしさを損なわないように、その素晴らしさに負けないように、自分たちの仕事で最高の「千と千尋の神隠し」にしたい。その思いの結実なのだと思う。プログラムのインタビューで、セットデザインのボウサーが「この作品ではセット、パペット、小道具、照明、振付などが複雑に絡み合っているので、稽古場ですべてを融合させるのはまるでジグソーパズルかテトリスのようだった」と語っている。しかもコロナ禍のため、海外スタッフは来日できず、リモートで共同作業をせざるを得なかったとか。それでもすべてが見事にバチッと決まり、しかもこれ見よがしに映ることがないのは、まさに舞台芸術の極み。演劇の良さは生の空気感、奥行きを感じられることにあるが、情緒的な「奥行き」を感じられたのも大きかった。舞台の神々が、そこにひしめいているようだった。
舞台版「千と千尋の神隠し」は映画好きにも舞台好きにも、ひとりでも多くの人に見てほしい作品。だが、現在、チケットは入手困難を極めている。きっとこの先、何度も再演を重ね、海外での上演もされることになるだろう。そのたびにどう進化していくのか、それも楽しみだ。
「千と千尋の神隠し」は3月29日まで、東京・帝国劇場で上演中。4月13日〜24日に大阪・梅田芸術劇場メインホール、5月1日〜28日に福岡・博多座、6月6日〜12日に札幌・札幌文化芸術劇場hitaru、6月22日〜7月4日に名古屋・御園座で公演予定。詳しい情報は公式サイト(https://www.tohostage.com/spirited_away/)で確認できる。
コラム
筆者紹介
若林ゆり(わかばやし・ゆり)。映画ジャーナリスト。タランティーノとはマブダチ。「ブラピ」の通称を発明した張本人でもある。「BRUTUS」「GINZA」「ぴあ」等で執筆中。
Twitter:@qtyuriwaka