ジェーン・フォンダ : ウィキペディア(Wikipedia)

ジェーン・フォンダ(Jane Fonda, 本名:Jayne Seymour Fonda, 1937年12月21日 - )は、アメリカ合衆国出身の女優、作家、政治活動家。父のヘンリー・フォンダ、弟のピーター・フォンダ、姪のブリジット・フォンダも俳優である。これまで7度のアカデミー賞候補にノミネートされ、1971年に『コールガール』、1978年に『帰郷』と、主演女優賞を2度受賞している。

経歴

女優になる前はヴァッサー大学で絵画を学び、パリに滞在したこともある。大学は中退し、ヴォーグのカバーを2度飾るなど、モデルとして活躍した。その後、リー・ストラスバーグのもとで演技を学ぶFoster, Arnold W., and Blau, Judith R. Art and Society: Readings in the Sociology of the Arts, State Univ. of N.Y. Press (1989) pp. 118–119.。

1950年代後半より舞台に立ち、1960年に『のっぽ物語』で映画デビュー。これまで7度のアカデミー賞候補にノミネートされ、1971年に『コールガール』、1978年に『帰郷』と、主演女優賞を2度受賞している。

私生活では、1965年に映画監督のロジェ・ヴァディムと結婚したが、1973年に離婚。直後に社会・政治活動家のトム・ヘイデンと再婚する。1970年頃から1975年頃までベトナム戦争に対する反戦運動に傾倒し、「ハノイ・ジェーン」と呼ばれた。ロジェ・ヴァディムとの間に1子、トム・ヘイデンとの間に2子があり、俳優として活躍中のトロイ・ギャリティはヘイデンとの間に生まれた長男。

1982年からエアロビクスビデオ『Jane Fonda Workout』シリーズを発表し、ベストセラーとなる。

1989年にヘイデンと離婚。1991年にCNNの創設者でケーブルテレビチャンネル・映画制作会社オーナーのテッド・ターナーと3度目の結婚をするも、2001年に離婚を迎えた。離婚の慰謝料は天文学的数字とされる。

1990年代後半に一度引退したが、2005年に女優復帰したStated in interview on Inside the Actors Studio.。

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政治活動

ベトナム戦争中のアメリカでは、「リベラル」系の作家や評論家などの文化人や俳優、歌手などの芸能人による反戦運動が盛んに行われていた。 フォンダも活動に加わるようになり、1970年には反戦を訴えるヒッピーのグループとともに軍の基地に侵入を試み逮捕されている米国防長官を訴える ジェーン・フォンダ『朝日新聞』1970年(昭和45年)3月17日夕刊 3版 10面。また同年に行われたワシントンD.C.で行われた反戦集会にも参加した。1971年にベトナム戦争復員軍人による反戦活動VVAW (ベトナム反戦帰還兵の会)の公聴会を支援し、資金集めのために全米各地で集会を開く。共に運動を行った政治活動家のトム・ヘイデンとは1973年に結婚している。

VVAWの活動には2004年に民主党から大統領選挙に出馬したジョン・ケリーも深く関わっており、後の大統領選で争点となった。この間、フォンダはビラ撒きや薬物所持の容疑で数回逮捕されている(薬物所持の罪状については後に取り下げられた)。1970年5月からFBI当局、CIA当局からの監視対象となり、最終的に2万ページにも及ぶジェーン・フォンダに関するファイルが作成された。

1972年7月にベトナム民主共和国を訪れた際、飛来したアメリカ軍機を撃墜するために設けられた高射砲に座り、北ベトナム軍のヘルメットを被ってポーズをとった。さらにハノイに抑留されているアメリカ兵士の戦時捕虜を「死刑にすべき」と発言した。

後にこの時の写真と記事は世界中に配信され、その後フォンダは「祖国への裏切り行為で自分の判断の誤りだった」と釈明したものの、「ハノイ・ジェーン(Hanoi Jane)」と呼ばれ、長年に渡りベトナム退役軍人とその家族を中心に「売国奴」、「裏切り者」として大きな批判を浴び続ける。

二度目の来日だった1981年には、4月28日から5月10日までの二週間、プライベートの旅行を兼ねて日本に滞在。『9時から5時まで』の日本での公開に合わせた宣伝キャンペーンを含めたものだったが、1971年の初来日の際にはベトナム反戦劇団を率いての来日で、羽田で入国許可が降りず、3日間空港で押えられた前科があり、招いた20世紀フォックスも「反原発」発言を恐れ、神経を尖らせた。会見やインタビューでは必ず「あなたの生き方は我々の理想、憧れです。何か日本の女性にアドバイスを」と聞かれ、その度に当惑し「それぞれの立場や経験がみな違うでしょう。私が具体的な助言をするのはかえって失礼ではありませんか」などと諭した。当時の夫・トム・ヘイデンが反原発・代替エネルギー開発推進の運動家だったことから、京都を観光した後、1981年5月5日に香川県三豊郡仁尾町(現・三豊市)の「仁尾太陽博」会場を訪れ、世界初の太陽熱発電所を見学。翌5月6日には広島県広島市の平和記念公園を親子3人で訪れ、原爆資料館を見学し、慰霊碑で黙とうした。ヘイデンは「この息子(トロイ・ギャリティ、当時7歳)に人類最大の過ちを見せる」と、ジェーンは「すぐには理解できないかもしれないけれど、この体験は将来きっとためになると思う」と話した。

1988年にはバーバラ・ウォルターズのインタビュー番組で反省の弁を再び述べたが、退役軍人の怒りは収まらず、2005年4月には自叙伝のサイン会で退役軍人から唾を吐きつけられた。

2019年10月・11月、ワシントンにおいて気候変動政策についてデモ禁止の連邦議会前で政府に抗議中、逮捕された。

2019年には、連邦議事堂周辺で毎週金曜日に行われている気候変動問題を訴えるデモに参加。10月11日、10月18日、10月25日、11月1日と毎週逮捕されることとなった。

父親との確執

幼い頃、実母が父ヘンリー・フォンダの浮気を苦にして自殺したと知って以来、父との確執が始まった。父はその後も別の女性との再婚・離婚を繰り返した。ジェーンはことごとくヘンリーに背き、ヴァディムとの結婚も父に知らせないままだった。和解したのは、フランスから帰国してからだという。「フランス行きが私を自立させたのです。私は父を克服しました」とのちに語っている。

アカデミー賞と無縁だったヘンリーがアカデミー特別功労賞を受賞した際、ヘンリーは「私の人生の一番のハイライトです」と語ったものの、父の本当の胸の内は「現役俳優として主演男優賞が欲しい」と願っていたことをジェーンは知っていた。ブロードウェイで人気を博した家庭劇の佳作『黄昏』の映画化権をジェーンは買い取り、主人公をヘンリー、主人公の妻役をキャサリン・ヘプバーンが演じる。夫婦愛と親子の和解がテーマであるこの作品で、ジェーンは主人公の娘役で出演。完成した『黄昏』は、アカデミー賞で主演男優・主演女優両賞を獲得した。

ギャラリー

File:Jane Fonda - Sunday - 1963.JPG|『ニューヨークの休日』(1963年) File:Jane Fonda 1963.jpg|1963年 File:Vietnambijeenkomst in cultureel Centrum De Lindenberg te Nijmegen Jane Fonda …, Bestanddeelnr 254-9553.jpg|1975年 File:Jane Fonda 1998.jpg|1998年 File:Jane-Fonda.jpg|2009年 File:Jane Fonda Cannes 2014.jpg|2014年 File:Jane Fonda Cannes 2015.jpg|2015年

主な出演作品

映画

公開年邦題原題役名備考
1960年 のっぽ物語Tall Story ジューン・ライダー
1962年 荒野を歩けWalk On The Wild Side キティ・ツイスト
チャップマン報告The Chapman Report キャスリーン・バークレイ
1963年 ニューヨークの休日Sunday in New York アイリーン・テイラー
1964年 危険がいっぱいLes félins メリンダ
輪舞La ronde ソフィー
1965年 キャット・バルーCat Ballou キャット・バルー
1966年 逃亡地帯The Chase アンナ・リーヴス
獲物の分け前La curée レネ
水曜ならいいわAny Wednesday エレン・ゴードン
1967年 夕陽よ急げHurry Sundown ジュリー・アン・ウォレン
裸足で散歩Barefoot in the Park コリー
世にも怪奇な物語Histoires extraordinaires フレデリック
1968年 バーバレラBarbarella バーバレラ
1969年 ひとりぼっちの青春They Shoot Horses, Don't They? グロリア
1971年 コールガールKlute ブリー・ダニエル アカデミー主演女優賞 受賞ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門) 受賞
1972年 万事快調Tout Va Bien スザンヌ
1973年 人形の家A Doll's House ノラ
1976年 青い鳥The Blue Bird ザ・ナイト
1977年 おかしな泥棒 ディック&ジェーンFun with Dick and Jane ジェーン・ハーパー
ジュリアJulia リリアン・ヘルマン ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門) 受賞英国アカデミー賞 主演女優賞 受賞
1978年 帰郷Coming Home サリー・ハイド アカデミー主演女優賞 受賞ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門) 受賞
カムズ・ア・ホースマンComes a Horseman エラ・コナーズ
カリフォルニア・スイートCalifornia Suite ハンナ・ウォレン
1979年 チャイナ・シンドロームThe China Syndrome キンバリー・ウェルズ 英国アカデミー賞 主演女優賞 受賞
出逢いThe Electric Horseman アリス・マーティン
1980年 9時から5時までNine to Five ジュディ
1981年 黄昏On Golden Pond チェルシー
華麗なる陰謀Rollover リー・ウィンタース
1985年 アグネスAgnes of God マーサ・リヴィングストン
1986年 モーニングアフターThe Morning After アレックス
1987年 ビル・コスビーのそれ行けレオナルドLeonard Part 6 本人 クレジットなし
1989年 アイリスへの手紙Stanley & Iris アイリス・エステル・キング
私が愛したグリンゴOld Gringo ハリエット・ウィンスロー
2002年 デブラ・ウィンガーを探してSearching for Debra Winger - ドキュメンタリー
2005年 ウェディング宣言Monster-In-Law ヴィオラ・フィールズ
2007年 幸せのルールはママが教えてくれたGeorgia Rule ジョージア
2011年 みんなで一緒に暮らしたらEt si on vivait tous ensemble? ジャンヌ
2013年 大統領の執事の涙Lee Daniels' The Butler ナンシー・レーガン
2014年 禁断のケミストリーBetter Living Through Chemistry 本人 日本劇場未公開、WOWOWで放映
2015年 パパが遺した物語Fathers and Daughters
グランドフィナーレ Youth – La giovinezza ブレンダ・モレル
2017年夜が明けるまでOur Souls at Night アディー・ムーア
2018年 また、あなたとブッククラブでBook Club ヴィヴィアン
2023年 80 for Brady トリッシュ 日本劇場未公開
ブッククラブ/ネクストチャプターBook Club: The Next Chapter ヴィヴィアン 日本劇場未公開
ルビー・ギルマン、ティーンエイジ・クラーケンRuby Gillman, Teenage Kraken グランママ 声の出演日本劇場未公開

テレビシリーズ

放映年邦題原題役名備考
2012年 - 2013年 ニュースルームThe Newsroom レオナ・ランシング 計7話出演
2015年 - 現在 グレイス&フランキーGrace and Frankie グレイス・ハンソン Netflixオリジナル作品

受賞歴

アカデミー賞

作品名 結果
1970年 アカデミー主演女優賞 『ひとりぼっちの青春』
1972年 アカデミー主演女優賞 『コールガール』
1978年 アカデミー主演女優賞 『ジュリア』
1979年 アカデミー主演女優賞 『帰郷』
1980年 アカデミー主演女優賞 『チャイナ・シンドローム』
1982年 アカデミー助演女優賞 『黄昏』
1987年 アカデミー主演女優賞 『モーニングアフター』

英国アカデミー賞

作品名 結果
1968年 最優秀外国女優賞 『裸足で散歩』
1971年 主演女優賞 『ひとりぼっちの青春』
1972年 主演女優賞 『コールガール』
1979年 主演女優賞 『ジュリア』
1980年 主演女優賞 『チャイナ・シンドローム』
1983年 助演女優賞 『黄昏』

ゴールデングローブ賞

作品名 結果
1962年 有望若手女優賞 -
1963年 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門) 『Period of Adjustment』
1966年 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門) 『キャット・バルー』
1967年 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門) 『水曜ならいいわ』
1970年 主演女優賞 (ドラマ部門) 『ひとりぼっちの青春』
1972年 主演女優賞 (ドラマ部門) 『コールガール』
1973年 ヘンリエッタ賞 -
1978年 主演女優賞 (ドラマ部門) 『ジュリア』
1979年 主演女優賞 (ドラマ部門) 『帰郷』
ヘンリエッタ賞 -
1980年 主演女優賞 (ドラマ部門)  『チャイナ・シンドローム』
ヘンリエッタ賞 -
1982年 助演女優賞 『黄昏』
1985年 女優賞 (ミニシリーズ・テレビ映画部門) 『The Dollmaker』

ニューヨーク映画批評家協会賞

作品名 結果
1969年 主演女優賞 『ひとりぼっちの青春』
1971年 主演女優賞 『コールガール』

その他の称号

授与者
2007年 カンヌ国際映画祭 パルム・ドール・ドヌール
2014年 アメリカン・フィルム・インスティチュート 生涯功労賞

参照

関連項目

  • 全部族インディアン連合財団
  • 小原乃梨子 - 日本語吹き替えを主に担当。

外部リンク

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