太田茂 : ウィキペディア(Wikipedia)

太田 茂(おおた しげる、1881年(明治14年)8月5日-1940年(昭和15年)2月26日)日本のスポーツジャーナリスト。筆名は太田四州、太田志蹴。

略歴・人物

1881年(明治14年)8月5日に香川県に生まれる。高松中学校を卒業し、1902年(明治35年)に和仏法律学校(現在の法政大学)法律科を卒業する。

『二六新報』、『読売新聞』、『国民新聞』などに大学野球の記事を書き、1921年(大正10年)から雑誌『運動界』を主宰する。スポーツジャーナリストの草分け的人物であり、神宮球場の建設など、学生野球の発展に尽力した。1940年(昭和15年)2月26日に死去、享年60。

1972年(昭和47年)、野球の啓蒙に尽瘁し、生涯を野球批評のために貫き、文筆をもって学生スポーツの健全な発展に献身した功績により野球殿堂(特別表彰)入りする。

参考文献

  • 『日本人名大辞典』(講談社)

関連項目

  • 天狗倶楽部
  • 東京六大学野球連盟

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2022/08/14 03:09 UTC (変更履歴
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