井川祐輔 : ウィキペディア(Wikipedia)

井川 祐輔(いがわ ゆうすけ、1982年10月30日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。元日本代表。

来歴

千葉県成田市出身であるが、3歳から大阪で育った。ユース時代から年代別代表に選出される。

2001年、ガンバ大阪ユースからトップチームに昇格。「ポスト宮本恒靖」との呼び声も高かったが、出場機会を求めて2003年シーズン途中からサンフレッチェ広島に期限付き移籍。広島ではすぐにレギュラーをつかみ、J1昇格に貢献した。2004年途中からは名古屋グランパスエイト、2006年からは川崎フロンターレに期限付き移籍。2008年シーズンより川崎に完全移籍となった。

2006年9月20日のナビスコカップ準決勝第2戦、対ジェフユナイテッド市原・千葉戦では、井川はベンチスタートだったものの交代する出番が来る前に審判へ執拗な抗議をし、後半0分に退場処分を受けた。ピッチ上にいない選手が退場となる非常に珍しいケースであった(退場だがチームは数的不利にはなっていない)。チームは2-3で敗れた(チーム内では前年の森勇介に続き2例目)。

2008年5月、キリンカップサッカー2008で岡田武史監督から日本代表メンバーに初招集された。岡田監督は「井川に関しては前から注目していたが、Jリーグでのパフォーマンスも非常に素晴らしいのでぜひ一度呼んでみたいと思っていた」とコメントした日本代表メンバー発表 岡田監督会見 キリンカップ2008、スポーツナビ、2008年5月15日。。しかし出場機会はなかった。

2010年8月18日、名古屋グランパス戦で左第5中足骨を骨折、全治4週間の怪我を負ったKAWASAKI FRONTALE:井川祐輔選手のケガについて、川崎フロンターレ公式、2010年8月19日。。

2011年9月20日にモデル、グラビアタレントの安藤沙耶香と結婚したことを発表した。

2016年昨年からスタメンに定着していた谷口彰悟、この年から加入して来た奈良竜樹とエドゥアルドの活躍もありベンチを温める日が続いた。その後奈良竜樹の骨折、エドゥアルドが肉離れで戦列を離れた為しばらくはスタメンに定着したもののシーズン終盤に自身も怪我をしてしまい、そのままシーズンを終える形になった。

2017年はAFCチャンピオンズリーグ2017に2試合出場のみに終わり、シーズン終了後に契約満了により退団契約満了選手のお知らせ、川崎フロンターレ、2017年12月6日。。同年12月に行われたJリーグ合同トライアウトに出場。

2018年、香港プレミアリーグの東方足球隊へ完全移籍井川祐輔選手完全移籍のお知らせ、川崎フロンターレ、2018年1月4日。。2019年1月、東方足球隊から契約を解除された本田圭佑からもらった金言を胸に、元川崎のDF井川は香港で奮闘する、web Sportiva、2019年3月15日。。

2019年11月11日にSNSを通じて現役生活からの引退を発表し引退。、2020年2月22日に川崎フロンターレが主催した引退セレモニーに出席した区切り。。引退後はに所属するランスベイリの監督として就任した。

また台湾発祥のアプリ17 Liveで2020年1月中旬から配信を開始、在住している香港からイチナナライバーとして活動している。

人物

  • 本人曰く「秋葉原に通っている」とのことで、2007年のファン感謝デーではヲタ芸(フロンターレでは「ンタ芸」と呼ばれている)を踊った。
  • 2007年に体重が10キロ近く増えてしまい「メタボ」と呼ばれていたが、ダイエットに成功した。しかしチームメイトからはいまだに「メタボ」と呼ばれている。
  • 2008年から川崎の携帯サイト「モバイルフロンターレ」内でブログ「脱・メタボ日記」を開設した。2010年2月からはアメーバブログに移籍し、「続・脱メタボ日記」に改題して現在も更新中。
  • 年ごとに頻繁に髪形を変える選手としても知られていて、名古屋時代にドレッドヘアーにして試合に出たことがある(これは当時のチームメイトのクライトンの通訳に頼んだもの)。2008年ごろには、ユニフォームの背番号のところまでかなり長かったが、翌年には短髪になり、さらに短くなり坊主になった。
  • 稲本潤一はガンバユースの先輩であり仲がいい。ただし、双方がガンバに所属していた期間は半年ほどである。

学歴

  • 吹田市立南竹見台小学校(現・千里たけみ小学校)
  • 吹田市立竹見台中学校
  • 大阪府立北千里高校
  • 関西大学→桐蔭学園横浜大学川崎F・井川、脱メタボで初招集、スポーツニッポン、2008年5月16日。

所属クラブ

ユース経歴
  • 吹田千里FC
  • ガンバ大阪ジュニアユース
  • ガンバ大阪ユース
プロ経歴
  • 2001年 - 2003年8月 ガンバ大阪
  • 2003年8月 - 2004年6月 JPN サンフレッチェ広島 (期限付き移籍)
  • 2004年7月 - 2005年 JPN 名古屋グランパスエイト (期限付き移籍)
    • 2006年 - 2007年 JPN 川崎フロンターレ (期限付き移籍)
  • 2008年 - 2017年 JPN 川崎フロンターレ
  • 2018年 - 2019年1月 HKG 東方足球隊

個人成績

|- |2001||rowspan="3"|G大阪||rowspan="3"|25||rowspan="3"|J1||1||0||0||0||1||0||2||0 |- |2002||0||0||0||0||0||0||0||0 |- |rowspan="2"|2003||0||0||1||0||colspan="2"|-||1||0 |- |rowspan="2"|広島||37||J2||15||1||colspan="2"|-||3||0||18||1 |- |rowspan="2"|2004||19||rowspan="15"|J1||6||0||2||0||colspan="2"|-||8||0 |- |rowspan="2"|名古屋||rowspan="2"|3||11||0||3||1||0||0||14||1 |- |2005||12||0||4||0||1||0||17||0 |- |2006||rowspan="12"|川崎||rowspan="12"|4||22||0||4||0||0||0||26||0 |- |2007||19||1||4||0||3||0||26||1 |- |2008||30||1||3||0||2||0||35||1 |- |2009||22||0||2||0||4||1||28||1 |- |2010||21||0||0||0||0||0||21||0 |- |2011||28||1||2||0||1||0||31||1 |- |2012||21||0||2||0||3||0||26||0 |- |2013||14||0||1||0||2||0||17||0 |- |2014||16||0||1||0||1||0||18||0 |- |2015||23||0||4||0||0||0||27||0 |- |2016||13||0||3||0||0||0||13||0 |- |2017||0||0||0||0||0||0||0||0 259||3||36||1||18||1||313||5 15||1||colspan="2"|-||3||0||18||1 274||4||36||1||21||1||331||6 |}

|2007||rowspan=5|川崎||rowspan="5"|4||5||0 |- |2009||7||0 |- |2010||3||0 |- |2014||3||0 |- |2017||2||0 |- !通算!!colspan="2"|AFC |20||0 |}

  • Jリーグ初出場 - 2001年10月20日 J1・2nd 第10節 vs浦和レッドダイヤモンズ(万博記念競技場)
  • Jリーグ初得点 - 2003年9月6日 J2第32節 vsヴァンフォーレ甲府(広島ビッグアーチ)

タイトル

クラブ

ガンバ大阪ユース
  • 日本クラブユース選手権(U-18):1回(1998年)
  • Jユースカップ:1回(2000年)
川崎フロンターレ
  • J1リーグ:1回(2017年)

代表

日本代表
  • キリンカップサッカー:1回(2008年)

代表歴

  • U-20日本代表(2001年)
  • U-22日本代表(2002年)
  • 日本代表(2008年)

関連項目

  • ガンバ大阪の選手一覧
  • サンフレッチェ広島F.Cの選手一覧
  • 名古屋グランパスエイトの選手一覧
  • 川崎フロンターレの選手一覧
  • 日本国外のリーグに所属する日本人サッカー選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/12/04 13:33 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「井川祐輔」の人物情報へ