小谷野敦 : ウィキペディア(Wikipedia)

小谷野 敦(こやの あつし2008年、の執筆を機に筆名の読み方を「こやの とん」に改めた。「ところで最近は、当然ながらパソコン上で、私の名前を記すことが多いが、ローマ字変換をしている私は、実はいつも「こやの・とん」で変換している。その方が簡単だからでもあるが、だから弴伝執筆中は、「ton」と打つと、まず弴、次に敦が出ていたはず。折角だから、以後私は、字はそのまま、「とん」と読んでもらって筆名にしたいと思う」)。2012年11月、で本名の「こやの あつし」に戻す。、1962年12月21日 - )は、日本の「作家・比較文学者」「文藝評論家」と呼ばれることもあるが、小谷野自身は『朝日新聞』夕刊で担当していた「ウォッチ文芸」(1998年4月 - 2000年3月)以降、文藝評論家という肩書きを拒否している。に収録された「にわか文藝時評家の日々」を参照。その理由として、小谷野は「私は文藝評論家と呼ばれることもあるが、『文學界』以外の文藝雑誌からは全然お声がかりがないので、そう名乗る資格があるかどうか疑わしい」ということを挙げている(小谷野「作家見習いの記 私小説のすすめ」『中央公論』2008年12月号 pp.204-211)。。禁煙ファシズムと戦う会この会は2004年秋に小谷野がソーシャル・ネットワーキング・サービスmixiの中に作ったコミュニティである。「そう本格的な集団ではない」と小谷野は言っている(文学者小谷野敦の禁煙ファシズム闘争記 2007.05)。 元代表。愛称、猫猫先生小谷野のブログの名前『猫を償うに猫をもってせよ』に由来。『PLANETS』誌第5号(2008年8月)にも「猫猫先生かく語りき──「もてない男」は世界をどう変革したいのか?」と題するインタビュー記事が掲載されている。なお「猫を償うに猫をもってせよ」とは田河水泡の『のらくろ漫画全集』に登場する架空の諺である。。恋愛の比較文学的研究から出発し、『もてない男』小谷野は「たとえこれ以後私がどれほどもてるようになろうとも、若いころもてなかった、三十まで童貞だったという怨念だけは忘れない」と発言している。 を出版しベストセラーになる小倉千加子『結婚の条件』p.135 ISBN 978-4-02264-386-5。「新近代主義」の提唱を展開している。

学歴

  • 1981年 - 海城高等学校卒業
  • 1987年 - 各1年間の浪人・留年学部4年次在学中、英文科の修士課程の入試に失敗。このため意図的に4年生を2回繰り返し、卒業後に比較文学の修士課程に進んでいる。 を経て東京大学文学部英文学科卒業、同大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化専攻修士課程進学
  • 1990年 - 1992年 ブリティッシュコロンビア大学留学
  • 1994年 - 東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化専攻博士課程単位取得満期退学
  • 1997年 - 博士(学術)(東京大学)(博士論文タイトル「の文学史 -日本文学における男性恋愛心理の比較文学的研究」)

職歴

  • 1993年 - 帝京女子短期大学非常勤講師( - 1994年3月)
  • 1994年 - 大阪大学言語文化部専任講師( - 1997年3月)
  • 1997年 - 大阪大学言語文化部助教授( - 1999年3月)
  • 2003年 - 国際日本文化研究センター客員助教授( - 2006年)

人物

略歴

茨城県水海道市(現・常総市)に、二人兄弟の長男として生まれる小谷野はで自らを「ワーキング・クラス出身」と位置づけ、「比較的貧しい家の生まれ育ちで、保守の論客になる人というのがいる。福田恆存であり、西部邁であり、渡部昇一であり、谷沢永一である。どうも私は、根っこのところでこういう人達に共感しているところがあるようだ」と述べている。。父は時計職人、母は煙草屋の看板娘であった猫を償うに猫をもってせよ 2009-09-19 中村也寸志という人。小学校2年生の時に交通事故で入院。同じころ父親が転職したためもあり、小学校3年生の時に埼玉県越谷市に転居。転校先の越谷市立出羽小学校でいじめを受ける。同校4年生の時、国語の教科書に載っていたシェイクスピアの『リア王』の児童向けリライト版冒頭部分に影響され、学級新聞に小説『新・リア王』を連載したことがある。越谷市立富士中学校在学中は落語研究会所属で漫画家志望だったが、絵を描く能力に関してイラストレーターの叔父から疑念を表明され、高校時代に大江健三郎太宰治を読むようになると小説家志望へ転じる。高校受験では埼玉県立浦和高等学校を受験したが失敗し、海城高等学校に進学。同校ではなかなか友人ができず、いじめっ子集団の標的にされ、成績は平均よりも下を低迷していた。このいじめは、2年生になって成績が向上するまで続いた。陰惨な環境の男子校だったため「男性的なもの」を激しく嫌悪し、女性的なものに憧れて『キャンディ・キャンディ』に熱中した。幼い頃からクラシック音楽に惹かれ、その延長線上でバレエ音楽『コッペリア』『くるみ割り人形』の原作者E・T・A・ホフマンに関心を寄せ、そのため「大学ではドイツ文学科へ進もうと思っていた」 こともあるという。

大学受験では一年間の浪人生活を経て東京大学文科III類に進学。1984年、3年次から英文科に進学。大江と同じように23歳で芥川賞を取って大学卒業後ただちに作家生活に入ることを考えたが、大学時代は児童文学のサークルで出している手書きオフセット印刷の同人誌に小説2篇と戯曲1篇を載せたもののサークルの内部で酷評され、自信を失って挫折。しかし大学の卒論を書くことが面白かったことから学者をしながら評論めいたことを書こうと考え、大学院に進学。1990年6月、東大大学院での修士論文『英雄の生涯─馬琴、シェイクスピア、19世紀アメリカ小説における近代の運命』が芳賀徹の推薦で福武書店から『八犬伝綺想』として出版される。

1990年8月からカナダのブリティッシュ・コロンビア大学アジア学科の博士課程に留学し、週に一度だけティーチングアシスタントとして日本語の授業を受け持ちつつ、鶴田欣也、Joshua S. Mostowの指導の下で日本文学や比較文学を研究する。留学中は『日本文学』『批評空間』に論文を発表。博士論文のテーマには谷崎潤一郎を選ぼうと考えていたが、ブリティッシュ・コロンビア大学では鶴田と対立する教員から嫌われてティーチングアシスタントから外された後、英語力の不足などが理由で博士号取得資格試験に失敗。鶴田からは「評論家的な資質が自分に似ている」と評され、芳賀徹らとは後に学問的な対立をしたこともあり、のちに「お前の恩師は誰か、一人挙げろと言われたら、鶴田欣也をあげる」 と言っている。

1992年帰国。1993年4月から帝京女子短期大学にて英語の非常勤講師を務める。1994年4月、大学院の先輩でロシア語教官であるヨコタ村上孝之助教授の世話により猫を償うに猫をもってせよ 2006-09-29 阪大辞職顛末、大阪大学専任講師に就任。大阪府池田市石橋に転居。1997年には東大で博士号を取得。同年、大阪大学では助教授に進んだ。

1998年12月12日、大阪大学吹田キャンパスのコンベンションセンター・MOホールで開催された「ジェンダー・フリー社会をめざす若者セミナー'98」主催のシンポジウム「「ダンジョサベツ」なんてカンケーない?──ジェンダー論の言葉はどうしたら社会に伝わるか──」にパネリストの一人として出席。この席上、小谷野は「私は以前、レズビアンからレズビアンだと告白されてそのあと三日間吐き気が続いた」と発言したところ、同じパネリストの伊藤悟からホモフォビア肯定と受け止められ、猛烈な非難を受けた。ただし、伊藤からの非難について小谷野は誤解であるとし、反論と弁明のメールをメーリングリストに投稿している猫を償うに猫をもってせよ 2009-09-28 告白の代償(5)

1999年3月に大阪大学を辞職して東京都三鷹市に移住。この辞職について小谷野本人は、酒乱の同僚から恫喝や暴言を受け続け、神経症になったためとしている。また、辞職の直前の1999年1月にちくま新書から『もてない男──恋愛論を超えて』を刊行し、新書としては異例ながら10万部を超えるベストセラーになった。同書が反響を呼んだ原因について、小谷野は「誰も言っていなくて、だけど、みんなが思っていたことを言ったからでしょう。そんなのはコロンブスの卵みたいなもんで」と分析している『噂の眞相』1999年7月号、p.84。。小谷野はまた、「これまでのところ、私はある種の強運を持っていると思っている。たまたま阪大を辞めたのと同時に本がベストセラーになったため、今日まで食うに困るわけでもなく生き長らえているのは、一つの強運だろう。(中略)だが、庇護者運は悪いらしい」 とも発言している。

1999年10月、5歳上の言語学者で大阪大学助教授の由本陽子と結婚し小谷野は大学院時代から「猪口邦子先生のような才色兼備の同業の女性と結婚して、二人で名をあげ、仲良く二人で学会に現れたりして嫉妬まじりの視線を浴びたい、と本気で考えていた」と述べている。学術研究者を妻にしたいという思いは大阪大学に赴任してからも続き、ある晩、喫茶店で孤独な夕食をとった帰りに古書店で猪口夫妻の共著『世界を読む──Book review 1990』(筑摩書房、1990年)を発見した折には、あまりの妬ましさに古本屋の一隅に立ち尽くしたことがあるという。を参照。、週刊誌から「裏切り」と報道された。この結婚は挙式のみで婚姻届なしの遠距離別居であり、小谷野によれば「恋愛できない人間にお勧めの『友愛結婚』の実践」だったが、婚姻届の提出について由本の同意が得られなかったため、2002年夏、事実婚から3年弱で小谷野の側から「離婚」を申し入れた。

しかし、2003年秋ごろにはやはりもう一度結婚したい、あるいは恋人が欲しいという思いが強くなった上、2004年春、自分が好意をもっていた大学院生の女性の一人に、手ひどい振られ方をしたことがきっかけで 結婚情報サービスに入ろうとしたり、出会い系サイトで女性遍歴を重ねたによると、最初の頃は大量のサクラに翻弄されるばかりだったが、小谷野の『出会い系サイト放浪記』によると、やがて東京藝術大学出身の28歳の音楽講師や公立大学出身の34歳の法律事務所事務員と複数回の肉体関係を持ったという(『新潮45』2008年9月号 pp.155-156)。。自著『恋愛の昭和史』208ページにて「結婚相手に求める七か条」同書によると、この七か条の内容は次の通りである。早稲田大学については「森喜朗が総理になって以来、早稲田はバカ、という意識が私にはどうしてもある」、と発言したこともある(猫を償うに猫をもってせよ 2005-07-13 市川眞人なるもの)。また、東京藝術大学については卒業者女性と実際に交際して肉体関係を持ったが、「あまり知的な感じではない」との感想を持ち、「セックスの相性が良くても、知的レベルの違いはどうしようもなく」、別れに至っている(小谷野「出会い系サイト放浪記」pp.155-156、『新潮45』2008年9月号)。「私が結婚相手に求める条件は、何よりもまず、知的であることだった。これは子供の時からの傾向で、美人でも成績の悪い女の子は好きにならず、優等生の女の子のほうが好きだった。だから、片想いの相手も、つきあった女性も、結婚した相手も、みな研究者だった」とも発言している(小谷野「出会い系サイト放浪記」p.150、『新潮45』2008年9月号)。を書いたりするなどの試行錯誤を経て、2007年に結婚した結婚相手は21歳年下の坂本葵。。

法廷闘争

小谷野は、自身の権利を侵害したと信ずる相手に対しては積極的に法廷闘争を挑み、あるいは提訴を警告している『紙の爆弾』2009年12月号。

奨学金返済をめぐり日本学生支援機構に提訴を警告

2005年には自らのブログで日本学生支援機構(理事長・北原保雄=当時)から再三にわたり貸与奨学金返還の督促状を受けていることに触れ、「連帯保証人(父)に催促するとか、債権回収会社から電話で督促させるとか、まるで脅迫状である。私は昨年来、研究者を育てるのが目的の大学院奨学金なのに、いくら研究をしていても専任ではないからといって返還させ、研究していなくても専任なら返さなくていいというのはおかしい、と北原宛に手紙を書き、国際日本文化研究センターからの在職証明書も送っている。機構は、これは常勤職ではない、と言うのだが、私が貸与を受けていた時期の約款には、「客員助教授」は常勤ではない、とは書いていない。1999年に施行された「細則」によって分かるのであり、事後的な契約は無効であるといっているのに。違うと言うなら法廷で戦うのみである。下手に債権回収会社など使ったら脅迫罪で訴えるぞ」と宣言したこともある。その後、2006年に小谷野は国際日本文化研究センターの客員助教授を雇い止めとなり、奨学金返済拒否の口実を完全に失ったが、今日に至るまで貸与奨学金を返済していない。なお、小谷野個人の年収は、当人の発言によると「一千万円前後を行ったり来たり」しているという猫を償うに猫をもってせよ 2011-05-25 消費税に関する嘘の説明をやめよ

国会議員の嫌煙発言をめぐり日本国を提訴

2006年1月16日、衆議院議員杉村太蔵による「多くの若者にとって、たばこは汚い、くさい、カネがかかるの3K」との発言等により苦痛と屈辱を受けたと主張して国家賠償を請求し、東京地裁にて日本国を提訴した2006-01-16 訴状提出。一審では2006年5月24日に原告小谷野が敗訴。2006年5月31日、原告が東京高裁に控訴したが棄却となり、最高裁への上告は受理されなかった文学者 小谷野敦の禁煙ファシズム裁判記 1。このとき小谷野は弁護士を探したが引き受ける者がなかったため、法曹界でも禁煙ファシズムが広がっていると批判した。

鉄道の全面禁煙をめぐりJRを提訴

2007年3月24日、特急や新幹線の全面禁煙措置等が喫煙者に対する差別であり、日本国憲法第13条に定められた幸福追求権の侵害にあたり違憲であるとの主張のもとにJR東日本を東京簡裁に提訴した2007-03-24 JR東日本を提訴(2007年12月21日、裁判移送先の東京地裁にて小谷野側が全面敗訴産経ニュース 2007年12月22日 JR全面禁煙「生存に重大な影響なし」 東京地裁)。「控訴しても棄却されるのは目に見えているし、上級審で変な判例を作っても何だから」との理由により控訴は断念した。

対談での発言をめぐり藤原書店を提訴

2012年、藤原書店の雑誌『環』2009年秋号所収の粕谷一希との対談「本をめぐる対話 第4回 比較という思想‐西洋・非西洋・日本」p.367-368, 376における平川祐弘の発言ほかをめぐり、同誌への謝罪文掲載を要求して藤原書店を東京地裁に提訴したが、「平川の当該発言は原告(小谷野)の社会的地位を低下させるほどのものではない」との理由で2013年2月に敗訴した猫を償うに猫をもってせよ 2013-02-12 藤原書店に敗訴。これについて、小谷野は当初「原告勝訴」と勘違いし、その旨のエントリをブログに載せている猫を償うに猫をもってせよ 2013-02-12 藤原書店に勝訴。「原告敗訴」であることに小谷野が気付いたのはその2日後であった2013年2月14日 - 20:39のツイート

笙野頼子はこれを含めた小谷野の法廷闘争を「訴訟三昧」の一言で斬り捨てた。ただし、新型コロナウイルスの流行を受け「耐える以外、意味はない 何も言わずにいるのも必要」と小谷野の対人態度は変化し続けている。

芥川賞との距離

二回ほど芥川賞候補になったが、落選。選考委員たちへの抗議を込めて「引退の辯」なる同賞への辞退宣言を自らのブログに発表した本人のブログ。その後も『芥川賞の偏差値』という書物を著したり、週刊読書人で栗原裕一郎、小澤英実、倉本さおりと「芥川賞について話をしよう」なる対談を定期的に行っているGoogle検索「芥川賞について話をしよう」

著作

自身の公式ウェブサイトに(「外部リンク」参照)、自著正誤訂正一覧を載せている。

単著

ノンフィクション

  • - 参考文献:pp.276-277。
    • - 『八犬伝綺想』(福武書店、1990年刊)の増補。「江戸の二重王権」と「八犬伝の海防思想」の論文二編が追加されている。
  • - 各章末:参考文献。
    • - 文庫化
  • - 文献あり。
  • - 文献あり。
  • - 文献あり。
    • - 厚生労働省委託。
  • - 年表あり。
  • - 文献あり。
  • - 年表あり。
    • - 年表あり。
  • - 文献あり。
    • 『谷崎潤一郎伝-堂々たる人生』 中央公論新社、中公文庫 2021年8月20日
  • - 文献あり。
  • - 年表あり。
  • - 文献あり。
  • - 文献あり。
  • - 文献・著作目録・索引あり。
  • - 並列シリーズ名:Chikuma shinsho。
  • - 並列シリーズ名:Best shinsho。
  • - 索引あり。
  • - 並列シリーズ名:Best shinsho。
  • - 文献あり。
  • - 文献・年譜・索引あり。
  • - 文献あり。
  • - 並列シリーズ名:chikuma primer shinsho。
  • - 並列シリーズ名:BEST SHINSHO。
  • - 索引あり。
  • - 索引あり。
  • - 文献・索引あり。
  • - 文献・年表あり。
  • - 文献・年譜あり。
  • - 文献・年譜・索引あり。
    • - 文庫化
  • 『芥川賞の偏差値』二見書房、2017年3月。
  • 『文豪の女遍歴』幻冬舎新書、2017年9月。
  • 『純文学とは何か』中公新書ラクレ、2017年11月。
  • 『司馬遼太郎で読み解く幕末・維新』ベスト新書、2018年2月。
  • 『忘れられたベストセラー作家』イースト・プレス、2018年3月。
  • 『直木賞をとれなかった名作たち』筑摩書房、 2023年1月
  • 『レビュー大全 2012-2022: 作家・比較文学者Kが四〇〇〇日にわたって記した壮大なる記録』読書人、2023年5月

フィクション

  • 文藝春秋社法務部が表題作についてモデル女性からの訴訟を恐れた結果、文藝春秋社からは刊行を拒否されたという。同社のこの判断について小谷野は「そんなことはありえない。却って目立つだけだし、当人は外国にいるからだ」と述べている。を参照。
    • 「悲望」(初出は本人のmixiの日記における連載。その後『文學界』2006年7月号に掲載)
    • 「なんとなく、リベラル」(初出『文學界』2007年2月号、『悲望』単行本に所収)
    • 「童貞放浪記」(『文學界』2007年10月号) - 小沼雄一監督で映画化、2009年3月ゆうばり国際ファンタスティック映画祭にて初上映、2009年8月から10月にかけて単館上映(配給:アルゴ・ピクチャーズ)
    • 「黒髪の匂う女」(書き下ろし)
    • 「ミゼラブル・ハイスクール一九七八」(書き下ろし)
    • 「山室なつ子の生涯」(本人のブログに発表。樋口一葉が夭折せず、凡庸な作家として生涯を送ったという設定のパラレルワールドの物語)
    • 「純文学の祭り」(書き下ろし)
  • 「告白の代償」(2009年9月、本人のブログに発表)
    • 「中島敦殺人事件」(書き下ろし)
    • 「天皇の煙草」(2009年7月、本人のブログに発表)
    • 「母子寮前」(『文學界』2010年9月号、第144回芥川賞候補作)
    • 「東海道五十一駅」(本人のブログに前半を発表)
    • 「ロクシィの魔」(書き下ろし)
    • 「あなたの肺気腫を悪化させます」(本人のブログに前半を発表)
  • - 年表あり。
    • 「遊君姫君---待賢門院と白河院」(書き下ろし)
    • 「馬琴綺伝」(書き下ろし)
  • 『グンはバスでウプサラへ行く 小谷野敦作品集』 (猫猫塾) 2015年1月26日
  • 『鴎たちのヴァンクーヴァー 小谷野敦作品集』 (猫猫塾) 2015年3月23日
  • 『ヌエのいた家』 (文春e-book) 2015年5月29日(第152回芥川賞候補作)
  • 『お嬢様放浪記 小谷野敦作品集』 (猫猫塾) 2015年6月20日
  • 『弁慶役者 七代目幸四郎』青土社 2016年7月22日
  • 『信長の孫:三法師・秀信のその後』(電子書籍)2018年1月17日
  • 『東十条の女』幻戯書房 2018年3月23日
  • 『とちおとめのババロア』青土社 2018年11月20日
  • 『蛍日和: 小谷野敦私小説集』幻戯書房 2023年6月26日

共著

  • - 年譜あり。
  • - 池田清彦・小浜逸郎・橋爪大三郎吉田司・井崎正敏・八木秀次 共著。
  • - 年譜あり。
  • - 文献あり。
  • - 文献あり。

編著

  • - 年表あり。
  • - 文献あり。
  • 細江光共編『谷崎潤一郎対談集 - 芸能編』、中央公論新社、2014年9月
  • 細江光共編

翻訳

  • - 原タイトル:The Mikado
  • - 原タイトル:The anxiety of influence。(2nd ed.)
  • - 原タイトル:Angel
  • - 原タイトル:『浮雲』。
  • 『妻に恋した男: 当世風の偏見』ラ=ショッセ 原著(電子書籍)2019年2月20日 - 原タイトル:Le Préjugé à la mode
  • レンジェル・メニヘールト『颱風(タイフーン)』 幻戯書房・ルリユール叢書 2020年8月。ISBN 978-4-86488-201-9

序文

  • - 年譜あり。

解説

  • - 『百年目の青空』 (マガジンハウス、平成11年刊) の改題。
  • - リトル・モア1998年刊の増訂。
  • - 『太古、ブスは女神だった』 (マガジンハウス、2001年刊) の改題。

巻末対談

  • - 文芸社2005年刊の文庫。

漫画原作

  • - の漫画化。

映画出演

  • 『童貞放浪記』(2009年, カメオ出演)

受賞歴

  • 2002年 - 『聖母のいない国』でサントリー学芸賞(芸術・文学部門)
  • 2010年 -「母子寮前」で芥川賞候補。
  • 2015年 -「ヌエのいた家」で芥川賞候補リテラニュース 2017年1月19日閲覧。

注釈

出典

外部リンク

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