堀幸一 : ウィキペディア(Wikipedia)

堀 幸一(ほり こういち、1969年4月2日 - )は、長崎県長崎市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。現在は千葉ロッテマリーンズの二軍打撃コーチを務める。

経歴

プロ入りまで

海星高等学校では左翼手として春の選抜に出場。1回戦で京都西高に敗退『選抜高等学校野球大会60年史』毎日新聞社編 1989年。夏の甲子園県予選でも準決勝に進むが長崎商に敗れる。同年のドラフト会議でロッテオリオンズに3位指名され入団。

現役時代

入団直後のキャンプでは、佐藤幸彦や大村巌のバッティングに圧倒され自信を喪失した。長崎にいる堀の両親も、3年ともたないだろうと周囲に漏らしていた雑誌『週刊ベースボール』(ベースボール・マガジン社刊)2008年6月23日号43-47ページ『白球入魂「プロ21年目、ゴールはまだ先 - 堀幸一」』。

開幕当初より一軍に定着し、4月14日の対近鉄バファローズ戦で谷崎浩二からプロ初安打を放つ。同年は二塁手として21試合に先発出場を果たす。

に背番号を5に変更すると、二塁手のレギュラーに定着。初めて規定打席(8位、打率.284)に到達する。同年は20本塁打を記録し、36試合で4番打者を任され、「年俸が12球団一安い4番打者」と評された。堀の本塁打はこれ以降も続き、に通算で1番から9番までの全打順本塁打を達成し、その後も中距離打者として長らくレギュラーを守った。

は遊撃手にコンバートし3番に定着。初の3割を記録し、チーム10年ぶりとなるAクラス躍進に貢献。打率.309はイチローに次ぐリーグ2位。

はリーグ3位の打率.312(キャリアハイ)の成績を残した。

、新人の小坂誠が遊撃手としてレギュラーになったこともあり、再び二塁手にコンバートされた。

、フリオ・フランコが3年ぶりに再入団し、二塁手を希望したことで外野へコンバートされた。

、フランコの退団で再び二塁に戻ったが、不振や怪我に苦しみ、翌年以降は守備力の高い酒井忠晴が優先的に起用される。2001年は二塁手としての出場がなかった。

2002年、二塁手として85試合に出場。外野での出場も含めて、再びレギュラーへ復帰する。

、チームの主力選手として自己最高の22本塁打78打点をマークし、この年だけで全打順での先発出場を達成した。打順は3番か6番が多かったが、後半戦は4番として活躍し、チームの勝利に貢献した。

は主に2番打者で活躍し、チームの31年ぶりのリーグ優勝と日本一に貢献した。シーズン終了間際で規定打席に到達し、9年ぶりの3割となる打率.305の成績でリーグ8位を記録した。パシフィック・リーグ二塁手部門でベストナインを獲得する。18年目での初受賞はパ・リーグ最年長初受賞(当時)となった。

からは調子を落とし、スタメンを外れる試合も多くなった。代打でも結果を残せず、打率も2割台前半に落ちた。

7月7日にシーズン1号本塁打を放ち、有藤道世が持っていた18年連続本塁打のチーム記録を更新する19年連続本塁打となった。守備では青野毅の故障、今江敏晃の不調などにより、久々に三塁手でスタメン出場したものの、ホセ・オーティズの加入で再び出番が減った。

4月12日、途中出場ながら自身初となる一塁手の守備に就いた。8月20日の対北海道日本ハムファイターズ戦では一塁手で先発出場し、史上40人目(球団史上3人目)となる通算2000試合出場を果たした。しかし、打撃成績は前年より落ち、本塁打も1988年以来となる0本に終わったため、20年連続本塁打はならなかった。

は、ホセ・オーティズとフリオ・ズレータが前年オフに揃って退団したこともあり、出番が増加。堀も打率.259、4本塁打ながら得点圏打率.423、代打打率.417と、ここ一番での勝負強さを見せた。6月11日の対広島戦では、1イニング最多となる15得点を記録した6回の途中から福浦和也(この回2打席目)の代走として出場、その後も攻撃が続き「代走」のまま打席が廻ってくるという珍事があった。7月5日に2年ぶりに三塁でスタメン出場するが、これはヘッドコーチの西村徳文がボビー・バレンタイン監督よりスタメンを告げられる際、正三塁手・今江敏晃の愛称である「ゴリ」と「」を聞き間違えたことによるミスだった。結局、堀は第1打席で左翼へ犠牲フライを放ったのち、次の回の守備で今江と交代した。同オフには球団よりコーチ就任を打診されるが、堀も現役続行を選択した。

は二軍で137打席に立ち打率.333、1本塁打、17打点、OPS.806と好成績を残すも、一軍出場がなく、9月11日、球団より戦力外通告とフロント入りの打診を受ける。その時点で堀は現役続行を希望し、シーズンオフの12球団合同トライアウトを受け、1回目のトライアウトで佐藤誠からホームランを打つなど5打数2安打の成績を残したものの、獲得に名乗りを挙げる球団がなかったことから、12月2日に現役引退を表明し堀幸一選手 引退のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2010年12月2日、翌3日に千葉マリンスタジアムで引退会見を行った堀幸一選手が引退会見 - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2010年12月3日。

Koichi Hori ceremony.jpg|2011年4月30日 堀幸一選手引退セレモニー。 Koichi Hori.jpg|胴上げされる堀。

引退後

からはニッポン放送およびJSPORTS(MLB中継)の野球解説者を務める。3月12日の対埼玉西武ライオンズ戦を引退試合とする予定堀幸一氏の引退試合について - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2011年2月19日だったが、前日の11日に東日本大震災が発生し、この試合を含めた全てのオープン戦が中止され3/12(土) オープン戦中止のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2011年3月11日、堀の引退式は4月30日にずれ込んだ。

10月30日、からロッテの一軍打撃コーチを務めると発表された。背番号は75。まで同職を務めたが、2017年はチーム打率、得点、安打、得点全てリーグ最下位に低迷し、チームも6年ぶりの最下位に終わった。

は、二軍打撃コーチ兼育成担当に配置転換された。5月10日には二軍内野守備・走塁コーチに配置転換されたが、からは、再び二軍打撃コーチを務めた。その後、は育成総合兼育成打撃コーチを、は二軍チーフ打撃コーチを務め、からは二軍打撃コーチを務める。

選手としての特徴

早い時期から「天才」と呼ばれた選手。独特のオープンスタンスから、ゆったりとステップするフォームでボールを呼び込んで打つ。右打ちの上手さはボビー・バレンタイン監督に「太平洋一」と評され(ただし、パシフィック(リーグ)で一という意味の可能性あり)、右へと決めた時の徹底した打撃は走者一塁時の打席で特に発揮された。なお、器用さもありつつ、4番を打つだけの長打力も持ち合わせていた。

二塁の守備は安定感があり、他にも外野・三塁・遊撃も守れるユーティリティープレイヤーとして長年チームを支えた。

エピソード

  • 千葉マリンでの登場曲はプロパガンダの「p:Machinery」。この曲は1980年代のディスコでの定番の曲で、堀は現役最終年まで使用していた。
  • オフは釣り三昧で過ごす。黒木知宏と共にテレビ東京系の釣り紀行番組「釣りロマンを求めて」に出演した事があるが、その時に大型のメジナに逃げられ、本気で悔しがっていた。2011年から解説者を務めるニッポン放送のアナウンサーでもある松本秀夫とも現役時代からの釣り仲間である。
  • 「オフィシャル・ベースボール・ガイド 2010」にて、名前を「幸一」と誤植された。同じ千葉ロッテの塀内久雄が、「塀」の字を「堀」と間違われることはしばしばあったが、珍しく逆の事例となった。
  • ボビー・バレンタインが第一次政権の際にメジャーに連れて帰りたい選手として挙げていた。実際に堀がFA権を取得した際には、指揮していたメッツからオファーが来ている『伊集院光の野球バン!』#37(バーフェクト・チョイス)。
  • 2010年の応援歌刷新後も、唯一、2009年以前の応援歌を引き継いだ。

詳細情報

年度別打撃成績

ロッテ58867711206012991230402150.260.313.377.690
591411262334826641820211101272.270.331.508.839
11042538053108161201866957572904656.284.336.489.825
10546240966115253817038114624332636.281.351.416.767
128568493661222866180461861245514927.247.326.365.691
92327297387018271133683422400456.236.291.380.671
121516457711411841120067163174902935.309.373.438.810
12252746570145283162276882425521877.312.384.488.872
13158352253142182919147156175033938.272.335.366.701
127493444511072441016944125443942858.241.303.381.683
126493421571122838170505212257017111.266.353.404.757
8723120338521108872981322320385.256.329.429.758
8323819322437046217631522810504.223.318.321.640
11744538758982121416536411823513847.253.319.426.745
13053947078140240222307834465415809.298.372.489.861
119516445701162321418551521415511889.261.343.416.758
1044213805011616071534625443122758.305.357.403.760
8728326419601216922311121501558.227.270.348.618
611611501738102258151120801411.253.296.387.682
41104935193002262140601173.204.260.237.497
56121112132970448170021511314.259.294.429.723
通算:21年2064768067889291827351371832801810133591215867622371295124.269.336.413.749

年度別守備成績

年度球団一塁二塁三塁遊撃外野
試合刺殺補殺失策併殺守備率試合刺殺補殺失策併殺守備率試合刺殺補殺失策併殺守備率試合刺殺補殺失策併殺守備率試合刺殺補殺失策併殺守備率
1989ロッテ-36615548.967202001.000342011.000320001.000
1990-3759670201.00015102041.822--
1991-106257296552.991-10000-----
1992-104259251872.985---
1993-128319339883.988---
1994-711311581037.967--23351001.000
1995-101001.000201001.0001161793101569.970-
1996--19172111.974951372981551.967-
1997-104210263963.981392858051.000101001.000-
1998-203534071.000101011.00010000----112205520.991
1999-106221304765.9871772932.923--
2000-61117162741.976231001.000122011.000-
2001--9113011.000-69850001.000
2002-85182256655.986426011.00011310.80025270001.000
2003-84148278645.9866314001.000-712010.923
2004-115234372576.992---
2005-92173247256.995---
2006-78131191433.988---
2007-365578212.98511713001.000--
20087293041.00021343924.973---
200939222170191.000224011.00010000------
通算46251200231.00012872628339585730.98612878179812.97021932361631122.968239366630.992

表彰

  • ベストナイン:1回(二塁手部門:2005年)
  • ベスト・ファーザー イエローリボン賞 in 「プロ野球部門」(2008年)

記録

初記録
  • 初出場:1989年4月9日、対西武ライオンズ1回戦(西武球場)、9回表に高沢秀昭の代走で出場
  • 初打席:1989年4月12日、対オリックス・ブレーブス戦(川崎球場)、ガイ・ホフマンから三振
  • 初安打・初打点:1989年4月14日、対近鉄バファローズ1回戦(川崎球場)、6回裏に谷崎浩二から
  • 初本塁打:1989年4月26日、対オリックス・ブレーブス5回戦(阪急西宮球場)、5回表に星野伸之から3ラン
  • 初盗塁:1989年7月11日、対福岡ダイエーホークス12回戦(川崎球場)、7回裏に二盗(投手:井上祐二、捕手:内田強)
節目の記録
  • 1000試合出場:1998年7月28日、対福岡ダイエーホークス16回戦(北九州市民球場)、1番・中堅手で先発出場 ※史上345人目
  • 1000安打:1998年9月28日、対日本ハムファイターズ24回戦(千葉マリンスタジアム)、7回裏に芝草宇宙から左翼へ二塁打 ※史上192人目
  • 100本塁打:1999年9月11日、対オリックス・ブルーウェーブ22回戦(千葉マリンスタジアム)、7回裏に高橋功一から中越決勝ソロ ※史上207人目
  • 1500試合出場:2003年5月21日、対オリックス・ブルーウェーブ8回戦(Yahoo!BBスタジアム)、6番・二塁手で先発出場 ※史上138人目
  • 150本塁打:2003年10月8日、対オリックス・ブルーウェーブ27回戦(Yahoo!BBスタジアム)、8回表に萩原淳から中越ソロ ※史上133人目
  • 1000三振:2004年4月14日、対西武ライオンズ5回戦(千葉マリンスタジアム)、1回裏に西口文也から ※史上36人目
  • 1500安打:2004年6月26日、対西武ライオンズ15回戦(石川県立野球場)、1回裏に許銘傑から左前安打 ※史上51人目
  • 300二塁打:2004年9月7日、対福岡ダイエーホークス26回戦(福岡ドーム)、1回表に和田毅から左翼線二塁打 ※史上41人目
  • 2000試合出場:2008年8月20日、対北海道日本ハムファイターズ19回戦(東京ドーム)、2番・一塁手で先発出場 ※史上40人目
  • 350二塁打:2009年9月19日、対東北楽天ゴールデンイーグルス21回戦(クリネックススタジアム宮城)、7回表に佐竹健太から左翼線二塁打 ※史上27人目
その他の記録
  • 8打席連続安打:1990年 ※当時の球団記録
  • 全打順本塁打:1998年5月26日、対西武ライオンズ9回戦(千葉マリンスタジアム)、テリー・ブロスから ※史上4人目
  • 19年連続本塁打:1989年 - 2007年 ※球団記録
  • オールスターゲーム出場:2回(1995年、1996年)

背番号

  • 45(1988年 - 1990年)
  • 5(1991年 - 2010年)
  • 75(2013年 - )

注釈

出典

関連項目

  • 長崎県出身の人物一覧
  • 千葉ロッテマリーンズの選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/04/22 00:31 UTC (変更履歴
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