ウッディ・アレン : ウィキペディア(Wikipedia)

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ウッディ・アレン の Wikipedia

ウディ・アレンWoody Allen、1935年12月1日 - )は、アメリカを代表する映画監督。俳優、脚本家、小説家、クラリネット奏者など様々な顔を持つ。本名はアラン・スチュアート・デイヴィッド・コニグスバーグ(Allen Stewart David Konigsberg)。

プロフィール

少年時代

幼き日のウディ・アレンは、ニューヨークのブロンクス区で、東欧・ユダヤ系の家庭に生まれた。父親のマーティン・コニグスバーグ(Martin Konigsberg、1900年12月25日 - 2001年1月13日)と母親のネティー・チェリー・クローネンバー(Netty Cherrie Krohnenber、1908年 - 2002年1月)はアレンが生まれてから妹のレティ(Letty、1944年 -)が生まれる直前まで、ブルックリンを中心に10数回も引越しを繰り返していた。その間、母親の姉妹や、ドイツにおけるナチスの迫害から逃れてきた親類との賑やかな共同生活と、素性の知れない、時に凶悪な面を見せるベビーシッターとの生活を余儀なくされた。

ゆえにアレンの幼年期は主に女性に囲まれた精神的かつ言語的に混沌としたものだった。また、母親は時々アレンに対して激しい叱責(時には手も出る)を行った。妹のレティに対しては、はるかに穏やかな扱いだったので、アレンはそれと比べて「大事にされている、愛されている」という感情が持てなくなった。ひねくれた少年の行く先は現実逃避で、アレンはコミックや映画、ジャズに傾倒するようになっていった。

コニグスバーグ家は正統的なユダヤ教徒だったので、ユダヤ教の様々な儀式を行い、アレンもまた、8年間もの間ヘブライ語学校に通うことになった。これは宗教嫌いに拍車を掛ける結果になった。パブリック・スクール卒業後、1949年にミッドウッド・ハイスクールに入学。生まれつきの赤髪のせいでニックネームは「Red」。アレンはカード・マジックに傾倒した。

16歳の時に、アレンはマジシャンとして初舞台を踏むが、すぐにマジシャンとしての自分に見切りをつけた。同級生の前でマジックを披露しているうちに、「面白いヤツ」という評判が立ち、アレンは徐々にコメディに傾倒(元から喜劇映画はお得意とするところだった)し、その道を志望するようになっていった。(アレンと同級生のミッキー・ローズはジョージ・S・カウフマン好きということで意気投合し、後にアレンの初期の映画で共同で脚本を書いている。)

ギャグ・ライター

1952年、ハイスクール在学中に、アレンはPRの仕事をしている従兄やニューヨーク・デイリー・ミラー、ニューヨーク・ポストなどにギャグを送り始めた。この頃から、筆名として「ウディ・アレン」(極短期間「ヘイウッド・アレン」とも)を名乗り始めた。数々のギャグはコラムニストの手によって誌上で紹介され人気を博した。

これが芸能エージェントのデヴィッド・O・アルバーの目にとまり、アレンはアルバーのもとで「ウディ・アレン」として臨時雇いのギャグ・ライターという道を歩むことになった。

コメディアンとして

1953年、アレンはニューヨーク大学教養学部に入学した。映画製作を専攻し、英文学とスペイン語を中心に学んだが、授業の大半をさぼり、試験は一夜漬け、レポートは例の調子でコメディ風といった調子で、中退してしまった。ニューヨーク市立大学シティカレッジ映画科に入り直したものの、アレンのさぼり癖はおさまらず、またもや中退。母親のネティーは最初こそ絶望したものの、ギャグ・ライターとしてなんとかならないものかと考えるようになり、親戚のエイブ・バロウズという最強のコネを使って後押した。バロウズはアレンの才能を高く買い、シド・シーザーやピーター・リンド・ヘイズなどのテレビ司会者を紹介するとともに、アレンにギャグ・ライターだけではなく、シリアスな芝居とコメディを両立させる事の必要性を説いた。

1955年、同級生の兄ハーヴィ・メルツァーとマネージメント契約を結び、この有能なマネージャーの強烈な推薦で、NBCの放送作家養成プログラムに参加し、アレンはギャグ・ライターと放送作家を並行して行うことになった。シド・シーザーのグループで、ダニー・サイモンやメル・ブルックス、ラリー・ゲルバードらとともに働いた。1958年、アレンとゲルバードは、シド・シーザーの特別番組でシルヴァニア賞を受賞し、同作品はエミー賞にもノミネートされた。『パット・ブーン・ショー』で再びエミー賞にノミネートされ、放送作家としての地位を確固たる物にした。しかし、アレンは放送作家という仕事に興味を持てなくなる一方で、続々舞い込む仕事に心を病み、1959年から精神科への通院を始める。

『パット・ブーン・ショー』が打ち切られた1960年から、アレンはスタンダップ・コメディアンとして活動を始める。『ブルー・エンジェル』での初舞台は散々な評価に終わったが、舞台を重ねるうちに腕をメキメキと上げて、人気を集めていった。1962年8月には、ニューズウィーク誌がアレンを「シェリー・バーマン、モート・サール、レニー・ブルースに次いで現れたコメディアンの中で最も革新的」と評価し、1963年2月にはニューヨーク・タイム誌が同様の舞台評を書くまでになった。評判を聞き、映画界からのオファーが飛び込み、アレンはその世界へと身を投じた。

映画監督・俳優として

生まれ育ったニューヨークの文化や暮らし、人々のメンタリティをテーマにすることが多い、しかもそこに住むユダヤ人のそれを主題とする。ユダヤ人であることの差別とそこから来るコンプレックスや、自己意識などを織り込んだコメディを得意とする。

監督、脚本、主演の三役をこなして成功することが出来た映画人は、チャールズ・チャップリンとオーソン・ウェルズとこのアレンの3人だけだと言われている。演じる際には自らをカリカチュアライズしたようなユダヤ系の神経質なインテリを演じることが多い。

なお、フランスや日本など国外においても非常に高い評価を受けていることでも知られる。また、一部の作品を除いてアメリカ国内における興行成績は決して高くはなく、アメリカ国内より国外での興行成績が高い作品もあるにもかかわらず、後述のように多くの人気俳優や女優が競って出演することでも知られている。

またアレンは、ハリウッドに背を向けた映画人としても知られている。『アニー・ホール』(1977年)で、アカデミー監督賞、最優秀作品賞を受賞した時も、授賞式には出なかった。アレンが唯一アカデミー賞の授賞式に姿を現したのは、2002年の授賞式で特別プログラムとしてニューヨークを舞台にした作品集の紹介を依頼されたときだけ。それは9月11日のテロで犠牲になった人たちに捧げるオマージュとしての企画で、彼は出演したものの、それが終わると直ちにニューヨークに戻ってしまった。それにも関わらずアレンがアカデミー賞にノミネートされたのは21回、最多の回数である。

小説家として

1960年代の後半から1970年代にかけて、アメリカの文芸誌である「ニューヨーカー」誌を中心に短篇小説を書いている。そのうちいくつかの作品は映画化された。

クラリネット奏者として

幼年期のラジオ体験からジャズに傾倒した。最初の妻ハーリーンとはナイトクラブで知り合い、即興演奏(ハーリーンがピアノ、ウディがクラリネット)をすることもしばしばであった。映画監督として大成してからは、テレビショーやミュージック・フェスティバルで吹くことも多い。ニューヨークの「マイケルズ・パブ」のレギュラーバンド「Woody Allen and his New Orleans Jazz Band」の一員として毎週月曜日の夕方にクラリネットを吹くという習慣を数十年続けている。アカデミー賞の授賞式をすっぽかして、いつも通りクラリネットを吹いていたことは、ひとつの伝説となっている。

ドキュメンタリー映画「ワイルド・マン・ブルース」(1998年、監督バーバラ・コップル)では、ニューオーリンズ・ジャズ・バンドを率いてのアレンのヨーロッパ・ツアーの模様が描かれている。また、自作の映画の中ではジャズをBGMとして多用することが多い。

家族

映画で共演したダイアン・キートンと付き合っていたが、長く続かず破綻。その後、ミア・ファローと同居するようになるが、彼女の養子の韓国人女性スン・イー(当時21歳)との交際が発覚し、ミアから訴訟を起こされたこともあった。ウディとスン・イーはその後結婚し、女の子二人を養子に取っている。近年は、ダイアン・キートンとまた映画で共演している。

作品

映画

  • 何かいいことないか子猫チャン What's New, Pussycat? (1965年) - 脚本、出演
  • どうしたの、タイガー・リリー? What's Up, Tiger Lily? (1966年) - 脚本、監督
  • 007/カジノ・ロワイヤル Casino Royale (1967年)- 出演
  • 水は危険・ハイジャック珍道中 Don't Drink the Water (1969年) *原作のみ
  • 泥棒野郎 Take the Money and Run (1969年) - 脚本、監督、出演
  • ウディ・アレンのバナナ Bananas (1971年) - 脚本、監督、出演
  • ボギー!俺も男だ Play It Again, Sam (1972年)- 脚本、出演
  • ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう Everything You Always Wanted to Know About Sex * But Were Afraid to Ask (1972年) - 脚本、監督、出演
  • スリーパー Sleeper (1973年) - 脚本、監督、出演、音楽
  • ウディ・アレンの愛と死 Love and Death (1975年) - 脚本、監督、出演
  • ウディ・アレンのザ・フロント The Front (1976年) -出演
  • アニー・ホール Annie Hall (1977年) - 脚本、監督、出演
  • インテリア Interiors (1978年) - 脚本、監督
  • マンハッタン Manhattan (1979年) - 脚本、監督、出演
  • スターダスト・メモリー Stardust Memories (1980年) - 脚本、監督、出演
  • サマー・ナイト A Midsummer Night's Sex Comedy (1982年) - 脚本、監督、出演
  • カメレオンマン Zelig(1983年) - 脚本、監督、出演
  • ブロードウェイのダニー・ローズ Broadway Danny Rose (1984年) - 脚本、監督、出演
  • カイロの紫のバラ The Purple Rose of Cairo(1985年) - 脚本、監督
  • ハンナとその姉妹 Hannah and Her Sisters (1986年) - 脚本、監督、出演
  • ラジオ・デイズ Radio Days (1987年) - 脚本、監督
  • セプテンバー September (1987年) - 脚本、監督
  • ゴダールのリア王 King Lear (1987年) - 出演
  • 私の中のもうひとりの私 Another Woman (1989年) - 脚本、監督
  • ニューヨーク・ストーリー 第3話 エディプス・コンプレックス Oedipus Wrecks(in New York Stories) (1989年) - 脚本、監督、出演
  • ウディ・アレンの重罪と軽罪 Crimes and Misdemeanors (1989年) - 脚本、監督、出演
  • アリス Alice (1990年) - 脚本、監督
  • 結婚記念日 Scenes from a Mall (1991年) - 出演
  • ウディ・アレンの影と霧 Shadows and Fog(1992年) - 脚本、監督、出演
  • 夫たち、妻たち Husbands and Wives (1992年) - 脚本、監督、出演
  • マンハッタン殺人ミステリー Manhattan Murder Mystery(1993年) - 脚本、監督、出演
  • トラブルボックス/恋とスパイと大作戦 Don't Drink The Water (1994、TVドラマ) - 脚本、監督、出演
  • ブロードウェイと銃弾 Bullets Over Broadway (1995年) - 脚本、監督
  • 誘惑のアフロディーテ Mighty Aphrodite (1996年) - 脚本、監督、出演
  • 世界中がアイ・ラヴ・ユー Everyone Says I Love You (1997年) - 脚本、監督、出演
  • 地球は女で回ってる Deconstructing Harry(1997年) - 脚本、監督、出演
  • The Impostors (1998年) -出演、日本では劇場未公開
  • セレブリティ Celebrity (1998年) - 脚本、監督
  • アンツ Antz (1998年) - 出演
  • ワイルド・マン・ブルース Wild Man Blues (1998年)*ウディ・アレンのドキュメンタリー
  • ギター弾きの恋 Sweet and Lowdown (1999年) - 脚本、監督、出演
  • CIAの男 Company Man (2000年) - 出演
  • おいしい生活 Small Time Crooks (2000年) - 脚本、監督、出演
  • ヴァージン・ハンド Picking Up the Pieces (2000年) - 出演
  • スコルピオンの恋まじない The Curse of the Jade Scorpion (2001年) - 脚本、監督、出演
  • Stanley Kubrick: A Life in Pictures Stanley Kubrick: A Life in Pictures (2001年) -出演
  • さよなら、さよならハリウッド Hollywood Ending (2002年) - 脚本、監督、出演
  • 僕のニューヨークライフ Anything Else (2003年) - 脚本、監督、出演
  • メリンダとメリンダ Melinda and Melinda (2004年) - 脚本、監督
  • マッチポイント Match Point (2005年) - 脚本、監督
  • タロットカード殺人事件 Scoop (2006年) - 脚本、監督、出演
  • ウディ・アレンの夢と犯罪 Cassandra's Dream (2007年) - 脚本、監督
  • それでも恋するバルセロナ Vicky Cristina Barcelona(2008年) - 脚本、監督
  • Whatever Works(2009年) - 脚本、監督

CM

  • 西武百貨店 『おいしい生活』(1982) - キャッチコピーは糸井重里が担当。

書籍

  • Don't drink the water;: A comedy in two acts (1967年)
  • Play It Again, Sam (1969年)
  • Getting Even (1971年) ->『これでおあいこ』
  • God: A comedy in one act (1975年)
  • Without Feathers (1975年) ->『羽根むしられて』
  • Side Effects (1980年) ->『ぼくの副作用』
  • Lunatic's tale (1986年)
  • Complete Prose of Woody Allen (1992年)
  • Three One-Act Plays (2003年) ->『ウディ・アレンの浮気を終わらせる3つの方法』
  • Writer's Block: Two One Actplays (2005年)
  • "A Second Hand Memory," (a drama in two acts) (2005年)
  • Mere Anarchy (2007年) ->『ただひたすらのアナーキー』

受賞歴

ウディ・アレンは映画監督のキャリアが長いだけあって、数々の賞を受賞している。

  • 1978年 オー・ヘンリー賞 『クーゲルマスのお話 The Kugelmass Episode』(1977年5月2日にニューヨーカー誌に掲載された短編小説)
  • 1980年 セザール賞最優秀外国作品賞 『マンハッタン』
  • 1986年 セザール賞最優秀外国作品賞 『カイロの紫のバラ』他、7つの作品でノミネート止まり
  • 1986年 ゴールデン・グローブ賞最優秀脚本賞 『カイロの紫のバラ』他、4つの作品で最優秀監督賞、4つの作品で最優秀脚本賞、2つの作品で最優秀俳優賞(コメディ・ミュージカル部門)でそれぞれノミネート止まり
  • 1995年 ヴェネチア国際映画祭栄誉金獅子賞
  • 1996年 アメリカ監督組合生涯功労賞
  • 2002年 アストゥリアス王子賞、その後スペインのオビエドにアレンの等身像が建立
  • 2002年 カンヌ国際映画祭でイングマール・ベルイマンらとともにPalme des Palmes(特別生涯功労賞)
  • 2005年 「fellow comedians and comedy insiders」から「歴代3番目に偉大なコメディ作成者」として選出

アカデミー賞

ウディ・アレンはアカデミー賞の常連にも関わらず、授賞式には一切出席しないことで知られていた。しかし、一度だけ出席している。2002年の授賞式で行われたアメリカ同時多発テロ事件犠牲者の追悼企画での一コマで、アナウンスなしにアレンが登場し、観客の拍手喝采を浴びた。これは、前年のアメリカ同時多発テロ後の、「ニューヨークに関する作品を作る」というプロデューサーの意向を汲んでの出演だった。

  • 1977年 アカデミー監督賞 『アニー・ホール』
  • 1977年 アカデミー脚本賞 『アニー・ホール』 (with マーシャル・ブリックマン)
  • 1986年 アカデミー脚本賞 『ハンナとその姉妹』
  • アカデミー脚本賞候補 『インテリア』、『マンハッタン』 (with マーシャル・ブリックマン)、『ブロードウェイのダニー・ローズ』、『カイロの紫のバラ』、『ラジオ・デイズ』、『ウディ・アレンの重罪と軽罪』、『アリス』、『夫たち、妻たち』、『ブロードウェイと銃弾』、『誘惑のアフロディーテ』、『地球は女で回ってる』、『マッチポイント』
  • アカデミー監督賞候補 『インテリア』『ブロードウェイのダニー・ローズ』、『ハンナとその姉妹』、『ウディ・アレンの重罪と軽罪』、『ブロードウェイと銃弾』

また、アレン作品の出演者もアカデミー賞を数多く取っている。

BAFTA

アレンは英国映画テレビ芸術アカデミー賞各賞も数多く受賞している。1997年には同協会よりフェロー称号を贈呈された。

  • 1978年 最優秀作品賞 『アニー・ホール』
  • 1978年 最優秀脚本賞 『アニー・ホール』 (with マーシャル・ブリックマン)
  • 1978年 最優秀監督賞 『アニー・ホール』
  • 1980年 最優秀作品賞 『マンハッタン』
  • 1980年 最優秀脚本賞 『マンハッタン』 (with マーシャル・ブリックマン)
  • 1985年 最優秀脚本賞 『ブロードウェイのダニー・ローズ』
  • 1986年 最優秀作品賞 『カイロの紫のバラ』
  • 1986年 最優秀脚本賞 『カイロの紫のバラ』
  • 1987年 最優秀脚本賞 『ハンナとその姉妹』
  • 1987年 最優秀監督賞 『ハンナとその姉妹』
  • 1993年 最優秀脚本賞 『夫たち、妻たち』
  • 最優秀作品賞候補 『ハンナとその姉妹』、『ラジオ・デイズ』、『ウディ・アレンの重罪と軽罪』
  • 最優秀俳優賞候補 『アニー・ホール』、『マンハッタン』、『ハンナとその姉妹』
  • 最優秀監督賞候補 『マンハッタン』、『ウディ・アレンの重罪と軽罪』
  • 最優秀脚本賞候補 『カメレオンマン』、『ラジオ・デイズ』、『ウディ・アレンの重罪と軽罪』、『ブロードウェイと銃弾』 (with ダグラス・マクグラス)

エピソード

  • 多くの映画作品が地元のニューヨーク、特にマンハッタン周辺を舞台としていることで知られている。しかし、初のヨーロッパロケを敢行した「世界中がアイ・ラヴ・ユー」以降は、海外を舞台とした作品も少ないものの存在する。
  • フランスや日本など英語圏以外の外国での評価も高く、そのことをストーリー内に組み込んだ『さよなら、さよならハリウッド』など、海外での興行成績の方が高い作品も存在する。
  • アメリカ国内においてはインテリ層を中心に人気が高いこともあり、レオナルド・ディカプリオシャーリーズ・セロンなど、娯楽大作を中心に出演していた若手俳優が、「演技派」への脱皮を図るために(そしてインテリ層からの評価を得るために)、興行成績もギャラも決して高くないアレン作品に自ら出演を希望することも多い。

参考・関連文献

  • ジョン・バクスター、訳:田栗美奈子 『ウディ・アレン バイオグラフィー』(2002年、作品社)
  • スティーグ・ビョークマン、訳:大森さわこ 『ウディオンアレン 全自作を語る』(1995年、キネマ旬報社)
  • リチャード・シッケル、訳:都筑はじめ 『ウディ・アレン 映画の中の人生』(2007年、エスクァイア マガジン ジャパン)

参照

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2009/11/03 06:06 UTC (変更履歴
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