劇場公開日 2023年7月22日

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「過去の真実は遠ざからなければ見えてこない」少年 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5過去の真実は遠ざからなければ見えてこない

2023年8月5日
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俺の話をする。

10年以上昔のことだが、両親が離婚した。俺は姓を変えるかどうかを母親に尋ねられた。小4の時だった。俺は元からの姓に特段の愛着があったわけではなかった。にもかかわらず俺は絶対に嫌だと反抗した。その後しばらく、母親は面倒な手続きに奔走した。今思えば俺はただ母親を困らせたかっただけだったのだと思う。酷い話だ。ついていったのが父親だったとしても俺は同じような駄々をこねたに違いない。

なぜ俺はそんなことをしなければならなかったのか。「愛が深ければ深いほど傷つくことになる」という本作のナレーションが腑に落ちた。より卑俗で現代的な言い方をすれば「試し行為」というやつだろうか。親に本当に愛されているのか不安になった子供は、彼らをとことん傷つけることで、そしてどれだけ傷つけても自分を庇い続けてくれる彼らを感じることでようやく安寧を得る。

ただ、大人になればわかることだが、「試し行為」の悪辣さは相手の人間性を考慮しないことにある。無償の愛も休みなく注ぎ続ければいつかは枯れる。アジャ(シャオビー)は愛情の欠乏感の裏返しとして幾度となく非行を繰り返すうち、遂に不可逆の領域にまで踏み込んでしまった。継父に放たれた「本当の父親じゃないくせに」という言葉は彼よりもむしろ彼に人生の大部分を捧げていた妻、すなわちアジャの母親に鋭く突き刺さった。ガス自殺による彼女の呆気ない死は、あまりにも呆気ないからこそアジャを大きく揺り動かす。自分のほんの些細な稚拙さが人を殺した、という残酷な事実。強烈に現前する「他者」という存在。「少年」という言い訳はもはや剥落し、彼は大人になる。

日常が非日常に変転する劇的な瞬間というのは存在しない。非日常は不可視の領域に真夜中の雪のように静かに堆積し、気づいたときには既に日常を押し潰している。確かに予兆は山ほどあった。吹き矢が刺さって泣く弟、不良との小競り合い、盗んだ漫画の貸本ビジネス、デート中の暴力沙汰、海で溺れる弟、腹を刺された友人。しかしナレーションが淡々と示すように、過去というものはある程度遠ざからなければそこに潜む真実を知ることができない。

アジャの母親が死んだことと、俺の母親が今も元気に生きていること。これは本当に紙一重なことなんだろうなと思う。既に起きてしまった悲劇は決して書き換えられない。今の俺たちにできることがあるとすれば、過去を思い出すこと。慈しむこと。忘れないこと。そしてそれはたぶん、映画を作ることと似ている。

因果