劇場公開日 2024年2月16日

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「子どもの時よく迷子になった人は共感できると思う」ボーはおそれている talismanさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0子どもの時よく迷子になった人は共感できると思う

2024年4月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

笑える

怖い

ボーはやたら治安が悪い所に住んでいる。何の仕事してるんだろう?カウンセリング受けてるからお金はあるのかなあ。カウンセリングって効き目あるのかなあ。私は懐疑的だ。物語を勝手に作られてしまう気がする。記憶は記憶。特に家族に関する記憶に正しいも間違いもないと思う。整合性とか正誤なんかどうでもいいのが家族にまつわる記憶なんだと思う。自分に都合よく記憶は形成されるんだ。

迷子になると子どもは不安になるが、何度もそういう経験をすると迷子状態に慣れてくる。自分からデパートの然るべき所に行って「迷子になりました」と告げて自分の名前と年齢、母親の名前、住所などを言う。なぜ迷子になるのか?母親が子どもの手も繋がず振り向きもせず、満員のデパート地下フロアを先にどんどん歩むからだ。子どもにとって昔のデパ地下には夢のようなお菓子やディスプレイが山のようにあった。だから立ち止まりたい。そういう子どもの気持ちを母親はまるでわからず理解しようともしない。想像力の欠如。

迷子アナウンスが流れてしばらくすると鬼の形相の母親が来る。迷子になった子どもをやっと見つけて母親は嬉しい顔もしなければ心配してたんだよ、とも言わない。子どもだって母親の顔が心配とほっとした顔でなくて怒っていることは見てわかる。だから、自分も嬉しい顔もしないし泣かないしまして笑顔なんてありえない。なんで迷子になるのよ、ちゃんとついて来ないからでしょ、と言いながら母親は子どもをつねるのだ。

そんな子どもの頃の迷子話を大人になって母親にしても忘れている。か、忘れたふりをする。迷子話以外でもとにかくよくつねられた。夫や姑や舅との関係でイライラしていたんだろう。まだ20代の若い母親。かわいそうに。でも子どもの私もかわいそうだったのだ、と言いたい。

自分はこれこれのつもりなり意図をもって何か話したり行動するけれど、必ずしも親なり家族は同じように理解してくれるとは限らない。それは相手もそうだろう。自分だって親や家族や親戚のことを「正しく」理解しているとは限らない。だからボーは誤解されるのだ。誤解されるから不安でいっぱいになってしまうのだ。

不条理な不安でいっぱいのホアキンの顔、情けなくも笑うしかない。咆哮ばかりのメノーシェ、可哀想だけど笑えて仕方なかった、でもいい役だった!最後かっこいい!そしてボー " Mr. Wassermann" はその名にふさわしく水に戻った。

talisman